王都への旅路 5
8
『防壁南部砦』、食堂。
時は昼。腹を空かせた荒くれ者どもが押し寄せる時間帯である。
けして狭くないはずの室内は既に容量限界に達していて、座る席がないどころか、足りない分は他所から持ってきてくる勢いだ。食堂を埋め尽くす人間の割合としては、男八割女二割である。
食器同士が激しくぶつかる音、下品な咀嚼音。朗らかな談笑、粗暴な口喧嘩。
まさに場は騒然としていた。
そんな食堂の一角に、周辺とは少し異なる空気を漂わせた食卓がある。七人の男女が座っていた。
各々思い思いの品を注文して、ある者は上品に、またある者は掻き込むように己の胃に入れている。
その中の一人の、比較的上品に食事をしている軽薄そうな男が手を止め、対面の女性を見た。
同じく、荒々しく口に物を詰め込む青年も。
「いやーそれにしてもマルさんがああだったとは」
「幼児性愛に同性愛。そりゃ男なんて眼中にないのも当然っすね」
「ち、違います!」
マルは小さく切り分けた肉を飲み込むと、心外とばかりに憤慨した。
「えー、本当っすか?」
「あんな光景を見せられたら信じらんないねぇ」
「信じらんないっす」
「あ、アレはレーヴちゃんが可愛いすぎるからいけないの!」
そんな反論を受けた二人の男は、マルの二つ隣にちょこんと座る少女に視線を向けた。
少女はつい先ほどまで嬉しそうに食事をしていた。していたのだが、今のマルの発言に、何言ってんのコイツ、といった顔をしている。
口の端に付着した食べカスが愛らしい。
「レーヴ様、ほっぺたが汚れてますよ」
「ん……むぐ……」
軽薄そうな男ジョージと子供っぽい青年ゲイブは、マルの隣に座る金髪の少女に頬を拭かれる灰色の髪と瞳をした少女を見る。
少女は真に美しかった。
まだ幼いが、むしろその幼さがその妖しげな魅力を助長しているような。マルではないが、その手の趣向を持つ者ならばイチコロだろう。
マルが紹介するに、名はレーヴ。
今だ男勢はまともな会話を交わしていないが、もう一人の金髪のイリアと名乗った少女やマルとの語らいでの口調といい、レーヴという名前といい、妙に男っぽい印象を受けた。
だが外見は恐ろしく可愛らしい童女だ。その男性的な特長はかえってその女の子らしさを強調していた。
「しかし、早速隊長に決闘を挑まれたのか……」
「全く、うちの隊長も困った人です」
噛みちぎった動物の腿肉を胃に収めたヒドラと、早くも食べ終えているミシェルが言う。
ヒドラは屈強な大男で、ミシェルは賢そうな優男である。
「ホントその通りだね」
「俺なんか入隊直後にボコボコにされたっすよ」
「アレはもう歓迎会の一部みたいなものね。隊長より後に『塒』に入ったら、男も女も一度は通る道よ……」
『防人』五人ともバーミットと戦わされた記憶がある。
当然のように負けた。
だが五人はこのレーヴという少女がバーミットを相手に簡単に敗北を喫するとは思えなかった。
『石眼の蛇鶏』をあれほどあっさりと殺した少女。
肉体系なら『士魔』をも葬るバーミット。
共に人外の領域に片足突っ込んでいる。
この二人が織り成す闘いはどうなるか。想像するだに恐ろしい。
五人には及びもつかない超高水準なのは確実だろう。
「げふぅ。…………生身での食事なんていつぶりだろう」
「レーヴ様? もう食べ終えたのですか」
「というか、胃が小さくてあんまり食べられない…………マル、『試合場』ってどこ?」
その台詞で、五人の『防人』たちはついにレーヴがバーミットとの決闘に向かう事を悟った。
そして思う。一介の戦士として観戦してみたいのも事実だが、巻き込まれるのは絶対に御免だ。
