第五話 ランタンの扉盗難事件
その日は日曜日だった。
相談所は日曜は休日だ。
玄関の戸に本日休業のふだをかけてある。
それでもやって来るやつがいる。
おれは戸をたたく音に玄関をあけた。
キャロラインが立っていた。
なにやら大きなカバンをさげていた。
キャロラインもルイーズも日曜でも関係なく遊びに来る。
キャロラインが大きなカバンを長いすに運んだ。
「キャロ。おまえ子爵としての仕事はいいのか?」
「執事のセバスチャンにまかせてあるよ。セバスチャンは有能だからすべてまかせて大丈夫」
たしかにセバスチャンならなんでもこなせるか。
セバスチャンは代々のワーグナー家に仕える執事の家に育った。
ワーグナー家の一員と言っていい執事だ。
有能だが腕力や戦闘力がないのが玉にきずだった。
「で。その大きな荷物はなんなんだ?」
「前回で侯爵が芸術家を後援してるって言ってたろ? ボクもひさしぶりに絵を描いてみようかって思ってね」
「絵? おまえ絵を描けるの?」
「まあね。それでさ。ダグにモデルをたのみたいんだけど。だめ?」
おれはキャロラインの顔を見た。
期待に目がキラキラしていた。
ことわれば悲しむだろう。
「いいよ。でもおれはモデルなんかやったことないぞ?」
「ダグは立ってるだけでいいんだよ。じゃぬいで」
「えっ? ぬぐ?」
「そうだよ。ほらほら服をぜんぶぬいじゃって」
キャロラインがおれの部屋着をぬがしはじめた。
「やめろよキャロ」
「だーめ」
キャロラインがおれの服をはいだ。
おれはパンツ一枚になった。
キャロラインがおれのパンツに手をかけた。
「キャロ。それだけは残してくれよぉ」
「ちょっとダグ。パンツをはいた男が芸術になると思ってんの? どこの世界の裸婦像がパンツをはいてるのさ? ほら。さっさとぬげ」
「わーっ。やめてくれぇ。モデルなんかことわるっ。もうやめだっ」
「こら。男が一度言ったことを撤回するわけ? 男らしくないぞ。えいっ」
キャロラインが気合いをこめておれのパンツをずりおろした。
とうぜんと言うべきか男についているモノがだらりとキャロラインの顔の前にこぼれた。
キャロラインが平然と笑った。
「ふーん。こういうものがついてるんだ。さあ。しゃきっと立ってよ」
おれは前をかくした。
「おまえ平気なの? はずかしくないのか?」
「ぜんぜん。それよりさ。右手は頭のうしろだよ。左手は腰にあててね。胸を張って目はややななめ上を見てよ」
キャロラインがおれにポーズをつけた。
おれはしかたなく胸を張った。
股間がスースーとしてはずかしい。
キャロラインがカバンからスケッチブックと絵画用の木炭を出して描きはじめた。
真剣な表情だった。
しばらくして戸をたたく音がした。
おれがあっと思った瞬間にキャロラインが返事をした。
「どうぞ」
戸をあけて入って来たのはルイーズとコンスタンツェだった。
おれはあわてて前を隠した。
ルイーズがおれの全裸をジロジロと見た。
「ちょっと! なにをやってるのよ!」
キャロラインが木炭の先をルイーズに突きつけた。
「邪魔しないでよ。もうすぐ描きあがるんだからさ」
ルイーズがスケッチブックをのぞきこんだ。
「なーんだ。絵を描いてたの。おもしろそうだからわたしも描いて」
ルイーズがコンスタンツェに手伝わせて服をぬぎはじめた。
あれよあれよと言う間にルイーズがぜんぶぬいだ。
ルイーズがおれの横に立った。
キャロラインがおれとルイーズにポーズをつけさせた。
ルイーズとおれはつないだ手を上をあげてややななめで向き合う姿勢をしいられた。
おれはルイーズを見まいと目をとじた。
キャロラインが声を飛ばした。
「ダグ。ちゃんとルイーズの顔を見て」
しかたなくおれは目をあけた。
おれははずかしさにのぼせた。
ルイーズのみならずコンスタンツェにまで見られた。
手をつないでいるルイーズは全裸だ。
なにもかくしてはいない。
ルイーズははずかしくないらしく堂々としている。
ルイーズの豊満な胸が女の芳香を放っていた。
ルイーズがニッコリ笑った。
おれのその部分が反応した。
キャロラインがひたいに青すじを浮かべた。
「こらダグ! それは芸術じゃなくてワイセツだ! やりすぎってもんだぞ!」
おれは前を隠して相談室の奥に逃げこんだ。
「しかたないだろ? 全裸の女を見たのははじめてなんだ。おれも二十二歳の男なんだからな」
コンスタンツェが戸のすき間からおれの部屋着をわたしてくれた。
服を着て相談室にもどるとルイーズも服を着ていた。
キャロラインのスケッチブックをのぞくとおれとルイーズの立像も描かれていた。
キャロラインがその横に木炭を走らせていた。
おれのその部分だけを。
「なにを描いてるんだよキャロ?」
「なにって忘れないうちにと。大きくなったものが描かれた絵って見たことがないからさ」
「それは芸術じゃなくてワイセツなんだろ?」
「まあそうだけどさ。現実に忠実に描くのも大切だからね」
ううーんとおれはうなった。
キャロラインはすこしずれている。
男のそういう部分をはずかしげもなく描いていいのか?
おれはふと気になった。
「キャロっていつから絵を描いてんだ?」
「冒険者学園を卒業したあとだよ。ボクは子爵としての仕事があったからさ。冒険者にはならなかった。しばらくしたら仕事はみんなセバスチャンがしてくれた。それでひまになったから絵でも描くかってね。ボクの父ちゃんは母ちゃんやボクを描くのが好きだったんだ」
「なるほど」
おれは納得した。
ワーグナー家の屋敷には肖像画が多くかざられていた。
あれはキャロラインの父が描いたものだったのか。
ルイーズが口をはさんで来た。
「キャロは王立芸術展で大賞を取ったことがあるのよ。キャロの絵は高く売れるんだから」
「そうなのか? 初耳だ」
「ダグは冒険者として日々魔物と格闘してたからね。知らなくてとうぜんよ。王宮にはキャロの描いた王一家の肖像画がかざられてるわ」
「ふうん」
そのとき戸をたたく音がした。
きょうは休みだと言うつもりで玄関に行った。
戸をあけると女が飛びついて来た。
「ダグぅ! ひさしぶり!」
おれは女の顔を見た。
シャーリー・フォードだった。
魔法使いだ。
三角帽子にローブという魔法使いのかっこうをしていた。
「どうしたんだシャーリー?」
シャーリーがおれに抱きつきながらキャロラインとルイーズも見た。
「キャロにルイーズもひさしぶりね」
シャーリーがおれから離れてキャロラインとルイーズにも抱きついた。
シャーリーは抱きつき魔だ。
誰かれかまわず抱きつく。
おれたちとは冒険者学園の同級生だ。
コンスタンツェがシャーリーにお茶を出した。
長いすでおれはシャーリーと向き合った。
「でシャーリー。きょうはなんの用なんだい?」
シャーリーがいきおいこんで話しはじめた。
「ロッドのやつがさ。ドラゴンを退治に行くって聞かないのよ。やめるように説得してちょうだい。最近ちょうしに乗っててあたしの言うことは聞かないのよ」
ロッドはシャーリーの弟だ。
おれたちのふたつ年下でやはり冒険者学園でいっしょだった。
才能にあふれた剣士だ。
おれのことをアニキと呼んでなついてくれている。
冒険者としての実力はすでにおれを追い越しているくせにだ。
シャーリーのパーティはロッドにくわえて僧侶のアイーダと盾役のグレンの四人だ。
「アイーダやグレンはどう言ってるんだ?」
「ロッドにそそのかされてその気になってるの。でもいまのあたしたちの実力じゃドラゴンに勝てっこない。そもそも悪さもしてないドラゴンを退治に行く必要はないのよ。ロッドは瓦版に書かれたくてそんなことを言い出したの。ドラゴンを倒せば英雄だからね。自分たちが死ぬなんてこれっぽっちも考えてないのよ」
「なるほど」
おれは思案した。
ロッドはたしかに剣士としては一流だ。
だがドラゴンに勝てるほどではない。
シャーリーは炎をあやつる魔法使いだがドラゴンに通用する火力ではなかった。
魔法使いはそもそもすくない。
王都で戦いに役立つ魔法使いは五十人ほどだ。
魔法の素質を持つ者はいるが戦えるほどの威力を持つ者はまれだった。
魔法使いになろうとする者がすくないせいもある。
一般人は魔法使いになろうとしない。
そのために強力な魔法の才能を持っていようと生涯それを知らない者も多い。
冒険者学園に入学する者くらいだ。
魔法の素質があるかをしらべられるのは。
おれもキャロラインもルイーズも魔法の素質は皆無だった。
冒険者学園の同期生は三百人いたが魔法の素質があったのは十人にすぎない。
最もありふれた魔法である火と風の魔法ですら十人だ。
その十人のうちで戦いで使える威力の魔法が出せたのはシャーリーひとりだった。
あとの九人の風魔法はしょぼすぎてどうにもならなかった。
そのシャーリーでも小さな火の玉で褐色熊の顔を燃やすのが精一杯だ。
ドラゴンのしっぽすら燃やせないだろう。
おれたちはシャーリーに連れられて相談所を出た。
シャーリーの家でロッドはアイーダとグレンとともに装備をカバンにつめていた。
ドラゴン退治に行く気がみなぎっていた。
「やあアニキ。おれたちの応援に来てくれたのかい?」
ロッドが人なつっこい笑顔をおれに向けた。
おれはむずかしい顔を作った。
「ロッド。ドラゴン退治はやめろ。むぼうすぎる」
ロッドが眉を寄せた。
「なんだよ? アニキまでがそんなことを言うのか? 姉ちゃんにたぶらかされたのかよ? おれたちならドラゴンに勝てるんだ。言っちゃなんだがおれはとっくにアニキを越えたぜ。おれはもう王都一の剣士なんだよ」
おれは顔をしかめた。
天狗になってやがる。
ロッドの鼻をへし折るにはどうしたらいい?
