第七話 脅迫状事件
その日の客は女だった。
おれがあとを継いで女の客ははじめてだ。
「どういうご用件でしょう?」
「あたしアニー・ツーロンと言います。二十五歳です。キャノン街の一番地に部屋を借りてます」
アニーは美人ではないが愛嬌のある表情だった。
髪は赤毛でみじかく切りそろえていた。
「はあ? それで?」
「ロードスター街のエラニー商店で事務員を勤めてます。仕事は朝の九時から午後六時までです。独身でひとり暮らしです」
ロードスター街のエラニー商店は大きな店だ。
四階建てで食器や日用品をあつかっている。
「ご両親は?」
「田舎で農業をやってますわ」
「ふむ。で。ご相談というのは?」
「あたしには食事に行く彼氏がいるんです。まだ深い関係ではないんですがこんな手紙に来たんです」
アニーがバッグから封筒を出した。
どれどれとおれは中身を引き出した。
瓦版から切り取った文字が貼られていた。
「なになに。ジョーとつき合うのをやめろ。不幸になるぞ」
「あたしの彼氏はジョー・マッシというんです。あたしより年上の二十七歳です」
「つまり脅迫されてると?」
「はい」
「そのジョーさんってどういう人なんですか?」
「あたしもよくは知りません。つき合いはじめてひと月もたってないんです」
「お店に来るお客さんだったんですか?」
「いいえ。ちがいます。あたしは裏で事務をするだけでお店には出ないんです。街で買い物中にスリにあいましてね。盗られた財布をジョーが取り返してくれたんです。犯人には逃げられたけど財布は取り返したよって」
「なるほど。それでつき合いがはじまった?」
「ええ。お茶でも飲みませんかって誘われたから喫茶店に入りました。そこでいろいろとお話をしましてね。すっかり意気投合したんです」
「ジョーさんの職業は?」
「売れない小説家だそうです。でも認められてないから瓦版の広告のあおり文句を作って食べてるって言ってました」
「ふむふむ。たしかに瓦版のすみにはさまざまな広告が載ってますからね」
「でしょう? ジョーは才能があるんです。あたしに自分が考えたっていう広告を見せてくれました。どれも買いたくなるような刺激的な文句でした」
「ジョーさんはどこに住んでるんです?」
「ウエストポート街の三番地に部屋を借りてるって言ってました。あたしは行ったことはないんですけど」
ウエストポート街は中流の住宅街だ。
金持ちというわけではないらしい。
「じゃどういうふうに会ってるんですか?」
「ジョーが夕方に誘いに来てくれるんです。商店が終わる時刻にね。それでふたりで夕食に行きます。ジョーは毎回しゃれたレストランをえらんでくれるんですよ。二度同じ店に行ったことはありません」
「ふむ。脅迫状が来ただけなんですか? 実害とかは?」
「それはないんですけどね。妙なことはありました」
「妙なこと?」
「はい。ジョーと食事をしてたんです。中流のレストランで夜にね。あたしも多少おしゃれをしてましたわ。お酒がまわって心地よくなってたんです。このあと部屋に誘われたらどうしよう? なんて思ってたんです。でもそこで十匹以上のネズミがレストランに放されたんです」
「ネズミ? ネズミってあのちょろちょろと走るやつですか?」
「ええ。それですわ。レストランは大さわぎになって食事どころじゃありません。あたしも悲鳴をあげました。だって足元に走って来たんですもの」
「それでどうなったんです?」
「店員さんが総出でネズミを捕まえました。でも優雅な食事はすっかり台なしですわ。あたしも気分が悪くなりました。ジョーに馬車で部屋まで送ってもらいましたわ。でも気分は悪いままでトイレで嘔吐しましたの」
「ふうむ。そのネズミは誰かが故意にレストランに持ちこんだと?」
「そうだと思います。場末の大衆食堂じゃありません。王都でも名の知れたレストランです。ネズミが一匹出るだけでもおかしいレストランなんです。十匹以上のネズミがいるはずはありませんわ」
「ほかにも妙なことってありました?」
アニーが顔を伏せた。
「えーと。言わなきゃなりません?」
「言ってもらうほうがいいですね。思い切って言ってください」
「わかりました。実はですね。食事のあとでジョーをあたしの部屋に誘いました。あ。いえ。はしたないとかそういうことじゃなくてですね。その」
「ああ。いいんですよ。誰しもそういうことはあります。二十七歳と二十五歳の男女がつき合ってればそういうことにもなりますよね? で。どうしたんです?」
「ジョーにお酒を出してふたりで乾杯しましたわ。ジョーとあたしは見つめ合いました。ジョーがあたしの手をにぎります。ジョーの手があたしの肩にかかりました。ふたりの距離が近づいて」
「近づいて?」
「火事だって大声がしました」
「はあ? 火事? ふたりの距離が近づいて火事ですか?」
「はい。あたしはびっくりして飛びあがりましたわ。ジョーが逃げようってあたしの手を引きました。部屋の外に出ると煙がただよってました。建物から出ると消防隊員が走って来ましたわ」
「建物が燃えたんですか?」
「いいえ。一階のすみで瓦版が燃えただけでした。でも住民は誰もそんなところでたき火なんかしません。放火だってことで住民の全員が消防隊員から事情聴取されました。火をつけられる心あたりはないかって」
「脅迫状のことを話したんですか?」
「話しませんでした。すっかり忘れてたんですの。火事と脅迫状が関係あるなんて思いもしませんでした」
「いつ脅迫状と火事が関係すると気づいたんです?」
「今度はその。いわゆるそういう店でしたの」
「そういう店?」
「はあ。まあ。そうです。なんて言えばいいか。男女がそのう」
「ああ。待合い宿をご利用なさった?」
アニーがポッと頬を赤く染めた。
「ええ。そうなりましたわ。聖灯節の日でしてね。グリーンバケット街のレストランを出たあとでそういうことに」
待合い宿は通常の宿屋とはちがう。
男女が密会する目的で作られた宿だ。
音がもれないように通常の宿より頑丈に建てられている。
「ということはいよいよそういう関係に?」
「いいえ。それがですね。入ってしばらくするとまた火事だと大声が」
「またですか?」
「はい。宿の客は全員がぶじに脱出しました。でも放火でした。やはり瓦版が燃やされてました。あとで消防隊員に根ほり葉ほり聞かれましたわ。はずかしいやらいたたまれないやらでこまりました」
「それで先の放火も脅迫状と関係するのではと?」
「そうです。あたしとジョーの仲を邪魔しようとしてるんじゃないか。そう思ったんです」
「なるほど」
「ジョーの以前の女があたしを脅迫してるんじゃないでしょうか?」
「ジョーさんは独身なんでしょう?」
「ええ。そう言ってました。結婚をしたことはないと。でもハンサムなんです。過去に女がいなかったはずはありません」
「おれにその女をつきとめろと?」
「はい。つきとめてくださればあたしが引導をわたしますわ。ジョーの女はあたしですと」
たくましい女だとおれは感心した。
しかしそこまで執着している女が簡単にあきらめるだろうか?
