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 第六話 夜歩く人形事件

 キャロラインがおれたちの絵を描くというのでおれとルイーズは全裸で立たされた。

 見ようとしなくてもルイーズの裸が目に入る。

 おれはその部分が大きくなるのをとめられなかった。

 その部分が大きくなってもキャロラインもルイーズもコンスタンツェもなにも言わない。

 キャロラインは木炭でスケッチブックに描きこんでいる。

 おれはいたたまれなくなった。

「おまえら男がこんなになっても平気なのか?」

 キャロラインがスケッチブックから顔をあげた。

「平気じゃないよ。でもダグが男として機能してるのはうれしい」

「うれしい? うれしいのか?」

「そうだよ。ねえダグ。ボクらももう二十二歳だ。まわりからは結婚して子どもを作れと言われてるわけよ。特にワーグナー家はボクひとりしかいない。ボクが子どもを作らないと断絶しちゃうんだ」

「はあ? それが?」

「ボクは学園時代からダグの求婚を待ってるわけ」

「そ? そうなのか?」

「そうだよ。いい機会だから言っちゃうけどね。いいかげんボクらと結婚してくれないかい?」

「ええっ? おれたちはそういう関係なのか?」

「あたりまえだろ? 女が好きでもない男と一日中いっしょにいると思う? ダグはボクかルイーズのどっちかと結婚しろ」

「二択なのか? おれがほかの女と結婚するというのは?」

「それはだめ。ボクはダグ以外の男と子作りはしたくない。ルイーズも同じだよ。だからボクらふたりのどちらかからえらんで」

「おまえら貴族だろ? 平民のおれと結婚していいのか?」

「ボクは両親がいないから文句を言う人間はいない。ルイーズも三女だから好き勝手にさせてもらってる。平民がだめって言う親が娘を冒険者にするはずがないじゃないか」

「そりゃまあそうか」

「ダグがお父さんのかたきを討つまではと思ってるのは知ってる。だから一年待ってあげる。それまでに決めてね。最悪はボクに子ダネだけでもちょうだい。ボクはダグ以外の子どもを産むつもりはないからさ。それともボクじゃ大きくならない?」

「そ。それはやってみないとわからないな」

「んじゃ今夜にでも」

「おい! 一年待つんじゃないのか!」

「結婚は一年待ったげる。でも子作りは一年待つとは言ってない。女は歳を取ると出産が危険になるんだ。特にボクは未発達だからうまく産めるかわからない。早いうちにためしとくべきだと思うんだよ」

 ルイーズがニッコリ笑った。

「わたしはウォークバーグ侯爵方式でもいいわよ。両親からはそろそろ孫の顔が見たいって言われてるしさ。ダグ。今度うちに来て両親にあいさつしてね」

「ウォークバーグ侯爵方式ってあれか? 一年おきに結婚と離婚をくり返す?」

「そう。それならわたしとキャロのどっちが妾になるかでもめなくてすむもの」

「おまえらそれでいいのか?」

「わからないけどさ。いまの関係がだらだらつづくよりはいいわ。わたしたちもそろそろ次の段階へ進むべきだと思う。もう十代は終わって三人ともおとなになったんだもの。おとなの関係になるべきだと思うわ」

「いつまでも子どもじゃいられないと?」

「ええ。ダグがほかに好きな女がいるならしかたないけどね。いないならわたしたちを妻にしてほしい」

 おれは考えた。

 たしかにそうかもしれない。

 おれはキャロラインとルイーズ以外の女とつき合いなどない。

 父のかたきを取るというのが最大の目標だ。

 しかしそれはいつになることやら。

 一方でキャロラインとルイーズがおれ以外の男と結婚すると考えると胸が痛い。

 おとなになるというのがどういうことかはわからない。

 だがそのときが来たということかもしれない。

 ふたりとの関係を深めるべき別れるべきか。

 その選択のときが来たと。

「わかった。一年をめどに結婚を考えよう」

 キャロラインが苦笑を浮かべた。

「やだなあ。すっぱり結婚してくれっていえよ。ボクらがここまでぶっちゃけたんだからさ。ダグもそれにこたえてよ。身体が全裸になってるんだ。心も裸になるべきだよ」

 おれは思案した。

 だがこれ以上はずかしい事態にはならないだろう。

「そうだな。結婚しよう。結婚してくれ」

「いいよ。さて。どっちが先に結婚するルイーズ?」

「くじで決めましょうか」

 女ふたりがニッコリと笑い合った。

 おれはどうにでもしてくれとさじを投げた。

 キャロラインのスケッチが終わっておれは服を着た。

 本当に結婚するのかはよくわからない。

 流されただけという気はする。

 そんなおれを尻目にキャロラインとルイーズが結婚の準備をちゃくちゃくと話し合った。

 そんなとき戸がたたかれた。

 本日休業のふだをかけといたはずだがと思いながら戸をあけた。

「ああ。あなたがマーカスさんですね?」

 若い男だった。

 二十五歳くらいだろう。

 仕立てのいい背広を着ている。

 一流品だ。

 貴族ではないか?

 おれはキャロラインとルイーズのおかげで貴族に免疫ができていた。

 ひるむことなく対応できる。

「まあお入りください」

 苦笑しながら男をまねき入れた。

 男を長いすにすわらせるとコンスタンツェがお茶を出した。

「私はジョルジュ・アーベルです。伯爵を拝命しております」

「その伯爵さまがどんなご用で?」

「人形なんです」

「人形?」

「ええ。昨年に両親ががけから落ちて他界しましてね。私が伯爵を継いだんです。私の母は人形が好きで集めてたんですよ。そのためによくうちには人形を売りに来る者がいるのです。母は亡くなったんですがそれを知らない者がちょくちょく人形を持ちこみます」

「その人形をあなたが買ったと?」

「はい。母の供養になるかと思いましてね。母の好きそうな人形を買うことにしてるんです。ところが母の部屋はすでに人形でいっぱいで置き場所がありません。そこで私の寝室に置いてたんですが」

「寝室に置いてどうなったんです?」

「夜中に変な音がするんです。カタカタと木と木が打ち合うような音でした。大きな音ではなかったんですが真夜中でしょう? 気になりましてね。起きてローソクをつけると音はもう聞こえなくなってました」

「はあ? カタカタと音がした? それだけですか?」

「いえ。人形の位置が変わってたんです。長いすに乗せといたはずが机の上になってました」

「位置が変わった? 寝てるあいだにですか?」

「そうなんです。最初は気のせいだと思ってました。長いすにすわるのに邪魔になって机に乗せたんだと。でもそれが毎晩になったんです」

「どういうことですかそれは?」

「わかりません。その人形は頭部は陶磁器でできてるんですが胴体と手足は木でした。私の胸から頭のてっぺんくらいの身長でしてね。顔は女の子で金髪の巻き毛をしてました。おだやかな顔で笑うでもなく怒るでもない表情でした」