おれはひとつひらめいた。
ルイーズにふり返る。
「ルイーズ。コンスタンツェを借りていいか?」
ルイーズがうなずいた。
「いいわよ」
コンスタンツェもうなずいた。
おれはロッドに提案した。
「たしかにおれひとりじゃおまえにかなわないだろう。だが二対一ならどうだ? ドラゴンを相手にするなら人間がふたりくらい軽くさばけないと無理だぞ?」
「二対一? ああいいぜ。三対一でもおれが負けるはずはねえよ」
「じゃ剣を二本貸してくれ」
「練習用の剣でいいよな?」
「じゅうぶんだ」
おれは二本の剣を手に外に出た。
ロッドが剣を腰にさして身じたくをととのえた。
アイーダとグレンも外に出て来た。
キャロラインとルイーズが通行人をさがらせた。
おれは剣の一本をコンスタンツェにわたした。
ロッドが目を丸くした。
「おいおいアニキ。もうひとりはその女なのか?」
おれは意外だった。
「女じゃだめなのか?」
「いや。女がおれの相手をできるはずはねえぞ? デッカーでも連れて来るのかと思った」
デッカーは力自慢の冒険者だ。
「まあやってみろ。女相手で本気が出せなかったとあとで言いわけするんじゃないぞ」
「バカな。やるからには女だってようしゃはしねえ」
「よし。かかって来い」
ロッドが剣をぬいた。
おれはロッドに切りかかった。
ロッドが華麗によけた。
おれに剣を切り返す。
おれはよたよたとロッドの剣を剣でとめた。
ロッドの剣は速かった。
おれの剣をいなしておれの首に剣を飛ばした。
おれの首に届く寸前でコンスタンツェがロッドの剣を剣ではじいた。
おれはひやりとした。
おれひとりでは簡単に負けていた。
ロッドが斬る。
コンスタンツェが剣で受けとめる。
ロッドが連続して斬る。
コンスタンツェがことごとく受ける。
ロッドの息があがった。
そのすきにおれも剣戟に参加した。
おれがロッドに斬りかかるのに合わせてコンスタンツェも斬った。
上段から二本の剣がロッドを襲う。
ロッドがうしろに飛びずさってよけた。
おれがすかさず横なぐりに剣を払う。
コンスタンツェがそれに合わせて逆方向から剣を横に払った。
左右から二本の剣がロッドをはさみ打ちにした。
ロッドが地面に身を投げてかろうじてかわした。
地面を転がるロッドの頭におれとコンスタンツェは二本の剣をふりおろした。
ロッドの剣がコンスタンツェの剣を受けとめた。
だがおれの剣はとめられなかった。
おれはロッドの髪の上で剣をとめた。
見物人たちが拍手をはじめた。
「勝負ありだな。おまえの負けだよロッド。おれたちふたりくらいさばけないようではドラゴンに勝てない。ドラゴンにいどむのはもっと腕をみがいてからだな。すくなくともおれたちふたりがかりの剣を軽くしのげるようになってからにしろ」
ロッドがうなだれた。
「わかったよアニキ。たしかにおれはまだまだだ。でもその女ろくでもなく強いぞ? 王宮の近衛兵でもそんな強いやつはいねえ。何者なんだ?」
おれはコンスタンツェを見た。
息ひとつ切らしてない。
メイド服に乱れもなかった。
「ただのメイドだ。シルバーフォックス家のだけどな」
「シルバーフォックス家? あの王国第二位の貴族の?」
「そうだ」
「どうしてそんな女がアニキといるんだ?」
シャーリーが口を出した。
「ルイーズがシルバーフォックス家の三女だからよ。こう見えてルイーズは貴族のご令嬢なの」
ロッドがポカンと大口をあけた。
「ルイーズさんが? ルイーズさんって冒険者もやってたじゃないか?」
「そうよ。貴族の気まぐれで冒険者をやってただけなの。ルイーズは王さまとも親戚づき合いなのよ」
「そ。そんなえらい人だったなんて」
ロッドが高貴な人を見る目をルイーズに向けた。
ルイーズがニッコリと笑った。
「わたしがえらいんじゃないから気にしないでね。これまでどおりのつき合いでいいわよ」
そう言ったがルイーズの胸はじまんげに張られていた。
おれたちはシャーリーに感謝されて相談所にもどった。
コンスタンツェを見送るロッドの目はキラキラしていた。
惚れたらしい。
修行をつんだらまた手合わせをしてほしいとたのんでいた。
おれもコンスタンツェを見直した。
強いだろうと思ってはいたがここまで強いとは想像してなかった。
さすがはひとりでルイーズについているだけのことはあった。
なみの襲撃者なら簡単に撃退できるだろう。
相談所にもどってお茶を飲んでいるとまた戸がたたかれた。
おれは玄関に出た。
パリッとした燕尾服を着た男が立っていた。
どう見ても執事だ。
おれは休業中だとことわるのをやめた。
貴族の使いだろうからだ。
「どうぞ中へ」
執事が長いすにすわるとコンスタンツェがお茶を運んだ。
「私はクローデット男爵の執事でアルフレッド・ギャビンと申します。ぜひマーカスどのにお力を貸していただきたい」
「はあ? どういうご用件ですか?」
「実はです。私どもの屋敷で妙な事件が起きましてね。珍妙きてれつな事件なのです」
「はい? 事件ですか?」
「そう。事件です。最初はあかずの戸が開くようになりました」
「あかずの戸が開く? 開かない戸が開いたってことですか?」
「ええ。屋敷の裏口の戸なんですけどね。カギをなくしてずっと閉じたままだったんです。厨房の勝手口は開きますし、玄関も開くので支障はなかったんですよ。それで錠前師をたのむこともなくほったらかしでした。その戸がいつの間にか開くようになってたんです」
おれは首をかしげた。
それが事件なのか?
