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踏破せよ、世界を  作者: 一ヌキ末
人篇 北大陸
20/36

破滅の棄却 3

5

 リーヴィリアの台詞が全ての貴族たちの頭に十分染み込んだ頃合いを見計らって、クルセウスはリプル大臣へと向き直った。

 その双眸を鋭く細め、諸悪の根源を睨みつける。

 一体どれほどの前途有望な人間がリプルの手にかかってきたか。子が生まれて歓喜雀躍していた男もいた。長年の努力が実を結び、大成功を収めた女もいた。間近に結婚を控えた若者もいた。その輝かしい未来は全て無間の闇に消え去った。クルセウスは殺された者達を悼んだ。

 だがそれも、ここで一つの決着を得る。

 ━━━━漸く、ようやくこの男に引導を渡す時がやって来た。


「さて……後はリプル殿。貴方の事なのだが……リーヴィリア陛下に濡れ衣を着せた疑いがかかっている」

「…………」

「裁判で審議させて貰おう。当然拒否権はない」


 リプル大臣は俯いていて、不健康的な印象がより病的なものになっていた。伏せた顔には陰がかかっていて、その表情を窺い知る事はできない。

 返事も返さぬリプル大臣に、クルセウスは決闘騒ぎでは呆然としていた騎士たちに拘束の合図を出した。裁判のための証拠はまとまっている。死罪は確定的だ。


「捕縛せよ」

「はッ」「はいッ」

「……ふ、ふふふはは……」


 騎士が迫った途端、リプル大臣はさっと顔を上げた。焦げ茶色の瞳には滴るような狂気が渦巻いている。

 クルセウスはその顔に言い知れない怖気を感じた。


「ッ、急げ━━━━」

「ふふ」


 ぱちり。

 騎士たちが動くよりも僅かに早く、リプル大臣が高らかに指を鳴らす。

 何事かと身構えたクルセウスたちの前に、一人の貴族がよたよたと現れた。

 貴族は白いヒゲを蓄えた恰幅の良い老人であった。顔面に刻まれた数多の皺から温厚な人物である事が伺われる。

 しかし老人には致命的に生気がなかった。身体中は弛緩して、立っていられるのが不思議なくらいに脱力している。あらぬ方向を向いた目には何も写っていない。

 その余りの変貌ぶりに、リプル大臣を捕らえんとしていた騎士たちも思わず立ち竦んだ。


「なっ……!?」

「ウ、ウーツス様……!?」

「ふふ、甘い。詰めが甘いぞ」


 立ちはだかった貴族越しに、リプルがにやりと陰鬱に笑った瞬間、事は起きた。

 不意にその貴族の、お世辞にも痩せているとはいえない腹部が更に大きく隆起した。

 ぼこりと聞こえてきそうな腹部の変動。いかに肥満体といえど、人体の枠をはみ出てしまった名状しがたき不気味さ。

 唖然としている皆を前に、限界を越えて膨らんだ腹がついに破裂した。

 肉が裂けて血が溢れ出る━━━━と誰もが思ったが、覗けたのは虚ろな空洞だった。本来肉や骨があるべき場所には何もなく、なめし皮の如きぬらりとした光沢が空洞の内壁を構成していた。

 否。何かいる。

 ぐずりぐずりと腹の中から這い出してきたのは、長細い肉色の紐。

 床に何本も紐を落として、やっと貴族の体は仰向けに倒れた。不自然に形を保っていた卵の殻のような身体が凹み、見る見る間に平らに潰れた。

 紐は粘液を垂らしながら、体表に不規則についた目玉を動かす。


「な……!? これは……獅子身蟲(ミクソ・エントマ)!」


 獅子身蟲(ミクソ・エントマ)

 蟲系迷宮で間々見られる、厄介な寄生虫の類である。 

 人間含む動物の死体に棲み着き、穴を空けて身体を操る。そうして殺した物を次の棲み家にする。稀に生物に潜り込む事もあり、その筋では数多の冒険者に警戒される悪名高い魔物だ。

 これでも『民魔』であり、強靭な紐状の体を持ち、毒液を吐く。

 魔物を認めた騎士たちが表情を引き締め、剣を払う━━━━前に『獅子身蟲(ミクソ・エントマ)』全てが爆散した。

 千切れ、薄紫色の体液を撒き散らして床に飛び散る。

 クルセウスが右手を見ると、純白の少女が黒い石ころを手中で転がしていた。あの石を投げつけた、あるいは蹴り飛ばしたのだろう。ただの投石で『民魔』を葬るとは、端倪(たんげい)すべからざる膂力だ。