唯一マルだけがレーヴに初めてマル、と名前を呼ばれたのに興奮して、
「レーヴちゃん、連れて行ってあげようか?」
ハァハァしつつ言ったが。
そんなマルから、レーヴは金髪の少女を盾に身を隠す。馬車移動中での狼藉はレーヴの心にマルの危険性をしかと刻み付けていた。
「……行き方だけで良い」
落胆したマルに『試合場』への道順を教えてもらい、レーヴは溢れかえる人を避け、食堂から風のように出て行った。
9
「待ってたぜ」
「…………」
『試合場』は食堂の丁度真下にある施設だ。
食堂と同様のだだっ広い室内には、訓練のための丸太や案山子、木剣などが散乱している。
その中心に獣のような空気を纏った男が立っていた。バーミットだ。両手とも健在で、石化は治療し終えたようだった。
バーミットは置いてある訓練用の刃引した武器を当然のように無視し、腰から真剣を抜いた。
レーヴは緩く右手を上げ、その小さな掌をバーミットに向ける。
----こんな展開になるとは予想外だったけど、来るべき王子との決戦の前哨戦みたいなものだと思えば。
レーヴは構えるバーミットを注視しつつ思考する。
バーミットは相当戦闘力偏差が高そうだ。『防人』たちの口振り的に。
----……この世界の人間の力を計る良い指標にもなるだろうし。
「……来い」
「ふッ!」
レーヴが言うとほぼ同時にバーミットが駆け出した。『試合場』の床が爆発したかと見紛うような強烈な踏み込み 。殆ど一瞬でレーヴの身体を自身の間合いに収める。
そのままの勢いで、バーミットは抉るように腕を振るった。
空が裂ける音と共に白刃が幼気な少女に襲いかかる。
しかし剣が柔そうな腹に食い込む事はなかった。
後ろに傾いだレーヴが間一髪で逃れたのだ。バーミットの剣先は白い服の表面を浅くなぞるだけに留まり、反対側へ抜ける。
――――この速さは、少なくともあの時見た騎士さん並だ。
回避されたと知るや、バーミットは次の攻撃を繰り出す。
振り切った切っ先を緩やかに曲げ、腕の動きを更なる破壊力に変える。一撃。
またもやレーヴは刃が触れるか触れないか、そんな間隔で危うげに回避する。剣圧でレーヴの灰色の髪が揺れた。
切り返し。真珠のような白い肌には傷の一筋も出来ない。
突き。当然のように当たらない。
そこからの切り払い。軽く一歩下がるだけで、接点の一つも出来やしない。
目的を達せぬバーミットの剣が空を縦横無尽に掻き混ぜる。
振り下ろし、袈裟斬り、水平切り、突き、振り上げ----
バーミットによる怒涛の連撃。その悉くをレーヴは紙一重で躱し続ける。
常人ならば十は斬り殺されているだろう。
バーミットの剣は、しかしレーヴの急所どころか緩く突き出された腕にだって擦りもしない。
バーミットはレーヴの瞳が剣を追っている事に気づいた。
少女の双眼はギリギリまで迫る致死の剣に対する焦りや、逆に完全に躱し切った誇らしさに満ちている訳ではない。そこには変わらぬ落ち着きの光があった。
――――こりゃヤベェ! コイツ、俺の剣筋が完ッ璧に見えてやがる。
バーミットは己の肌が粟立つのを自覚した。眼前の少女は、バーミットの動きの全てを捉えきっている。
だがバーミットの口角は凶悪な弧を描く。彼は久方ぶりの『強』者の到来に歓喜雀躍していた。
バーミットは空振りした剣を腕の純粋な筋力のみで急停止させ、魔力を乗せつつレーヴの首へ渾身の一撃を叩き込む。
バーミットの技術と筋力が魔力によって更なる高みへと押し上げられ、常人には目視も出来ぬ領域にシフトした。凶悪な剣撃がレーヴを襲来する。
その攻撃は確実にレーヴの幼い身体を、頭と頭以外に両断するであろう軌跡を描いていた。
―――― これは避けれねェ!