「なにかのひょうしにカギがこわれて開くようになっただけじゃないんですか?」
「そうかもしれません。でも事件はそれだけじゃないんです。聖泥節の日に使用人全員が眠り薬を盛られました」
「せいでいせつの日に眠り薬を?」
「はい。十五人の使用人全員で昼食を取ったんです。そのあとしばらくしてとつぜん眠くなりましてね。気づいたら眠ってました。いままでそんなことは一度もなかったんですよ。所用で出かけてた男爵が帰宅して私は起こされました」
「寝不足だったとかは?」
「いえ。夜ふかしはしてませんでした。屋敷が静まり返ってましたので私と男爵で屋敷中を見てまわりました。そのけっか使用人全員が眠ってるのを発見したんです。昼食に眠り薬を盛られたとしか考えられません」
「ふむふむ。使用人全員が眠らされて男爵は留守だったと。屋敷に起きてる者はいなかったってことですね? その間になにか盗まれたとか?」
「ええ。盗まれました」
「盗まれた? じゃ盗難事件じゃないですか? 警察に行ったんですか?」
「いいえ。行ってません」
「なぜです? 盗難事件でしょう?」
「そのとおりなんですがね。盗られたものがランタンの扉なんですよ」
「はあ? ランタンの扉?」
「そうです。うちのランタンは長方形の金属の箱なんですよ」
「中にローソクを入れて火が消えにくいようにする金属の箱ですよね?」
「はい。うちでは壁にランタンをかけてあります。ランタンにしたのはローソクの炎が壁に燃え移らないからです。燭台だとローソクの炎がゆらいで壁に燃え移りますからね」
「箱の中でローソクを燃やすから炎が箱の外には出ませんものね」
「そのとおりです。箱の四面にはガラスがはめこまれててその窓からローソクの光がもれるようになってます。金属の箱は扉が開閉してローソクを出し入れする作りです。針金のような金属の棒で箱本体にランタンの扉をつなぎとめてます。その棒のせいで扉がスムーズに開くわけですね」
「一般の戸についてるちょうつがいみたいにですね?」
「そうです。その棒を上に引き抜くと扉がはずれます。私たち使用人が眠ってるあいだにその棒を引き抜いて扉を盗んだやつがいるんです」
「ランタンの扉をですか? そのランタンの扉は貴重なものだったとか?」
「いいえ。どこの道具屋でも売ってる品です。銀貨二枚ていどのランタンで実用本位のものです。芸術的価値などありません。歴史のある品でもありません」
「なのにそのランタンの扉を盗んだと?」
「ええ。大広間につけてある十個のランタンの扉がすべて盗まれました」
「扉だけなんですか? ランタン本体ではなく?」
「はい。扉だけです。ランタン本体は盗まれてません」
「どういう意味があるんですかそれ?」
「まるでわかりません。でもほかに盗まれたものがないかをしらべました。現金も宝石も品物も盗まれてませんでした。盗られたのはガラス窓のついたランタンの扉が十枚だけです。しかも大広間のだけです。他の部屋のは盗まれてません」
ううむとおれは悩んだ。
ガラス窓のついたランタンの扉を盗んでどうするのか?
「その大広間のランタンはガラス窓が特別な色ガラスだったとか?」
「いいえ。窓ガラスと同じで無色透明のへんてつもないガラスでした。ランタンの扉に使われてる金属も青銅ですから盗む価値はありません」
「ふうむ。大広間だけですか」
「はい。大広間だけ十枚です。他の部屋のランタンには異常がありません」
「どういうことでしょうねえ?」
「さあ? でも外部の者の犯行ではないと思います。使用人全員に眠り薬を盛ってるわけですからね。厨房で薬を入れたに決まってます。外部の者が入りこんで厨房にいればすぐにわかりますからね。それで使用人たちの持ち物検査や家捜しもしました。どこかにランタンの扉を隠してるんじゃないかと」
「見つかったんですか?」
「いいえ。どこにもありませんでした。男爵は誰かのいたずらだろうと笑い飛ばしました。気にするなとね。ランタンも扉のないまま使ってます。ローソクの火が消えやすくなっただけでさしさわりはないですからね。でももうひとつ妙なことがあったんです」
「もうひとつ?」
「ええ。あかずの戸だった裏口から出ると庭にブランコがあるんです」
「ブランコってあの子どもが遊ぶあれですか? 板にすわってぶらぶらと前後にフリコのように動かす?」
「そう。それです。男爵の息子が小さいころに遊ぶために作ったんです。ですが息子が大きくなって学園の寮に入ったために誰も遊ばなくなりました。ほったらかしてたものですから板を吊る片方のなわが切れて乗れなくなってたんです」
「はあ? それが?」
「そのブランコが眠り薬騒動のあと修理されてました。板を吊る左右の二本のなわが新品になって使えるようにされてたんです。しかも妙なことにすわる板がおとなの胸の高さになってました。あれではブランコとして使おうとするとよじ登らなければなりません」
「おとなの胸の高さのブランコですか?」
「そうです。ふつうのブランコだと板はひざこぞうの高さでしょう? それがおとなの胸の位置にしてあったんです。誰かが乗って遊ぶために修理したには変なんですよ。どういう意味なのかまるでわかりません」
執事が沈黙した。
話はそれだけらしい。
おれは要点を整理した。
「まずあかずの戸が開くようになった。次に聖泥節の日に眠り薬を盛られた。そのあいだにランタンの扉を十枚盗まれた。ブランコも修理された。そうですね?」
「そのとおりです」
「警察には届けてない?」
「はい」
「じゃおれになにをしろと?」
「私は犯人があらたに雇った五人の中にいると見てます。古参の使用人はもう五年以上いますからね。マーカスどのは浮気調査もするんでしょう? 人妻の浮気を見やぶるカンで犯人を見分けてはもらえませんか?」
「浮気調査は一日中見張って浮気してないかをたしかめるだけですよ? カンで見分けてるわけじゃありません」
「でも人妻がおどおどしたりビクビクしたりするとあやしいと思うでしょう? うちの使用人にあやしい者がいないかしらべてもらえませんか?」
うーんとおれはうなった。
「警察でもないおれがしらべてもシッポを出しますかね?」
「そこはわかりません。でも専門家の目で見たらあやしいやつがわかるんじゃないですかね?」
「専門家ねえ? ああ。男爵はどう言ってるんです? 男爵がおれにたのめと?」
「男爵は笑い飛ばしただけでした。ここに来たのは私の独断です。男爵はほうっておけと言うんですがね。やはり気持ちが悪いでしょう? 同僚に手癖の悪いやつがいると?」
「なるほど。見つけたらそいつはクビにするんですか?」
「とうぜんです。ゆいしょある男爵家に犯罪者はいりません。たとえつまらないものでも盗む者を放置しておいたら次は貴重品を盗むかもしれません」
「犯人が見つからなければどうするんです?」
「それは悩んでます。あらたに雇った五人全員をクビにするわけにも行かないでしょうしね。警察に届けるにもささいな事件すぎて気がひけますし」
おれはどうするべきか考えた。
おれにあやしいやつを見分ける目があるとは思えない。
「残念ですがおれの手にあまる話だと思います」
「そんなあ。見放さないでくださいよぉ。ここしかたよるところがないんですからぁ」
執事がおれにすがりついた。
ルイーズがおれのわき腹をつついた。
「引き受けてあげなさいよ。かわいそうじゃない。こういう人は気休めでもいいのよ。でないと夜も眠れなくなるわよ」
おれはキャロラインを見た。
キャロラインもうなずいていた。
しかたがない。
「わかりました。引き受けましょう。でもあやしいやつを特定するのは無理だと思いますがね」
執事がおれの手をにぎった。
「いいんです。とにかく誰かにすがりたかったんですよ。引き受けてくださって感謝します。で。費用はいかほど?」
「一日に銀貨五枚でいかがです?」
「承知しました」
おれたちは執事に連れられてテンプル街のクローデット男爵邸に行った。
屋敷は横に長い二階建てだった。
レンガ造りの高い塀にかこまれていた。
玄関を通りぬけると小広間になっていて左右に階段があった。
「帰ったぞぉ」
執事が声をかけると十人のメイドが整列しておれたちに頭をさげた。
次に執事が横を向いて手で示した。
「右翼の一階は晩餐室や厨房などの施設です。二階は使用人の部屋になってます」
「問題のあかずの戸は?」
「こちらです」
執事が小広間のとなりの部屋の戸をあけた。
「左翼の一階は大広間と遊戯室などになっております。二階は男爵一家の住居です。といっても奥さまは他界されていませんし、息子ふたりは学園の寮です」
「ということはいまは男爵ひとり?」
「はい」
小広間のとなりは大広間だった。
豪華なじゅうたんが敷かれていた。
壁には絵画が二十点かざられていた。
執事が大広間の奥に足をはこんだ。
「これがあかずの戸です」
執事が取っ手をつかんで戸をあけた。
ちょうつがい式の戸だ。
戸の向こうは庭だった。
戸はカギ穴にカギを突っこんでまわす方式だ。
まわすと四角い金属が出てそれが壁にあけた四角い穴にはまる。
いまはその四角い金属が戸の中に収まっていた。
四角い金属に異常はなかった。
錠前がこわれて戸が開くようになったのではないらしい。
誰かが紛失していたカギを見つけたのだろうか?
