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踏破せよ、世界を  作者: 一ヌキ末
人篇 北大陸
21/36

破滅の棄却 4

7

 二つ目の部屋。

 床、壁、天井と無数に走る黄色の紋様には微妙な差異があるのだが、総括すれば前の部屋とそう変わりはしない。

 だが容易には区別できないだろう二つの部屋を、決定的に違う物たらしめる要素がここには存在した。

 人間の有無である。

 もちろんレーヴとリーヴィリアの事ではない。

 何かに座った男が一人、黄色に光る紋様の灯りを鋭く反射する棒状の物を手慰んでいた。


 ━━━━誰だ……?


 『修練場』に居座っているのだから、レーヴはリプル大臣かと疑ったのだが、それにしては体つきがたくましい。男は正面を向いていたが、俯いていたので人相が判別できなかった。

 レーヴとリーヴィリアが謎の男を訝っていると、男が軽快な所作で腰を上げた。

 男が立ち上がり、下敷きにされていた物が露となる。

 巨大な犬だ。頸部から夥しい量の血液を広げていて、微動だにしない。

 どこかで見た事があるな、とレーヴはその犬の死体を熟視して、それに頭が二つある事を発見した。

 『血染めの森』で遭遇した『双頭の魔狼(オルトロス)』である。二人はこの『士魔』が道中の殺戮を行った事を直感的に悟った。

 その『双頭の魔狼』を斃したと思しき男は顔をあげ、朗らかな調子でレーヴとリーヴィリアに話しかけた。

 

「早かったじゃねえか」

「……何でお前がここにいる?」


 二人にとって見覚えのある貌だった。


「何故ってお前。呼ばれたからだ。『あぁバーミット様、お助けください』ってな」


 かくん、と首を傾けて、バーミットは何が可笑しいのか半笑いで言った。

 レーヴは首を傾げる。『お助けください』なんて口調だった憶えはないが、この状況でバーミットに助けを請うような人間といえば一人しか思いつかない。


「……悪い大臣に?」

「そいつがリプルの糞ジジイの事を言ってんのなら、その通りだ」

「で。お前一体何するつもりだ」

「おう。前回はレーヴと戦ったから、今回はそこのお嬢ちゃんと戦ろうと思ってな」

 

 バーミットはその場でくるりと剣を回すと、獣じみた凶相で目的を嘯いた。その爛々と光る双眸は、リーヴィリアに刃物のようにギラついた視線を送っている。

 泣く子も黙る強烈な目を向けられたリーヴィリアは、しかし怖気づく様子もなくバーミットに尋ね返した。


「私、ですか」

「そうだ」


 バーミットは楽しげな面持ちで脚を軽く動かした。

 血に汚れた爪先に何か丸い物が掠って床を転がる。人の頭である。レーヴたちが発見した最初の死体とは打って変わって自分が死んだ事にも気付いていない、ぽかんとした顔だった。

