五日の余暇 3
7
三日目、例にもよってリーヴィリアと朝食を済ませたレーヴは宿を出た。
今日の課題は、騎士さんの娘、イーリアちゃんの捜索である。
といっても何の手掛かりもないし、見つからなかったら見つからなかったで、一段落してからクルセウス氏に手助けして貰えば良いや。とレーヴは至極他力本願な思考をしつつ歩いていた。やはり例にもよって外套装備である。
よって本日の真の目的は、『王都ルウム食べ歩き』なのだった。レーヴは外套の下でふふふと笑う。
こんな朝から店を開いている所は今のところ見ていないし、実際少ないだろう。
だが飯屋は昼前には絶対に開店する、と確信しつつ、レーヴは通りを進んでいく。
リーヴィリアから貰った通貨が、外套の中で揺られて音を立てた。
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「んふふー」
レーヴはご機嫌だった。少なくとも鼻歌をするくらいには。
右手には半分ほどに減った何かの肉と思しき串焼きが握られており、口ではその肉を頬張っている。
口に入った次の瞬間には肉は食道を下り、腹に収まる。レーヴの外套の内ポケットは食べ終えたゴミで膨らんでいた。
ぱくり、もぐもぐ。ごっくんちょ。
肉は次々と、あっと言う間にレーヴの口内に消えていく。既にレーヴは串焼き換算で五十本分ほどを食べていたが、その割に腹部はまったく膨らんでいない。元のなだらかなお腹のままだった。
レーヴは食べ終えた串を外套の内側にしまい、素早く新しい串焼きを取り出した。口元に寄せ、かぶりつく。
時刻は夜、日は沈んで、銀月と『魔力灯』が街を照らしていた。昨日までならとっくに宿屋へ帰っている時間だが、レーヴはリーヴィリアに今日から遅くなると言い伝えてあるので問題はない。
昼前には最も活気がある場所を探し当てたレーヴは露店を巡り、手当り次第に美味しそうな品々を買っていった。そしてそれら全てを、小さな腹に完全に収めきった。常識的に考えて入るはずもない量だったが、それを可能にしたのはとある事に気付いたが故である。
レーヴの身体能力等はその莫大な魔力によって強化されている。
そこでレーヴは考えた。だったら内臓系の働きも強化出来ないか? と。
果たしてそれは可能であった。今レーヴの体内に入った物は極限なまでに強化された胃液やらなんやらで瞬時に消化される。養分として吸収される前に直接魔力で処理しているのでレーヴは太りもしなければ、脂肪がつく事もない。世界中の女性が羨む反則技だった。
だから正確には『食べている』というより『味わっている』のだが、レーヴにとっては美味しければそんなのどちらでも良かった。
レーヴは夜の街をまばらに歩く人々を通り抜けて、新たなる店を探す。
ふと見覚えのある風景だな、と顔を上げたレーヴは自分が何時の間にか『王立大図書館』周辺まで歩いて来ていた事を知った。
おぉ、こんなところにまで来てしまった。レーヴは口を動かしながら思う。
今度こそ飛んで帰る訳にもいかないし、今からでも宿屋に帰るころには明日になってしまうだろう。
もう少ししたら帰り始めなきゃいけないな。レーヴは外套の上から頭を掻いた。
すると、何やら声が聞こえる。丁度昨日レーヴが飛び立った所あたりだ。
えっと、確かあそこの路地裏で……。最後の串焼きを吞み込みつつレーヴは路地裏に近づき、ひょいと覗き込んだ。
「おいおい兄ちゃんよお」
「好い加減ん、反応しろよゴラぁあ!」
「…………」