執事が戸をくぐって庭に出た。
「あれがブランコです」
執事の指さす先にブランコがあった。
おれたちはブランコに歩み寄った。
がっしりとした木組みで作られていて二本のなわが一枚の板を吊っていた。
だが板の高さがおれの胸の位置にあった。
たしかによじ登らないとすわれない。
おれはキャロラインを指でまねいた。
キャロラインはズボンだ。
ブランコに乗っても下着は見えない。
おれはキャロラインを持ちあげてブランコにすわらせた。
キャロラインがすぐにブランコをこいだ。
「これ怖いよ。高すぎてなかなか来るものがあるよぉ」
ブランコとしてはふつうに使えるようだ。
おれはキャロラインを抱きおろしながら疑問を口にした。
「なんで胸の高さなんだろう?」
ルイーズがおれの背中を指で突いた。
「きっとなわが足りなかったのよ。それで胸の高さなんだわ」
おれは首をかしげた。
わざわざ新品のなわを用意している。
ブランコの頂上はとうてい手の届かない高さだ。
そこになわをむすぶためには脚立を用意しなければならないだろう。
庭木は頂点までハサミで刈りこんだ跡があった。
庭木の手入れに物置には脚立やハシゴがあるはずだ。
脚立をここまで持って来て新品のなわで板を吊る。
そこまでする者がなわの長さが足りないことに気づかないだろうか?
新品のなわを用意する段階で長さを考慮するのがふつうではないか?
胸の高さにする意味があったのではないだろうか?
おれは考えたが答えが出なかった。
ブランコのすぐ向こうには壁がそびえ立っていた。
おれがせいいっぱい飛びあがっても手が届かない高さのレンガの壁だった。
泥棒がしのびこもうとしたらハシゴが必要だろう。
大広間にもどると執事が壁につけられたランタンを指さした。
「これが扉を盗まれたランタンです」
四つの壁にランタンが十個つけられていた。
そのすべてに扉がなかった。
昼間なのでランタンの中の二本のローソクに火はついてなかった。
ランタンは青銅製でくすんでいた。
ガラスの窓もうすぼんやりとしていた。
ランタンそのものを盗んでも値打ちはないだろう。
ましてや扉だけ盗むなんて。
キャロラインが壁にかざられた二十点の絵画を端から見はじめた。
そこに背後から誰かが大広間に入って来た。
ヒゲをはやして腹の出た男だった。
仕立てのいい背広を着ていた。
五十歳くらいだとおれは見た。
「お客さまかいアルフレッド?」
執事がふり返った。
「あ。男爵。こちらはよろず相談所のマーカスどのです。私の独断で来てもらいました」
おれはどうあいさつすべきか迷った。
迷ったあげく無難に手を出すことにした。
「はじめまして男爵。ダグラス・マーカスです」
男爵が握手して頭をさげた。
「ああ。はじめまして。わしはオーギュスト・クローデットです」
貴族だが平民をさげすんではないらしい。
キャロラインが一枚の絵を食いいるように見ていた。
男爵がキャロラインの背中から声をかけた。
「いい絵でしょう?」
キャロラインがふり向いた。
「王都の夕日だね? カミーユ・コリンズの?」
「ほぉ。知ってらっしゃるので? そのとおりです。コリンズの代表作ですな」
そのとき男爵があっと声をもらした。
「失礼ですがキャロライン・ワーグナー子爵ではありませんか?」
「あれ? 会ったことがあったっけ?」
「いえいえ。これが初対面です。ですが私のような絵画愛好家にはワーグナー子爵はあこがれのまとですよ。王立芸術展で大賞を取った五番街の情景はすばらしい絵でした。王立美術館に行くとかならずあの絵を見ることにしてます。ものがなしさの中になつかしさもある名作ですな」
「あらら。そうなの?」
「そうですとも。ほら。こちらをごらんください。あなたのお父さまに描いていただいた肖像画です。これもわが家の宝物ですよ」
キャロラインが端の絵を見つめた。
四人家族が描かれていた。
夫婦と幼児と赤ん坊だった。
夫は若き日のクローデット男爵だ。
「ほんとだ。父ちゃんの絵だね」
そのとき男爵がもじもじと両手の指を合わせたり離したりした。
「それでそのう。こんなことをおたのみするのもなんですが」
「なに?」
「絵を描いていただけませんか? 肖像画でも風景画でもけっこうですので」
うーんとキャロラインが考えた。
「じゃこの王都の夕日を三日貸してくれない?」
「は? 王都の夕日を三日ですか?」
「そう」
今度は男爵が考えた。
「いいでしょう。お貸しします」
「ありがとう。絵は人物画でもいい? 裸体の男女なんだけど?」
「ええ。ねがってもないことです。裸体画は持ってませんから」
男爵が執事に指示して絵を入れる布袋を用意させた。
王都の夕日を壁からはずして袋に入れた。
キャロラインが大切そうにその袋をかかえ持った。
そのあと男爵の友人が馬車で男爵をむかえに来た。
カードゲームをしに行くのだそうだ。
おれたちは執事に厨房に案内された。
厨房に入るとすぐに大きなテーブルがあった。
二十人ほどすわれる広いテーブルだ。
その大きなテーブルの向こうにこじんまりとしたテーブルもあった。
こじんまりとしたテーブルの上には食材や鍋が置かれていた。
調理台だろう。
使用人と男爵を合わせて十六人分の材料だけに量が多かった。
その向こうのかまどの前で料理長とふたりの助手が料理を作っていた。
右の壁に大きな食器棚が作られていた。
上から下まで深皿やコップなどの食器が収納されていた。
執事がいちばん大きなテーブルを指さした。
「ここで使用人が集まって食事を取ります。聖泥節の日も十五人の使用人がここで昼食を食べました」
大量にお客が来たときには配膳台にもなるのだろうと推測しながらおれが訊いた。
「どんなメニューでした?」
「塩漬け肉と根菜のシチューと黒パンでした。シチューは塩漬け肉の塩が抜き足りなかったのかかなり塩からかったです」
キャロラインが絵の袋をかかえたまま口をはさんだ。
「そのシチューは全員が残さずに食べた?」
「ええ。食べましたよ。体調が悪くて食事を残す者はいませんでした。使用人の体調管理も執事の仕事ですからね」
「男爵さんは出かけてたんだよね?」
「そうです。友人にさそわれて玉突きに行っておられました。先ほどの友人とはまた別のかたです」
「じゃ料理長さんを呼んでくれる?」
キャロラインの注文に執事が料理長をまねいた。
「なんだい坊や?」
「聖泥節の日のシチューは塩からかったそうだけどさ。それってなんで?」
料理長が思い出す顔になった。
「たしかに塩からかった。おれはちゃんと塩をぬいたんだけどよ。かなり塩からかったな。しくじって煮つまったのかもしれねえ」
「シチューの鍋はかまどに乗せたままだったの?」
「いいや。味が決まってすぐに調理台に移したよ。でないと底が焦げちまうんでね」
「調理台ってそっちの小さいほうのテーブル?」
「そうだ」
「じゃその昼食のあとお茶を飲んだ?」
「いや。コーヒーだ。お茶は朝と晩に飲むのがこの屋敷の習慣になってる」
「なるほど。そのコーヒーは誰がいれたの? 料理長?」
「ああ。おれがいれた」
「コーヒーも調理台の上でいれたの?」
「そうだよ。十五人分を大きなポットでな」
「いついれたの?」
「料理を作りながらだからシチューが仕あがる前だな」
「じゃそのコーヒーポットはずっと調理台の上にあったわけ?」
「ああ。全員が食べ終わるまでそのままだったよ。食べ終わってからメイドの誰かがかまどであたため直した」
「ふうん。コーヒーをカップにそそいだのは誰? 料理長?」
「いいや。メイドのひとりだろう」
「じゃシチューを深皿に入れたのは?」
「それもメイドたちだ。おれは作っただけだよ。食器を出したり、料理を盛るのはメイドたちが手分けしてやるんだ。いまこのうちにはメイドが十人いるんでね。簡単な作業はメイドにまかせてる。晩餐会のときの練習になるからな」
「すると料理長は料理を作ったあとはどうしてたの?」
「そこの大テーブルにすわってメイドがシチューを配るのを待ってたさ。助手のふたりといっしょにな」
「そう。ありがとう。作業にもどっていいよ」
料理長がまた鍋をかきまわしに行った。
おれはキャロラインの肩を指でつついた。
「いまのはどういう意味なんだ?」
「眠り薬を盛ったのが使用人の誰かだとするとさ。シチューに薬を入れると犯人はそのシチューを食べなかったはずだよ。だって自分も寝ちゃうもの」