 それを沈痛な表情で見るリーヴィリアとうげ、という面のレーヴに向けて、バーミットは言葉を続ける。


「ちなみにレーヴは邪魔してくれるなよ。ここの扉は俺でないと開けない細工があるからな」

「……僕がお前をぶっ飛ばして、その後拷問するっていうのはどう?」

「やめろよ。そんなガラじゃないだろ。

 ここは正々堂々、俺とお嬢ちゃんの決闘でケリをつけようじゃねえか」


 そう言って可笑しそうに手を振るやたらご満悦のバーミットに、うんざりとした表情を強いられたレーヴはリーヴィリアにどうする? と目線をやった。


「わかりました」

「お?」

「……いいの? リーヴィリア」


 てっきり困った顔をすると思っていたレーヴは予想外の凛とした面持ちを見せるリーヴィリアに少々驚いた。

 そんなレーヴに毅然とした表情を向け、リーヴィリアは揺らぎない声音で続く台詞を言い切った。


「はい。()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……は? お嬢ちゃん、何言ってんだ?」


 まるでバーミットの言葉を全て無視する台詞の内容に、さしものバーミットも戦いへの高揚に染まっていた瞳の色を戸惑いに変えた。

 しかしレーヴは得心したかのように頷くと、隣のリーヴィリアに心配そうに問いかけた。


「成る程……僕も案外思考の幅が狭い。でもリーヴィリア、大丈夫? 僕がやれば一瞬で済む話なんだけど」

「心配ご無用、です。私にお任せください」

「ん。じゃ、リーヴィリア。後は頼んだ」

「はい!」

「おい……!?」


 狼狽するバーミットと微笑むリーヴィリアを置いて、レーヴが次の部屋へ続く扉に歩いていく。

 立ち止まり、純白の少女はそっと扉横の壁に触れた。


「いや、だから俺の持ってる鍵がなきゃ━━━━」

「ことレーヴ様においては、そんな物はいらないのです」


 振りかぶったレーヴの右手が淡い白色に発光する。流れ星の如き残光を曳いて、凶悪なまでの破壊力を宿した一撃は狙い過たず『修練場』の壁に叩きつけられた。

 鈴の鳴るような可愛らしい掛け声が響き、扉に隣接する壁が嘘のように大きく陥没する。

 殴って壁を損壊させる。筋骨隆々の大男が木製のそれを破壊するのならまだ解るが、『修練場』は迷宮にも迫る超常の頑丈さを有しているのだ。そんな事はお構いなし、まったくもって常識はずれの暴挙である。

 己の発想の埒外をひた走るレーヴのソレに二の句を継げないバーミットを他所に、レーヴは小さな手を脇に引き絞った。


「どっ、せいっ」


 轟音。

 繰り出された二撃目は、恐ろしい強度を誇るはずの『修練場』の壁にとうとう洞穴の如き大穴を穿った。破片が飛び散り、バーミットの頬を掠めた。

 小さな手が叩きつけられ、壁が大きな穴を創られる。冗談のような、まるで因と果が不釣り合いな光景だった。

 リーヴィリアにひらひらと手を振って、レーヴは自ら開けた穴にひょいと入っていった。


「んな……んな馬鹿な」

「レーヴ様に常識を求めるなど、的外れの愚行です」


 大口開けて固まるバーミットに、リーヴィリアは八割方の諦観と、僅かな誇らしさを滲ませた表情で言う。


「はあ、レーヴの常識はずれは解ってたつもりだったが……こりゃあまったく解ってなかったな」


 そう言ったバーミットは途端に不気味な笑みを浮かべ、リーヴィリアに粘ついた表情を向けた。


「……どうするか。糞ジジイには侵入者を排除するように『お願い』されてるからな……レーヴを追うか」

「ええ。だから私の役目は貴方の足止めなのです」

「……なら、まずはお嬢ちゃんからだな」


 バーミットは狂乱めいた瞳でそう言った。




8

 セプレス王は、毎代四人の妻(夫)を娶る。

 その四人は何がしかの面で最も優秀な者が国民の中から選りすぐられ、次代の王子を一人ずつ成す。

 生まれた四人の子供たちは時期王座を巡って戦い争う。勝ち残った王子が王となり、そして四人の伴侶を得る━━━━

 そうして連綿と続いてきたセプレス王族の歴史において非常に稀有な、たった二人だけの王座継承権保有者の片割れであるリーヴィリア=セプレスという少女を見た時に大多数の者が抱く印象はこうだろう。

 第一に、美しい。綺麗だ。将来が多いに楽しみである。

 第二に、温厚、優美、憤激などという感情とは無縁の存在。

 第三に、肉体派より頭脳派寄り。

 これら全ては間違っていない。リーヴィリアはそこらの娘より数段以上も可愛らしいし、苛烈な人間が多い王族にあってなお優しい。剣を振るより本を読むほうが断然好きだ。

 しかし特に三つ目においては微妙な訂正の必要がある。

 こんな話がある。昔、リーヴィリアがもう少し幼い頃。彼女が街を歩いていると、立派な古木の前で立ち往生している男を見かけた。基本的に、セプレス王族での教育方針は『自由』である。もとより暗殺誘拐の憂き目に対処できないような『強くない』人間など、王族にはいない。

 その古木は相当の高さで、男を二倍してまだ余りある高みに綺麗な赤色の物が引っかかっている。男は赤色を仰ぎ見ながら頭を抱えていた。

 しばらくその様子を背後から見つめていたリーヴィリアは状況を悟った。赤色は高価な果物である。『竜熱の竈』の魔力に染まった赤い果物は滋養強壮の効果が高いとされ、つまり男は病床の妻か子供かのために買ったのが近辺の悪童の悪質な悪戯にかかってしまったのだろう、と。

 あの果物は柔らかい種類だから、何かを当てて落とすなんて真似はできない。古木に体当たりして落とすというのも、これほど壮健な根を張っている大木では僅かに揺らすのも困難だろう。だから男は八方塞がりと沈んでいるのだ。