ドロドロの三角関係になりはしまいか?
いやな予感がおれの脳裏をよぎった。
だがそこまではおれの知ったことではないのかもしれない。
相談所としては客の要望にこたえればそれで終わりなのではないか?
ドロドロの三角関係になってもおれが口を出す問題ではないのかも?
「わかりました。やってみましょう。調査費は一日に銀貨十枚になります。十日ほどいただければなにかつかめるでしょう」
「ええ。それでけっこうですわ」
おれたちはまず孤児院に行った。
孤児のエディとウルスラに尾行の補助をたのむためだ。
わかれた女がジョーに執着しているならジョーの近辺にあらわれるだろう。
そう推測してのことだ。
次にジョーの部屋があるというウエストポート街の三番地に行った。
ジョー・マッシの部屋はすぐに見つかった。
近隣の住人からジョーの評判を聞きこんだ。
愛想のいい好青年で親の遺産で暮らしていると言う。
独身で部屋に女が来たのを見たことはないそうだ。
おれたちはジョーの部屋を見張った。
昼ごろに男が出て来た。
鼻の下にヒゲをたくわえた伊達男だった。
まっ白な背広の胸に一輪の赤いバラを挿していた。
いかにも女受けしそうな男だ。
たしかにこの男なら女が執着してもおかしくなかった。
街角で物売りの娘をからかったあとレストランに入った。
食後は玉突きだった。
おれとキャロラインとルイーズとコンスタンツェも玉を突いた。
おれはやったことがなかった。
だがキャロラインとルイーズとコンスタンツェは貴族のたしなみなのか慣れていた。
ジョーは常連らしく玉突き場にいた男たちと玉を突いた。
女はいなかった。
ジョーはそこそこの腕らしく男たちから銀貨を巻きあげていた。
玉突きのあとはカードだった。
カード倶楽部でも顔らしい。
しかしカードはさほど強くないみたいで銀貨を払っていた。
夕方が近づいてジョーが倶楽部を出た。
倶楽部でも女との接触はなかった。
次に行ったのはオーチャード街に建つライオネル商会だった。
ライオネル商会は五階建ての家具店だ。
廉価品から高級家具までそろえている。
ジョーは店には入らずに店の前で待った。
しばらくして女が出て来た。
二十六歳くらいの女だった。
小柄な女でひかえめな感じだ。
肩まで届く銀髪が夜風になびいていた。
ジョーと女は腕を組んでレストランに入った。
中級のレストランでしゃれた雰囲気の店だ。
カップルで入るにはふさわしい料理店だった。
おれたちは玉突き場とカード倶楽部に入ったためにレストランには入らなかった。
あまりたび重なるとあやしまれるせいだ。
ジョーと女が食事を楽しんでいるあいだにおれたちは露店のソーセージパンを食っていた。
ジョーと女はレストランを出ると馬車でエリスン街に行った。
エリスン街も住宅地だ。
ジョーは女をエリスン街の集合住宅に送り届けた。
女の部屋には入らなかった。
女は部屋に入る。
ジョーはまた馬車を拾う。
おれは悩んだ。
女を見張るかジョーを追うか。
おれはエディとウルスラにジョーの追跡をたのんだ。
おれたちは女の部屋を見張った。
表札にはフランシス・サルコーなるひとり分の名前が書かれていた。
同居人はいないようだ。
しかし深夜になっても女は部屋から出なかった。
しかたがないのでおれたちも引きあげた。
翌早朝にエディとウルスラがやって来た。
「あのあとジョーは酒場に行ったよ。オーチャード街の銀の鈴亭って店だ。二時間ほどして男と肩を組んで出て来た。その男とは酒場の前でわかれた。それから馬車で帰宅したよ。その後は部屋から出なかった」
「ご苦労さん。きょうもジョーに貼りついてくれるかな?」
「いいぜ。まかせとけ」
エディに日当をわたしておれたちも相談所を出た。
フランシスの部屋を見張っていると女が出て来た。
あとをつけるとライオネル商会に入った。
ライオネル商会が開店したので中に入ると女は三階の売り子だった。
胸の名札にフランシス・サルコーと書いてあった。
フランシスを観察していると男が階段をのぼって来た。
貫禄のある六十台の男だった。
「おやおや。これはキャロライン・ワーグナー子爵ではありませんか。家具がごいりようですかな?」
「えっ? ボクを知ってるの?」
「知ってますとも。あなたの絵を持ってますからな。パルマー街の朝焼けです。いやあ。あれはいい絵ですなあ」
「なるほど。で。おじさんは誰?」
「私はライオネル商会の商会主です。オットー・ライオネルともうします」
「ちょうどよかった。フランシス・サルコーさんについて教えてくれる?」
「フランシスがなにかそそうでもしましたか?」
「ううん。そうじゃない。絵のモデルをたのもうかと思ってね」
「なんと。フランシスをお描きになる?」
「うん。それでいろいろと訊きたいんだけどさ」
「そういうことでしたら応接室で」
おれたちは応接室に通された。
さすがは家具店の応接室だった。
すべて高級家具でイスのすわり心地はばつぐんだった。
「で。フランシスさんってどんな人?」
「そうですな。まじめですよ。独身でひとり暮らしです。両親はすでに他界して身寄りはありません」
「ふうん。この店には長いの?」
「ええ。長いほうでしょう。うちで働きはじめて八年になりますな」