―――― 所詮人間の範疇を逸脱しない、か。
レーヴは暫くの間バーミットを観察して、恐るるに足りず、と結論を下した。
――――躱し続けるのもアレだし。もう終わりにしよう。
対するレーヴはただ上げていただけの右腕を漸く動かし、その剣を――――軽く親指と人差し指で摘まんだ。
たったそれだけでバーミットの最高峰の一撃は止められた。
「……ッ!!」
瞬時に剣が微動だにせぬ事を悟ったバーミットは、すぐさま剣を捨て、腰に両手をやる。
そして取り出した短剣を飛びずさりつつ眼前の少女に投げ――――
そこでレーヴが剣を固定する右腕とは別に、左腕でバーミットの腹部にふわりと触れた。
「しまッ……!!」
「――――せい」
衝撃。
その掌から轟と放たれた魔力の奔流がバーミットを凄まじい勢いで吹き飛ばした。バーミットは天井スレスレにまで舞い上がる。
そして当然落下して、そこは流石と言うべきか、物の見事に受け身をとった。
「ぐふっ」
「……僕の勝ちだ」
レーヴはすっ飛んだバーミットに歩み寄り、小さく勝鬨をあげた。
背中から着地したバーミットはどうにか頭だけをレーヴに向ける。
その面に浮かべるのは獰猛な笑み。
「はは……ははッははははは!」
「勝者の言うことは聞くんだろう?」
「『強い』!俺よりも圧倒的に『強い』!」
「おい」
「オレの負けだ!」
「聞けよ」
「お前となら結婚してもイイ!」
「アホぬかせ」
レーヴの蹴りが強かに打ち込まれ、バーミットは再度宙に舞った。
10
場所は変わって『防壁南部砦』隊長室。要するにバーミットの自室である。
あの後レーヴは一旦食堂に戻り、リーヴィリアを連れてここにやって来た。
無傷で帰って来たレーヴに、五人の『防人』は盛大に驚愕していた。いちいち反応するのも七面倒臭いので、レーヴたちは食堂からさっさと退散してきたのである。
バーミットの部屋は雑然としていて、食器や武具、無数の書類などが散らばっている。
バーミットは掃除とかしなさそうだし、あのミシェルとかいう副隊長が片付けてるんだろうな……不憫な奴だ。とレーヴは思う。
バーミットは扉の向かいの机の上に腰掛けていた。
つい先ほど二度もレーヴの攻撃を受けたというのにバーミットは至って元気だった。勿論手加減はしていたが、なんとも丈夫な男だ。
バーミットは入室したレーヴに朗らかに声をかける。
「おお、待ってたぜレーヴ」
「早速本題だが」
レーヴはコイツもっと粘着質な性格だったような気がするんだが、なんか妙に爽やかになってないか、と内心首を傾げる。
まぁいいか。あまり長々と話すつもりもないし、と話を切り出す。
「お前の父親とどうにかして連絡がとりたい」
「親父と……?」
バーミットはその野生的な面持ちに疑問の色を数瞬浮かべ、納得したように頷いた。
荒々しい笑み。
「それなら今からでも出来るぜ」
「は? ……どうやって?」
電話みたいな物はこの世界にはないだろう、とそう高を括っていたレーヴが疑問に思うと、リーヴィリアが補足した。
「おそらく、『通信符』でしょう。遠方と会話する事ができる、超高級品です」
「あぁ、その通りだな」
同意するバーミット。
バーミットは『強い』者以外は基本的に完全無視だが、非常に『強い』レーヴの仲間という事でリーヴィリアの事もそれなりに認めていた。
尻の下の机や背後の棚をがさがさとしばらく捜索し、バーミットはレーヴに一枚の下敷のような代物を投げて寄越した。
「そら。それだ」
「危ないな…………」
言いつつ、レーヴは危うげなく放られた銀色の板を片手で掴み取る。
当然、レーヴに使用方法などわかるはずもない。
レーヴはそのままリーヴィリアにそれを渡す。
「はい」
「わっ」
リーヴィリアは危うげに板を受け取ると、その表面に魔力を込めた指先で幾何学的な模様を描き始めた。
銀色の板上に薄い紅色の軌跡が一つの図を成す。
――――ヴィィィイン。
特徴的な起動音と共に銀板に光が宿る。
それを見ていたバーミットが机から降りた。
「じゃあ、ま、後は勝手にな。それと耳は塞いでたほうが良いぜ」
バーミットは妙な台詞を残し片手を緩く二人に振ると、扉から出て行った。
残された二人は顔を合わせると揃って小首を傾げる。
「耳を塞ぐ?」
「何故でしょう?」
「まぁ、一応念のため耳を」
[こんの、ドラ息子がーーーー!]