三つの人影が路地裏にあった。全員ともがレーヴに背を向けて、路地の奥を見ているようだった。
正確には三人は二人組と一人に別れていて、前者は後者を、後者は路地裏の先を注視している。
二人の男が因縁をつけているようだ。男たちは首筋が赤く染まっている事といい、呂律の回らない喋り方といい、明らかに酔っていた。
レーヴはタチの悪い酔い方だなぁ、と感想を抱きつつ隠れて事の推移を見守る。
二人の酔っ払いに絡まれている青年は何処吹く風と路地裏の一角を興味深そうに見つめ、次に上を見上げた。
青年は長髪を後頭部の下の方でぞんざいに縛っていて、揺れる赤みの強い茶髪がレーヴには印象的だった。
当然、レーヴに見えているという事は、二人の男にも見えているという事で。
一人の男が青年に近づき、その髪に手を伸ばす。引っ張ろうと思ったのだろう。
「無視するなよ、兄ちゃんよぉ!」
「その、『兄ちゃん』って俺の事か……?」
高すぎず、低すぎない中性的な声音。青年の声を聞いたレーヴは、こいつ絶対にイケメンだな……チッ! と舌打ちした。
いかに今は幼女といっても、元男としてのイケメンへの敵意は不朽である。
青年は後ろを向いたままの姿勢で己の髪に伸ばされた男の腕を掴み上げた。最低限の動作で腕を極められた男はその痛みに狼狽する。
「いだ、いだだだだだ!」
「お、おい! 何してんだぁ! 離せ!」
「嫌だ」
「なめてんじゃねぇえ!」
それを見ていたもう一人の男が赤茶の髪の青年に殴りかかる。
青年は片手を引いて捕まえていた男を地面に強かに打ち付け、突き出されたもう一人の男の拳を当然のように避けた。空振って上体が傾いだ男の脇に流れるように潜り込み、その腹に掌底を叩き込む。男は腹をおさえ、その場にくずおれる。
えらく喧嘩慣れしている様子の青年は、石畳みに盛大に顔面をぶつけて鼻血を垂れ流している男と、うずくまって酒臭い吐瀉物を撒き散らし始めた男を華麗に無視し、レーヴの方に歩いてきた。縛られた赤茶の髪が尻尾のように揺れる。
その髪と同じ色の瞳は、物陰に隠れ、ちょこんと頭を出すレーヴを映していた。
接近してくる青年を見て、レーヴはギョッとした……のではなく、想定通りの彼の女性的で綺麗な貌を確認して心中で唾を吐き捨てた。ッペッ! と。
「おい……子供、何してるんだ」
「別に。………………ペッ! お兄さん、強いね」
「……!? ……とりあえず、『お兄さん』はやめろ」
青年は嫌そうに赤茶の髪を弄る。レーヴの呼称が気に入らない様子だった。
レーヴは小首を傾げる。どう見てもこの青年は二十歳前後だ。『おじさん』にはまだ早いだろう。
「何故」
「嫌だからに決まってるだろう」
「成る程。……ところでお兄さん、イーリアっていう女の子知らない?」
「だからやめろと言っている」
振り下ろされる高速のチョップをレーヴはひょいと避けた。
赤茶の髪の青年はその美麗な貌に、僅かな驚きの色を浮かべた。
「イーリア、か。知らないな」
「そう。なら良いよ。お兄さん」
「やめろ」
シュッ。ひょい。
レーヴは訝しげに見てくる青年を他所に懐から串焼きを出そうとして、先程食べ尽くしてしまった事を思い出した。レーヴの眉が不満気に寄せられる。
動きが止まったレーヴを青年は不審に感じたらしい。声を掛けるてくる。
「どうしたんだ、子供」
「食べる物がなくなっちゃったんだよ」
「食う物がない? その割にはお前から肉の匂いがぷんぷんするが」
「まだ足りないんだよ。お兄さん、いい店知らない?」
「お前も大概しつこいな……」
