五日の余暇 2
5
次の日の朝、前日より遅めに目を覚ましたレーヴはヤトの悪夢を見なかった事に多分の安堵と僅かな未練を感じつつ、同じく遅起きしたリーヴィリアと共に朝食を摂った。
少し寂しそうなリーヴィリアに見送られて、宿屋の扉を開く。その両足には昨日拵えた履物を履いていた。これまた純白の、草履というか、つっかけというか。そんな履物である。
今日のレーヴには明確な目的が有った。『王立大図書館』に行く事だ。良い機会だからこの世界の常識を知りたいと思い、昨夜リーヴィリアに尋ねたところ、出てきたのが『王立大図書館』である。
先日の反省を活かし、既に場所はリーヴィリアに詳しく教えてもらっている。
レーヴの外套は『サリエゴル華服屋』に忘れてきてしまったので、被っているのはリーヴィリアの物だ。
外套から香る少女の甘い香りにレーヴは仄かに頬を紅潮させ、すぐに邪念を断つように顔を左右に激しく振ると、『王立大図書館』を目指し歩き始めた。
『王立大図書館』は一般国民にも広く開放されている、大書庫である。セプレス王国の古今東西の本を収集、保管しており、数万冊を優に超える蔵書を誇る。世界最大の図書館だ。
というのはリーヴィリアの談だが。
時は昼頃、レーヴはやっとこさ『王立大図書館』に入館した。
係員の説明を受けてから莫迦みたい多い、整然と並ぶ本棚を見ていく。
独特の匂いが充満する中、レーヴはお目当ての本を見つけた。
棚から、その下手をすればレーヴの胴体ほどのぶ厚さの古臭い本を引き抜く。
レーヴは近場の椅子に座って、本の赤茶色の表紙を撫でた。
『迷宮魔物大全』著 ヘカテ
レーヴはまず字が解読出来て安心した。ヤトはそこまでレーヴの頭に刷り込んでくれていたようだ。
次に著者を見る。ヘカテ。リーヴィリアとマルが口にしていた大魔術師の名である。
あの長大な『防壁』を建造したという件の人物だ。
なるほど、中々の偉人らしい。とレーヴは思いつつ『迷宮魔物大全』を開く。前書きがあったので目を通してみた。
━━━━本書では迷宮魔物、つまりは『民魔』『士魔』『公魔』そして分かっている『王魔』について説明する。
これらの魔物は肉体的な強さ、魔力量の多寡、特異な能力などを総括して分類されているが、通常は単純に民、士、公、王と戦闘能力が高くなっていくと考えて良い。
先ず『民魔』。『民魔』はさしずめ迷宮という王国に住む国民である。さほど脅威ではないが、しかしそれでも準迷宮に出没する一般的な上級魔物よりよっぽど危険だ。
『士魔』は『準臨死』『臨死』級の迷宮の主を張っている場合が多く、非常に高い戦闘力を持つ。強さで大まかに上下に分類される━━━━
リーヴィリアが言っていた『士魔』とはこの事か。あの『ダブルヘッド犬』とか、『変な鶏』……『石眼の蛇鶏』とかが『士魔』にあたるのだろう。レーヴはふむふむと頷いた。
どうでもいいが、『民魔』は『猿鬼』こと『ゴブリン』とかだろう。本当にどうでもいいが。
━━━━『公魔』は『準決死』級の迷宮の主として確認される、『士魔』より更に格上の魔物たちである。『公魔』にとっての人間とは虫も同じであり、まともに相対することは推奨出来ない。
『王魔』は歴史上の書物や伝説で示唆される迷宮の支配者であり、『決死』級迷宮の主だと思われる至高の魔物である。
そもそも『決死』級迷宮の最深部に到達するのは殆ど不可能であり、眉唾物ともされるが、実際に様々な魔術師の"詮索されし存在"により実在する事が確認されている。
『決死』級迷宮の数だけ存在すると考えられており、よってこの世界には六体の『王魔』がいるとされる━━━━
『公魔』は『竜熱の竃』下層部に時々居たやけに強かった竜がそうだろう。
そして『王魔』はヤトや、他ならぬレーヴである。
成る程、こういう分類か。レーヴは得心した。
六体の『王魔』というのにも興味が引かれるが、今レーヴが最も知りたいのは自分自身の種族。つまり『石精霊』に関してである。
目次を見ると、あった。
『精霊種』という項目が。