「ふむふむ。それで誰もシチューを食べ残さなかったか訊いたわけだ」
「そう。だから眠り薬はシチューには入ってない。だけどシチューには塩が足されたんだ。足したのはメイドの誰かだろうね」
「なんでメイドだとわかる?」
「十人のメイドが皿を出してならべたりするんだよ。誰かひとりが鍋に塩を入れてもバレないだろうさ。料理長と助手さんは大テーブルにすわってた。立って鍋まで行けば目立ったろうね。それは執事さんや他の男の使用人にも言える。男が鍋のまわりをうろちょろしたら執事さんの記憶に残ったはずだよ」
「それでメイドか? じゃ塩を足したってのはなんでだ?」
「それは次に出て来るコーヒーを飲みほさせるためだよ」
「ああ。ということは眠り薬はコーヒーに入れられた?」
「ボクはそう思う。コーヒーは苦いから薬を入れても飲んじゃうだろうね」
「すると犯人はコーヒーを飲み残した?」
「そのはずだよ。でもコーヒーを飲み残した者がいても誰も気づかないんじゃないかな? そうでしょ執事さん?」
執事がうなずいた。
「はい。コーヒーまではチェックしませんでした」
次におれたちは応接室に移った。
あらたに雇った五人を個別に聞き取るためだ。
執事が最初のひとりを連れて来た。
やせて顔色の悪い男だった。
「こちらはトリスタン・オークレー。三十歳。御者です。ラーク男爵から推薦状をもらってます」
執事の紹介にトリスタンが頭をさげた。
「あんたらは王都警察の人ですかい?」
トリスタンはおどおどとしていた。
おれはトリスタンの全身を観察した。
力は弱そうだ。
気が小さいように見える。
「いいえ。ちがいますよ。楽にしてください。ラーク男爵家の御者だったんですか?」
「はあ。まあ」
「どうしてラーク男爵家からクローデット男爵家に?」
「ラーク男爵が水害のために王都の屋敷を売って領地にもどることになったからでやす」
「なるほど。聖泥節の日の昼食時にあなたはなにをしてました?」
「メシを食ってやした」
「それ以前はなにをしてたんです?」
「馬と馬車の手入れをしてやした」
「昼食を終わったあとはなにをしてました?」
「それがでやすね。うまやに行ったんでやすが眠くてしょうがねえんでやすよ。部屋にもどって寝ようとしやしたが部屋まで持ちやせんでした。気がついたら男爵と執事のギャビンに起こされてやした」
おれは話しながらトリスタンの顔から目を離さなかった。
トリスタンはおどおどしているものの目をそらすことはなかった。
話す口調によどみもなかった。
こいつはちがうなと思った。
次に執事が連れて来たのはがっしりとした顔中が黒ヒゲの男だった。
「ノエル・ソンバーグです。庭師でしてね。三十五歳です。アラン男爵家の紹介状をもらってます」
ノエルが頭をさげた。
おれは力くらべをしたら勝てるかなと首をひねった。
「アラン男爵家はなぜ辞めたんです?」
「男爵が事業に失敗してよ。使用人をへらすことになったんだ」
「なるほど。庭の木の手入れはあなたひとりで?」
「おうよ。おれがてっぺんからすそまで刈りこんだんだ。さっぱりとしてきれいだろ?」
「整然としてましたね」
「そうだろそうだろ」
「それで聖泥節の日の昼食時はなにをしてましたか?」
「聖泥節の日の昼食時? メシを食ってたんじゃねえか? おぼえてねえけどよ」
「じゃ昼食後は?」
「はあ? 庭の手入れをしてたに決まってるじゃねえか?」
「いや。あなたも寝てたんじゃないんですか?」
「えっ? ああ。聖泥節の日ってあれか。やたら眠くなった日?」
「それです」
「あの日ねえ? 庭に出たけどよ。とにかく眠くてな。目をあけとこうとするんだけどよ。いつの間にかとじちまうのさ。気がついたら庭で寝てたみてえだ。男爵と執事のおっさんに起こされたよ」
おれはノエルの表情を観察していた。
だが不自然な点はなかった。
ごく自然体でしゃべっていた。
おれはひとつ思い出した。
「ブランコの修理をしましたか?」
ノエルが首を横にふった。
「いや。してねえよ。あれは男爵がしなくていいつったからな」
「なんで男爵は修理をしなくていいと?」
「メイドがブランコで遊んで仕事をさぼるのがいやだったんじゃねえの?」
執事がいま気がついたという顔で口をはさんだ。
「あぶないからでしょう。あのブランコが乗れなくなったあとで壁を建て替えたんです。王都の街路を広くするって法律ができて壁を手前にずらさなくてはならなかったんです。つまり壁がブランコに近づきました。ブランコを修理していっぱいまでこぐと壁にあたる危険があります」
「でもキャロがこいでも壁にあたらなかったぞ?」
「それはなわがみじかかったせいではないでしょうか?」
「ああ。それで胸の高さに板が来るようにしたのか? 壁にあたらないように?」
「おそらくそうでしょう」
なるほどとおれは納得した。
ノエルにあやしいそぶりは見られなかったで次の人を呼んでもらった。
次は女だった。
「メイドのエセル・ガーランドです。三十歳。王都家政婦協会の推薦状があります」
女がおじぎをした。
「どうもエセルです」
三十歳という歳のせいか女は落ち着いていた。
顔は平凡だった。
気のいいおばさんという感じだ。
「前の仕事はどうして辞めたの?」
「亡くなったんです。八十歳の未亡人でした。週に六日かよいで身の回りの世話をさせてもらってました」
「聖泥節の日の昼食時だけどね。あなたはなにをしてた? シチューを皿に盛ってた?」
エセルが思い出す顔になった。
「わたしは皿をならべてました。盛るのはゼダがやってたと思います」
執事がおれの耳にささやいた。
「ゼダはメイド長です。わが家の最古参で信頼のおける女ですよ」
おれの脳裏に最初に出むかえてくれたメイドたちの先頭にいた女が浮かんだ。
五十歳をすぎたオールドミスっぽい女だった。
おれは問いを再開した。
「それは大テーブルで作業してたの?」
「いいえ。小さいテーブルです。調理台のほうですわ」
「コーヒーポットが乗ってたと思うけど邪魔にならなかった?」
「ええ。コーヒーポットはわきによけてやってました」
「あなたが皿をならべてゼダさんが盛る。残りの八人のメイドはなにをしてたわけ?」
「シチューが盛られた皿を大テーブルに運んでました。男性は全員席についてましたからその前にシチューとスプーンをならべに行きましたわ」
「八人のメイドが整然と?」
「いえ。順番が決まってないものですからごちゃごちゃとしてました。スプーンを取り出す者やナプキンをくばる者などが入り乱れてましたわ」
そのどさくさにコーヒーポットに薬を入れたということか。
「大テーブルに料理が運ばれて食べ終わった。そのあとの食器はどうしたの?」
「わたしたちが男性の分も流しで洗って食器棚にもどしました。それからコーヒーカップを出してコーヒーをそそぎましたわ」
「そそいだのはあなたが?」
「いえ。いちばん若いケイトが」
執事がまたおれに耳打ちした。
「ケイトはこのあと連れて来ます。新入りのひとりです」
おれは質問にもどった。
「コーヒーを飲んだあとはどうしたんです?」
「コーヒーカップを洗って厨房を出ましたわ。わたしは図書室の掃除を言いつけられてたので図書室に行きました。でもはたきをかけてるととつぜん眠くなって」
「眠りこんだ?」
「はい。そう思います。気がついたときには男爵と執事さんに起こされてました」
エセルは終始おちついていた。
びくびくもしてなかったし、視線がさだまらないということもなかった。
次もメイドだった。
「ネリー・スミスです。二十歳。ドゥリトル子爵家の紹介状で来ました」
ネリーは特徴のない顔だった。
顔全体が小作りで目も小さい。
影が薄いという印象だった。
「ネリーです。どうぞよろしく」
声も小さかった。
おれは同級生にこの子がいてもおぼえられないだろうなと思った。
「ドゥリトル子爵家からクローデット男爵家に来たのはなぜ?」
「クビになりました。地味な女はいらないと言われたんです。ドゥリトル子爵は派手な女性が好きなんです」
なるほどとおれは納得した。
「聖泥節の日の昼食時にきみはなにをしてた? 料理を運んでた?」
「ナプキンを取り出して各自の前にセットしてました。わたしはドジで料理を運ぶのに向いてないんです」
ふうむとおれはネリーの全身を見た。
メイド服で全身がおおわれていて顔だけが露出している。
筋肉のつき方などはまるでわからない。
