【空中で一拍おいて】
駅からゼミ棟までの近道に、小さな公園がある。滑り台と鉄棒と、さびかけた砂場。今日は珍しく時間に余裕があって、俺たちはその公園を突っ切るルートを選んだ。
「わ、懐かしい。鉄棒ある」
「ありますね。……逆上がり、苦手でした」
「お、告白きた。できなかった組?」
「はい。補助ベルトに乗っても、最後まで回れなかった組です」
名雪さんが鉄棒に手をかけて、ひょいっと前回りをしてみせる。大学生の動きじゃない軽さだ。
「今なら、できたりしない? レベル上がってるかもよ、ステータス的に」
「筋力値は多少上がっているはずですが……」
「じゃ、検証しよ。バフかけとくから。はい、“がんばれ”の呪文」
軽く言われると断りづらい。俺は上着をベンチに置き、鉄棒の前に立った。高さは小学校の頃と同じくらいのはずなのに、妙に低く見える。
「腕は肩幅で。お腹を鉄棒に近づけるイメージで蹴り上げるのです」
「理屈は分かるんですが、体がついていくかどうかが問題ですね」
深呼吸して、鉄棒を握る。足を振って、タイミングを合わせて――蹴る。
結果、鉄棒にお腹を強めにぶつけて、逆さまになりかけたところで力尽き、砂場に尻から落ちた。
「大丈夫!?」
「だいじょうぶです……物理的にも、精神的にもギリギリですが」
ズボンの砂を払っていると、名雪さんがスマホを掲げた。
「今の、スローで撮ってみた。見てみる?」
「反省会が始まりましたか」
「分析会。スポーツアニメの回想シーンだと思えばいける」
動画を見ると、俺の足はちゃんと振り上がっているが、蹴るタイミングが遅い。体が棒から離れかけている。
「ここでさ、あと0.2秒だけ前に出るイメージかな。スプラで言うと“イカロールの入力ちょっと早め”」
「わかったようなわからないような……もう一回、やってみます」
二度目。呼吸を整え、今度は少しだけ早く蹴る。
鉄棒が腰の下に潜り込む感覚までは来たが、やはり途中で止まり、今度は前にずるっと滑り落ちた。
「惜しい! さっきより回ってる」
「あとワンフレームですね」
「保険として、フードちょっとだけ持っとく? 引き上げはしないから、安心ブロックだけ」
「……お願いします」
三度目。名雪さんが後ろに立ち、俺のパーカーのフードを軽くつまむ。力は伝わらない程度の、ただの存在確認。
「いけるいける。はい、せーの」
足を振って、早めに蹴る。鉄の棒がお腹から腰へ滑り、視界が空と砂を一回転した。
気づいたら、腕を伸ばした状態で鉄棒の上に顎を乗せていた。
「……回りました?」
「回ってた! 完全クリア!」
「やった……!」
腕が震えて、すぐに着地する。膝に砂がつくのも気にならない。子どもの頃ずっとできなかった動きが、ちょっとだけ世界線を跨いだみたいに成功している。
名雪さんが、鉄棒にもたれながら笑った。
「ねぇ茨木くん、できなかったことってね、時間の中に置き忘れたセーブデータみたいなものなんだよ」
「……今日ロードできて良かったです」
「うん。バグってなかった」
帰り道、腕の筋肉はじんじんしているのに、足取りは軽かった。
鉄の棒一本で景色が変わるなんて、ゲームみたいだと俺は思った。次にこの公園を通るとき、きっとまた鉄棒の前で、少しだけ足を止めるのだろう。