「誰かの紹介で?」
「いえ。店員募集の広告を見てです。瓦版に載せましてね。私が面接して採用しました」
「どんな理由で?」
「受け答えが誠実そうでしたからな」
「じゃどういう性格だと見てるの?」
「口数はすくなくて社交的ではありません。明るい性格には見えませんな。むしろ引っこみ思案な性格でしょう。趣味もないようですな。しいて言えばウインドーショッピングですか」
「買い物が趣味なの?」
「いいえ。結婚のためにカネを貯めてると聞いてます。買い物はほとんどしないんではないですかな? 店々を見て歩くだけでしょうね。服も質素なものですよ」
「結婚? 男の人とつき合ってるわけ?」
「さあ? そこまでは知りません。でも男がいるようすはないですな。結婚して退職する場合は事前に知らせてくれと言ってあります。いまのところそんな話は出てませんよ」
「なるほど。聖灯節の日だけどさ。このお店って休みだったの?」
「いえ。営業してましたよ」
「じゃフランシスさんも働いてた?」
「働いてました。フランシスは無欠勤無遅刻が自慢です。朝の九時から夜の七時まできっちりと仕事をこなしてましたよ」
キャロラインがおれの顔を見た。
ほかに訊くことはないかという顔だった。
おれは考えたが質問を思いつかなかった。
おれたちはライオネル商会を出た。
仕事が早く片づいたとおれは安堵した。
「つまりジョーがフランシスとアニーさんのふた股をかけてたわけだ。それでフランシスがアニーさんを脅迫した。ジョーから手を引けと。アニーさんにそれを報告して依頼は完了だな」
キャロラインが足をとめた。
「いや。それはちがうんじゃないかな?」
「どうしてだ?」
「だってさ。聖灯節の日にフランシスさんは午後七時まで仕事をしてた。いっぽうのアニーさんはグリーンバケット街のレストランから待合い宿に行った。そして待合い宿が放火された。フランシスさんはどうやってジョーとアニーさんが待合い宿にいるってわかったのさ?」
おれは考えた。
「ジョーとアニーさんのあとをつけたんじゃないのか?」
「アニーさんは午後六時に仕事が終わるって言ってたよ? ジョーは退店時刻にむかえに来てふたりでレストランに行く。午後七時に仕事が終わるフランシスさんはどうやってふたりの行くレストランがわかるわけ? ジョーは毎回しゃれたレストランをえらんでくれるって言ってたよ? いつも同じ店に行くわけじゃない」
「なるほど。二度同じ店に行ったことはないとも言ってたな。じゃどうなるんだ?」
「フランシスさんが聖灯節の日にジョーとアニーさんのあとをつけるのは不可能だってことだね。それ以外はわからない」
「てことはだ。フランシスに放火はできない?」
「おそらく」
「じゃこういうのはどうだ? おれたちみたいに人を雇ってジョーとアニーさんのあとをつけさせた。その人物が待合い宿に火をつけた」
「それはできるだろうけどさ。人がいる建物への放火は殺人行為と同じと見なされて縛り首だよ? よほどの大金をもらっても放火なんかするかな?」
「ううむ。それはそうか。ならどういうことだろう?」
「わからない。もうしばらく尾行をつづけてようすを見るべきじゃない?」
おれたちはライオネル商会を見張った。
フランシスは閉店まで一度も店から出なかった。
閉店のあと午後七時半に店から出て来た。
ジョーはむかえに来ていない。
フランシスは露店で食料品を買いこんで部屋にもどった。
そのあとは部屋から出て来なかった。
ジョーも来なかった。
真夜中におれたちは見張りを打ち切った。
翌朝にエディがやって来た。
「ダグ。あいつ昼間は玉突きやカードをして遊んでた。夜は女をレストランに誘ったよ」
おれはアニーさんだと思った。
「赤毛の女だろ?」
「ううん。ちがう。黒髪の女だよ」
えっとおれはおどろいた。
「黒髪? 黒髪の女なのか?」
「ああ。二十五歳くらいの女だったよ。ふたりで二時間ほどレストランにいてさ。そのあと馬車で女をカッスル街に送ったよ。ジョーは女の部屋に入らずにオーチャード街の銀の鈴亭に行った。一時間ほどして男と出て来た。昨夜と同じ男だったよ」
「その黒髪の女の部屋は?」
「カッスル街の三番地だよ。表札にはマリオン・エイベルって書かれてた。ジョーもマリオンって呼びかけてた。マリオンはカッスル街のアンダーホリス商店って店から出て来たよ」
ううむとおれはうなった。
ふたまたどころかみつまたか。
「ジョーは酒場から自分の部屋にもどったのか? また女に会うとかはなかったのか?」
「わからない」
「わからない? どういうことだ?」
「馬車が来なかったんだ。ジョーが馬車で去っておれも馬車が来るのを待った。でも空きのある馬車が来なかった。それで追えなかったんだよ」
「なるほど」
昼間は馬車の数も多いが夜にはすくなくなる。
夜に馬車を使われるとまかれる危険も多い。
「でもね。しかたがないからジョーと酒場で会ってた男のあとをつけたよ。リンカートン街の二番地の部屋に入ってった。表札にはバルジ・ブルーバって書かれてたよ。二十八歳くらいの灰色の髪をした男だった」
おれは思案した。
三人目の女があらわれた。
おれはどの女を見張ればいいのだろう?
