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夜の私と明日の息子

作者: 冬霜花
掲載日:2025/12/04

 12月の夜。東京の親元を離れ、地方の国立大学に通う大学一年生の私は明日、私の住むアパートに来る父親に怯えていた。なぜなら私は今期の大学の講義に一度たりとも出席していないからだ。勿論、父親はそんな事実は知らない。大学の成績が父親の手元に送られるのは2月頃であった。

 父親は仕事の都合で近くまで来たためついでに顔を出しに来るという。


 夜。私は交際中の彼女がアルバイトをしている喫茶店を訪れていた。

 外には先日やってきた寒波のせいで酷く冷めた風が吹いているが、暖房が効いている店内はどこか明るい雰囲気に満ちているようだった。夕飯を食べるには少し遅い時間帯だったが、ポップな音楽の流れるこの店ではかなりの客が珈琲や洋菓子を嗜んでいる。

 私もお冷を持ってきた店員に珈琲を注文する。そして珈琲が運ばれてくるまでの数分を、父親から送られてきたメールを眺めるのに費やした。


 「明日の朝には仕事が片付くので、お昼前にはお前のアパートに着く。」


 半年ぶりに連絡をとる息子に対して少し淡泊すぎる気もするが、私の父親の性格を考えれば何もおかしなことではない。

 父親はメリハリの強い人間であり、一言でその気質を形容するならば生真面目な大人、と言えた。それに、融通が利く方ではなかったが決して頑固者でもなかった。

 私はそんな父親を尊敬していた。母親の、のんびりとした部分を色濃く継いだ身としてはその生き方にこれまで思う部分は多々あった。が、父親のその実直さには強く憧れを抱いていたのだ。また私の父親への尊敬に呼応するようにして、私は父親から沢山の期待を受けてきていた。

 しかし悲しいことに私は歪んだ道しか歩くことのできない人間らしかった。それを象徴するように、今私は大学の講義を欠席し続けている。

 講義を欠席する理由は特に無い。いや、無いというよりも幾らでも作ることができてしまったと言った方が本当なのだろう。きっかけなんて小さなもので、夏の終わりに罹った扁桃炎とかだったと思う。新学期の出鼻をくじかれたから、と自分に言い聞かせながら今日まで休み続けている。元々大学への熱量も保てていなかったいうのも大きい。


 「君は大学に行く意味があるのか?そんなことで君の親御さんは高い学費を払うの?」


 自虐的な自分語りが、高校三年生の時にある教師に言われたことを思い出させる。

 ちょうど一昨年の今くらいだったか。あの日は受験前最後の三者面談で、私の横には母親も同席していたはずだ。はずというのも、教師のあの発言を直に喰らい、それから当時の記憶がうまく引き出せないからだ。

 あの時私の母親はどんな表情で座って聞いていたのか、私は死ぬまで知りたくも考えたくもない。

 だがしかし、蓋を開けてみればあの教師の言は正鵠を射ていたようだ。


 目の前に運ばれてきた珈琲には湯気が立ち上っている。

 猫舌を自負する私は浪人時代から何度も読んでいた小説を鞄から取り出し、何かを確かめるようにページをめくっていく。内容が全て頭に入っているそれは高尚な読書としての役割を果たさない。

 珈琲はホットにかぎる、と決めつけ威張ってしまう他者依存の在り方に辟易する。と、ここまでが私の一つのルーチンなのだ。

 こんなマッチポンプ的な癖は去年から何も変わらなかったな。

 彼女のシフトが終わるまでの時間、私は熱い珈琲と決まった文字列に集中した。


 私にとって読書は正しく現実逃避の一つであった。それをしっている彼女はアルバイト中に私が本を読む姿を見て察したらしい。

 アルバイトのシフト後、一緒に帰る道すがら彼女は私が昼のデートに来なかったことを責めなかった。

 私にも弁明など無く、特にその件には触れなかった。道中、彼女と私は教授の愚痴やサークル内のゴシップなど本当に他愛ない話を延々としていたと思う。

 付き合って三か月が経つ彼女と私には互いの暗黙に足を踏み入れるにはまだ距離が遠すぎた気がした。


 家に着き、男女交際の形式上のメールのやりとりを終え携帯の電源を切る。


 当たり前に講義を休む私に罪の意識はすでに無かった。初めは見ないふりだったかもしれない。しかし長いこと続けるそのふりもいつしか本心へと変貌していく。「僕はこれで良い」と、強がる気持ちが心を侵蝕してくれるのを感じながら私は今夜も眠る。


 父親は遠くで暮らす私の身を当然のように案じてくれる。純粋な親愛から贈られる心配ほど暖かい愛はないのだろうと。いつかそれが失われることが私はたいへん怖かった。

 これはただの親の心子知らずではない。

 なぜなら私は父親の心が理解できるからだ。父親の期待も不安も、願望も危惧も手に取るように分かった。しかしだからこそ私は父親の息子としての自覚が持てない。持ちたくないのだ。

 何が怖いのか。私は何に怯えているのか。


 今日も遠い場所で、父親からは見えない場所で裏切った。

 明日は父親が私の親としてやって来る。

 罪悪感はたしかにもう消えていた。ただ、明日、私は、息子として彼と向き合えるかどうか。月のない今夜の私にはほとほと分からなった。

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