レーヴは重厚なページをバッサリと捲り該当箇所を探し当てた。
━━━━『精霊種』は『純精霊(俗に石精霊)』と『不純精霊(俗に闇精霊)』の二種に大別される━━━━
騎士さんは僕を『石精霊』と呼んでいたから、僕はこの『純精霊』の方なのだろう。
レーヴは読み進める。
━━━━局所的な魔力溜まりに何らかを核に生じ、核が純魔力なら『純精霊』に、そうでないなら『不純精霊』になると考えられている。
『精霊種』の九割九分は『不純精霊』であり、普通精霊といえばこちらを指す━━━━
『精霊種』の前提、初歩的な説明は終わりのようだ。『不純精霊』の説明から入っている。
━━━━『不純精霊』、一般には『闇精霊』とは、その名の通り闇の性質が強い魔物である。おどろおどろしい体と禍々しい精神を持ち、卑しく浅ましい行動を好む。獲物の嫌がる事や汚い事を頻繁にするため、特に女性は注意が必要である。人間には特に敵対的である。
粘液を垂らす触手や半ば腐敗した体、骸骨のような姿など、個体によって見た目は千差万別だが、一様に醜い外見と独特の雰囲気を纏っており、他の魔物と見間違える事はないだろう。
その生理的嫌悪感を促す身体は半肉体とでも言うべき物で、物理的な攻撃では滅ぼすのは困難。討伐には魔術師が必須であるが、『士魔』以上になると、魔力耐性も凄まじいものになるので、もう手の出しようがない━━━━
禍々しい。浅ましい。生理的嫌悪感を促す。中々凄い言われようだが、『目玉触手』こと『キュクロップ』を思い出し、レーヴは納得すると共に、己が『闇精霊』に生まれなくて良かったと切に思った。
『闇精霊』のページは粗方読み終えて、レーヴは続く項目に目をつける。
━━━━『純精霊』、一般に『石精霊』は純粋に魔力だけで発生する魔物である。『闇精霊』とは対照的にまるで宝石のような美しい姿をしており、擬似的な肉体を持つ『闇精霊』とは違い肉体は魔力製の仮初めなので、魔法的な手段以外で干渉する事は『闇精霊』以上に難しい。魔力の塊である身体は非常に硬く、一撃で砕かない限り短い時間で傷は修復する。
気質は比較的大人しいが、高位の『石精霊』は様々な種類の魔物の肉体を纏い、奇怪で物々しい様相を呈するので、やはり闇の性質が濃いと思われる。
『士魔』の『石精霊』ともなれば、斃すためには幾多もの魔物が合成された奇異な肉体を掻き分け奥に鎮座する本体を破壊しなければならず、正直逃げた方が懸命である━━━━
闇の性質って……。確かに魔力を呑んだ魔物の肉体は作れるけどさ……。一応得意なのは光系統なのだけれど。
自分の種族が著された文を読んだレーヴは微妙な気分になった。
頬を掻き、仕方ないかと嘆息する。大魔術師ヘカテさんも人間である。間違えることも間々あるだろう。
まだまだ時間はある。レーヴは手始めに、『王魔』の項目を探し始めた。
あった。『王魔』、最後の章である。他は種類別の目録だったのに、特別扱いだ。それだけ『王魔』はこの世界の人々にとって大きな意味を持つという事なのだろうか。レーヴは考えながら指でページを撫でた。
━━━━『王魔』、それは他とは一線を画す魔物である。まさに並み居る魔物たちの王であり、文字通り存在の『格』が違う。判明している『王魔』たちだけでも、人の感覚では捉え切れぬ程の超絶的な力を誇り、視線だけで生命を射殺す、指の一振りで城を崩すなど、恐ろしい伝承が残っている。
地域によっては神として信仰されていたり、諸悪の根源として扱われていたり様々だが、超越的存在なのは間違いない━━━━
レーヴは口元をもにゅもにゅさせた。
何やら背中がむず痒い。ここまで持ち上げられるとかえって恥ずかしいが、実際指の一突きでセプレス王城を壊せ、とか山を引っこ抜け、とかと言われたら……多分出来る。
自分の事ながら凄まじい。呆れかえる程の力だ。迷宮『竜熱の竃』の壁やら床は異様に頑丈で、本気でやらないと満足に削る事も出来なかったが、最早レーヴのとっては鋼鉄も綿も似たような物である。