「エディ。ジョーといっしょにフランシスって女も見張れるか?」
「ああ。いいぜ。おれには十六人の手下がいる。四人なら同時に見張るのが可能だ。ただし日当がかさむぜ」
おれは計算した。
アニーさんには日当を銀貨十枚だと言ってある。
エディにジョーとフランシスを見張らせれば銀貨八枚だ。
おれの取り分は銀貨二枚しかない。
赤字だなとおれは思った。
おれはエディにフランシスの特徴を教えて見張りをたのんだ。
おれたちはカッスル街三番地のマリオン・エイベルの部屋に向かった。
おりよく出て来たとなりの部屋の主婦に訊いたところマリオンはすでに出勤したということだった。
マリオンの勤め先のアンダーホリス商店はそこから十分ほどの婦人服店だった。
三階建てで朝なのに女性客がかなり入っていた。
下着から夜会服まで最新流行の服を取りそろえているらしい。
ルイーズが目を輝かせて店内を見た。
キャロラインは興味がなさそうだった。
もっともキャロラインが着そうにない服ばかりだ。
サイズも十二歳の少年体型のキャロラインに合う服はなかった。
おれたちは黒髪と名札をたよりにマリオンを捜した。
三階の高級服売り場にマリオン・エイベルの名札をつけた女がいた。
マリオンがルイーズにすり寄った。
「お客さま。どのような服をお捜しでしょう?」
おれたちの中で高級婦人服が必要なのはルイーズひとりだ。
コンスタンツェはメイド服だし、キャロラインは見た目が少年だ。
おれは婦人服など縁がない顔をしている。
「そうねえ。舞踏会用の服を見せてもらえるかしら?」
「かしこまりました」
マリオンはベテランの店員という感じだった。
だが残念ながら男にもてそうな容貌ではなかった。
焦点のない顔と言うか印象がうすすぎる顔と言うか。
くすんだ表情の女で男が惹かれそうな顔ではなかった。
キャロラインが三階にいるもうひとりの女店員に声をかけた。
「ねえ。ボクらマリオンさんの交際相手の父親にたのまれて調査してるんだけどさ。協力してくれる?」
キャロラインが店員に金貨をにぎらせた。
おれは顔をしかめた。
ますます赤字だと。
店員が声をひそめてキャロラインを見た。
「マリオンに男がいたの?」
初耳だという顔だった。
「まあね。それでもうすこしくわしく話してもらえるかな?」
「いいわよ。こっちにいらっしゃい」
店員がおれたちを店の非常階段に連れこんだ。
店員が興味津々の目でキャロラインを見た。
キャロラインがその目にこたえるように切り出した。
「マリオンさんはこの店に勤めて長いの?」
「七年になるわ。あたしより一年あとに入って来たの」
「勤務態度は?」
「まじめそのものね」
「男出入りははげしい?」
「ぜんぜんよ。いまはじめて男がいるって聞いたわ。本当にあんなのとつき合う男がいるの?」
「まあね。タデ食う虫も好き好きって言うからさ。マリオンさんはカネづかいが荒いかな?」
「逆じゃないかしら? 貯めこんでるって感じよ。一生結婚ができないから老後のためにおカネを貯めてる。そんな感じだわ」
「性格は明るそう?」
「暗いわね。あたしたちが遊びに誘っても乗って来ないわ。つき合いは悪いわよ」
「もちろん独身だよね?」
「そう。独身のひとり暮らしよ。両親は何年か前のはやり病で亡くなったってさ」
「この店の営業時間は?」
「朝の九時から夜の七時までよ」
「こないだの聖灯節の日にマリオンさんは休みだった?」
「ううん。日曜以外は休まないわよ。まいとし無遅刻無欠勤で表彰されてるわ」
「じゃ聖灯節の日は午後七時までマリオンさんは店にいたの?」
「いたわよ。あたしのとなりにね。聖灯節の日は大通りのランタンがいつもより多いのよ。ふたりでここの窓からその光の行列をきれいねってながめてたわ。彼氏がいればあの光の列を腕を組みながら歩けるのにってね」
店員に話を聞き終わったおれたちはルイーズと合流して店を出た。
おれはルイーズの服を見た。
来たときとちがう服を着ていた。
「その服は買ったのか?」
「ええ。しゃれてていいでしょう?」
おれは目を丸くした。
おれに女の服はわからない。
どうほめていいのやら。
「似合ってるよ」
「ウソおっしゃい。なにもわかっちゃいないくせに」
おれは肩をすくめた。
そう言われるとひとこともない。
「で。マリオンって女はどうだった? アニーさんを脅迫しそうに見えたかい?」
「そうねえ。男に免疫はなさそうだったわね」
「つまり男に縁のない女がせっかく捕まえたジョーをアニーさんにわたすまいと脅迫した。そういうことだな?」
キャロラインが口を出した。
「だめだよ。マリオンさんも聖灯節の日に午後七時まで店にいた。フランシスさんといっしょでジョーとアニーさんのあとをつけるのは不可能だったわけだよ」
おれは首をひねった。
「どういうことだよ? まさか第四の女がいるってんじゃないだろうな?」
「ありうるね。みつまたをかける男なら四人目の女がいても不思議じゃないよ」
ううむとおれはうなった。
そのとおりかもしれない。
おれたちはアンダーホリス商店を見張った。
マリオンは閉店時刻がすぎた午後七時半まで出て来なかった。
そのあとマリオンは食料品や雑貨などを買って部屋にもどった。
ジョーは来なかった。
マリオンは部屋にもどったあと外出はしなかった。
おれたちはなんの収穫もなく相談所に帰った。
翌朝だ。
エディが来て報告をした。
「フランシスは朝の九時前にライオネル商会に入った。そのあと午後七時すぎに商会を出るまで動きはなしだ。商会を出て露店で食料品を買った。そのあとは部屋に入ったままで外出はしなかった。男と会ってなかったし、男も来なかった」
「ジョーは?」
「昼間は競馬場に行った。馬券はみんなはずれたみたいだ。そのまま捨ててたよ。夕方にカード倶楽部に行った」
「女には会わなかったのか?」
「ああ。女には会ってない。夜にカード倶楽部を出てまたオーチャード街の銀の鈴亭に行った。二時間ほどいて自分の部屋に帰ったよ」
