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三年目の灯  作者: 禿鷲
始まりの幽影編
5/12

04話 見晴らしのいい場所で、また。

 風が吹き抜ける。

 聞こえるのは、遠くの海の波が寄せる音だけ。

 太陽はもう、水平線に沈もうとしていた。

 凪はというと、まるで別人のように静かに、海を眺めている。


「あの日も、こんな夕焼けだったっけ……。」


 彼女は、語り始める。

 色褪せた風景を。

 しまいこんでいた、昔の話を。


「私には、1人の息子がいたの。」


―――――――――


 今でもはっきり覚えている。

 あの痛みも、あの叫びも、そして……小さな命が、この世界に産声を上げた瞬間も。

 何もかもが滲んで、涙か汗かもわからない視界の中で──確かに、その子は生まれてきた。


 胸に抱いたその温もりは、どんな言葉よりも確かな実感で。

 震える指で、頬を撫でた。

 生きてる。この腕の中に、確かに、命がいる。

 

 その時、ふと思い出した事がある。

 いつの記憶かはわからない。

 季節は春。ひだまりの中を歩いていた時。風が私の髪を揺らして、遠くへと通り過ぎていった。


 その風は、花のような香りがした。

だけどそれは花そのものの匂いじゃない。

土の匂いと、誰かのぬくもりと、何か……懐かしいものが混じった、優しい香りだった。


 涙がこぼれた。理由なんてわからなかった。

ただ、心の奥で何かがほどけて、静かにあたたかくなった。あの香りのように、誰かの心に静かに触れられる人になってほしいと思った。

 姿が見えなくても、触れられなくても、そっとそばにいると感じさせられるような、そんな人に。


 だから私は、その生まれて間もない赤子に、こう名前をつけた。


 「薫」と。


 そう、あなたよ。

 ふふ、驚いた?

 まぁまぁ、話は後にしてちょうだい。まだ終わっていないから。


 それで私は、世界一の幸せ者になった。

 本当に幸せだったの。

 愛する人に囲まれて、笑いが絶えなくて。

 

 でも、その幸せも、すぐに終わってしまう。

 あなたが生まれて3年後、私の旦那さん、あなたの父親が、交通事故で亡くなってしまう。


 私は悲しかった。あの人とずっと一緒だと思っていた。これから先も、あなたを育てながら幸せに暮らすのだと、信じて疑わなかった。

 だけど、それが叶うことはなかった。


 でも、泣いてなんかいられなかった。

 悲しんでなんていられなかった。だって、あの人は言ったんだもの。


「薫をたのんだ。」


 ってね。だから、私は女手1人で、あなたを育てると決めた。


 それからは多忙な毎日だったわ。

 朝早くからあなたのお弁当を作って、保育園へ預けて。そこから仕事に行って、あなたを迎えに行って。

 確かに大変だった。休む暇なんて無かったし。

 それでもね、あなたを立派に育てるって、決めたてたから。それが、あの人との約束だから。

 それに何よりも、あなたを愛していたから。


 それから年月が少し経って、その生活にも慣れてきた頃。だんだん体調が悪くなっていったの。

 最初はただの風邪かな?って思っていたのだけれど、そこから体調は悪化する一方。

 ある日咳き込んでしまって、ふと押さえた手のひらを見てみたらね、


 血が付いていたの。


 流石の私も病院に行ったわ。

 そうしたら、がんですって。末期で、もう治らないって言われたわ。余命は3ヶ月。


 神様ってひどいわよね。私からあの人を奪うだけでなく、私まで奪ってしまうなんて。


 私は薫にも同じ思いをさせてしまうことが。

 薫を1人にしてしまうことが、許せなかった。

 けれど、病気はもう治らない。


 その日から、私は病院に入院することになった。

 なので、あなたは、おばあちゃんとおじいちゃんに預かってもらうことにしたの。


 そこからは、あなたとの時間を大切にすることにしたわ。今まで仕事で取れなかった分、残りはあなたにだけ、時間を使おうと、そう思ったの。


 おばあちゃん達に無理言ってね、毎日病院に通ってもらうことにした。あなたと会ってお話しする事が、楽しみで楽しみでしょうがなかった。


 今日は何時に起きたのか。

 朝ごはんは何を食べたのか。

 テレビでは何を見たのか。

 今なにに夢中で、何が好きで、何が嫌いで。

 日常の些細なことから、特別なことまで。


 いろんなお話をしたわ。

 今でも鮮明に覚えている。本当よ?