「ふむ。重いんですか?」

「いいえ。そんなに重くありません。人形としてはありふれた重量でしょう。そもそもが子どものおもちゃですからね。ひらひらのレースがついたピンクのドレスを着てましたよ。精巧にできた人形で生きてるみたいな顔をしてました」

「高価だったんですか?」

「子どものおもちゃとしては高価でした。でも金貨二枚ですからおとなの買い物としてはふつうでしょう」

「なにかほかに特徴は?」

「ありません。ごく平凡な人形でした。陶磁器でできてるせいで顔によごれや傷もありませんでした。ピンクのドレスはそれなりにくすんでましたよ。きっと子どもが大きくなって人形遊びを卒業したから売りに出したんでしょうね」

「新品じゃなかったわけですね?」

「そうです。新品の人形を店に行って買うほどではありません。近所の人が母の評判を聞いて持ちこむのを買うだけです。母は新作の人形も買ってましたけど私は人形好きというわけじゃありませんからね」

「ふうむ。で。その中古の人形が夜になると置き場所が変わると?」

「そうなんです。私は気味が悪くなって母の部屋にむりやりその人形を押しこんだんです。すると」

 アーベル伯爵がブルルッと全身をふるわせた。

「すると?」

「私は眠ってました。木で木をたたくような音に気づいて目がさめたんです。ローソクに火をつけると誰かが寝室の戸をたたいてるようなんです。人間がこぶしでたたく音とはちがいました。木で木をたたく乾いた音でした。私は寝室の戸をあけたんです。そこに」

 伯爵がまた身体をふるえさせた。

「そこに?」

「人形が立ってました」

 うわあっとキャロラインとルイーズが悲鳴をあげた。

 おれも全身におぞけが走った。

「そ? それでどうしたんですか?」

「ぼうぜんとしましたよ。なにが起きてるのか理解できませんでした。それでもそのまま戸をしめるのも気持ち悪いんでその人形をつまみあげました。おそるおそる観察しましたが変わった点はありません。頭部は陶磁器でカキンコキンです。胴体と手足は木でした。生きてる徴候はありません。どこからどう見ても人形でした。私はぞっとしたままそれをまた母の部屋にほうりこみました」

「そのあとはどうなったんです?」

「その夜はそれから眠れませんでした。夜が明けてからうつらうつらして昼まで寝ましたよ。そのあと気になったもので母の部屋に行きました。人形は私がほうりこんだ位置にありました。昼の光の中で私はまた観察しました。でもふつうの人形です。やはり変わったところなどなかったんです」

「その人形を売りに来た人はどんな人だったんですか?」

「それがですね。おぼえてないんですよ。はじめての男で三十代くらいでした。どこの誰とも名乗りませんでしたしね。まさかその人形があとになっておかしなことを引き起こすなんて想像もしませんでしたから」

「なるほど」

「その夜です。私はベッドに入っても寝つけませんでした。寝返りを打つばかりで眠りに落ちなかったんです。深夜をすぎたころでした。またコンコンと寝室の戸をたたく音が聞こえました。私はビクッとしましたよ。気のせいだと自分に言い聞かせたんですがふたたびコンコンと音がします。しかたがなくローソクに火をつけました。寝室の戸を開くと」

 ゾクッと伯爵の肩がちぢみあがった。

 おれは聞きたくなかったが先をうながした。

「戸を開くと?」

「人形がそこにいました」

「キャーッ!」

 キャロラインとルイーズとコンスタンツェがそろって声をあげた。

 コンスタンツェがビビったのをおれははじめて見た。

 なにがあっても動揺しない女だと思っていた。

 おれは気を取り直した。

「それでどうしたんです?」

「私は悲鳴をあげて人形をつかみました。無我夢中で力のかぎり壁にたたきつけました。人形の頭部がこわれて破片が飛び散りました。そこに執事と弟とメイド長が駆けつけて来ました。私の悲鳴を聞いたんでしょうね。私は荒い息でなんでもないとごまかしましたよ」

「それだけですか?」

「ええ。メイド長が人形の破片をほうきで集めましてね。捨てといてくれと指示して寝室にもどりました。そのあとは怖くてベッドの中でふるえてましたよ」

 おれはホッと息を吐き出した。

 人形が捨てられたなら怪異はおしまいだろうと。

「それでおれになにをさせたいんです? その人形を売った男を捜せと?」

「いいえ。つづきがあるんです。もうすこし聞いてください。私はその日は執務室で書類にサインしてました。領地の街道を整備する書類でした。執事のチャールズ・テッセンがかたわらで書類の説明をしてくれてました。弟のトーマスもとなりで書類に目を通してくれてました。空もようがおかしくてカミナリが鳴ってましてね。日が落ちてローソクに火をともす時刻でした。私の背後の窓ガラスがコンコンと鳴るんです。木ぎれが窓ガラスにあたる音みたいでした。私はふり返りました。そこにカミナリが光って窓の外にあるものを照らしました」

 おれはいやーな予感がしたがうながした。

「窓の外になにが?」

「人形です。人形が窓の外にいました」

「うわーんっ!」

 キャロラインとルイーズとコンスタンツェがふるえあがった。

 おれも気持ち悪いが伯爵につづきを求めた。

「それでどうしました?」

「大声で悲鳴をあげました。すると執事が訊くんです。どうしましたとね。弟もどうした兄さんと不審げな顔をしました。私は窓を指さしましたよ。人形がそこにいると。ところが執事は目をパチパチさせるんです。人形なんかいませんよと。弟も首をかしげてました。人形ってなにってね。でも窓の外に人形がいるんですよ。どう見ても人形でした。執事と弟にも見えてるはずなんです。私は執事と弟の顔を見ました。ふたりともまじめそのものの顔つきでした。私はさいど強調しましたよ。窓の外に人形がいると。執事はきょとんとした顔をしました。窓の外に人形なんかいません。庭があるだけですと。弟も人形がどうしたのさと不思議がりました」

「どういうことですか?」

「わかりません。私がふたたび窓を見たときは人形がいなくなってました。私が見た人形は顔がきれいなままでした。私はたしかに壁にたたきつけて人形の頭部をバラバラにしたんです。でもいなびかりで見た人形は顔に傷ひとつありませんでした。ただ笑ってました」

「笑ってた?」

「そうです。目をほそめて口の端を吊りあげて笑ってました。私が買ったときはおだやかな顔だったんです。それが笑ってました」

「笑ってたねえ? けどメイド長が人形を捨てたんでしょう?」

「ええ。あとでメイド長のクララ・ヒューズにたしかめました。するとたしかに人形は捨てたと言うんです。こわれた頭部と胴体をいっしょにゴミに出したと」

 おれは考えた。

「あなたは人形を窓の外に見た。でも執事と弟さんは人形はいないと言う。あなたの見まちがいとかでは?」

「私はたしかに見たと思うんです。ですが見まちがいかもしれないとも考えましたよ。執事と弟が見てないと言うものですからね。ところが」

「ところが?」

「また天気のわるい夜でした。小雨が降ってカミナリが鳴ってました。私は気分転換に弟のトーマスを誘って遊戯室で玉突きをしてたんです。なにもしてないと妙な考えばかりが浮かびますからね。メイド長のクララがビスケットとコーヒーを持って来てくれました。そのコーヒーを飲んでると窓にコンコンとなにかのあたる音がします。窓を見ました。カミナリが光って窓の外にあるものが見えました」