「ふむ」
三人の女と食事に行く関係なのに女と会わない日もあるのか。
おれが考えこむとエディが話をつづけた。
「バルジは」
えっとおれはエディの顔を見た。
「バルジ? バルジってなんだ?」
「はあ? ジョーと酒場にいた男だよ。報告しただろ? リンカートン街の二番地に住んでるって? バルジ・ブルーバって二十八歳くらいの灰色の髪をした男だよ?」
ああとおれは思い出した。
「その男までつけたのか?」
「あれ? そいつは見張らなくてよかったのか?」
おれは苦笑した。
「いや。貼りついたものはしょうがない。報告してくれ」
「わかった。となり近所で聞きこんだところバルジは瓦版の記者だとさ。午前十時ごろに部屋を出た。リージェント街の繁華街をぶらぶらとしたそうだ。視線はきょろきょろと落ち着かなく通行人を見てたってさ」
「なにか目的があってぶらついてたのか?」
「いや。なにも買わずにただ通行人と通行人のあいだをぶらぶらと行ったり来たりしてたそうだ。手には瓦版を丸めて持ってたとさ。昼になってレストランに入った。しゃれたレストランだった」
エディがいわくありげに口をとじた。
ふくむところがあるみたいだ。
おれは首をかしげた。
「昼に食堂に入るのはあたりまえだろ?」
「いいや。それがさ。料理をふた口ほど食うと店を出たんだとよ。そして別のレストランに入った。そこでもまたふた口食っただけで店を出た。そのあとまたまた別のレストランでふた口食った」
「はい? 別々の三軒のレストランでふた口ずつ食っただけ?」
「そう。変だろ? なんでそんなことをしたんだろう? しかもその三軒とも中級の店だ。瓦版でも味のいい店として紹介されてる店だよ。まずかったからそうしたんじゃないはずさ」
「とつぜん腹が痛くなったとか?」
「バカな。すぐに別の店に入ってるんだぜ? それはないな」
「じゃどういうことだ?」
「ぜんぜんわかんないさ。でもそれだけじゃないんだ。夕方にも同じことをしてる。昼の三軒とは別のレストラン三軒でやはりふた口ずつ食って店を出てる。つまり一日に六軒のレストランでふた口ずつ食ってるんだ」
「ふうむ。変な男だな」
「だろ? で。そのあとはオーチャード街の銀の鈴亭に行った。そこでジョーといっしょになってる。おれたちは子どもだから酒場までは入れなかった。だからバルジとジョーがどんな話をしてるかはわからないよ。でも毎晩いっしょに飲んでるから仲はいいんだろうさ」
ふむとおれはうなずいてエディに銀貨をわたした。
「きょうはフランシスとマリオンを見張ってくれないか。それからバルジって男は見張らなくてもいいからな」
「わかった。フランシスとマリオンだな。ジョーはどうするんだ?」
「おれたちが見張るよ」
「了解だ」
エディが去っておれはふり向いた。
キャロラインとルイーズとコンスタンツェがうしろで話を聞いていた。
「キャロ。いまのをどう思う? 一日に六軒のレストランをはしごするなんて変だよな?」
「いや。そうでもないのかもしれないよ」
「なんでだ?」
「バルジって瓦版の記者なんだろ? レストランの味見をしてたんじゃないかな? 瓦版に味がいいって載せたのに味が落ちてたら信用問題だよ」
「それで味のチェックをした?」
「そう。満腹になったら味見にならなくなる。それであえてふた口でやめたんじゃないかい?」
「じゃ繁華街をただぶらついてたのは?」
「瓦版のネタを拾おうとじゃないのかな?」
「なるほど。視線がきょろきょろと落ち着かなかったのもネタ捜しのためか」
その日おれたちはジョーを見張った。
ジョーの女関係が問題の根本だと踏んだからだ。
ジョーは昼ごろにレストランで食事を取った。
次にカジノでルーレットとカードとダイスをやった。
だが勝てなかった。
夕方にロードスター街のエラニー商店でアニーさんと合流した。
アニーさんと腕を組んで街角を散歩したあとレストランに入った。
アニーさんとの食事がすむとキャノン街までアニーさんを送った。
待合い宿にもアニーさんの部屋にも入らずにオーチャード街の銀の鈴亭に行った。
おれは首をかしげた。
「どうしてアニーさんとジョーはそういう関係に進まないんだ? いったんは待合い宿に入ったわけだろ? なぜに食事だけで終わるわけ?」
キャロラインがおれのわき腹をつついた。
「あいかわらずダグは女心がわからないなあ。きっとアニーさんはふし目の日を待ってるんだよ」
「ふし目の日? なんだそれ?」
「この前は聖灯節の日だったろ? アニーさんはおそらくはじめてだ。記念日にしたいのさ」
「記念日?」
「そうだよ。何年たっても思い出せる日をえらびたいわけさ。月はじめのついたちとかね。結婚記念日といっしょで意味のない日はいやなんだよ」
「ということは?」
「次の候補日は緑光祭の日じゃないかな?」
「りょくこうさいの日? てことはまだ十日以上先?」
「うん」
「女ってそういうものなのか?」
「そうさ。ボクらだってダグがふつうの男みたいに交際してくれてたらそういう日をえらんだよ。ダグの気が変わらないうちに押すしかなかったからなしくずしにあんなことになったけどね。本来はロマンチックな日にしてほしかったってのが本音だよ」
「そうなのか? すまん」
「まあいまさらだよね」
ジョーはそのあとオーチャード街の銀の鈴亭に行った。
おれたちも入ることにした。
銀の鈴亭は平凡な酒場だった。
カウンターがあってテーブル席がある。
客の入りはそこそこだ。
ジョーはテーブル席についた。
おれたちはジョーから離れたテーブルに陣取った。
しばらくして灰色の髪の男がジョーのテーブルにやって来た。
瓦版記者のバルジ・ブルーバだろう。
バルジは酒を注文したあとジョーに話しはじめた。
ジョーはメモを取りながら熱心に聞いた。
おれは首をひねった。
ジョーは瓦版に載せる広告のあおり文句を売っていると言う。
ジョーの話をバルジがメモに書くべきではないのか?