 それでね、ある日、あなたがこんなことを言ったの。


「お母さん、僕、本物の象さんやきりんさんに会いたい!」


「そうね、動物園に行けば、会えるわよ。おばあちゃんにお願いして、連れていってもらいなさい?」


「やだ!」


 やだ?あら珍しい。この子が私に反発するなんて。


「あら、どうして?」


「だって僕は、お母さんと行きたいんだ。あと、他にも僕知ってるよ?水族館には、お魚さんがいっぱいいるって!水族館にも行きたい!」


 それを聞いて、私は涙が止まらなかった。

 母親として当たり前のことができてないんだ。

 そんな悲痛な現実が、悲しかった。


「ごめんね、薫。私……一緒に行けないの。」


「どうして?」


「お母さんは病気なの。だから、病院で治してもらわないといけないの。」


「だったら、病気が治ったら行こうね!約束!」


 絶対に叶える事のできない約束。

 そんなことはわかっていた。わかっていたのに。

 断ることなんて、できなかった。


「ええ、約束よ。」


 その日は、私が死ぬ前日だった。

 次の日。


 おばあちゃんとおじいちゃんに、私は遠いところへ旅立ったと、そう伝えて欲しいと頼んだ。

 きっと今の薫に、"死ぬ"ということは、理解できないと思ったから。

 自分は母親として、何もしてあげられなかった。

 何一つ、薫に残してあげられなかった。

 それが、悔しかった。

 そんなことをぼんやり考えていた。


 はっと気づいたら、

 世界は音を失っていた。


 病室の時計の針は動いていたけど、その音が聞こえなかった。

 春の風がカーテンを揺らしていたけど、その空気に肌は触れなかった。

 窓の外から朝の光が差し込んでいたけど、温かさは感じなかった。


──いや、それよりも。


ベッドの上に横たわっている“私”を、見下ろしている自分がいた。


「……え?」


声は出ていない。

口が動いたのに、音は生まれなかった。

慌てて歩み寄ろうとする。でも足音も、床の感触もなかった。


 私は死んだのだった。


 死んだら無に帰ると思っていたけれど、現実にとどまれるのだろうか。生前、よく聞いていた、幽霊になったのだろうかと、そう思った。


 そこから私は、あなたのそばにいる事にした。

 実際に触れられなくても。

 声は届かなくても。

 そばにいて、見守ろうと思った。

 それが母親としてできる、最後のことだと思ったから。



 数年後。私はある人に出会うの。

 私のことが見えていると言う、ある男に。

 その人に教えてもらった。

 霊界という存在について、現界にとどまるとどうなるのかについて。

 そして、どうすれば人間が幽霊を見ることができるのか、について。


 いろいろ方法は聞いたが、どれも難しくて、私にはできなかった。


 そうしてあなたのそばにいながら、

 色んなところへ行った。

 もし薫が私のことを見えるようになったら、どこに行こうかしら。

 そんなことを考えながら、色々なところに行ったわ。

 

 そんな中、私がいない時に。

 あなたが余命宣告を受けていたなんてね……。

 ごめんなさい、ずっと一緒にいてあげるって思っていたのに、そんな大事な場面に立ち会えなかった……。


 その時の私は、余命宣告を受けていた、なんて知らなかったけれど、

 あなたの心に、"隙間"ができているのがわかったの。


 今しかない。


 そう思った私は、あなたに声を掛けたのよ。


 嬉しかった。あなたと久しぶりに話せて。

 嬉しすぎて涙が出そうだったわ。

 それと同時に、悲しかった。

 あなたが余命を宣告されているのを知って。

 もう長くないことを、知って。


 だから、私は決めたわ。

 私はあなたとの"約束"を果たそうと。

 それで、何があったのか、全てを話そうと。



―――――――――



「じゃあ、あなたは、僕の、お母さん、?」


「ええ、そうよ。驚いた?」


 少し照れたように笑う。

 だから知っていたのか。僕のことを。

 僕が何が好きで、何が嫌いで。

 何を思っていて、何を考えていたのかを。


「それじゃあ、どうして凪なんて仮名を?」


「仮名じゃないわよ。私の旧姓なの。だってつまらないでしょう?最初から私の正体を明かしてしまったら。」


 なんだそれ。でも、母さんらしいと思った。ばあばから聞いていた、母さんの性格と一致していたからだ。いつもおちゃらけていて、ふわふわとしていて。でも、誰よりも優しい。


「じゃあ、もし僕が、知らない人だからと行って相手にしなかったら、どうしてたの?」


「それないわ。だってあなたはあの人と似て、優しいからね。」


 全てお見通しか。


「じゃあ、ずっと見ていてくれたんだね、僕のことを」


「当たり前でしょう?だって私は、あなたの母親だもの。」


 そう言って凪……いや、母さんは、僕を抱きしめる。まるで赤子を抱くように、大切なものを抱えるように、優しい手つきだった。


 あぁ、覚えてる。この感覚。母さんはいつも、こうやって抱きしめてくれた。

 どんなに怖かったときも、不安だったときも。

 すごく安心したのを、覚えている。


 過去の記憶がフラッシュバックする。

 この人は、僕の母さんなんだ。

 たとえ幽霊でも、紛れもない、本物なんだ。


 自然と涙が溢れる。


「母さん……!ずっと、ずっと、会いたかったよぉ……!」

 

