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茨木くんと名雪さん  作者: 橘悠


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【歩く青い翼のスープ】

地域実習の聞き取りで海沿いの市場へ行った帰り、名雪さんが氷の上の赤い魚を指差した。胸びれが扇みたいに広く、縁が蛍光ブルーに光る。札には「ホウボウ」。


「これ、“歩く魚”だよね。底を手でとことこ行くやつ」


「はい。胸びれは威嚇用で、実際に歩くのは腹の方のヒレです。鳴くらしいですし、だしはSSR級と聞きました」


「SSRは強い。買って、実験しよ。茨木くんち空いてる?」


「ええ、問題ないです」


店の人が軽く叩くと、小さく「ググッ」と鳴いた。俺は思わず背筋を伸ばす。


「命に敬意を払って使います」と言うと、店のおばさんが笑って「アラも持ってきな」と新聞紙で包んでくれた。


自宅のキッチン。まな板の前で、俺は手順を声に出して確認する。


「三枚におろして、身は刺身とソテー。アラは潮汁。仕上げにアクアパッツァ風でまとめます」


「監督、よろしく。私は具材担当ね。ミニトマト、オリーブ、あさり、白ワイン」


「では、そのように。——包丁、入れます」


皮を引くと、すりガラスみたいな半透明。身は弾力がある。胸びれをそっと広げて見せると、名雪さんが「これ“モンハンの素材”みたい」と笑う。


「レア素材ですが、乱獲は控えめでお願いします」


鍋にネギの青いところとアラ、弱火で十分。湯気に潮の甘さが混ざる。フライパンでは身をオリーブ油で片面だけ焼き、白ワインとトマトを投げ入れて、貝の口が開く音を待つ。換気扇が宇宙船みたいに鳴る。


「この匂い、反則だね」


「反則ですが合法です。——味見、お願いします」


一口すすると、名雪さんの肩が落ちて目尻が笑った。


「やさしいのに、芯がある。実家の味噌汁で“だしがちゃんと立ってる”ときのやつ」


「なるほど。旨味の芯がきれいに通っています」


刺身は薄く、ソテーはふっくら、汁は澄んで滋味。アクアパッツァは青い翼の名残が皿の端でひらひらした。食べ終える頃、胸びれの色が記憶に焼きついた。


「ねえ、“ホウボウ”ってさ、漢字にすると“方々”。ここからあちこち行くって意味に聞こえる」


「あちこちに行くことで、視野も広まります。今後も行動範囲を広げたいですね」


「じゃあ次は、実地で漁港の朝市。歩く魚は歩く街で食べたい」


「承知しました。その際はまた、命に敬意を払っていただきましょう」


後片付けを終え、窓を開けると、風が少しだけ入り込んだ。青い翼はもう皿にないのに、匂いの中でまだひらひらと合図している気がした。今日の学びは、だしの取り方と、方々へ歩を進める勇気。どちらも、次の扉をやさしく押してくれる。

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