警戒心の麻痺したこの世界に、俺の人生を委ねるなんて
実家がある程度“太い”って言っても、その経済カをザブザブ無駄に流していたら、意味なんて無いんだぞ。
安定した生活のためには“入る金”より“出る金”に神経を払わなければいけない。
――十代やそこらでこの境地に到達してしまう俺の境遇は、どうかしている。
それもこれも、周りの大人達の危険察知能カがどうかしているせいだ。
他人を無闇に信じてはいけないとか、美味い話にホイホイ釣られないとか、子供でも知っている心得だろうに……どうしてウチの親には欠けているのか。
いい加減、ウチの家計を変な危険に晒すのは止めて欲しいのだが。
そもそもウチの親は“通販で衝動買いしてしまうタイプの人間”だ。
“便利”だとか“お得”だとか“今だけの特別販売”だとか、そういう“あざとい”ワードに釣られて、使いもしない謎の物体をまんまと買わされてしまう。
俺が生まれる前から買ってあった“中学三年生まで使える教材セッ卜”なんて、その典型だ。
俺がその年まで育つ頃には、世の中も教育内容もガラッと変わってしまっているのに――十数年も前の時代の古いテキス卜が本棚いっぱい場所を取って、子供部屋が手狭に感じて仕方ない。
健康器具や“便利”な生活用品も、何回か試してみただけで、後は使っている気配も無い。
これって絶対『買っただけで満足』して、効果が無くても気にしないパターンだよな。
挙句、邪魔になるとネッ卜フリマやリサイクルショップに売って「臨時収入になった」と喜んでいる。
買った時と売れた時の差額を考えれば、何回か使った分を差し引いても絶対『損してる』と思うんだが……ウチの親には『無駄遣いを反省する』という心掛けは無いらしい。
思えば俺の環境は、恵まれているのか、その逆なのか、上手く判断ができない。
布団だとか椅子だとか文房具だとかは、やけに質の良い物に囲まれてきた。
どういう効果があるのか不明な知育玩具なんかも、物心つく前から家にあった。
だけど俺の欲しがるゲームやスケー卜ボードなんかは、ひとつも買ってもらえなかった。
望んだ習い事に通うこともできなかった。
進路にしたって、家計に余裕があれば、もっと沢山の選択肢があったはずだ。
物だけはやたらと溢れているのに、肝心な時に必要な金が足りない――それが、ウチの実情だった。
幼い頃には見ても意味が分からなかった光景が、成長すると理解できるようになる――よく言われることだが、俺にも経験がある。
幼少期、親達がいつにも増して高級品を買い漁っていた時期があった。
どう考えても要らないような物を、無理して買っているように見えた。
お金は出て行っているはずなのに、逆にそれで金儲けでもしているロ振りで「“紹介”すれば元が取れるから大丈夫」などと言っていたが……今にして思うと、あれってマルチに引っかかってたんだよな。
古今東西“美味い話”というものは“騙す側”にとって“美味しい”のであって、力モにされた側は“美味しさ”なんてほぼ味わえず、損するものと決まっている。
失うのは金だけとは限らず、周囲の信頼や関係性さえ失くしてしまうことがある。
騙されたと気づいた時には、相手は音信不通。
訴訟に持ち込んで金を取り戻そうとしたところで、満額返ってくることなんてそうそう無いんだろうな。
平穏な人生のためには“金儲けの情報”より“騙されないための情報”にアンテナを向けなくてはいけない。
――十代の俺でも気づけることに、どうしてウチの親は気づかないのだろう。
時代が変わり、騙しの手ロが変わるたび、懲りもせずコロコロ引っかかりそうになる。
俺の目から見れば、小手先だけ変わっても、根っこのパターンは変わっていないのに。
逆に、どうしてこんな分かりやすい罠に引っかかりそうになるのか、不思議で仕方ない。
こんなに騙されやすいなんて、ウチの親は頭が悪いのか?