きぃぃぃん。
突然響いた特大音声に二人は顔を歪ませた。
室内に男の声が反響し、家具や金物がビリビリと振動した。
紙束がいくつか崩れ、埃が舞う。
端的に言うと、物凄くウルサイ。
『連絡符』を止める間もなく、続く大音響が部屋に轟く。
[今まで碌な連絡の一つも寄越さずにおって、今頃になってようやくか! 遅いわッ!]
[しかもお前、また問題を起こしたと聞いたぞ! シュルク家から抗議状が届いたわ!]
[リーヴィリア殿下があんな目に遭われて、王都も大変なのだ、お前も少しは自重せい!]
[まったくお前は兄と違ってまだ嫁のひと…………ん?]
どうやら相手が息子ではないと気づいたらしい。
また喚かれてはかなわない、とリーヴィリアが慌てて銀板に語り掛ける。
「わ、私です。クルセウスおじさま」
[……失礼、その御声……まさか]
「はい。……リーヴィリアです」
[お、おぉぉ、生きておられた。生きておられましたか、殿下!]
男、クルセウスの声が感激したように震える。
「少しは怪しまないのか……」
[このクルセウス、殿下を間違えるなどあり得ませぬ!]
リーヴィリアが喋った途端に本人と信じるものだから、レーヴはついつい突っ込みを入れてしまった。
そして即座に返ってきた台詞にレーヴは苦笑する。見ればリーヴィリアも苦笑いしていた。
[しかし殿下、どうやって『竜の試練』を…………? そしてその少女の声は一体……]
レーヴの鈴の鳴るような声で判断したのだろう。クルセウスが誰何する。
リーヴィリアは微笑み、レーヴの顔を見つつそれに答えた。
「この方はレーヴ様。レーヴ様は私を『血染めの森』から救ってくださったのです」
[なんと…………『血染めの森』から……にわかには信じられませぬが……]
「はい。積もる話もありますが……一先ずここまでの顛末を話します」
[クーデター……。やはり起たれるのですな……。不肖このクルセウス、全力で助力させて頂きます]
「ありがとうございます。クルセウスおじさま」
[私は色々と下準備をすれば良いのですね?]
「はい……お願いします」
[承知しました]
そこでクルセウスは間を空けた。何か気懸りがあるようだ。
一呼吸置いてから話し始める。
[しかし問題は時間です。今日から七日後に王座継承の儀が開かれる予定となっておりまして、なんとしてもそれに間に合って頂かなければ……]
王座奪還は非常に難航する事となるでしょう。
クルセウスの言葉に、レーヴはもっともな懸念だと納得した。徒歩では王都まで月単位の時間がかかるだろう。
しかしレーヴたちに最速の移動手段は歩きではない。高速の空中飛行である。
「ん……それは大丈夫。さっき地図は確認したけど、七日もあれば十分王都に着ける」
[手段があるならば。ではレーヴ様、なにとぞ殿下を頼みます]
「わかった」
「ではクルセウスおじさま、王都で会いましょう」
[ええ。王都に到着なさったら私に一報を。
そう言えば、聞く話によるとリプルめが魔物を集めております。殿下もどうかお気をつけて]
「はい」
リーヴィリアが銀板の表面をさっと撫でると、紅色の光は宙に溶け去り、『連絡符』はその機能を停止した。
――――イイィィ……。