 決闘から通して辟易するほどの驚愕の視線を照射され続けているレーヴは、しかし何の臆面もなかった。


「……かたじけない、レーヴ殿」

「いいけど、悪い大臣はいいの?」


 レーヴの言葉にクルセウスはリプル大臣を探すが、陰鬱な気配を纏った痩身の男の姿は消えていた。


「しまった、追え!」

「どうせだから僕が行って来るよ。リーヴィリアは?」


 リーヴィリアへ訊くレーヴ。リーヴィリアはそこはかとない嬉しさを滲ませて頷いた。白い少女にこんな形でも誘われたのが嬉しいのだろう。クルセウスの知る限りではもっと引っ込み思案だったのだが、恩義のあるあの少女に対しては別らしい。


「私も行きます!」

「じゃあ、僕らはこっち探すから」


 そう言って、純白の少女と新たな国王は扉を出、右手に走って行った。騎士の半分ほどの重みもない軽快な足音が遠ざかっていく。


「まったく。騒がしい奴だ」

「ヴァレイア殿下」


 ヴァレイアが胸元を結びつつ、クルセウスに近づいた。つい先ほどまで事件の張本人だったというのに、もう既に何事もなかったような自然体である。


「で、どうするんだ?」

「リプルめを捕らえます。無事事が運んだ以上、あ奴とは早々に決着を着けねば。

 ━━━━『紅騎士』含む全ての騎士は、総出で逆賊オレイード=リプルを捕らえよ!」


 


 6

 レーヴとリーヴィリアは王城の荘厳な廊下を早足に歩いていた。人通りは少なく、いるのは二人の少女だけだ。

 リプル大臣を捕獲する、という割と重要な課題はあるにしては二人の表情は晴れやかである。

 特にリーヴィリアは溢れる喜色を抑えようともしておらず、まさに太陽のような笑顔であった。


「リーヴィリア、やったな」

「はい、はいっ!」


 リーヴィリアは両腕を上下にぶんぶん振り、輝くような喜びの感情を周辺に撒き散らす。もし人の心が視えたなら、リーヴィリアの周りは太陽もかくやという眩しさだっただろう。


「やりました!」

「うん。……ところでヴァレイアの事なんだけど」


 リーヴィリアの動きが止まる。金髪の少女は油の切れた機械のようなぎこちなさで口を動かした。


「…………じょ、じょじょ女性、だったんですよね……」

「何でリーヴィリアも知らないんだ」


 レーヴの呆れた声にリーヴィリアは目を逸らすと、困ったように胸元で指を組んだ。


「……ヴァレイアと会った回数自体はあまり多くないんです。それも大抵少し会話して終わりでしたし」

「ふむ」

「それにあんな男性みたいな格好をされていたら、判らないのも仕方ないです」

「まぁ、僕も男だと思っていたし……」


 レーヴの中でヴァレイアは『いけ好かないイケメン』に分類されていたのだが、女と判明した今ではそれも過去の話である。

 もうヴァレイアはレーヴの区分けでは『格好良いおねーさん』的な立ち位置になっていた。

 男だと思っていた頃よりも明らかに態度が軟化している。男よりも女に甘いのは、レーヴが男性的なのかどうなのか。


「しかし……リプルはどこへ逃げたのでしょう」


 少し声の調子を落とすリーヴィリア。

 先ほどの腹が破れた太い貴族を思い出したのだろう。レーヴは思った。

 レーヴといえば、今更生き物が一人、二匹、死のうがさして気にはならない。

 あれ程あからさまに人死にを目撃したのは初めてだったが、二足歩行する魔物(ゴ ブ リ ン)なら『竜熱の竃』で飽きるほど殺している。

 だから人型が死ぬのを見る回数なんて数えるのも億劫だと感じるくらいだし、別段衝撃を受けるわけでもない。


「早く見つかれば良いけど、そう簡単にはいかないだろうな」

「……レーヴ様、あれ」

「何?」


 立ち止まったリーヴィリアが指で何かを示している。レーヴの方が圧倒的に目は良いのだが、目線の高低の問題でリーヴィリアが先に気づいたのだろう。

 レーヴが視線を向けると、床に赤黒い液体が付着していた。

 宙に漂う鉄さびにも似た臭いに、レーヴは遅まきながら気付いた。

 どう見ても血痕である。


「…………」


 レーヴが焦点を前方に移すと、点々と続いている血痕は途中から引き摺るような長いものに変わり、最後にバケツをひっくり返したみたいにどばっと広がった。

 どう控え目に考えても致死量だな。ふとそんな感想を抱いた。

 廊下には薄い赤色の絨毯が永遠とひかれていたのだが、そこだけが目の醒めるような真紅に染まっている。まだ乾燥しきっておらず、極最近にぶちまけられたものだと推測された。