迫る通算三度目の手刀を避けたレーヴは意地の悪い笑みを浮かべる。今回はフェイントを入れてきたようだが、人外の動体視力を持つレーヴには通用しない。
やれやれと頭を大仰に振る青年をレーヴはじっくり上から下まで眺め回す。
貴族風とでも言おうか、赤を基調にした高そうな服。服装だけ見れば高貴だが、青年の醸し出す妙な雰囲気と合わさって、まるで『没落貴族の息子』のようだ。そうでなければあのおっさん達も喧嘩を売ろうとはしなかっただろう。腰に剣を帯びている。
そこまで観察し終えたレーヴは目線を青年の顔に戻す。この間実に数瞬の事であった。
青年は呆れた風に赤茶色の髪を弄ると、通りに向かって歩き出す。レーヴがぼーっとその後ろ姿を見ていると、青年は振り返った。咎めるように口を開く。
「ほら、美味い飯屋に行くんだろう。……さっさと来い」
「仕方ない。一緒にいってやろう」
「お前は何様だ」
「秘密だ」
「…………」
この妙な子供め、とか何とか聞こえた気がしたがレーヴは気のせいだと思う事にした。
青年は通りに向き直り早足で歩き出したので、レーヴはやれやれと聞こえるように言い放ちつつ追随した。
追いつき、横に並ぶ。青年はそれほど背が高い訳でもなかったが、それでも頭一つと半分程度には身長差がある。青年の背に垂れる赤茶色の尻尾が、レーヴの平たい胸の高さで揺れている。
「で、どこいくの?」
「酒屋だ。少し荒っぽいが、まぁ飯が美味かったら良いだろ?」
「うむ、許そう」
「何様だ」
「秘密だ」
「…………」
無言で振り下ろされる手刀。
無言で笑いつつ避けるレーヴ。
レーヴの顔の大部分は外套で隠れているのだが、隙間から上がった口角が覗けたらしい。青年は額に青筋を浮かばせる。
「何故当たらない……」
「お兄さんが遅いからさ」
レーヴは少し前方に駆けて、くるりと回った。外套の裾が広がる。
そんなレーヴを青年は鋭く細められた眼光で射抜いた。
「俺を『遅い』なんて評す奴は初めてだ」
青年の手が腰元の剣に触れる。赤茶の瞳がレーヴを見つめる。灰色の瞳が外套の下から見返す。
剣呑な目線をぶつけ合う、小さな外套の子供と帯刀した細身の青年を、夜を歩く人々は避けていく。
「お前……何者だ」
「秘密だ」
「…………」
「…………」
「……まぁ良い。そういう事にしておこう」
「それがいい」
青年は柄から手を離し、殺気を霧散させた。
レーヴはそんな青年に鷹揚に頷いた。イケメンは気に喰わないが、この男には美味い食事処へ案内して貰わねばならない。それまで生かす価値はあるのだ。
そしてそれは、この青年がレーヴを疑ってきても変わらない。目を逸らし、通りを歩く青年にレーヴはついて行った。
それから暫くして。
「ここだ」
青年が赤茶色の尻尾を揺らし、数ある店の一つに入っていく。レーヴが通った時には開いていなかった店だ。
レーヴは青年を追って入店した。飯屋……というより、前世で言うところの居酒屋に近い店だ。顔に大きな傷がある者や怪しい目つきで小剣を研ぐ者、口汚く罵り合う者たちが各々酒を傾けたり、肉に食らいついたりしている。
青年は慣れた様子でカウンター席の端に座り、レーヴも隣に腰を降ろす。
「オススメは?」
「酒だ」
「僕は飲酒するつもりないんだけど」
未成年だから。
レーヴはそう口にしようとして、やめた。物思いに耽る。
前世では成年だったが、そもそも生まれ変わってまだ数年で、未成年なわけである。しかし精神年齢を考えれば……いやでもこの体はまだ幼児だ。というかそもそも、この世界では酒は何歳からだ?
