せーか2
運が味方したからこそ勝てました?
運勝ちしたのに実力気取り?
それって本当?
「運も実力のうち」という言葉がある。
この言葉は運を自分のものにする力は実力である。ということを言っている。しかし私はこれに納得がいかない。だが。そりゃあ、当然だろうな。そう思っているとも。つまりこの"意味"に文句があるというわけではない。
本当に納得がいかないのは言葉だ。意味ではなく言葉だ。
私が思うのは実力とは運の補助材料のようなものなのではないか、ということだ。
学術試験、あるいは免許、検定といったものについて考えよう。
これらの結果は実力、努力の賜物である。そうだ、そうだな。
しかしそれは100%の純実力から得たものだろうか、私が言いたいのはこの結果には運が大事だったはずだということだ。
勿論のこと、運100%、実力0。つまり内容を全く知らずして受けた、という状況では0が返ってくる。そんなことはわかっている。
ただ運100%、実力1。一部分の知識だけ、うわべだけそんな実力でも、内容が全て知っているところであれば…という話だ。そんな馬鹿げた状況であったのならば、当たり前だが満点だって可能だろう?
そしてこの逆も言えるはずだ。運30%、実力80。こうだとしても憶えてない内容だけが出れば0だって在り得るわけだ。
しかしこれは暗記100%のものでしか言えない。いや、そんなわけないだろう。
知識を基に応用させた問。当然だが記憶だけでは解くことのできないものだ。
そしてこの手の物は過去に解いていた経験、また、それらによって'できること'の発想で突破することができるだろう。加えて、その発想を知らなければできないものも多い。
しかし発想とは運に準じたものである、つまりは操作さえ、可能不可能かさえを知っていればものすごく低い確率だろうがたどり着ける可能性自体はあるのではないか。
これを言い換えるとすれば、超低確率の事象を引き当てることは不可能ではないだろう?
この場合においての実力とは何か。
私は実力がこの超低確率を高確率、あるいは確実までに持っていったものであった。そう考える。
さて、この思考の下、「運は実力のうち」が成立するだろうか。
なんて。この考え方は一般から見れば正しくない。当たり前だ。
[実力で負けたからって運のせいにするな。]と言われてもおかしくはない。
私は一つ言いたい。この考え方は生活上で使いやすいものではないだろうか?
ストレスの緩和、現状からの逃亡でなされることも少なくない。そんな逃亡を完全にするものは楽観視である。その楽観視に確率思考は十分合理的だ。
読んでいただきありがとうございます。
思想がちょい強めかもですが、文章の頓珍漢具合で中和され頭は[?]で埋め尽くされていても不思議ではないです。
実力ゲーは運ゲー。そんなあほらしい妄想を胸に、私はこれを記した。