 やめてくれよぉと思いながらおれはたずねた。

「なにが見えたんです?」

「人形でした。やはりニヤッと笑ってました」

「ウギャーッ!」

 女三人が抱き合った。

 おれはため息を吐き出して深呼吸した。

「それでどうなったんです?」

「私はまた悲鳴をあげましたよ。弟が訊きました。どうしたんだ兄さんってね。私は窓を指さしました。人形だ! 人形がそこにいると。ところが弟とメイド長が不思議な顔をするんですよ。人形なんかどこにいるってね。私は窓を見ました。人形はまだそこにいて笑ってました。あれが見えないのか? あそこに人形がいるじゃないか! そう私は叫びましたよ。でも」

「でも?」

「弟とメイド長は首を横にふりました。人形なんかいないよ兄さんとね。私は信じられませんでした。たしかに窓の外で人形が笑ってたんです。なのにふたりは人形なんかいないと言います。そのときまたカミナリが鳴って窓の外が光りました。気がついたら人形はもういませんでした」

 おれは首をかしげた。

 怖い怖いと思っていると木々のすき間が人間の顔に見えることもあると聞く。

 幽霊はそういった見まちがいだそうだ。

 この伯爵は本当に人形を見たのか?

 見まちがいか錯覚ではないのか?

「それでおしまいなんですか?」

「いえ。こないだの夜のことです。やはりカミナリが光ってました。執務室で書類仕事をしてたんです。横には執事がいてメイド長がサンドイッチとコーヒーをはこんでくれました。そこでまた窓がコンコンと」

「またですか?」

「ええ。私は飛びあがりましたよ。今度は見なくてもわかりました。窓の外に人形がいるに決まってました。人形だ! 窓の外にいる! そう叫びました。執事とメイド長が窓に顔を向けました。でもおどろいたようすがありません。私もふり返って窓を見ました。すると」

「人形がいたんですね?」

「はい。今度は怒ってました。目が吊りあがって口も大きく開いてました。私は執事とメイド長に怒鳴りましたよ。あれが見えないのか! 人形がいるじゃないかってね。でもふたりはポカンとした顔でした。どこに人形がいるんです? そう訊き返されましたよ。私は混乱しました。私にしか人形は見えてないらしいんです。そうこうするうちに人形は姿を消してました。私は自分の目をうたがいましたよ。本当に人形を見たんだろうかとね」

「そのあとどうなったんです?」

「私はベッドの中でふるえてました。翌朝に弟から病院に行ったほうがいいんじゃないかと言われました。自分でもおかしくなったんじゃないかと思いますよ。執事とメイド長もこまった顔で私を見ますしね」

「それで病院に行ったんですか?」

「いいえ。だって怖いでしょう? もし精神病だったら入院させられます。深刻な病気だったら二度と社会に出られないかもしれません。でも」

「でも?」

「人形は怒ってたんです。このまま人形の怒りがエスカレートすると私は殺されるかもしれません。怖くてたまらないんです。夜が来るのがおそろしい。私はおかしくなってるんでしょうか? このまま精神病が進行するのでしょうか?」

「おれに訊かれてもねえ?」

 伯爵がすがるような目をおれに向けた。

「私はどうすればいいのかわかりません。どうすればいいんでしょう? 弟の言うとおり医者にかかるべきでしょうか?」

 おれにだってどうすればいいのかわからない。

 そこでキャロラインが口をはさんだ。

「ねえ伯爵。この一年でほかに不思議なことは起きなかった?」

 伯爵がキャロラインの顔を見つめた。

 十二歳の少年にしか見えないはずだ。

 おれの弟だと思ったかもしれない。

「この一年で不思議なこと? 人形以外で?」

「そう。ささいなことでもいいんだ。妙だなと思ったことはなかった?」

 伯爵が思い出す顔になった。

「そう言えばね。去年に近所の犬が十匹死んだよ。とつぜんバタバタと連続して死んだんだ。犬の伝染病かなと思ったけどそれ以降は死ななかった。犬の飼い主たちはみんな悲しんでたよ」

「その犬たちはペットだったの?」

「ペットもいたし、番犬もいたよ」

「その犬たちは家の外につながれてた?」

「犬小屋にいたんじゃないかな? 庭で放し飼いになってた犬もいたよ」

「ふむふむ。ほかに妙な出来事ってなかった?」

「ああ。そうだ。うちに泥棒が入ったんだ」

「なにを盗られたわけ?」

「それがさ。妙なことに銀食器だけを盗んでった。黄金のナイフやフォークもあったのに銀食器だけを盗ってったよ。現金や宝石も盗まれなかった」

「銀食器だけを?」

「そう。ナイフ・フォーク・スプーンをね」

「それは犬が死んだ前? それともあと?」

「ええと。犬が死ぬ前だよ。うちも泥棒よけに番犬を飼おうかって話してるあとで犬が連続して死んだんだ」

「銀食器を盗まれたあとで銀食器を買い直した?」

「いいや。鉄の食器や黄金の食器があったから買い直さなかったよ」

「ふむ」

 キャロラインが考えこんで口をとじた。

 おれはキャロラインに代わってたずねた。

「おれになにをしろと?」

「私がどうすればいいのか教えてくれませんか? ここは相談所でしょう? 相談に乗ってくださいよ? 私はどうすればいいんでしょう?」

 えええっとおれは悩んだ。

 どんな助言をすればいいんだ?

「楽しいことをして気をまぎらわすとか?」

「やってみました。でも頭から離れないんです。なにをしててもうしろが気になります。夜は廊下をコツコツと小さなものが歩く音が聞こえる気がするんです。窓のある部屋が怖くてしかたがないんですよ」

 キャロラインが口を開いた。

「伯爵。屋敷を見せてよ」

「えっ。いいけどね。なにか気づいたことでも?」

「屋敷を見なきゃわからないよ。とにかくそれからだね」

 おれたちはアポン街にあるアーベル伯爵家に向かった。

 馬車の中でルイーズがキャロラインに顔を向けた。

「そういや最近さ。うちの家にネズミが住みついたの。キャロ。いいネズミ対策ってないかなあ?」

 キャロラインが首をかしげた。

「ボクの家はネズミがいないんでよくわからないよ。ネコでも飼ったら?」

 アーベル伯爵が身を乗り出した。

「ネコじゃだめだよ。ネコいらずを使えば?」

 ルイーズが伯爵に顔を向けた。

「ネコいらず?」

「そう。殺鼠剤だね。銀鉱山から産出した銀を精錬するさいにさ。毒性のある物質が取れるんだ。それが殺鼠剤として売られてる。よく効くよ。うちもネズミ退治に使ったことがある」