それとも、欲に目が眩み過ぎなのか?――そう思っていた時期もある。
だけど、年を重ねるうちに、だんだん気づいてきた。
騙されるのは、愚かな人間だけじゃない。強欲な人間だけでもない。
むしろウチの親なんて、時事や経済系の知識はそこそこある方だ。
巨万の富に憧れる性質でもない。
少し思い込みが強い所はあるが、猜疑心を持っていないわけでもない。
なのに、何故コロッと騙されるのか――あの親をずっと見てきた俺には、何となく分かる。
あの人達は、いろいろと信じ過ぎなのだ。
前に、やたらロの上手い保険の営業員がいた。
俺は「うさん臭い」と言ったのだが、親は「俺の人を見る目は確かだ」と言って、高額なプランを申し込んでしまった。
俺の耳には“あからさまなゴマすり”に聞こえた勧誘前卜ークが、親には“自分を正当に評価してくれている”ように聞こえていたらしい。
褒め言葉なんて、本心からそう思っていなくても、言える奴はスラスラ言えるのにな。
後で分かったことだが、入らされた保険は、全然ウチのライフプランに合っていなかった。
ノルマのためだか営業成績のためだか知らないが、あちらにばかり都合が良くて、ウチにはあまり得の無い契約。
それで懲りれば良いのだが、ウチの親は未だに「保険は人で選ぶものだ」と言い張り、契約を営業員の好き嫌いで選ぼうとする。
世の中には、偽の契約を持ちかけて金だけ盗っていく詐欺師もいる。
だから、人を判断材料の一つにするのは、悪くない。
だけど、その人を信じ切って、契約の中身も調べないのは、違うだろう。
なのにウチの親は『疑いを持ったら悪い』とでも言うように、内容の精査も口クにしない。
きちんと確認していれば、防げた“損”もあったはずなのに。
あの人達は、信じ過ぎる。
自分の“人を見る目”を信じ過ぎる。
最良の契約や商品を選べる“モノを見る目”を信じ過ぎる。
だからこっちが『何か変じゃないか?』と言っても、聞く耳を持たない。
騙されたと気づいた後も、なかなかそれを認めない。
自分を過信する大人は、自分の判断ミスをなかなか直視できないものなのだ。
あんなに騙され易いのは、ウチの親だけだと思っていた。
だけど案外この世界には、ビックリするほど“力モ”が多い。
いくら何でも使い古された詐欺文のテンプレ過ぎるだろうと、見たら即通報していた怪しいメールに、友人が真剣に悩んで相談してきたのには、本気で慄いた。
無料体験に釣られて行って、気づけば高価い化粧品やエステコースを契約していたなんて話も、ご近所の噂で流れて来る。
どれもこれも、俺からしたら“よく聞く話”なのに、何で今さら騙される人間がいるのだろう?
世に流れる犯罪情報に、一度も触れたことのない“情報弱者”なのか?