不器用そうには見えないがそそっかしいのかもしれない。
「じゃシチューを食べ終わった。そのあとは?」
「食器を洗いました。でもわたしドジだからあまり洗いたくないんです。割っちゃいますから」
「コーヒーカップは取り出した?」
「それはやりました。全員の分のコーヒーカップをならべました」
「コーヒーをいれるのはやらなかった?」
「はい。ドジですからコーヒーもこぼしちゃうんです」
「きみがドジなのはみんな知ってたの?」
「メイド仲間は知ってます。ガラス器にはさわるなってメイド長からも言われてます」
「コーヒーを飲んだあとはどうしたの?」
「遊戯室の掃除です。でも途中ですごく眠くなって」
「寝たわけだ?」
「ええ。男爵と執事さんが来るまで気がつきませんでした」
おれはネリーを解放した。
ネリーはドジだと言ったが足運びに不器用さは感じられなかった。
むしろ熟練の護衛者のような歩き方だった。
コンスタンツェみたいな足づかいだ。
手先は不器用でもメイドとしては優秀なのかもしれないとおれは思った。
次に来たのがケイト・サーストンだった。
二十五歳くらいに見えた。
「うちでいちばん若いメイドのケイト・サーストンです。十八歳。ジェニファ準男爵家の紹介です」
あれっとおれは目をしばたいた。
ケイトはふけて見える女みたいだ。
ケイトが声をふるわせておれを見た。
「あなたたち警察の人なの?」
ケイトはびくついていた。
「いいえ。ちがいます。警察官に知り合いはいますがね」
ケイトがビクンと全身を引きつらせた。
「あ? あたしに聞きたいことって?」
早くすませたいという感じの口調だった。
「ジェニファ準男爵家を辞めた理由は?」
ケイトが目をおよがせた。
「お給金が安かったのよ。ひと月に金貨十五枚しかくれなかったの。ここは二十枚くれるのよ」
「聖泥節の日の昼食時にきみはなにをしてた? 皿を出してた?」
「ええ。皿をならべてたわ。その日はシチューだったから深皿を食器棚から出したの」
「盛るのはメイド長のゼダさんがやってた。きみは?」
「運んでたわ。ねえギャビンさん。あたしが運んだのをおぼえてるでしょ?」
とつぜんの問いに執事がとまどった。
「えっ? えーと。悪い。おぼえとらんよ」
「そんなあ。ちゃんとあたしがギャビンさんの前まで運んだじゃない?」
「いや。そんなこと言うがおぼえてないものはなあ」
ケイトがなおもつめ寄る姿勢を見せた。
おれは手をあげてとめた。
「まあそれはいいからね。きみがコーヒーをポットからカップにそそいだんでしょ?」
ケイトが目を見開いた。
「あたしがうたがわれてるの? あたしじゃない! あたしじゃないのよ! あたしはやってない!」
ケイトが泣き出した。
なだめても泣きやまなかった。
しかたがないのでさがらせた。
ケイトが出て行くと執事がおれの顔を見た。
「どうです? あやしいやつはいましたか?」
おれは首を横にふった。
「いませんね。やはり警察でもないおれには無理ですよ。代金はいりませんので帰らせてもらいます」
執事ががっくりと肩を落とした。
おれの心証的にはケイト・サーストンがあやしい。
だが証拠もないのにケイトが犯人だと言うのは抵抗があった。
無実の人間をクビにすることになるかもしれないからだ。
ケイトはカネに困ってそうだ。
盗みのうたがいでクビになったら次の就職先はない。
推薦状も紹介状も書いてもらえないだろう。
そして最大の疑問があった。
カネに困っている女がランタンの扉を盗んでどうするのか?
カネに困っている女はカネを盗むはずだ。
もしくは現金にすぐ換えられる品だ。
ランタンの扉は盗まないだろう。
手癖の悪い女がランタンの扉を盗むというのはちがう気がする。
手癖の悪い女は小銭や品物を盗むものだ。
ランタンの扉は変すぎる。
おれたちは屋敷を出て馬車に乗った。
「なあキャロ。なんかわかったか?」
キャロラインはひざの上に絵の袋を乗せていた。
「まるでわかんないよ。あかずの戸。ランタンの扉。それにブランコ。どういうことだかさっぱりだね。ところでさ。ボクはこれから絵を描くの。だから三日ほど相談所には行かない。ダグはルイーズと遊んでてね」
馬車はキャロラインをワーグナー家でおろして相談所に帰った。
おれはルイーズに訊いてみた。
「クローデット男爵って金持ちなのか?」
「大金持ちじゃないけど金持ちよ。クローデット男爵の領地は馬の生産がさかんなの。競馬用の馬や馬車用の馬を送り出してるわ。王立競馬場で走る馬にもクローデット男爵領の馬が多くいるのよ」
「それで悠々自適?」
「そう。遊んでてもこまらない身分よ」
会話はそこまでだった。
おれとルイーズとコンスタンツェでは息がつまった。
キャロラインがいなくなるだけでぎこちなくなった。
世間話はするのだが会話が長つづきしない。
客も来なくて手持ちぶさただった。
三日目の昼にキャロラインがやって来た。
手に絵の入った布袋をかかえていた。
「ボクこれからクローデット男爵に絵を返しに行くけどいっしょに行く?」
おれはランタンの扉の謎が解けたのかと思った。
「なにかわかったのか?」
キャロラインが首を横にふった。
「ぜんぜんさ。まるでわかんないね。どうして犯人はあかずの戸を修理したのか? 使用人全員を眠らせてまでランタンの扉を盗んだのはなぜか? ブランコを乗れるようにしてなにがしたかったのか? どれひとつとしてわからないよ」
おれは肩を落とした。
「まあいいか。もう一度クローデット男爵の屋敷を見ればなにかひらめくかもしれない」
そんなしだいでおれたちはまたテンプル街に馬車を走らせた。
屋敷に着くと騒然としていた。
制服の警官が屋敷の玄関に立って見張っていた。
おれは執事がランタンの扉盗難事件を警察に届けたと思った。
玄関に近づくと警官がおれたちをとめた。
「おまえたちは何者だ? 男爵の客か?」
「そうだ。そこを通してくれ」
「ちょっと待て」
警官が屋敷に入った。
すぐに男爵を連れて来た。
「ああ。ワーグナー子爵。ちょうどよかった。いま使いを出そうと思ってたところです。さあお入りください」
小広間に入ると制服の警官たちが十人ほど行ったり来たりしていた。
その中に私服のレスター警部もいた。
ランタンの扉盗難事件って大事件だったんだとおれはおどろいた。
レスター警部がおれに気づいた。
「おおダグ。なんでここに?」
「おれが訊きたいですよ。ランタンの扉を十枚盗まれたのって警部が出ばるほどの事件なんですか?」
「ランタンの扉? なんだいそりゃ?」
「はあ? 知らないんですか? じゃいったいなんでここに?」
「王都警察に挑戦状が届いたんだ。クローデット男爵家にある王都の夕日を魚鱗祭の日の午後九時に盗んでみせるってな。阻止できるものならやってみろだとさ」
「なんですかそれ?」
「わからん。差出人の名前はなかった。だが署名はあった。黒猫の顔が描いてあってブラックキャットとサインしてあった」
「ブラックキャット?」
「そうだ。わしらはいたずらだと思った。だがクローデット男爵家にも同じ手紙が届いたそうだ。王都の夕日を魚鱗祭の日の午後九時にいただきに参上するとね。それでわしらが来たわけだ」
「魚鱗祭の日ってあしたですか?」
「ああ。ところがその王都の夕日なる絵はワーグナー子爵が借りてったと言う。それでどうすべきかいま話し合ってたところだ」
レスター警部がキャロラインとその手にある四角い布袋を見た。
絵が入っているとしか思えない包みだ。
「それが王都の夕日か? ワーグナー子爵。その絵を見せてもらえないか?」
「いいよ」
キャロラインが袋から絵を取り出した。
額ぶちに収まっている絵と別に巻かれたキャンバスもひとつ入っていた。
絵を描くと言っていたからその巻物はキャロラインの描いた絵だろう。
王都の夕日は王都に沈む太陽に照らされた王都の街なみを描いていた。
貴族の屋敷群があかるくて庶民の家がうすぼんやりとしている。
レスター警部が小首をかしげた。
「なんだか貴族の家が金持ちで平民の家は貧乏だって感じだな?」
クローデット男爵がわが意を得たりという顔になった。
「わかりますか? 作者のカミーユ・コリンズは貴族と平民の格差を生涯なげいてました。夕日は平等に照らすが貴族と平民では受ける光に差がある。そんな思いのこもった絵です。この世の中は平等ではないと作者は言いたかったみたいですね」