 キャロラインがうなずいた。

「なるほど。殺鼠剤か。ヒ素だね。無味無臭で水に溶けやすい。人間にも効く毒薬だ」

 伯爵がキャロラインの顔を見た。

「そうなのかい?」

「そうだよ。ヒ素の毒性はきわめて強い。子どもがあやまって食べれば死んじゃうよ。おとなでもごく少量で簡単に死ぬ。絵の具にもふくまれてて慢性中毒を起こしたりする。昔の画家に失明や肝臓病が多いのは慢性ヒ素中毒だと類推されてる」

「慢性中毒になるとどうなるんだい? 死なないのかい?」

「急死はしないよ。でもゆっくりと身体が弱ってく。精神が錯乱したり、下痢や嘔吐がつづいて内臓疾患が多発する。皮膚病にも冒されて最終的には死にいたる。自然死なのか中毒死なのか見分けがつかない。だから取りあつかいには注意が必要な物質だね」

「そうなんだ。知らなかったよ」

 ルイーズが考え顔になった。

 そんなあぶないものを使っていいのかと思案する顔だった。

 アーベル伯爵の屋敷はロの字型の構造だった。

 木造の二階建てで中庭を取りかこんで建物がある。

 円柱のある廊下は中庭に面していて屋敷のどこからでも中庭に出られる。

 玄関を入ると吹き抜けの大広間だった。

 奥の左右の壁に二階へと通じる階段があった。

 執事と八人のメイドがむかえてくれた。

「執事のチャールズ・テッセンとメイド長のクララ・ヒューズだよ」

 伯爵がそう紹介してくれた。

 執事もメイド長も四十歳くらいだった。

 どちらも有能そうですきのない身のこなしだった。

「クララ。お客さまにお茶を」

「はい。旦那さま」

 おれたちは伯爵の案内で応接室に通された。

 屋敷の正面は大広間がしめていて右の棟が厨房などの使用人のための施設になっていた。

 左がわが執務室や遊戯室といった伯爵家族のプライベートエリアだった。

 応接室は執務室のとなりにあった。

 おれたちが長いすにすわるとメイド長のクララが三人のメイドとともにあらわれた。

 キッチンワゴンにお茶のセットを乗せていた。

 メイド長をふくめた四人がてきぱきとおれたちにお茶をいれてくれた。

 伯爵はびくびくと背後の窓を気にしていた。

 窓の外には庭しかない。

 キャロラインがクッキーをほうばった。

「庭を見せてもらいたいんだけどね。いいかな?」

 伯爵がうなずいた。

 おれたちはお茶を飲み終わると庭に出た。

 中庭とちがって庭には玄関と厨房と裏口からしか出られない構造になっていた。

 庭の木はきれいに刈りこまれて灌木のしげみも丸く刈られていた。

 大きな庭石や石膏の裸婦像などがところどころに置かれていた。

 池には魚がおよいでいた。

 キャロラインが執務室の前で足をとめた。

 窓からのぞく執務室には大きな机が見える。

「ねえ伯爵。この窓に人形がいたんだよね? 人形は宙に浮いてたの?」

 窓はおれの腰から頭のてっぺんまでが板ガラスになっていた。

 人形の背の高さでは地面に立っていたら姿は見えないはずだ。

「そうだねえ。宙に浮いてたみたいだ。窓ガラスごしに全身が見えたよ」

 キャロラインが思案した。

「じゃ執務室の上の部屋はなんなの? 客室?」

「そう。客室になってるよ」

「お客さんはいないの?」

「いないね」

「あやしい人形を買ったあとでその客室を使った?」

「いいや。使ってないよ。その客室は貴賓室になってて私より上位の貴族を泊める部屋なんだ。私の友だちは屋敷のいちばん奥の棟に泊めることになってる。だから執務室の上の部屋は何年も使ってないよ」

「その部屋はいつもカギがかかってるの?」

「かかってないよ。この屋敷でカギのかかってる部屋はないね。私の寝室もカギがかかるけどカギをかけたことはないよ。王都は治安がいいからね」

「でも銀食器を盗まれたわけでしょ?」

「ああ。それねえ。たしかにそうなんだよ。レンガの壁からつながってる門にかんぬきはかかるんだけどさ。厨房は勝手口があってそこにカギをかける習慣がないんだ。壁を乗りこえれば厨房から屋敷に入るのはたやすいんでねえ。泥棒よけの対策はないにひとしいんだよ」