 気の毒に思ったリーヴィリアは古木の僅かな突起や凹みに足をかけて駆け上がり━━━━木は表面が非常に滑らかな皮を形成する種類だった━━━━優しく赤色の果実を掴んで軽やかに着地。唖然とした面持ちの男に渡してあげたのである。

 リーヴィリアが齢11の時の話だ。


 確かにリーヴィリアは体を動かす類の所業があまり好きではないが、しかし特上の身体能力を備えていた。身体的素養でリーヴィリアに匹敵する人間など、ヴァレイア以外に片手で数えるほどしかいない。これはひとえにセプレス王族の血族であるが故だ。

 だからリーヴィリアは今まさに続く激しい剣撃を、どうにか回避できていた。

 唸りをあげて耳元を通過する刃。リーヴィリアの長い金髪が何本か巻き込まれて千切られる。

 全力にほど近い魔力で"身体剛化フィジカル・エンチャント"しているというのに、リーヴィリアの紅い魔力を纏った小柄な体はバーミットから逃げ切れていない。

 二人の身体的な能力差は、男女の違いや大人子供の体力差を鑑みても、それほど絶望的なものというわけではない。

 要は『身体の動かし方』の上手下手である。

 身体能力だけでいうならリーヴィリアは恐ろしい事にバーミットに迫るものを持っていたが、効率的な筋肉の使い方、関節の曲げ方ではそうもいかない。相手は百戦錬磨の『防人』なのだ。

 いくら魔力で強化しようと大事なのは『身体の動かし方』だったというわけだ。


「くッ━━━━」

「でかい口を叩いた割にはイマイチだなぁ、お嬢ちゃん」


 広い室内を縦横無尽に走り回りながら剣を振るバーミットと避けるリーヴィリア。

 リーヴィリアの服には幾筋もの切れ目が刻まれているが、バーミットはまったくの無傷。

 リーヴィリアの攻撃が当たらないのではない。そもそも仕掛ける隙が皆無なのだ。

 バーミットの剣が閃き、リーヴィリアのドレスの端が断たれて落ちる。服装の華美な装飾のせいなのか、バーミットが故意にそうしているのか、『修練場』二部屋目には真紅の服の切れ端が無数に散らばっていた。

 リーヴィリアが回避する度に、幾分短くなったドレスの裾が揺れ、それをバーミットの剣が切り裂く。


 まだ戦いが始まってからあまり時間も経っておらず、ギリギリまで追い詰められたわけでもなかったが、膠着した形勢を変えるためにリーヴィリアはわざと軸足をよろけさせた。演技ではない。正真正銘の隙である。