どうしてバルジの話をジョーがメモしているのか?
ふたりがどんな話をしているかはまるで聞こえなかった。
警戒されるとまずいので近寄れないのが難点だった。
けっきょくバルジが一方的に語ってジョーがメモを取るという形が最後までつづいた。
ジョーとバルジは酒場の外でわかれてジョーは自宅に帰った。
アニーさんを送り届けたあとでジョーに接触した女はいなかった。
おれは昼にジョーが出たあとでジョーの部屋の戸をたたいてみた。
返事はなかった。
ジョーの部屋に女がいるというのはないだろう。
最初は簡単にカタがつくと思ったがそうはいかないらしい。
おれたちは翌日からもジョーを見張った。
ジョーはアニーさん・フランシス・マリオンと日替わりで夕食をともにしていた。
深い関係はなしだ。
三人とも夕食後は部屋まで送った。
三人と夕食をした翌日は女と会わなかった。
バルジと銀の鈴亭で飲むだけだ。
そのあとはアニーさん・フランシス・マリオンと夕食を食べる。
好色漢にしては女の部屋に行かないし、自分の部屋に女を連れこむこともしない。
待合い宿を利用することもなかった。
夕食だけだ。
浮気男の行動としては変な気がする。
どういうことだろうと思いながらジョーを見張った。
ジョーと会わない日のフランシスとマリオンは特別な行動をしていないとエディから報告があった。
勤め先を出て買い物をすこしして帰宅するだけだと。
ジョーは三人の女と夕食を取る。
次の一日は女と会わない。
その次はまた三人の女を夕食に誘う。
そのくり返しだった。
第四の女の影はこれっぽっちも見えなかった。
約束の十日間がすぎたがおれはアニーさんにどういう報告をしていいかわからなかった。
ジョーはあなた以外のふたりの女とも夕食を取ってますと言うべきだろうか?
深い関係が確認されてないのに?
フランシスとマリオンがアニーさんに脅迫状を送らなかったという証拠はない。
だがフランシスもマリオンもジョーがみつまたをかけていると知っているようすはなかった。
アニーさんもフランシスとマリオンのことは知らない。
おれはことがはっきりするまで伏せておこうと決めた。
そう報告するとアニーさんが追加でもう十日おねがいと言った。
おれはその十日で真実がわかるのかとあやぶんだ。
しかし十日がすぎればこれまでわかっていることをアニーさんに打ち明けようと決めた。
そのあとはアニーさんが判断することだ。
ほかの女と食事をしているジョーをゆるすのかゆるさないのか。
それはアニーさんしだいだと。
そんなことをしていると緑光祭の日がやって来た。
ジョーがアニーさんと腕を組んでグリーンバケット街のレストランに入った。
レストランを出たふたりは待合い宿の立ちならんでいる界隈に向かった。
おれは気が重くなった。
顔見知りの女が男とそういう行為をするのを宿の外でじっと待つのかとだ。
生々しい妄想が頭の中に充満しそうでいやだった。
浮気調査とはそういうことかと気づいた。
男女の生ぐささをまともに感じる仕事だと。
ジョーとアニーさんが腕を組んだまま待合い宿に入ろうとした。
そのとき走る男がおれたちを追い越した。
男はベレー帽をまぶかにかぶって顔を隠していた。
男は一直線にアニーさんを目ざした。
男の手には抜き身のナイフが光っていた。
キャロラインが叫んだ。
「ダグッ! その男をとめろっ!」
おれは駆け出した。
男の足に飛びついた。
男が前のめりに倒れた。
手にしていたナイフが前にほうり出された。
ナイフはジョーとアニーさんの足元に落ちた。
ジョーとアニーさんは目を丸くして道に倒れたおれと男を見おろしていた。
第四の女がいつあらわれるかと注意はしていた。
だが男は警戒していなかった。
おれが押さえこんだ男はバルジ・ブルーバだった。
おれには不可解だった。
どうしてバルジがアニーさんを殺そうとしたんだ?
キャロラインがコンスタンツェに指示をした。
「ジョーを縛ってよコンスタンツェ」
なわを取り出したコンスタンツェがぼうぜんと立ちすくむジョーをうしろ手に縛った。
そこもおれには理解不能だった。
どうしてジョーを縛りあげる?
縛るならおれが押さえこんでいるバルジだろう?