「不用心だね」

「そう言われるとひと言もないね。けど泥棒になんて入られたことがなかったからなあ」

 キャロラインが執務室の前を離れた。

 遊戯室で足をとめて遊戯室をのぞきこんだ。

 遊戯室の窓も執務室と同じ高さに窓を切ってあった。

 遊戯室には玉突き台とカードテーブルがすえられていた。

 玉を突いている男がいて窓の外のおれたちに気づいた。

 男が窓をあけた。

「やあ兄さん。お客さんかい?」

 伯爵が男を紹介した。

「弟のトーマスだよ。二十三歳」

 トーマスは快活な笑顔の青年だった。

 兄と顔は似ていない。

 性格も兄より明るそうだ。

 おれはトーマスに人形のことを訊こうと口を開いた。

 だがその口をキャロラインの手がふさいだ。

「トーマスさんは銀食器の盗難についておぼえてる?」

「ああ。おぼえてるよ。それが?」

「その銀食器ってかざり物だったの?」

「いいや。ふだんに使ってたよ」

「新しい品だった?」

「ちがうな。いつからあるのか知らないほど古いものだ。五十年以上前のじゃないかな?」

「それじゃ古びてすりへってたでしょ?」

「そうだな。年季が入ってたよ。ナイフなんか肉を切るのに苦労するほどだった」

「何本くらいあったの?」

「わからないけど百本ほどあったんじゃないかな? 使用人たちも日常にその銀食器を使ってたからね」

「ふうん。犯人に心あたりは?」

「まるでないね。銀食器に特別な想いを抱いてるやつだったんじゃないかい? カネも宝石も盗んで行かなかったからね」

「きれいな銀食器だったの?」

「きれいと言うか。持ち手のところに装飾がされてた。ライオンが浮き彫りになってたよ」

「その装飾って外部の人が知ってた?」

「いや。知らないんじゃないかな? 銀食器は家族と使用人が使うだけだった。来客用には黄金のナイフやフォークを出すことになってた」

「あなたのお友だちでも?」

「そう。客にはすべて黄金の食器だったよ。なにしろその銀食器は見るからに使い古しだったからね」

「なるほど。どうもありがとう。ところでね。その玉をそのまま突くと手玉が穴に落ちるよ」

「はあ? ウソだろ?」

「じゃ突いてみれば?」

 トーマスが首をかしげながら玉突き台にもどった。

 突き棒をにぎって玉を突いた。

 的玉が穴に落ちたものの手玉も吸いこまれるように穴に落下した。

「あちゃあっ!」

 キャロラインが遊戯室を離れた。

 おれはキャロラインの肩をつかみとめた。

「どうして人形について聞かないんだよ?」

「まあまあ。きょうはボクに質問させてよ」

 キャロラインはそう言うと庭の植えこみまでのぞきこんで庭のすみずみまでしらべた。

 だが人形はおろかあやしい点はどこにもなかった。

 キャロラインが厨房の勝手口から厨房に入った。

 料理長らしい男が五人の助手にさしずしていた。

 調理台の上に魚やカニが山とつまれていた。

 夕食のメニューは魚介類のスープらしい。

 キャロラインが壁につけられた食器棚の前に立った。

 上半分が棚で皿やコーヒーカップがならんでいた。

 下が引き出しになっていた。

 その引き出しの中にナイフやフォークが入っているのだろう。

 料理長がおれたちに気づいた。

「なにか用ですかい伯爵?」

 キャロラインが料理長を見あげた。

 料理長は背の高い五十台の男だった。

 がんこそうな顔をしていた。

「盗まれた銀食器ってこの引き出しに入ってたの?」

 料理長がキャロラインを見おろした。

「そうだが?」

「黄金の食器ってのもここ?」

「ああ。いちばん上が黄金の食器だ。二番目に銀食器が入ってた。三番目が鉄の食器だ」

 料理長が引き出しをあけて説明した。

 一番目の引き出しはキラキラ輝くナイフやフォークが収まっていた。

 二番目の引き出しはカラだった。

 三番目の引き出しはにぶい色の食器がつまっていた。

「銀食器の盗難に気づいたのは誰だったの?」

「おれだ。朝に厨房に入ると引き出しがあけっぱなしになってた。おかしいなと思って中をのぞくとからっぽになってた」

「全部の引き出しがあけっぱなしになってたの?」

「いいや。二番目の引き出しだけだ」

「ふうん。警察には知らせた?」

「執事のチャールズが知らせたよ。刑事が来て捜査して行った。でも犯人は捕まってねえ」

「銀食器がなくなって不便になった?」

「いや。まったく不便じゃねえよ。かえって肉が切りやすくなった」

「肉を切りやすくするために銀食器をすべて盗んだのかな?」

「まさか。そんなやつはいねえだろ?」

「じゃなんで盗んだんだろね?」

「カネのためじゃねえか?」

「おカネのためなら黄金の食器も盗むべきじゃない?」

「黄金の食器はめずらしいんだよ。売りさばくと足がつく。それにくらべて銀食器はありふれてる。売っても足はつかねえさ」

「なるほど。安くしか売れないけど身の安全を重視したってことか」

 キャロラインが応接室にもどった。

「伯爵。執事さんを呼んでもらえる?」

 すぐに伯爵が執事のチャールズ・テッセンを連れて来た。

「執事さんは銀食器の数をおぼえてる?」

「はい。ナイフとフォークとスプーンが四十セットの百二十本ありました」

「盗難の前にかぞえてたの?」

「盗難の直前ではありません。年に一回かぞえるだけです。新年があけてから屋敷の備品をすべて点検します。そのときにかぞえました」

「売りに出すとすればいくらで売れるかな?」

「新品なら店で金貨四十枚くらいの品です。でも売るとなると百二十本でも金貨四枚が精一杯ではないでしょうか?」

「そうだよねえ。危険をおかして盗むほどの品じゃないと思うね。じゃさ。戸じまりとかは考えてなかったの?」

「門をかんぬきでとじるのは毎晩してました。でも屋敷の戸にカギはかけてませんでしたよ」

「それはなんで?」

「王都は治安がいいのがひとつ。もうひとつはカネ目のものは二階にあるからです。いちばん価値が高い現金と宝石は旦那さまの寝室にあります。私ども使用人の財布も二階の部屋です。泥棒が二階まで来れば誰かが気づきますよ。まさか一階の厨房に泥棒が入るなんて考えてもみませんでした」

「なるほど。一階に貴重品は置いてないと。ありがとう。次にメイド長さんを呼んでくれる?」

 執事が出て行きメイド長のクララ・ヒューズが入室して来た。

「クララさんは銀食器が盗まれてメイドたち全員の持ち物検査をした?」

 メイド長がキャロラインをにらみつけた。

「わたしたちメイドをうたがってるんですか?」

「うたがってないけどね。責任者としてはしたかなと」

「わたしはしませんでしたよ。部下たちをうたがうなんてとんでもない。でも警察はしらべました。わたしの下着まで引っぱり出して徹底的にしらべあげましたよ」

「けど誰の荷物からも出て来なかった?」

「あたりまえでしょう? わたしたち使用人がそんなまねをするはずがありませんよ。そもそもあんな銀食器を盗ってどうするんです? 売っても二束三文ですよ? わたしたちは月に金貨十八枚をもらってます。どうしてはしたガネのために職をふいにするんですか」

「ふむふむ。それはそうだね。じゃ泥棒に入られたのに屋敷にカギはかけないままになってる。そこに不安はないの?」

「ありました。カギをかけないのは伯爵の方針なのでしかたがないんです。でも番犬を飼おうと言いましたよ」

「なんで飼わなかったの?」

「そのころ近所の犬が相次いで死んだんです。犬の伝染病じゃないかって話になりましてね。伝染病がはやってる中で犬を購入してもむだになるって見合わせたんです。それでそのまま立ち消えに」

「なるほど。じゃね。銀食器が盗まれたあとであらたに銀食器を買おうと提案しなかったの?」

「しませんでした」

「それはなぜ?」

「鉄の食器があったからですわ。もともと鉄の食器は銀食器のナイフが切れなくなったので購入したんです。ですから鉄の食器を使えばなんの問題もありません」

「じゃ鉄の食器を使わないで銀食器を使ってたのはどうして? ナイフが切れないんでしょ?」

「見ばえがいいからですよ。銀のほうがピカピカ光ってきれいじゃないですか。同じ料理を食べてもきれいなナイフとフォークでは味がちがうように感じます」

「ふうむ。ありがとう。次はメイドさんたちをひとりずつ寄越してくれない?」

 メイド長が出て行って替わりにメイドが入って来た。

 二十五歳くらいの女だ。

「アマンダ・ノーマンです。あたしになんの用ですか?」

「伯爵の弟のトーマスさんってどんな人?」

「トーマスさんですか?」

 アマンダが伯爵をうかがった。

 兄の前で弟のことは言いづらいらしい。

 伯爵が気をきかせて出て行った。

「あらためて訊くよ。トーマスさんについて聞かせてね。トーマスさんって遊び人?」

「えーとですね。以前はそうでした」

「以前は?」

「はい。ご両親が亡くなる前は仕事もしないで遊び歩いてました。あたしたちにもちょっかいをかけて深い関係になったメイドもいたと思います。でもご両親が亡くなって心を入れ替えたみたいです。すっかり真面目になって旦那さまの仕事も手伝うようになりましたわ」

