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茨木くんと名雪さん  作者: 橘悠


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【既読になるまでの水面】

日曜の午前、駅前のビルの屋上にある釣り堀は、風が少し高い。四角い池の縁に等間隔でイスが並び、赤いウキがいくつも小さな信号みたいに浮いていた。俺と名雪さんは受付で竿を借り、練り餌のカップとタオルを受け取る。


「屋上に池って、ゲームの隠しステージ感あるね」

「現実のサイドクエストですね。まずは“タナ”を合わせましょう。底から少し浮くくらいが目安です」

「タナ……あつ森みたいに影の大きさで教えてくれないの、厳しい」

「その代わり、ウキが通知をくれます。“未読”から“既読”になる瞬間を逃さないのが肝心です」


餌を親指で丸め、針先を隠すように刺す。名雪さんが恐る恐る振り込むと、ウキが斜めに走って止まった。

「待つ……?」

「はい。最初の小さな震えは“既読スルー”です。本当に食べたときは、ウキが“ぐっ”と沈みますので」

「人間関係みたいな説明やめて。——あ、沈んだ!」


「今です。軽く、上へ」

合わせの一拍がわずかに遅れて、ウキは元の位置に戻った。名雪さんの肩が少し落ちる。

「逃した……。”速さが、足りない”」

「クーガーほど速ければ釣り放題かもですね。次は沈み始めで合わせましょう。力は半分で」


二投目。ウキが波紋の縁でぷかりと揺れ、ふっと影が深くなる。名雪さんが小さく息を吸って、手首だけで竿を上げた。

「乗った——?」

「乗っています。糸、張りすぎないでください。魚が頭を振るときは竿でいなす感じで」

ラインが斜めに走り、水面に銀の腹が返る。係員が差し出した玉網に導くと、小ぶりなコイがやわらかく収まった。


「やった……! 現実で“タイじゃなくてスズキかよ”って言わなくて済んだ!」

「十分に嬉しいサイズです。針は返しがないので、濡らした手で触れて素早く外しますね」

「この針、バーブレスってやつ。いたわりの仕様だ」

魚をなるべく傷つけないように、返しのない針を使っているのだろう。


リリースして、手を洗う。屋上の風が昼の匂いを連れてきた。

三投目からは、名雪さんの動きが安定した。小さな“既読”をスルーし、沈みで合わせ、寄せては逃がす。その繰り返しが、池の四角い時間を丸くしていく。


「……五匹目。私、今日のテーマわかったかも」

「と、いうと?」

「“待つための手を作る”。ただ待つんじゃなくて、ウキの位置直したり、餌を小さく丸めたり、待つ準備を続ける。そうすると、同じ一分がやさしくなる」

「良い定義です。同じ待つでも、待つことに意味が生まれます」


最後の一投は、二人でカウントしながら行った。五、六、七——ウキが沈み、合わせ、寄せ、そして網。写真は撮らず、記憶にだけ置いた。


帰り際、貸し竿を返すと、受付のおじさんがスタンプカードを差し出した。

「うん、楽しかった。また来きて、待つ技術を磨いていこう」

エレベーターで地上に降りると、街のノイズが少しやわらいで聞こえた。水面に浮いた赤い点はもう見えないけれど、胸のどこかで、確かな“既読”の音がしていた。

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