思い悩むレーヴを他所に、青年は二本指を立てて横に振る。その仕草は注文の合図だったようで、店主と思しき厳めしい男が頷いた。
「冗談だ。今頼んだのが俺が気に入っているヤツだ。まぁ許せ」
「嫌だ。許さん」
「許せよ。……その外套、いつまで着てるんだ。店の中なんだからいい加減脱げ」
「嫌だ」
「何故?」
「……僕はかなり目立つ」
「ふうん。……それ」
「あっ」
青年の腕がレーヴの視界外から襲いかかり、そのフードを剥ぎ取った。
露わになったレーヴの顔を正視した青年の指が緩む。
レーヴは瞬時に青年の腕からフードを奪い返し、目深に被り直した。
「…………。……成る程、確かに目立つな」
「…………」
「へい、お待ち」
店主が皿をレーヴと青年の前に置く。軽く炙られた鳥(?)肉だ。如何にも食欲をそそる匂いを発している。
「……随分早いな」
「それもこの店の良いところだ」
そう言って青年は謎の鳥肉らしき肉に手を付ける。
レーヴはもっと粗野な食べ方をすると思っていたが、青年は意外にも上品に食べる。これでどこそこの高級店にでも連れて行けば、一端の貴族として通用するであろう品格だ。
レーヴは横目でそんな青年を見つつ、手掴みで自分の鳥(?)肉を外套の下へ突っ込む。手が汚れるのなんて構いはしない。レーヴが開ける口自体は小さいので、早く食べようと思えば自然頬張る速度が上がる。
青年は少女の外套の中から響く超短間隔かつ連続的な咀嚼音に冷や汗を垂らした。
「……んく…………確かに、ここら一帯で一二を争う旨さだ」
「…………速い、というかどれだけ食べてるんだお前は……」
レーヴはその小さな手に付着したタレや肉片を幼気な仕草で舐め取る。
ぺろりと隅々まで拭き取り終わり、綺麗になった手をひらひらと振って、レーヴは外套の下から不敵な、灰色の目線を赤茶の青年に送る。
「僕が速いんじゃない。お兄さんが遅いのさ」
「…………」
青年は頬を引き攣らせる。
その顔はレーヴから見て、「お兄さんと呼ぶな」「遅い、だと……?」「むかつく子供だ」などの意味合が含まれていた。
青年は手を上げ、レーヴの脳天めがけて振り下ろす━━━━のをやめ、手を戻す。赤茶の青年は嘆息した。
「うん。美味しかった。もっと食べたいけど、流石にもう帰らなきゃいけない」
「さっさと帰れ」
「うむ。案内ご苦労だった。礼を言おう」
「だからお前は何様だ……。礼はお前が成長してからでいい」
「……何故?」
警戒も露わに青年を鋭く睨むレーヴ。目の前の赤茶色の髪の青年が「嫁に来い」とでも言おうものなら、即座にこのイケメンをぶち殺すつもりだった。
「お前は相当『強い』からな。後五年程経てばかなりの手練れになるだろう。俺は子供と戦うような真似は好かないし」
どこかの馬鹿と違ってそれくらいの分別はある。言って赤茶の青年は髪を嫌そうに弄った。しかし口元は弧を描いていて、目に宿るのはいつかの野生的な戦闘大好き男と同じ光。
要は身体が十分に出来上がった僕と戦いたいのか、とそうレーヴは解釈した。『強い』奴と切り結びたいだなんてバーミットみたいな奴だな、とも思う。
━━━━この世界の人間は戦闘馬鹿が多いのか? ……というかそもそも僕の身体、成長なんてする気がまったくしないんだけど。
まいっか。とレーヴはあっさりと思考を放棄し、座席から降り立った。出口に向かう。
「じゃあね」
「ああ」
扉が閉まり、レーヴの姿が店内から完全に消える。
青年は己の赤茶色の尻尾を弄る。レーヴが金を置いていっていない事に気づいた様子だった。
「……俺の奢りか」
青年は小さく嘆息した。
こっそり修正