「じゃ旦那さんのアーベル伯爵はどんな人?」

「旦那さまはおかたい人ですよ。女好きでもありませんし、仕事も一生懸命になされてます」

「玉突きやカードは好き?」

「好きだと思いますけど外で遊んではないですよ。友人がやって来るとつき合うといったところですかね? マーカスさんとはよく玉突きをしてますけど」

「アーベル伯爵は仕事がいそがしいの?」

「はい。たいてい一日中書類仕事をなさってます。領地が広いせいで雑用がいっぱいあるみたいです」

「アーベル伯爵のご飯はどうしてるの? 使用人といっしょに食べるわけ?」

「まさか。そんなわけないでしょ? メイド長がはこんでますよ。執務室や寝室にね」

「じゃマーカスさんの食事も?」

「はい。あたしたちが交代でマーカスさんの自室や執務室に運んでます」

「執事さんは?」

「あたしたちといっしょに食べます。旦那さまとマーカスさんといっしょに執務室で食べることもありますよ」

「アーベル伯爵とマーカスさんは仲がいい?」

「ええ。いいですね。ケンカしてるのを見たことはありません。ご両親が亡くなる前は苦言をていしてらしたんです。でも亡くなったあとはそれもなくなりました」

「苦言をていするって働けってこと?」

「そうです。真面目に仕事をしろってよくおっしゃってました」

「マーカスさんはどう答えてたの?」

「無視してましたわ。ぷいっと顔をそむけてそれっきり」

「アーベル伯爵はしからなかったの?」

「悲しそうな顔をなさってました。旦那さまは人をしかるのがおきらいみたいです。あたしたちもしかられたことはありません」

「ふうむ。じゃ人形を見たことはない?」

「人形ですか? 旦那さまのお母さまの部屋が人形で埋まってますけど?」    

「頭が陶磁器の人形なんだけど?」

「さあ? 頭が陶磁器の人形もいっぱいありますよ?」

「ありがとう。じゃ次の人と交代してくれる?」

 その後もキャロラインがメイドたちに質問をした。

 だがアマンダ・ノーマンと同じ答えしか返らなかった。

 御者や庭師にも質問をしたがやはりかわりばえのしない答えだった。

 使用人たちからの聞き取りを終えるとキャロラインが伯爵に二階を見せてくれと要求した。

 おれたちは伯爵の案内で二階に行った。

「ここが私の寝室だよ」

 長いすがあり、ベッドがあり、タンスがあるふつうの寝室だった。

 机には筆記用具が置いてあった。

 キャロラインが見回すが特に変わった点はない。

 伯爵の寝室から母親の部屋へと移った。

 戸をあけてびっくりした。

 部屋中が人形だらけだ。

 右も左も人形でいっぱいだった。

 ベッドの上まで人形に占領されていた。

 足の踏み場もないほどの人形だった。

 キャロラインが伯爵の顔を見た。

「この中に問題の人形はないんだね?」

「ないよ。私も気になって捜してみた。でもあの人形はなかった」

「そう。伯爵は何時に寝るの?」

「午後九時くらいかな? あの人形を買う前はもっとおそくまで起きてたんだけどね。このごろは怖くて早くベッドに入るんだ。本当は日没とともに寝たいけど書類仕事があるからね。どうしても九時くらいになる」

「わかった。じゃどうしよう? ボクらに依頼する?」

 伯爵がいぶかしげな顔になった。

「依頼するとどうなるのかな?」

「人形を弓矢で射殺す」

「はあ? 人形を弓で殺すのかい? そんなことができるのかね? そもそも生きてないぞ?」

「生きてるか死んでるかは知らないけどね。動きをとめてあげる」

 伯爵がキャロラインの手をにぎった。

「それが本当ならぜひおねがいしたい! たのむ! あの人形をしとめてくれ! 怖くて夜もろくすっぽ眠れないんだ!」

「じゃ相談料が一日あたり銀貨十枚だよ。何日かかるかはわからない」

「かまわないよ。依頼しよう」

「わかった。ボクらは庭に隠れて人形が来るのを待つ。伯爵は執務室で午後九時まで仕事をしててよ。ボクらは夜にまぎれてこっそり侵入する。だから門のかんぬきははずしといてね」

「ふむ。門のかんぬきをはずすんだな?」

「そう。ボクらは執務室の窓を見張るからね。ふだんどおりに行動してボクらを捜さないこと。人形をおびき出すんだからさ。いいね?」

「ああ。了解だ」

 屋敷を出たおれはキャロラインをふり向いた。   

「なあキャロ。どうして人形のことを訊かずに銀食器ばかりを訊いたんだ? 銀食器が重要なのか?」

「重要だよ。銀食器はね。ネコいらずにふれると黒く変色するんだ」

「はあ? ネコいらず? なんだそれ?」

「わかんなきゃいいよ。あとでちゃんと説明したげる。それよりさ。ダグの知り合いの冒険者に弓の名手はいない?」

「何人かいるがそれが?」

「一日に銀貨五枚で雇えるかな?」

「大丈夫だと思うが?」

「じゃ雇ってよ」

「いいぜ。冒険者ギルドに行こう」

 馬車で冒険者ギルドに向かった。

 ちょうど夕暮れどきで仕事を終えた冒険者たちでにぎわっていた。

 おれはデッカー・ウエザビーを見つけた。

 デッカーはがっしりとした体格の三十男だ。

 力自慢でもある。

「デッカー。話があるんだが?」

 デッカーがジョッキをかかげておれを見た。

「おうダグ。ひさしぶりだな。話ってなんだ?」

「おまえ一日に銀貨五枚で雇われてくれないか?」

「いいぜ。どんな仕事だい?」

「人形を弓で射殺すんだ」

 デッカーのあごがガクンとさがった。

「はあ? 人形を?」

「そう。人形をだ」

「弓で?」

「ああ。弓でだよ」

「射殺す?」

「そのとおり。射殺すんだ」

「正気かダグ?」

「正気だ。引き受けてくれるか?」

「どう考えてもおかしいがな。おまえがそう言うんならそうなんだろう。引き受けよう」

 キャロラインがそのときコンスタンツェをふり向いた。

「コンスタンツェは弓の腕ってどうなの?」

 コンスタンツェが答えた。

「人なみには」

 コンスタンツェなら弓の腕もたしかだろうとおれも気づいた。 

 おれたちは弓矢を用意してアーベル伯爵の屋敷に向かった。

 馬車の中でキャロラインがデッカーとコンスタンツェに耳打ちをした。

 最後がもれ聞こえた。

「なるべく殺さないでね」

 射殺すんじゃないのかとおれは不思議だった。

 人形を生け捕りにするんだろうか?