「ごめんね、不安だったよね、辛かったよね。ひとりにしてごめんね。こんな母親で、ごめんね……」


「ちがう、ちがうよ、母さんは立派だよ。父さんを失った時も、僕に悲しい顔は決して見せなかった。不器用ながらも僕も一緒にいてくれた、僕の大切な、たった1人の母さんだよ……!」


「ありがとう、ありがとう、薫……。」


 僕は久しぶりに、母さんの胸の中で泣いた。

 涙が枯れるまで。

 僕が泣き止むまで、母さんは静かに、僕の頭を撫でていてくれた。


――――――――――



「それじゃあ、母さんの未練は、僕との約束を果たすっていうことだったの?」


 母さんと2人で海を眺めながら、問いかける。


「ええ、その通りよ」


「それじゃあ、母さんの未練は、もうないの?」


「無いって言ったら嘘になるけれど、、。そうね、もう満足よ。あなたに会えたんだもの。それだけで十分」

 

「じゃあ、もう成仏してしまうの?」


「ええ。その通りよ。もう行かなくちゃ」


 そういうと、母さんの足元が光りだす。とても優しい光だ。暖かくて、包み込むような。


「もっと一緒にいたいなんて、我が儘言っちゃダメよ?こうして一緒にいること自体、奇跡なんだから。」


 わかってる。わかってるけど。

 やっぱり、もっと一緒にいたい、離れたく無い。

 しかし、それは口にはしない。なぜなら、母さんもそう思ってるだろうから。そんなこと、口にしなくてもわかるだろうから。


「薫。あなたに言っておかなければならないことがあるの。」


「うん、なんでも言って」


「薫……あなたはこれから先、そんなに長くは生きられない。それが、この世界の理――あなたの運命。

……それでもね、私は悲しくなんてないの。

だって、あなたはそれを知ってなお、

誰よりも“生きよう”としてくれたから。

笑って、泣いて、怒って、愛して、

そんなふうに、命を全部抱きしめてくれる子に育ってくれたから。」


 一つ一つ噛み締めるように、母さんは言葉を紡ぐ。


「あなたは言ってたわね。これからの3年間を、どう過ごそうか悩んでいると。だから、私からのお願い。」


 母さんはにっこり笑って、僕に言う。


「現界にはね、私と同じように“想い”を遺したまま、

行き場を失って彷徨っている人たちがいるの。


大切な人に言えなかった言葉。

抱きしめられなかった手。

伝えられなかった「ありがとう」や「ごめんね」。


その全部が、心に刺さったまま、

あの人たちを“この世”に繋ぎ止めてる。


私みたいに、もう一度だけでいいから、

大切な人に想いを伝えたいって……そう願ってる。


薫。

あなたは――きっと、誰よりもその痛みに寄り添える子。


だから、もしこの先、

あなたの前に、そういう人が現れたら……

その手を取ってあげてほしいの。


その人の涙を、ちゃんと受け止めて。

未練を断ち切って、“次”へと送り出してあげて。


それがきっと、

この世界にあなたが生まれてきた、もう一つの意味。


……お願いね、薫。


あなたの“残された時間”が、

誰かの“未来を繋ぐ時間”になりますように。」


 そう言って、母さんは光に包まれる。


「大丈夫だよ。またきっと会える。それが今世じゃなくても、必ず、どこかで。」


 そう言って見送る。


「ふふっ、愛してるわ、薫ーーーー」


 そう言って、母さんは光と共に消えてしまった。


 触れた温もりも、声の余韻も、

 まるで夢みたいに薄れていく。


 これでよかったのだろうか。

 母さんは、ちゃんと成仏できただろうか。

 ……いや、考えていてもしょうがないな。


 そうして彼は歩きだす。

 涙が頬を伝っても、歩みは止めなかった。

 胸の奥に遺された声が、彼の背を押していた。


 母の想いを背負って、彼は歩き出す。

 残り少ない自分の時間を、誰かのために使うため。  

                 2020年4月10日    


「こんなところかな」

 パタンとノートを閉じる。

 これは、いわゆる記録帳である。

 限られた時間のなかで出会った、“この世に取り残された人たち”の、“終わり”と“再生”の記憶。


 そして──

 自分自身が、誰かを想い、生きたという、証。


 彼は立ち上がる。

 また誰かの灯火を、見つけるために。


「ご飯よー、降りてきなさーい」


 ばあばの声が聞こえる。

 

「はーい」


 そう返事をして、部屋を後にするのだった。

今回はとても長くなってしまいました……。

でも、この物語の根底に関わる重要な話だったので、

どうか許してください……。

これからは、1日に1、2話のペースで書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします!

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