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月影ノ誓  番外編

 番外編 茶一椀の余話


 秋の風が、山の稜線を渡っていた。

 木々はすでに紅を深め、どこからか漂う焚き火の匂いが、過ぎ去った夏を遠い記憶へと追いやっている。


 桐原葵は、ひとり山道を歩いていた。

 鬼との戦いを終え、仲間たちとも別れ、それぞれの道へと散ったあの日から、幾度かの月日が流れていた。

 夜哭丸を背に負い、風の音を聞きながら歩むたび、かつての旅路の光景が脳裏に蘇る。燈の澄んだ声、百合丸の飄々とした姿、蓮真の厳しくも温かな眼差し――そして、すでに鬼と変わり果て、斬り伏せるしかなかった父、朔真の面影。


 右腕の袖を少し捲る。そこには、かつて黒々と浮かび上がっていた鬼の痣が、薄く残っていた。

 戦いの後、痣は驚くほどに色を失った。だが、完全に消えることはなかった。

 それはまるで、「鬼と人の狭間に生きる者」としての烙印のように、彼の肌に刻まれ続けていた。


「……まだ、俺は人なのか、それとも……」


 誰に問うわけでもなく呟く声が、冷たい風に溶ける。


 坂を登りきると、懐かしい村の佇まいが広がった。谷間に抱かれるようにひっそりと佇む集落。苔むした石段、その奥に小さな診療所が見える。茅葺き屋根の上には、白い煙が細く立ち上っていた。

 ――おいち婆。

 あの戦いの途上で、仲間と共に立ち寄った村。蓮真の命を救うために頼った、山の名医のもとである。


 葵は石段をゆっくりと登り、戸を叩く。

 がらり、と音を立てて戸が開くより早く、聞き覚えのある声が響いた。


「……誰かと思や、葵の坊じゃないか。まだ生きてたねぇ」


 現れたのは、背筋の伸びた小柄な老女。皺深い顔に、鋭い光を宿した目。

 ――おいち婆は、変わっていなかった。


「約束どおり、茶を一杯もらいに来た」

 

 葵がそう言うと、おいちはふんと鼻を鳴らす。

 

「随分と時間がかかったもんだよ。坊やひとりかい? 仲間はどうした」


「……それぞれの道を歩いている。もう会うこともないかもしれん」

 

「ふうん。人の縁なんざ、そんなもんさね。まあ、上がんな」


 囲炉裏端に腰を下ろすと、おいちは手際よく茶を淹れた。

 湯飲みからは、生姜と薬草の香りがふわりと漂う。かつて、血に塗れ疲弊しきったあの夜に飲んだ茶と同じ香りだった。


 一口含むと、温かさが喉を伝い、全身を巡る。

 緊張に固まっていた肩がようやく解けるのを感じた。


「……旨い」

 

「当たり前だよ。鬼より怖い婆さんが淹れた茶だからね」

 

 おいちが口の端を上げ、にやりと笑う。葵も思わず、わずかに口元を緩めた。


 しばし沈黙が流れる。外からは子どもたちの笑い声が遠く響き、薪を割る音、犬の吠える声が重なっていた。戦いの記憶が嘘のように、ここには確かな生活の営みがあった。


「……婆さん。あの時、言っていたな。命は貸し借りするものじゃなく、繋ぐものだと」

 

「言ったかねぇ、そんなこと」

 

「言った。俺は……繋げただろうか」


 葵の目は伏せられていた。

 父を斬り、母を思い、仲間と別れ、ひとり歩む今の自分に、その言葉を重ねる勇気はなかった。


 右腕に残る痣を見つめながら、言葉が溢れ出す。

 

「俺は父の罪を背負っている。藩を鬼の巣窟に変え、多くを犠牲にした……あの人の業を。母は、それを止めようと命を散らした。俺は二人の子として生まれ……結局、鬼を斬り続けるしかなかった」


「……」

 

 おいちは黙って茶を啜り、ただ耳を傾けていた。


「仲間たちも……燈も、百合丸も、蓮真も、それぞれの道へ行った。俺は、誰のために斬っていたのか……まだ答えが出せない」


 しばしの沈黙。囲炉裏の火が、ぱちりと音を立てた。


 やがて、おいちは湯飲みを置き、鋭い眼差しを葵に向けた。

 

「坊や。鬼の痣がまだ残ってるんだろう」


 葵は小さく頷き、袖を捲って見せた。薄くなったとはいえ、右腕には確かに痣が刻まれている。


「それは烙印だ。けどね、それがあるからって坊やが鬼になるわけじゃない。忘れなさんな。あんたが斬ったのは父の影であり、自分の影でもある。人は影を抱えて生きるもんだよ」


「……影を抱えて」

 

「そうさ。抱えて、それでも茶を飲み、飯を食い、歩き続ける。そうやってしか、答えは見つからんのさ」


 葵は深く息を吐いた。

 父の罪も、母の想いも、仲間との日々も、右腕の痣も――すべてが自分を形づくるものなのだろう。


「……婆さん。俺は、この先、どこへ向かえばいい」

 

「知らんよ」

 

 おいちはあっさりと言った。

 

「だけどね、坊や。あんたが今こうして茶を飲んでる。生きてる。それが答えの始まりさ」


 葵は目を閉じ、湯飲みを握りしめた。

 父を斬った夜、己の刃に宿った痛み。母の最期の笑顔。仲間たちの声。

 それらが、胸の奥でひとつの灯火となり、消えずに燃えていた。


 湯飲みの底に残るわずかな温もりを見つめながら、葵は小さく呟いた。

 

「……また来るよ。婆さんの茶は、忘れられそうにない」


「勝手においで。どうせ冷めた茶しか出さんけどね」

 

 おいちの笑い声が、囲炉裏端に広がった。


 その音を聞きながら、葵は静かに心を決めた。

 父の罪を背負い、母の祈りを胸に、仲間の想いを繋いで歩む。痣は消えなくとも、己は己として生きる――。


 窓の外では、山風が赤い葉を舞い上げていた。

 

                 完

ここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。ChatGPTとの共著という形で、最後まで書き上げることが出来た初めての物語です。自分の頭の中の登場人物達が呼吸をし、動き、話す。自分が読みたい小説を作るという贅沢でとても楽しい時間でした。少しでも多くの方にこの気持ちが伝わればいいなぁと思い、ここに投稿させて頂きました。本当にありがとうございました!


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