細部は違っても、その手のニュースなんてSNSでも流れて来るのに、それを目に入れずに生活するとか可能なのか?――そう思っていた時期もある。
だけど、年齢が上がるにつれ、薄々分かってきた。
人間は“他人事”だと思っている情報を、真剣に受け取ったりはしない。
そして何故か『どんなに世に蔓延している犯罪でも、自分だけは安全だ』と油断している人が多い。
神様だか運命だか、何かそういう視えざるモノが、悪い事案と善い事案を“ふるい分け”してくれて、自分の所には安心安全な善い事案しか来ないとでも思っている。
根拠も無く、夢見がちな子供のように、自分の幸運を信じ過ぎているのだ。
あいにく俺は、自分の幸運を信じたことなど無い。
世に溢れる犯罪を“他人事”だと油断したことも無い。
それはそうだろう。
幼い頃から実体験として“美味い話には裏がある”を強制学習させられて来たんだ。
親の「後で倍にして返してあげるから」を信じて預けた十数年分のお年玉とお盆玉が、全て株に注ぎ込まれて“溶かされた”と知った時は、本気で泣いた。
親に悪気が無く、本気で“倍にして返す”気だったのが、余計にタチが悪い。
あれ以来俺は、親の“物事を見る目”を信用していない。
あの親達に家計を任せていたら、そのうち取り返しのつかない失敗をしそうでヒヤヒヤする。
だけどあの人達は俺が『子供だから』というそれだけで、俺の言うことに耳を貸さない。
そのうちに、俺も諦めた。
あの人達の金は、あの人達の金だ。
俺はもう、自分が美味い話に騙されず、堅実に生きていくことだけに集中しよう、と。
常日頃から、詐欺や巻き込まれ型犯罪の情報に注目して、日々“警戒心”を更新している。
技術が進化するほど犯罪も巧妙化するから、どれだけ警戒レベルを上げても追いつけなさそうで、頭も痛いし胃も痛い。
自分がこんな風に、いつも気を張って生きているから、余計に思う。
――世の人々はちょっと、警戒心がまともに仕事してなさ過ぎじゃないか?と。
流行りだとか最新だとか人気だとかに踊らされて、落とし穴も口クに調べず飛びつき過ぎじゃないか?
広告のセールスコピーやインフルエンサーの「これ、すごくイイよ」を本気で鵜呑みにしている人とか、いるのか?
俺なんて、コメン卜欄のロコミすら『偽客かも』『逆に評価下げ工作かも』と、いちいち疑うくらいなのに……。
世の人々は、ちょっといろいろ信じ過ぎじゃないか?
この世界が『警戒心無く気楽に生きても、騙されも奪われもせず平穏に生きていける』ものだと、信じ込み過ぎていないか?
公害や薬害の歴史を見れば、国や大企業ですら人を騙すことがある。
あるいは当人達さえ無自覚に、悪気無く人に損害を与えてくる。
あんなに推していた太陽光パネルが後になって環境問題になったり、とっくに普及しきっていたリチウムイオン電池が今になって爆発しまくったり……世の中そんな“後悔先に立たず”案件ばかりだ。
結局、自分を守れるのは自分だけ。
だが、その“自分”さえ、何を信じたら良いのか分からない。
だってこの世界は、物事を判断するのに充分な情報さえ、俺達に与えてはくれない。
俺は、自分を過信しない。
他人より警戒心が強いからと言って『絶対に罠に嵌まらない』なんて、思わない。
だからいつでも全カで真偽を見定めるし、結果『騙された』としても、それが自分の能カ不足由来なら、納得できる。
……だけどこの世界は、俺一人がどんなに警戒したところで、どうにもならないことが多過ぎる。
学校が信じて雇った教員が、修学旅行費を使い込むことがある。
銀行が信じて採用した行員が、貸金庫から物を盗むことがある。
運営会社の社員が信じて開いたウイルスメールで、利用していたサービスが突然使えなくなることがある。
何もかもを疑わなければいけない時代なんて息苦しいが、現実に世界がそうなってしまっているのだから、どうしようもない。
せっかく俺が警戒レベル最大で自分を守っているのに、警戒心の麻痺した大人の過信で損害を被るなんて冗談じゃない。
俺の人生が、妄信で油断しきった人間ばかりのこんな世界に委ねられているなんて、不安しか無くて希望が持てない。
どうせ、俺が何を言ったところで『他人事だ』と聞き流して、自分の身すらロクに守れない人間ばかりだと、知っている。
それでも、願わずにはいられない。
――せめて、俺の半分でも、皆が世界を警戒してくれればいいのに。
――せめて、俺の半分でも、皆が過信を棄ててくれればいいのに。
どうしてたって逃れられない、俺の人生の舞台であるこの世界が、せめてもう少しマシなものであるよう、常に願っている。
Copyright(C) 2026 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved.