 おれたちは庭に侵入して灌木の影に身をひそめた。

 執務室の窓から目を離さなかった。

 執務室の中では伯爵と弟と執事が書類仕事をしていた。

 伯爵はビクビクと背後の窓を気にしてふり返っていた。

 その夜はなにも起こらなかった。

 伯爵が寝たのでおれたちも屋敷を出た。

 デッカーとわかれておれたちは相談所にもどった。

 キャロラインとルイーズとコンスタンツェは家に帰らなかった。

 翌朝にコンスタンツェが朝食を作った。

 たしょう気まずかった。

 だがそれだけだ。

 学園時代からつるんでいたからかふだんと変わらなかった。

 四人で朝メシを食うのもいつもどおりだった。

 結婚してもたいして変わらないかもしれないとおれは思った。

 コンスタンツェとまで結婚しなければならないとは思いもよらなかったが。

 その夜は小雨が降ってカミナリが光っていた。

 おれたちは灌木に隠れて待った。

 執務室の中では伯爵と執事がメイド長の持って来たコーヒーを飲んでいた。

 カミナリが鳴ってあたりが青白く光った。

 そのときだ。

 執務室の窓にスルスルと人形がおりて来た。

「うわあっ! 人形だっ! 人形がいるっ!」

 執務室で伯爵の叫び声があがった。

 それと同時にデッカーとコンスタンツェが矢を放った。

 二本の矢が屋敷に飛んだ。

 ゴロゴロドーンとカミナリが白光をほとばしらせた。

 光の中を飛ぶ二本の矢は人形にあたらなかった。

 執務室の上の部屋の窓にいる人影に命中した。

「ぐああっ!」

 人影がもんどり打って二階から庭に落下した。

 ドンッと地面がゆれた。

 人影が苦しげにうめいた。

 近づくとトーマスだった。

 伯爵の弟だ。

 左右の肩に矢が刺さって血が出ていた。

 腰を強打したのか身動きが取れないらしい。

 おれは首をかしげた。

 どうしてトーマスに矢が刺さっているのか?

 トーマスのわきには人形がころがっていた。

 怒った顔をしていた。

 音に気づいたのか伯爵と執事とメイド長が玄関から走って来た。

 デッカーとコンスタンツェが執事とメイド長をはがいじめにした。

「ダグ! そのふたりをなわで縛って!」

 えっとおれはキャロラインの顔を見た。

 真剣な表情だった。

 おれはわけがわからないままなわを出して執事とメイド長を拘束した。

 そのあとトーマスも縛りあげた。

 トーマスは足も折れたみたいで立てなかった。

 伯爵が人形を拾いあげた。

 人形には黒い糸がついていた。

 その糸で二階から吊っていたようだ。

 メイドを王都警察に走らせてレスター警部に来てもらった。

「レスター警部。トーマス・アーベル。チャールズ・テッセン。クララ・ヒューズ。この三人をアーベル伯爵の殺人未遂罪で逮捕してよ」

 キャロラインの告発にレスター警部が目を丸くした。

「どういうことなんだ子爵?」

 おれもわけがわからない。

「とにかくこの三人を留置場にぶちこんでね。話はそのあとだよ」

 レスター警部が首をひねりながら部下に指示をした。

 トーマスには警察医も呼ばれた。

 おれたちは応接室に落ち着いた。

 七人のメイドが酒をついでくれた。

 キャロラインがワイングラスを手に持った。

「まずね。トーマスたち三人は伯爵を殺そうとたくらんだんだ。それで銀食器を盗んだ」

 おれは眉を寄せた。

「なんで伯爵を殺そうとして銀食器を盗むんだ? ぜんぜんわからないぞ?」

「銀食器はネコいらずと反応して黒く変色するからだよ。トーマスたちは伯爵にネコいらずを盛るつもりだったんだ。料理にネコいらずを入れるよね? その料理に銀のスプーンを突っこんだら黒くなっちゃうんだ。誰だっておかしいと思うだろ?」

「なるほど。伯爵を毒殺しようとしたわけか?」

「そう。ヒ素のふくまれるネコいらずを使ってね。ネコいらずと反応する銀食器が邪魔だから盗んだんだよ。だけど致死量がわからなかった」

「それ猛毒だって言わなかったか? わずかな量でも死ぬって?」

「そのとおり。ごく少量で死ぬ。でも一度の投薬で死なれるとまずいんだ」

「どうして?」

「警察が見れば毒殺だとひと目でバレるからさ。毒殺だとなれば犯人捜しがはじまる。伯爵を毒殺して最も得をするのは弟のトーマスだよ。伯爵位を継げるからね。だから伯爵を慢性中毒にしようと考えた。ヒ素の慢性中毒は病気と区別がつかない。警察が見ても病死だと思う。ところがだ」

「ところが?」

「慢性中毒を起こす量が不明だった。急性中毒の場合はスプーンにいっぱいも盛ればほぼ確実だ。でも慢性中毒にする量がわからない。入れすぎれば数分で死ぬわけだからね。生かさず殺さずのさじかげんがまるでつかめない。どんな書物にも書いてないからさ。そこでトーマスたちは考えた。実験をしようと」

「実験?」

「そう。人間で実験するわけにはいかない。だから動物を使った。つまり犬さ」

「ああ。十匹が連続して死んだってあれか?」

「うん。おそらく量を変えて盛ったんだろうさ。でもことごとく急死した。それでヒ素を使うのをあきらめたんだ。ごく少量でも犬が死んだ。人間もごく少量で急死するかもしれない。毒殺だとバレると自分たちも縛り首だ。そんな危険はおかせないとね。次に考えたのが人形だよ」

「人形? 人形で伯爵を殺すのか?」

「そのとおりさ。最初に人形を三体作った。顔の表情だけを変えて同じ人形を三体ね。それの一体を伯爵に売りつけた」

「伯爵は売りに来た男が知り合いじゃないと言ったぞ? どこからそんな男を見つけたんだ?」

「酒場にいた男でもそそのかしたんだろうさ。この人形をアーベル伯爵家に持ちこめばカネになるってね。男が売りに来なければ別の男を捜せばいいだけだよ。人形はいくらでも作れる」

「なるほど」

「ぶじに伯爵が人形を買い取った。次に伯爵に眠り薬を盛る。伯爵が寝てるうちに人形の位置を変える。伯爵が起きるころあいを見はからって異音を立てる」

「おい。なんで伯爵が起きる時間がわかるんだ?」

「それはわかるさ。眠り薬は自分たちが飲んで実験すればいい。どのくらいの時間で効果が切れるのかってね。毒じゃないんだ。適量の眠り薬では死なないよ」

「そりゃそうか」

「二時間ていど寝るだけの眠り薬なら頭痛なども起きない。伯爵は眠り薬が盛られたとは思わないさ。伯爵は妙な音で目ざめる。それとともに人形の位置が変わってることも気づく。妙な音と人形の位置が変わったことをむすびつけて人形が自発的に動いたと思いこむ」

「ううむ。音を立てる前に人形を移動させてたのか。暗闇では人形が見えないものな」

「うん。そういうことをつづけると伯爵が人形をお母さんの部屋に入れた。トーマスたちは夜中に伯爵の部屋の戸を人形の手でたたいて人形を戸の前に立たせておけばよかった。伯爵は人形が歩いて部屋の前まで来たとふるえあがってくれる」

