#第3.1話 夏紀視点 猫にアイス。
「ほな、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
爽やかな秋晴れの朝。母の声に背中を押されて出ると、心地よい風が肌に触れた。うだるような暑さもようやく収まり、お出かけにはちょうどいい雰囲気だった。
せっかくの土曜日なのに今日は講習。進学校に入った者の定めとして、このような日が時々あるのは仕方がないとは思ってはいる、ものの。
「くぁぁっ」
あくびが漏れ出た。眠い。とにかく眠い。
学校が歩いていけるくらい近いとはいえ、土曜も朝早くから出掛けるのは気鬱だ。だがしかし、今の僕にはそんなものは目ではない。
講習では、通常授業とは異なり、各々が好きな講座を取れる。数学が苦手な人は数学を取ればいいし、英語が苦手な人は英語を取れば良い。そのおかげで、他クラスの人と授業を受けられる数少ない機会なのだが。これが僕にとっては大変な僥倖なのである。
御門璃梨佳...僕の想い人であり、悩みの種。整った容姿に、ずば抜けた頭脳と運動能力。完璧が具現化して服を着て東京を歩いているとしたら、まさにこのことなのだろう。
悩みの種というのは、その他の点においてである。その他の点全てにおいて、ダメである。この世界がもしゲームだとしたら、おそらく璃梨佳は何かのミスでステータスを顔と頭と運動能力に全振りしてしまったのであろう。
ま、好きなんだけど。
普段は別クラスだし<部活>でも基本的には別行動なので、璃梨佳に会えるチャンスはなかなかない。そして講習でいくら他クラスの生徒もいるとはいえ、璃梨佳の顔を拝めるかは半々くらいの確率である。まあそもそも完璧である璃梨佳に講習を受ける必要はきっとないんだろうけど。
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1限、数学。講座開始10分前に来てみると、いつも璃梨佳と行動をともにしている結衣はすでに来ていた。どうやら璃梨佳はまだ来ていないようだ。
大教室で結衣の左隣に席を占めることに成功し、それとなく結衣の方を観察している。
突然、結衣が机の下でスマホを開き、急いでチャットの画面を開いた。指の動きから入力している内容を推測する。
「まだ来てないけど、来てる!?」
すぐに返事が来たようだ。
結衣の指が動き出した。
「さっさと、来い!!」
どうやら1限にご尊顔を拝むことはできなさそうだった。
2限、英語。英語の途中でようやく璃梨佳がやってきた。寝坊してきた割には(1限と2限の間の休み時間の間に何があったのか結衣に訊いていた)、しっかり見た目を整えてやってきていた。遅刻しているんだから、準備は必要最低限で来ればいいのに、という気持ちと、さすが璃梨佳、自らを魅せることに抜かりがないという気持ちがせめぎ合った。
璃梨佳はあくびを我慢しながらテキストを取り出した。取り出したものの、やはりあまりに眠たかったのか、結局文法書の上に頭をあずけて寝息を立て始めた。
規則正しい寝息とともに、璃梨佳の顔にかかった髪が揺らめく。きっと日夜ケアを欠かさないのであろう髪の毛は、秋の日光を反射して光り輝いていた。
きれいな人だな、と思う。眺めれば眺めるほどその美しさに魅入られる気がする。自分で好きになっておいて、ではあるが、好きな人が璃梨佳だった自分を褒めたい。センスが良い。
かわいいなぁ...それにしても僕もだんだん瞼が重くなってきた...10分だけ目を瞑ろうかな...
どれくらいの時間が経ったのだろう。僕の耳に大声が響き渡った。
「藤沢くん!起きろぉっ!」
「うぇ?あぁ」変な声を出してしまった。「ああ、市川ちゃんか。ありがとう」
「珍しいわね、藤沢くんが授業中に寝るだなんて。もう授業終わったわよ」
「昨日寝るの遅かったから...」
「せっかく璃梨佳が隣に座ってたのに」結衣がニヤニヤしながら突いてきた。
何を隠そう、結衣にはバレている。それも割と早くに。好きだなーと思った3日後にはバレていた。そんなにわかりやすかったのか、それとも結衣が気づきやすい人間だったのか。幸い璃梨佳本人には好意が露見していないようだ。
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昼からはONIWABANの集まりがあるので、一旦お昼ご飯を買いに学校の外に出た。今日はパンの口だ。
ちょうど教室に居合わせた相棒に声をかけた。相棒は友人たちに囲まれて駄弁っていた。
「秋山ぁ。昼買いに行かへんか」
「ごめん!俺今月金欠でさぁ」
「昼代くらい家の人に言うたら出してくれるやろ。おばさん、優しい人なんやろ?」
「いや俺今オカンと喧嘩してて」
「やれやれ。昼代出されへんで?」
「もうこれ以上秋山に奢られたら申し訳ない」
「せやな、さんざん奢ってるしな」と言って僕は笑った。「これ以上金の無心すんなよー。ほな行ってくるわ」
秋山というクラス一のチャラ男と、藤沢夏紀というクラス一のクール系男子の組み合わせは案外珍しい(、とクラスの女子が言っていた)。
まあ確かに奇妙な組み合わせなのだろう。しかしまあ意気投合したんだから仕方ない。
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駅前のベーグル屋さん、ここが僕のお気に入りのお店。今日もいい匂いがする。今日はガッツリな気分だからベーグルバーガーを選ぶ。紙袋に入れてもらってテイクアウト。紙袋もいい匂いがする。
お菓子でも買っていこうかとコンビニにも立ち寄った。さすがに昼に何もお腹に入れないのはよくないと思ったので、シュークリームだけでも買っていこうか。
アイス――璃梨佳に買っていこうかな。璃梨佳は確か...バニラが好きだったはず。コンビニの冷蔵庫をあけて、ちょっといいアイスを取り出した。
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<部室>に着いた。
「やあ、璃梨佳」
「藤沢か。おはよ。この前はジュースありがと」
「なに、お安い御用さ。ところで璃梨佳、何で君は寝間着で<部室>にいるんだい?」
「寝間着じゃない。ルームウェアよ。でっかいTシャツとショートパンツが一番動きやすいの。動きやすい服装でいて何が悪い?」
「いや、ここ学校やねんけどなぁ...」
「そんなことより、何か用事があるんでしょ。急ぐんでしょ?」
「せやで。そやのに君が...」
これが、僕が璃梨佳を好きに思い、悩みの種に思うところだ。頭いいし可愛いけどとにかく雑で、傍若無人で、甘えたがりなところが。
日常は、続く。
(第3.1話 完)