 ひどく広いしみの向こうに、一人の男が人形のように横たわっていた。


「リーヴィリア、あの人……」

「……はい」


 急ぎ近寄る。血が男のものならば生存の望みは薄いが、そうでなければ可能性もある。

 しかし。


「これはリプル大臣の仕業、だろうな……」

「……そうでしょうね」


 四肢を明後日の方向に曲げた男の左胸は大きく抉れていた。胸は心臓ごと削り取られ、目玉が飛び出さんばかりの壮絶な死相である。

 二人が顔を上げると、またもや赤黒い道が絨毯の上に描かれていて、レーヴは辟易し、リーヴィリアは唾液を飲み込んだ。

 文字通りの『血道』は廊下の先へと続ており、それは明らかに下手人の行動経路を示していた。


「死人には悪いけど、いい道標だ」


 レーヴは少しも悪びれずにそう言って、小さい脚の運動を再開させる。リーヴィリアは後ろ髪を引かれる想いで続いた。


「これってどこに続いてるか判る?」

「……『修練場』、だと思います」


 レーヴは血の道を歩きながら問いかけた。『修練場』の事は聞いた事がない。

 白い足が血の赤に染まってしまっているが、レーヴは微塵も気に留めていない。

 リーヴィリアは血だまりを避けてレーヴを追いかけつつ、訥々と答えを返した。


 曰く、『修練場』とは大魔術師ヘカテが造った巨大な訓練施設である。

 セプレス王城地下に位置するそれは一種迷宮のようなものであり、実際『魔物を生み出す』という特筆すべき機能を備えている。

 規定の空間に動物その他の魔物の素体となる物を入れ、幾らか放置すれば魔物が完成。その期間の長短で魔物の強さまで決定できる。

 つまり、人工迷宮。

 百年以上の長きに渡って繰り返し研究され、数多の魔術師たちに臍を噛ませた脅威の原理はいまだその片鱗さえも解明されていない。

 一部王族とそれに近しい人間しか利用する者はおらず、


「それも最近はヴァレイアだけが使っていたと……」

「はい」


 角を曲がり、血痕が撒き散らされた跡を辿って二人は階段に歩みを進める。

 踊り場に転がった、上下半身が泣き別れた死体を通り過ぎて、二人は階下へ降りていく。

 今まで発見した無惨な死骸はこれで五体目だった。

 何とも酸鼻な光景の連続だったが、リプル大臣自らの所業とは考えられなかった。あの枯れ枝のような細腕では人を殴るのでさえ苦労しそうだ。だが状況からして彼以外考えられない。

 しかし、ならばどうやって五人も殺害したのか。

 そして何故痕跡を消さずに残すのか。

 レーヴの疑問は尽きないが、今は大臣を見つける事が先決である。

 幾つかの踊り場を経た頃に、レーヴたちの目の前に扉が現れた。

 打ち捨てられた首無し死体を横目にその『修練場』入口と思しき扉に近づく。階段の底部だからか空気が淀んでいて、異常に鉄くさい。

 例にもよってべったりと赤色が塗りたくたれた扉を、レーヴはなるべく水っ気に触れないように開けた。


「うわぁ。……何だここ」

「……起動していますね」


 扉を閉めると不安感を煽る薄暗さが辺りを覆った。

 扉の先は相当広かった。部屋はサイコロのような立方体と思われ、いたるところに黄色の紋様が刻まれている。

 紋様は妖しく発光していて、はっきりと魔力の鳴動が感じられた。


「……悪い大臣はいないな」

「『修練場』は三部屋が縦に連なっていますから、きっと奥にいるのでしょう」

「奥……」


 レーヴが前方に目を向けると、なるほど確かに扉が見えた。光量が少ないので普通は見えないのだが、雲の高さからでも人相が判別できるようなレーヴは例外である。

 だだっ広い部屋を横切り、扉を開ける。短くない廊下を抜けて、二人は次の部屋へと辿り着いた。

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