視るだけで殺す、だなんてできるのだろうか。機会があれば試してみよう。などと思考しつつ、ページを捲る。
「おっ……」
━━━━『夜刀神』━━━━
どうやら滑り出しはヤトからのようだ。
━━━━この『王魔』は最も有名な魔物の一体と言っても過言ではない。セプレス王国に伝わる様々な文献などにもはっきりと存在が示され、その姿も一律に『夜のような黒龍』とされているので信憑性は高いと思われる。
一部では、女人の姿をとり王国に降臨した、という伝説もあり、『人魔』伝承の大本と考えられている━━━━
『人魔』。
レーヴはヤトの説明から一旦離れ、字面から"人化"した魔物の事か、と推測しつつ『人魔』に言及している箇所を探す。
見つけた。というか次のページにまとめてある。
━━━━『人魔』とは、あまり知られていない、もしくは信じられていない伝承である。
しかし『王魔』や『公魔』は人になって現れた、という話が各地に残っており真実性は高いかと思われるが、真偽は謎である。
『人魔』は人になった強力な魔物を指す言葉とされる。そして人型に変化出来るほどの力を持つ魔物は最低でも『公魔』以上であり、畢竟、非常に高い力を持つという。色々な伝承、逸話を総括すると、こんな風である。
一般にただの童話の類とされるのは、人の間にこんな強大な存在が潜んでいる、という考えが恐ろしいから、というのもあると思われる━━━━
この文章に習うなら、レーヴはまさに『人魔』そのものだった。
しかし、"人化"なんて術があるぐらいだから"人化"した魔物……いや『人魔』か、の話はあると思っていたが、存外に信じられていないようで安心だ。バレる可能性も低いだろう。
懸念事項の一つが排除されたレーヴは再度ヤトを調べるために、前のページに指をくぐらせ捲った。
6
レーヴがふと顔を上げると、差し込む陽光は幽かになって、もう夕方だった。見れば本のページも淡い赤に染まっていて、あと少しで日が沈む事を示している。
もう帰らなければ、夜になってしまう。リーヴィリアにもなるべく遅くならないように言われているし。
レーヴは本を畳み、椅子から立ち上がった。元の棚へと戻す。
『王立大図書館』から出たレーヴは空を見上げる。空は太陽から順繰りに茜色に色づいていた。浮かぶ雲も赤と白の二色になっている。
それはレーヴが前世で望んだ夕暮れ時の風景と瓜二つだった。
レーヴは不意に、強烈な郷愁の念に襲われた。
「…………」
レーヴは足を動かし、その白い履物で石畳みを踏みしめる。
踏みしめて----なにか面倒臭くなったレーヴは方向転換し近くの路地裏に入ると、魔力を操り足元に光を歪める不可視の壁を作った。
上へ飛び上がり、建物の屋上を越えてレーヴは暁色の空に舞い上がった。
魔力の行使は鋭い人間には感知されるかもしれないが、この時のレーヴにとっては瑣末事だった。
宿はあそこ辺りだろう、と見当を付けてレーヴは飛行を開始する。
空をゆくレーヴには王都ルウムの街並が一望出来ていたが、地上を歩く人々は魔力壁に阻まれて、視覚的にレーヴを発見するのは難しいだろう。
口を尖らせ、見るも不機嫌な様子のレーヴはやおら飛ぶ速度を上げた。羽ばたく鳥たちを追い越し、はるか後方へ置き去りにする。
━━━━別に、今更未練とか、前世での思い出とか……そんなに宝物のように扱う程の煌びやかな物じゃないし。
吹き付ける空気が轟と唸り、鳥よりも速く飛ぶレーヴを『普通』の領域に戻そうと押し寄せる。
━━━━前世は嫌いでもなかったけど、もう戻りたいとも思わない。
レーヴは猛烈な空気抵抗を露と払い、ついには音さえも追い抜かした。夕暮れの街並は凄まじい勢いで後ろへと過ぎ去っていく。
━━━━そして何より
レーヴは上下反転し、澄んだ空を見上げた。赤に染まりゆく青の、淡いグラデーション。それは前世では見た事のない、美しい光景だった。
━━━━僕は今、この世界に生きているんだ!
何時の間にかレーヴの口元は全てを魅了するかのような笑みを形作っていた。