キャロラインがおれになわを手わたした。
「ぼんやりしてないでよダグ。早くバルジも縛りあげて」
ああそうだよなとおれは納得してバルジになわをかけた。
キャロラインが警察署から警官たちを連れて来てジョーとバルジを引きわたした。
アニーさんがおれの腕をつかんだ。
「どうなってるんですかマーカスさん? なぜジョーが逮捕されるの?」
キャロラインがアニーさんの手をおれから引きはがした。
「あした相談所で説明するよ。今夜は家に帰って」
キャロラインが不審がるアニーさんを馬車に押しこんだ。
おれたちは警官たちと警察署に行った。
「取りあえずこのふたりは留置場にほうりこんどいてね。あしたレスター警部に相談所まで来てもらうように伝言してくれる?」
「はい。了解しましたワーグナー子爵」
おれは馬車の中でキャロラインにつめ寄った。
「どうしてバルジがアニーさんを殺そうとしたんだ?」
キャロラインがあくびをした。
「ふあああ。今夜は眠い。あしたにしてくれる? アニーさんとレスター警部が来てから説明してあげるからさ」
キャロラインが目をとじた。
そのままキャロラインが眠りに落ちた。
おれは苦い顔でキャロラインの寝顔を見つめた。
翌朝にアニーさんとレスター警部がやって来た。
キャロラインがアニーさんとレスター警部を長いすにすわらせた。
「結婚詐欺師なんだよ」
おれは首をかしげた。
「はあ? バルジが?」
「バルジとジョーがだよ」
「バルジとジョーが結婚詐欺師?」
「そう。ふたり組の結婚詐欺師なんだ。バルジが女の財布をスる。ジョーがそれを取り返す。そうして女に近づいてお茶に誘う」
「女がお茶をことわったらどうするんだ?」
「そのときはあきらめるだけだよ。その女はやめて別の女に仕掛けりゃいいのさ。標的はカネを貯めてる女なら誰でもいいんだ。誘いに乗って来る女を捜してるだけなんだよ」
「なるほど」
「女がお茶につき合ったら女の気を惹くように会話する。たいていの女はおしゃべりだ。水を向けてやればいろいろと話してくれるはずさ。そのときに貯金があるのかをさぐるんだろうね」
「初対面の男にそんなことまで打ち明ける女がいるかな?」
「初対面だけど事前にしらべてたと思うな。標的は独身でひとり暮らしの女だ。二十五歳前後がいいんだろうね。男に縁のなさそうな女がねらい目さ。勤め先は大きな商店がのぞましい。商店の閉店時刻を待って家に帰る女のあとをつけるわけさ。家族と住んでるとまずいからね」
「どうして家族と住んでるとまずいんだ?」
「娘が男とつき合ったら家族は気にするじゃない? 親だったら家に連れて来いとかさ。そんな男とはつき合うなとか忠告するのがふつうでしょ?」
「ああ。それで家族はいないほうがいい?」
「そう。ジョーたちの目的は女とつき合うことじゃないんだ。カネを引き出すことなんだよ。男がカネを無心したら家族がいれば詐欺じゃないかとうたがうはずさ。それがいちばんまずい。女の家族によけいな口出しをされるとカネが引き出せないからね」
「それでひとり暮らしの女をねらう?」
「うん。女からカネを出させるのは一度じゃない。しぼれるだけしぼり取るつもりだから家族は邪魔なんだよ。そのために事前に調査をしておく」
「じゃ二十五歳前後の女ってのは?」
「十代だと貯金がすくない。三十代だとスレてて詐欺だとバレる危険が大きくなる。二十五歳ってのは結婚をあせりはじめる時期でだましやすいんだ。貯金もあるしね」
「でも二十五歳だとそんなに多くは貯めてないだろ?」
「だから三人まとめてだまそうってことじゃないかな? ひとりから大金をだまし取れば逮捕される危険も大きい」
「すこしずつでも三人から取ればまとまったカネになると?」
「と思うよ。ボクは詐欺師じゃないからわからないけどさ。だましやすさを優先したのかもしれない。そこはジョーから聞き出してほしいな。すでに拘留してあるんだからね」
「ふむふむ。そういやそうか。ならジョーが食事だけで女に手を出さなかったのはどういうわけだ? さっさと関係を深めてカネを無心すべきじゃないのか?」
「結婚詐欺ってのはさ。性急だとバレるんだよ。出会ってすぐ深い関係になってカネを無心したら女は変だなと思う。女にうたがいを抱かせないまでに信用させる必要があるんだ。そのためにじっくりと関係をきずくんだよ。恋愛じゃないんでね」
「それで食事しかしないのか?」
「恋をした若者じゃないからね。がっついてないってのも結婚を考える女には好ましく映るのさ。よゆうのある大人の男だわってね。女をじらして自分への傾斜を深めるのが重要なんだ。軽々しく深い関係にしないのも誠実な男だと思わせる伏線なんだよ」
「出会ってすぐ深い関係になるような男だと信用できない?」
「そう。遊んでる男だと思われるとまずい。結婚を前提につき合ってる真剣な男だと認識してもらわないと女からカネを引き出せない」
「じゃ女と関係が深まったとしよう。どういう言いわけをして女からカネを引き出すんだ?」
「さまざまな手口があるだろうけどさ。ジョーは売れない小説家ってふれこみなんだろ? 小説を世に出すためにカネがいるってのはどうかな? 一冊の本にするためにまとまったカネが必要だってのは? 女は結婚を約束した男の夢をかなえてやりたいって思うんじゃないかな? 小説家の妻になるってのもあまい夢かもしれない」
「なるほど。じゃどうして瓦版の記者のバルジがアニーさんを殺そうとしたんだ? それがどうしてもわからないんだが?」
「ふむ。バルジは瓦版の記者じゃないよ。ジョーが瓦版に広告のあおり文句を売ってるって話に合わせただけだと思うな」
「そうなのか? じゃ街角をぶらぶらしてたのは?」