「ちょっと待てよ。どうして伯爵が人形をお母さんの部屋に入れたとわかる? 伯爵がそんなことを誰かに言うはずがないぞ?」

「相手は三人いるんだよ? 伯爵が執務中に伯爵の部屋をのぞけばいいじゃない? 人形がなければどこにやったのか捜せばいいんだ。屋敷のどこにもなくても残り二体の予備がある。捨てたはずの人形が真夜中に部屋の前で立ってるほうがよほど気味が悪いよ」

「たしかにな」

「伯爵が恐怖に駆られて人形をこわす。次は二階から黒い糸で吊った第二の人形を窓の外におろせばいい。人形を窓にあてて音を立てる。伯爵は窓を見る。人形を吊ってる黒い糸は見えない。人形だけがカミナリの光で浮かびあがる。伯爵は恐怖に悲鳴をあげる」

「伯爵がおびえるってのはわかる。だがそれがどうして伯爵を殺すことにつながるんだ?」

「伯爵は窓の外に人形がいるのを見てる。だけどいっしょにいる執事やメイド長には人形が見えてない。伯爵だけにしか人形が見えない。そうなると伯爵は自分の正気をうたがう。トーマスのすすめどおりに医者に行く。伯爵は言う。夜中に人形が歩いて私の部屋まで来るんですと。医者はどう診断する?」

「伯爵が精神を病んでる?」

「そう。医者はいきなり入院はさせない。心をしずめてゆっくり寝なさいと眠り薬をくれるだろうさ。そうしてるうちにもまた人形が出現する。伯爵がどんなに人形がいると言っても周囲は人形なんかいないと否定する。伯爵はどんどん追いつめられる。誰の目にも伯爵が挙動不審になったら殺人の決行だよ」

「殺人の決行?」

「うん。首吊り自殺に見せかけて絞殺するとかね。高い建物から突き落とすとかすればいい。心を病んだ人が突発的に自殺したとしか警察は判断しないだろう。医者も証言してくれるからさ。患者は人形におびえてましたとね」

「完全犯罪の成立?」

「だと思うよ」

「なあキャロ。どこでそんなことに気づいたんだ? 最初はおまえたちもビビってたじゃないか?」

「そうだよ。でもね。最初に人形が窓の外にあらわれたとき伯爵は人形を見てた。いっしょにいる執事と弟も見えてるはずだった。だけど執事と弟は人形なんかいないと言った。そこで考えられる可能性は三つだよ。ひとつ目は伯爵の見まちがい。ふたつ目は伯爵がウソをついた。三つ目は執事と弟がウソをついてる」

「おまえは執事と弟がウソをついてると思ったのか?」

「ちょっとちがう。伯爵の見まちがいだとボクらの仕事じゃない。伯爵は目医者に行くべきだ。伯爵がウソをついてる場合と執事と弟がウソをついてる場合はボクらの仕事だよ。つまり伯爵か執事と弟、そのどちらか一方がウソをついてるとボクらの出番だ」

「それを見やぶるのがおれたちの仕事ってか?」

「そう。伯爵がウソをついてるとどうなるか? 他人の関心を引きたいがためにウソをつく人もいる。その場合はお話につき合ってやればいい。自分が注目されてると思えば満足するからね。相談所なんだから相談を聞いてあげるだけでいい。問題の解決なんて必要ない」

「つまり問題の解決が必要な場合を考えた?」

「うん。ボクらが問題を解決しなければならないのは執事と弟がウソをついてるときだけだよ。では執事と弟はなぜウソをつかねばならなかったか? 人形が見えてるくせにどうして人形がいないと言ったのか? その答えがわからなかった」

「で。いつわかったんだ?」

「次に人形があらわれたときは弟とメイド長が人形などいないと言った。その次は執事とメイド長がやはり人形はいないと否定した。伯爵はウソをついてないと仮定した。すると三人もウソをつく者があらわれたことになる。三人もウソをつくなんておかしいじゃないか? そう考えた。三人ともウソつきってどういうことだろうってね。答えは簡単だった」

「三人がグル?」

「そう。三人が共謀してる。それ以外に三人ともウソをつく場合がわからなかった。そうなると人形があらわれたときにその三人が同時にいないと気づいた。最初は執事と弟だけだ。次は弟とメイド長。その次は執事とメイド長。誰かひとりがいつも欠けてる」

「つまり欠けてるひとりが人形を窓の外であやつってる?」

「そのとおり。ではなんのためにそんな芝居をするか? 伯爵を精神的に追いつめるためだよ。そこで銀食器の盗難と犬の死がむすびついた」

「伯爵を殺そうとした試行錯誤だとかい?」

「うん。そもそも人形が自分で動く場合はボクらの仕事じゃないよ。教会でお祓いをしてもらうべきだ。ボクらが解決しなきゃならないのは誰かの作為のときだけさ。それで人形が自分で動かない場合を考えた」

「誰かがあやつってると?」

「そう。窓の外から人形を持ちあげるか二階から糸で吊るすかだと踏んだんだ。どちらにせよ庭で見張ればいいとね」

「そこでそのあやつり手を弓で攻撃しようと?」

「手傷をあたえれば逃げにくいだろうと思ってね。闇にまぎれて逃げられても矢傷がついてればそれが動かぬ証拠になる」

「なるほど。だが弟のトーマスは両親が死んだあと改心したってメイドが言ってたぞ?」

「兄を殺すためにネコをかぶってただけだよ。素行が悪いままだと兄を殺したあとでうたがわれるじゃない? 兄とケンカばかりしてたら警察が自殺じゃなくて殺人ではと思うものね」

 うーんとおれはうなった。

 タネあかしをされるとよくわかる。

 だが同じものを見ているはずなのになぜおれにはわからなかったのか?

 おれとキャロラインでどこがちがうんだろう?

 警察がそのあと家捜しをして二体の人形を見つけた。

 笑顔と怒り顔の人形だ。

 レスター警部が執事とメイド長のコンビの余罪をしらべたけっか過去にも主人を殺しているうたがいがあった。

 レスター警部が一計を案じたらメイド長が白状をした。

 執事がしゃべったぞとウソをついたわけだ。

 自分ひとりに罪を着せられてたまるかと執事と共謀した事実を吐露した。

 さらに追求すると弟のトーマスとの三人で先代の伯爵夫妻を崖から突き落としたことも白状した。

 トーマスだけが縛り首をのがれるのはずるいと。

 執事が首謀者でトーマスをそそのかしたらしい。

 おれは思う。

 首尾よく伯爵を自殺に見せかけて殺していればどうなったか?

 トーマスが伯爵になる。

 だがそのあとでトーマスも執事たちに殺されるだろう。

 執事とメイド長は伯爵家の財産を乗っ取る。

 そこで仲間われをしてどちらかが殺される。

 残ったひとりはぶじに寿命をまっとうできるだろうか?

 さらに欲を出してしくじって縛り首になるのではないか?

 トーマスと執事とメイド長は留置場で人形が来たと言いはじめたらしい。

 警官たちには見えない人形が見えると。

 もはやおれたちの出番はない。

 教会にたのんでくれ。

 それは相談所の仕事ではない。


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