 当然、現れたその大きな隙に、ほとんど反射的にバーミットは剣を振った。隙が出来れば攻撃せずにはいられない。一種の職業病である。

 衝撃の瞬間に"防壁(ブロック)"を使う事によって剣の重みをどうにか緩和させつつリーヴィリアは自らも床を蹴って、後方に大きく吹き飛んだ。

 距離をとる。これこそがリーヴィリアの目的だった。


「はッ!」

「おっと」


 剣が届かぬ中距離。まさに魔術師たるリーヴィリアの間合いだ。

 初めてできた好機に、リーヴィリアが魔力剣━━━━長細いので魔力槍と呼称すべきか━━━━を放った。

 しかしバーミットは攻撃を見越していたかのように慌てもせずに軽く避けた。リーヴィリアの魔力色を反映した紅い色の魔力槍はバーミットの斜め後ろに虚しく突き立つ。

 開戦以来初めて距離が開き、両者は睨みあった。


「レーヴのツレだから期待してたんだがな。こりゃ的外れな高望みだったか?」

「いえ」


 返事をして、リーヴィリアが魔術を発動した。魔術らしい魔術の行使はこれが初である。

 紅い魔力が瞬き、バーミットの周囲に円状を成した。


「"拘束(バインド)"」


 紅の輪は名の通り対象を拘束せんと、急速に狭まった。

 だがここで大人しく捕まるバーミットではない。バーミットが"強化(エンハンス)"した剣を一閃すると、紅輪は粉々に砕かれた。

 バーミットが剣を振り切った瞬間、すかさずリーヴィリアは再度"拘束(バインド)"。だが幾分低めに発動された円は跳躍によって回避され、目的を果たす事なく宙に消える。


「ふっ」

「そこです!」


 浮いたバーミットへの三度目の"拘束(バインド)"。空を飛ぶ魔術は存在するが、男のバーミットにそんな大魔術は絶対使えない。回避は不可能である。

 果たして紅円はバーミットが身体を捻って剣を振るう僅かな間もなく細くなり、その中心に獣じみた男を固く拘束した。


「ぐッ……。だがこの程度なら」

「はい。すぐに突破されるでしょう」


 バーミットの万力のような圧を受けて軋む"拘束(バインド)"が保っている間に、リーヴィリアは次の魔術を行使する。

 部屋一面に落ちたリーヴィリアのドレスの切れ端がより濃い真紅を帯びた。

 切れ端は相互に紅色の光を結びつけ、部屋の床全体にも渡る巨大な魔術陣を形作った。部屋が淡い黄色から、力強い紅に染め上げられる。

 バーミットの背後の、丁度部屋の中心に立つ魔力槍を核として紡がれたそれは、ドレスに書き込まれた魔術印が作用し合った結果である。リーヴィリアが纏った真紅のドレスは、五日間の余暇に自身の魔力をふんだんに込めて作られた魔具だった。

 リーヴィリアは戦士としては二流だったが、腐ってもセプレス王族。魔術師としては一流だったのである。


「これは━━━━ッ!?」

「貴方が気付かなくて幸いでした。これが失敗すれば、私の勝ち目は潰えていました」


 『念のため』でしたが、無駄にならなくて良かったです。

 そう独りごちて、リーヴィリアは注げ込めるだけの全魔力をもって魔術の発動を完遂させた。


「━━━━"焼死せよ我が掌の上で(イフリートハンド)"」


 凝縮された魔力が燃え盛り、大小明暗がりがりと渦巻いて、宙に浮かぶ焔の歯車を象る。目も眩む光を発する無数の歯車たちは、それぞれに噛み合い紅色の魔炎を吹き出した。

 灼熱の歯車は次々と連結・回転し、屹立する五つの小塔を造る。獣のような男を囲んだ炎逆巻く小塔は、まるで機械仕掛けの火巨人の五指だった。

 魔術完成直後にバーミットは"拘束(バインド)"をどうにか破ったが、その次の瞬間には焔の手のひらに握り込まれていた。

 男を捕えた炎の手。それを構成する歯車の全てが猛烈な速度で輪転する。

 いっぱしの女冒険者でも青ざめるほど凝集した、大魔力の塊が爆発した。


「ぐ、がああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」





 しばらく経って、魔力の霞が晴れた後には、焦げたバーミットが残った。死んではいない、気絶しているだけだ。

 本来"焼死せよ我が掌の上で(イフリートハンド)"は魔力に『炎』の性質を与えて対象を焼き殺す広範囲、高命中率の古魔術なのだが、リーヴィリアは火力よりも衝撃優先の魔術式を組んでいた。

 リーヴィリアにとってもクルセウスの息子であるバーミットを殺すのは本意ではなかったのである。バーミットが異様に打たれ強いのは有名な話だったし、使える魔術の中でも特に命中し易く、比較的改変が簡単な"焼死せよ我が掌の上で(イフリートハンド)"をリーヴィリアは選んだのである。他の魔術は基本威力が低いものか、逆に鋭すぎて容易く殺しかねないものばかりだったのだ。

 リーヴィリアは全身から煙をあげるバーミットに目を向けた。内臓が幾つか潰れているかもしれないが、致命的な傷ではないだろう。

 大量の魔力消費にさすがのリーヴィリアもくらついて、その場にぺたんと腰をついた。当分動けそうにない。

 と、黒焦げバーミットが微かに動いた。どうやら気絶していなかったらしい。常人ならば一月は起き上がれない威力だったというのに、まったく呆れた生命力である。


「お、お嬢ちゃんの……勝ちだ。お前となら……結婚してもイイ……」

「……アホぬかせ、です」


 その台詞を最後にバーミットも動かなくなり、リーヴィリアも力を抜いて寝転がった。

 天井に光る黄紋の星空を見上げて、リーヴィリアは想い人に愛を囁くような声音で小さく、だが誇らしげに勝利の宣言を呟いた。

 リーヴィリアはレーヴの心配はしていない。『修練場』は部屋と部屋の間に魔術的な施しがなされているので、壁に穴が空いたぐらいでは他の部屋の音は聞こえない。だがリーヴィリアはレーヴの健在を、他人が知れば呆れるほどに強く確信していた。


 リーヴィリアが満足そうに吐息した━━━━その時、天井からぴしりと音が立った。




※敢えてひらがなで読むなら、

焼死(しょうし)せよ我が(たなごころ)の上で」



4/12

修正。御指摘感謝

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