街なみを夕日が照らしているだけの絵だ。
だが不条理感が見ているとこみあげて来る。
惹きつけられる絵にはちがいなかった。
「ふうむ。これが金貨二千五百枚の絵か。たった一枚の布きれが金貨二千五百枚になるとは信じられんがね。さて。どうすべきか?」
キャロラインが男爵のそでを引いた。
「どういうこと? レスター警部はなにを悩んでるの?」
「実はですね。レスター警部は王都の夕日をおとりにしたいそうです」
「おとり?」
「はい。王都警察に挑戦するなどふざけた行為はゆるせん。とっつかまえてやる。ということです」
「ああ。あしたの午後九時に盗みに来たところを逮捕するってわけね?」
「そうです。そのために王都の夕日を元どおりの場所にかけておけと」
「でも男爵は盗まれるのが怖い?」
「そのとおりです。わざわざ警察に挑戦状を突きつける犯人ですよ? なにか勝算があるのかもしれません」
「ふうむ。じゃあさ。こうすればどうかな?」
キャロラインが男爵の耳に口をつけた。
ひそひそとなにやら吹きこんだ。
男爵が大きくうなずいた。
「おおっ! それはいいですな。名案です。それで行きましょう」
キャロラインが男爵に背を向けた。
「じゃボクはこれで」
男爵がキャロラインの腕をつかみとめた。
「ワーグナー子爵。あなた方もあした立ち合ってください。おねがいします。わしひとりじゃ不安で不安で」
キャロラインがおれの顔をちらっと見た。
「腕っぷしだけが取り柄の男でいいの?」
「ぜひ! 力強い方がいいんです!」
「わかったよ。じゃあしたも来よう。何時くらいに来ればいいかな?」
男爵が考えた。
「今夜から泊まっていただけませんか? 犯人が予告どおりに盗みに来るとはかぎりませんからね」
「ボクはいいけどね」
キャロラインが問う目でおれを見た。
「おれもいいぞ」
ルイーズも同意した。
「わたしもいいわよ」
そのあと王都の夕日は男爵が自室に持って行くと決まった。
二階の自室で王都の夕日を抱いて立てこもると。
そのほうが守りやすいからだ。
レスター警部と十人の警官が男爵の寝室の戸の前で陣取った。
おれと執事もその戸を見張った。
食事はメイドたちが二階まで運んでくれた。
キャロラインとルイーズとコンスタンツェは客室で寝ることになった。
朝まで一睡もしなかったが賊は来なかった。
翌日の魚鱗祭の日は快晴だった。
おれは戸をひと晩中みていたせいで目がしばしばした。
夕方まで男爵は自室にこもっていた。
日が暮れて王都の夕日を大広間に移すことになった。
元の場所に男爵が王都の夕日をかけた。
レスター警部と警官たちが王都の夕日の前で立ちはだかった。
来るなら来いというかまえだ。
おれとキャロラインとルイーズとコンスタンツェは大広間のすみでレスター警部たちを見守った。
犯人と格闘になったとき邪魔だから離れていてくれと言われたせいだ。
おれたちの横には男爵と執事もいた。
その他の使用人は邪魔だから自室にいろとレスター警部が命令していた。
午後八時がすぎた。
屋敷の中は静かだった。
物音ひとつしない。
昼間に快晴だったせいか風もないおだやかな夜だった。
今夜は新月だから外はまっ暗だろう。
大広間では扉のないランタンの中でローソクが燃えていた。
ジジッジジッとローソクの芯が燃える音だけが聞こえた。
ふだんならそんな小さな音は聞こえない。
そこまで全員が息をひそめていた。
となりの小広間のふりこ時計がボーンボーンと午後九時を知らせはじめたときだ。
大広間の戸がすこしだけ開いた。
すき間から手が出た。
「風よ風よっ! 舞えっ! 舞いあがれっ! わが指から疾風よっ巻き起これっ! アゾルトルムミヌメンデスッ! マザゼムドッ!」
呪文とともに風が室内に充満した。
渦を巻いた風が大広間中を駆けまわった。
扉を盗まれたランタンの中でローソクの火がことごとく消えた。
部屋がまっ暗になった。
「うわあっ! 火だっ! 火をつけろっ!」
レスター警部の怒鳴り声が聞こえた。
そこにボンッと破裂音がして強烈な光が大広間をおおった。
まっ白な光がおれの目を塗りつぶした。
「キャアッ!」
ルイーズの悲鳴だった。
「どうしたルイーズっ!」
「目がっ! 目がっ!」
おれはルイーズを見ようとした。
だがむだだった。
なにも見えない。
目の前が白い残像でいっぱいだ。
目におおいをかけられたようになにも見えない。
暗いのか明るいのかすらわからない。
全員がその状態だったらしく人の動くきぬずれの音はするがしっかりとした足音は聞こえなかった。
「警部! 警部!」
「どうした? なにがあった?」
「なにも見えません! まったくです! いかがいたしましょう!」
警官たちが口々にレスター警部に問いを投げた。
だがレスター警部も目が見えないようだ。
男爵と執事も目が見えないとなげいていた。
「とにかくローソクだ! ローソクをつけろ!」
レスター警部が怒鳴るが誰も動いた気配はなかった。
目が見えないでは動けない。
どのくらい時間がたったかわからないがようやくぼんやりと目が見えはじめた。
大広間はまっ暗だ。
だがとなりの小広間からもれて来る光が戸のすき間から射していた。
その戸をあけると大広間の中も見えた。
おれは壁を見た。
王都の夕日があった場所をだ。
額ぶちは元どおり壁にかかっていた。
しかし中身がなかった。
絵があったところは木の木目だった。
額ぶちの中に絵はなかった。
板があるだけだ。
その板に針で紙がとめられていた。
王都の夕日はいただいたブラックキャット。
そう書かれた紙が。
レスター警部が歯ぎしりをした。
「ちくしょう! やられた! 犯人を追うぞ! 全員外だ! 外にいそげ!」
レスター警部と警官隊が大広間を駆け出た。
おれとキャロラインとルイーズとコンスタンツェもあとを追う。
男爵と執事もついて来た。
屋敷の敷地を出た警官隊が街路を左右にわかれて走った。
おれは右か左か、どちらに行こうか迷った。
そのときルイーズがつぶやいた。
「でも変ね。犯人はなんで額ぶちだけを元の壁にかけたのかしら? 絵を盗んだなら額ぶちは床にほうり出しときゃいいじゃない?」
キャロラインがハッと足をとめた。
「それだ! ダグ大広間にもどるぞ! 絵はまだあそこにある!」
キャロラインが足を返した。
おれたちはキャロラインを追った。
おれたちが大広間に入ったときメイドがひとり壁ぎわで背を向けてうずくまっていた。
メイドの横にはランタンが置かれていて光を放っていた。
おれはケイト・サーストンだと思った。
キャロラインが女に声をかけた。
「あなたがブラックキャットだね?」
女の肩がピクッと動いた。
「そうだと言ったら?」
「あなたは風の魔法が使えるの?」
「そうかもね」
「あなたがコーヒーポットに眠り薬を入れたんだよね?」
女は答えなかった。
女が立ちあがった。
手に巻かれた絵をにぎっていた。
女がうずくまっていた床には分解された額ぶちがころがっていた。
女が走り出した。
女はケイト・サーストンではなかった。
ネリー・スミスだった。
ドジなメイドのネリーだ。
ネリーが走りながら絵を胸に突っこんだ。
おれはネリーを追った。
キャロラインとルイーズとコンスタンツェと男爵と執事もつづいた。
ネリーが大広間の奥に走った。
ネリーの走る先には戸があった。
だがその戸の先は庭だ。
庭は高い壁に取りかこまれている。
おれが飛びあがっても手が届かない高い壁だった。
女が飛びこえられる壁ではない。
おれは捕まえられると思った。
キャロラインが声を飛ばして来た。
「だめだダグ! 早くネリーを押さえろ!」
おれはキャロラインがなにをあせっているのかわからなかった。
ネリーが戸をあけて庭に出た。
まっ暗な庭に星明かりが射していた。
木が夜空に影を投げていた。
ネリーのメイド服がまっすぐに壁に走った。
ネリーの走る先にブランコが立っていた。
板が胸の高さにあるブランコだ。
あっと思う間にネリーがブランコの板に飛びついた。
反動でブランコが大きくふれた。
ネリーがふれる板の頂点で逆あがりのように板に飛び乗った。
ネリーが板の上に立った。
ブランコの板がもどって来る。
ふりこの頂点で板がとまった。
おれはブランコの板に手をのばした。
手が届く。
そう思った。
だがつかめなかった。
あとすこしだった。
おれの手をすりぬけたブランコの板は下降した。
そして上にあがった。