「バルジは結婚詐欺の片われだけど本職はスリじゃないかな? スりやすい通行人を捜してたんじゃないかい?」
「ならレストランをはしごしてたのは?」
「ジョーに教えるためだろうね。女と行くしゃれたレストランはどの店がいいかってね」
「あっ。それでバルジの説明にジョーがメモを取ってたわけか? 次に行くレストランをどこにするかで?」
「そうだと思うよ」
「するとバルジが瓦版を持って歩いてたってのは?」
「スリの小道具だろうね」
「小道具?」
「うん。女は財布を肩かけカバンなどに入れて持ち歩くことが多い。瓦版をそのカバンに乗っけてカバンを見えなくするんだよ。見えなくなってるあいだにカバンから財布を抜き取るんだ」
「歩いてる女のカバンに瓦版を乗せて中身を抜き取るのか? そんな器用なことができるのかねえ?」
「スリってのは手品師なみの手ぎわが必要なのさ。すれちがいざまにズボンのポケットの財布を抜き取れるのがスリだよ。瓦版で手をかくせば周囲の者にもスリだとバレない効果もある。なみの器用さじゃスリはできないね」
「ふうん。じゃそのスリのバルジがなんでアニーさんを殺すんだ? スリだとアニーさんにバレて口封じにか?」
「いいや。バルジがアニーさんを殺そうとしたってのは誤解だ。バルジが殺そうとしたのはジョーだよ」
おれは口をポカンとあけた。
「ジョー? ジョーとは相棒だろう? なんでジョーを殺す?」
「ボクが推測するにバルジはアニーさんに惚れたんだ」
「はあ? バルジがアニーさんに惚れた?」
「そう。それで手紙を出した」
「ジョーとつき合うのをやめろ。不幸になるぞって手紙か?」
「うん。瓦版を切り貼りしたせいで脅迫状とかんちがいされたけどさ。あの手紙は忠告だったんだ。ジョーは結婚詐欺師だから不幸になるって意味だったんだよ」
「それならそう書きゃいいじゃないか。ジョーは結婚詐欺師だって」
「結果は変わらないと思うけどね。アニーさんは女が手紙を出したと思ってる。どんなにジョーの悪口が書かれてても自分とジョーを引き裂くためだと受け取るだろうさ」
「なるほど」
「バルジはジョーに言ったんだと思うよ。アニーさんをカモるのはやめにしようってね」
「ジョーはどう答えたんだ?」
「一笑にふしたんじゃないかな? そこもジョーに聞いてみなよ。とにかくジョーがアニーさんから手を引くことはなかった。バルジはしかたがないからネズミを放ったり火をつけたりしてジョーとアニーさんの邪魔をした」
「ジョーはそれがバルジのしわざだと気づかなかったのか?」
「おそらく気づいてないね。バルジがジョーに突進したときにぼうぜんとしてたもの。まあ毎晩顔を合わせて仲よくやってるんだ。まさかバルジが自分を殺そうと思ってるなんて想像もしなかったはずだよ」
「バルジはそんなにジョーが憎かったのか?」
「そうじゃないと思う。バルジは好きな女がジョーと深い関係になるのがいやだったんだよ。ジョーとアニーさんがそういう関係になると思っただけで頭に血がのぼったんじゃないかな? 恋して盲目になった男の激情だったんじゃ?」
「とっさの犯行だったと?」
「そう。ジョーを計画的に殺すつもりなら毎夜酒場で会ってるんだ。いつでも殺せたはずさ」
「ふうむ。それで殺人未遂のバルジだけじゃなくジョーも逮捕させたわけか? 結婚詐欺だから?」
「うん。ジョーたちはこの地区で詐欺に取りかかったばかりだった。ほとぼりがさめたころを見はからって新しい詐欺を仕掛けたんだろうさ」
「ということは過去にも結婚詐欺を?」
「きっとね。たぶん王都の別の地区で被害届けが出てるはずだよ。ジョーっていうのも本名じゃないだろうね。被害者からカネを引き出すだけ引き出したら逃げ出すのが手口だもの。そういうわけなんでレスター警部。ジョーとバルジの余罪の追及をよろしくね」
レスター警部がうなずいた。
「わかった」
レスター警部が出て行っておれはアニーさんを見た。
脱力していた。
「あたしだまされてたの?」
キャロラインがなぐさめ顔を作った。
「そういうことになるね」
「そうなの。笑っちゃうわね。やっと会えた理想の男が結婚詐欺師だったなんてさ。おまけにスリに惚れられるなんてね。あーあ。あたしってなんて不幸な女なのかしら」
おれは口をはさんだ。
「まあまあ。おカネを取られる前だったのが不幸中のさいわいってことで」
アニーさんがおれをにらみつけた。
「どうしてだまされたままにしてくれなかったのよ! いい夢を見てたのに!」
おれは首をすくめた。
やつあたりだ。
だがだまされたまましあわせな時間が長くつづくのも女にはうれしいのかもしれない。
結婚詐欺師の見せるあまい夢はふつうの男との交際にはない非現実の酔いがあるのだろう。
アニーさんが相談料を払って出て行った。
レスター警部に聞いたところその後アニーさんが留置場にさし入れをしているそうだ。
おれはスリのバルジにさし入れをしていると思った。
惚れられてまんざらでもないと。
だがアニーさんはジョーとバルジの両方にさし入れをしているそうだ。
ジョーとバルジのふたまたをかけているらしい。
本命はジョーのようだ。
詐欺罪は十年以下の懲役なので更正したあとに結婚しようと考えているみたいだ。
詐欺師が服役したくらいで更正するかは疑問だがその場合はバルジと結婚するのだろう。
女はたくましいとおれはため息を吐いた。
おれに女が理解できる日は来ないのかもしれない。
最後に余談だがキャロラインがフランシスの絵を描いた。
高級家具と店員という肖像画だった。
フランシスはとつぜんの贈り物に目を白黒していた。
あとで相場を聞いて一生の宝物にすると言ったそうだ。