いちばん高くあがったところでネリーが両手を放した。
板を踏み台に壁に飛びうつった。
サーカスの芸人のような跳躍だった。
ネリーが壁の上で立ちあがった。
「ふふふ。王都の夕日はいただいた。わが名はブラックキャット。王都の闇を駆ける怪盗ブラックキャットよ」
口上を終えるとネリーが壁の外に飛びおりた。
足音が聞こえなかった。
黒猫を名乗るだけあって足腰が柔軟なのだろう。
音もなく走る芸を身につけているらしい。
おれは口をあけたままネリーの消えた壁を見つめた。
背中をつつかれてふり返るとキャロラインが笑っていた。
「逃げられちゃったね」
「笑ってる場合か! 金貨二千五百枚の絵が盗まれたんだぞ!」
キャロラインが肩をすくめた。
「あれはボクが描いた模写だよ。本物は男爵の寝室にある」
おれは眉を寄せた。
「はい? 模写?」
「そう。この三日ボクは王都の夕日を模写してたの」
「なんでそんなことを?」
「絵描きってのはさ。先人の名作を模写して自分の画風を作るものなんだよ。先人の絵の模写をしない絵描きはいないの」
「そうなのか」
「そうだよ。ボクは男爵に模写をあげようと思って持って来たわけ」
「どうして男爵にあげるんだ?」
「本物を壁にかけておくとね。ホコリがつもったり日焼けをしたりして絵に悪いんだ。それでふだんは模写をかざっとく。お客さんが来たときだけ本物をかざるのが絵にはいいんだよ」
「なるほど。それで男爵が自室にこもってるあいだに本物と模写を入れ替えたってわけか?」
「うん。盗まれてもいいようにね」
おれは思い出した。
「でもニセモノには見えなかったぞ?」
男爵が口をはさんだ。
「よくできた模写でしたよ。ワーグナー子爵の絵はあの大きさで金貨五百枚で取引されてます。わしはあの模写もほしかったですよ。おそらく素人目には見分けがつかないと思いますね」
「ふうん。そんなものなのか。じゃ本物とニセモノをかけ替えるって話だけどな。本物とニセモノの見分けがつかなくなるってことはないのか?」
キャロラインが答えた。
「署名がちがうよ。ボクの絵にはボクの名前が書いてある。すみに小さくキャロライン・ワーグナーってね」
「そういうものなのか?」
「そうだよ。絵画詐欺じゃないんだからさ。模写ですよってしるしはつけてあるんだよ」
応接室に落ち着いておれたちは男爵から酒をついでもらった。
男爵がグラスを手にため息を吐いた。
「まさかあのドジのネリーがあんなにすばやかったとは」
おれはあいづちを打った。
「ブラックキャットを名乗るにふさわしい身のこなしでしたね」
キャロラインがグラスの酒を飲みほした。
「今回は完敗だったね。謎がひとつとして解けなかった」
「でもおまえはわかってたんだろ? ネリーがブランコを利用して壁に飛びつくって?」
「あかずの戸に駆け出したときに気づいたんだよ。だけどそれじゃ遅すぎる。ネリーが風の魔法使いだってことに気づくべきだったんだ」
「どこでそれに気づける? 手がかりなんかないぞ?」
「いや。あったよ。ランタンの扉を盗んだじゃないか。どうしてランタンの扉が盗まれたのかをもっとよく考えるべきだったんだ。ランタンの扉がないと中のローソクは風で吹き消されるんだからさ」
「あっ! それでランタンの扉を盗んだのか? 風の魔法でローソクの火をすべて消すために?」
「そうだよ。ランタンの扉があればローソクの火は消えない。大広間をまっ暗にするためにはランタンの扉が邪魔だったんだ。ネリーはメイドとしてもぐりこんで絵を盗む手順をととのえたんだよ」
「じゃあかずの戸を開くようにしたのも?」
「もちろんネリーさ。大広間からブランコを踏み台にして壁に飛びつく逃走経路にその戸があったんだ。開かないと脱出ができないじゃないか」
「なるほど」
「まずネリーはメイドとして就職する。次にあかずの戸を修理して開くようにする。戸が開くようになったらランタンの扉を盗む。ブランコも踏み台になるように調整する。これで盗む準備は完了だよ。あとは予告をするだけさ」
「ちょっと待てよ。ネリーはメイドとして働いてた。そのあいだずっと王都の夕日は大広間にかざられてた。いつでも盗めたんじゃないのか?」
「そうだよ。でもそれをするとコソドロだ。ネリーは絵がほしかっただけじゃないと思うな。王都をあっと言わせたかったんだよ。自分のことを怪盗だって言ってただろ? 瓦版に書き立てられたかったんじゃないかな? 絵を盗むだけだったら瓦版の片すみに載るだけだよ」
「それで警察にも挑戦状を送りつけた?」
「うん。でないと警察に挑戦する意味がわからないもの。挑戦状をたたきつけられて目の前で絵を盗まれたら王都警察は赤っぱじだよ。瓦版は大よろこびで書くだろうね」
「ううむ。たしかに」
「ネリーは午後九時ちょうどに風の魔法で大広間をまっ暗にした。ボクらが目をこらすのと同時に閃光弾を使ってボクらの目をつぶした。そのあいだに王都の夕日に板をかぶせたんだ」
「板をかぶせた?」
「そう。板をかぶせてから紙を針でとめたのさ。王都の夕日はいただいたブラックキャットってね。目が見えるようになったボクらは額ぶちの中に木目しかなかったから絵を盗まれたと思った。でも絵はまだ額ぶちの中にあったんだ」
「そうだったのか」
「ルイーズに指摘されて気がついたんだ。たしかに額ぶちを元の壁にかけるのはおかしいってね。中の絵を盗んだなら額ぶちは床にほうり投げときゃいいんだから」
「それでまだ絵は盗まれてないと?」
「うん。ネリーはレスター警部たちが賊を追いかけて出て行ったあとで絵を盗めばよかった。逃走経路は確保してあるからね」
「だけどキャロ。男爵が警戒して絵を自室に持ちこめばどうしたんだい? 大広間にかざられてるって前提がくずれるぞ?」
「そのときは別の手を考えただろうさ。男爵にお酒を運んで絵をうばって二階の窓から逃げるってのもできただろうね。あの身の軽さならさ」
「ネリーを誰も警戒してないからか?」
「そう。ボクもネリーが犯人だとは思わなかった。てっきりエセル・ガーランドだと思ってたよ」
「どうしてエセルだと?」
「いちばん落ち着いてたからさ。小銭を盗むならケイト・サーストンだろうけどランタンの扉だからね。発覚してもたいした罪じゃないから落ち着いてるんだろう。そう判断したんだ。現に男爵は警察に届ける気がなかったものね」
「なるほど。じゃケイト・サーストンはどうしてあんなにびくついてたんだ?」
「ウソをついてたからじゃないかな?」
「ウソを?」
「そう。年齢を詐称してたんじゃないかねえ? ボクはどう見てもケイトが十八歳には見えなかった。二十五歳くらいだと見たよ」
あっとおれは声をもらした。
「おれもそう思った」
「紹介状には歳までは書かないからさ。年齢は自己申告なんだよ。それでケイトは十八歳だって言ったんじゃないかな?」
「ううむ。だがなんでだ? 若いとメイド仲間からなめられないか?」
「男爵は交遊がさかんそうでしょ? 特に玉突きやカードといった男同士の遊びが好きみたいだ。来客にも男が多いんじゃないかな? きっと独身の男もいると思うよ」
「はあ? それが?」
「男は若い女が好きだ。結婚相手を捜したい娘が二十五歳を名乗るより十八歳と言うほうが男受けはいいに決まってる」
「あっ! それで十八歳だと?」
「ボクはそう思う」
おれは嘆息した。
ランタンの扉とあかずの戸とブランコはひとつながりの謎だったわけか。
たねあかしをされないとわからなかった。
キャロラインが思い出したという表情になった。
「そういやダグ。相談所にもどったらまたぬいでね」
「ぬぐ? なにをだ?」
「やだなあ。服をに決まってるじゃないか。こないだの絵がまだ完成してないもの。またルイーズとポーズを取ってね」
「ええっ? またあれをやるのか?」
「そうだよ。男爵に絵をあげるって約束しちゃったもの」
うええとおれは顔をしかめた。
全裸のルイーズと向かい合うとおれの男の部分が反応するぞ?
どうすりゃいいんだおれ?
なんとかことわる方法はないかとおれは思案した。
キャロラインとルイーズにつめ寄られるとことわり切れないのはわかっている。
だがそれでも悪あがきをすべきだ。
キャロラインとルイーズとコンスタンツェに観察されるなんていやすぎる。
おれは王都にほかに相談所がないかと考えた。
誰かおれの相談に乗ってくれ。
全裸で三人の女の前に立つのはつらすぎるぞ。