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 第四話 黒ミサ邪教団いけにえ事件

 その日レスター警部が男を連れて来た。

 二十五歳くらいの男だ。

 しかし頭に髪の毛が一本もなかった。

 若ハゲだろう。

 つるつるだ。

 男は太っていて善良そうな丸顔をしていた。

 若ハゲでデブだ。

 これでカネがなければ女にもてないにちがいない。

「ダグ。こちらはテッド・ウォークバーグ侯爵だ。話を聞いてやってくれんか?」

 おれは首をひねった。

 警察官が貴族を連れて来て話を聞け?

 どういうことだろう?

 キャロラインが長いすをあけた。

「ウォークバーグ侯爵。ここにすわりなよ」

 キャロラインは誰にでも同じ口調で接する。

 侯爵に失礼じゃないかとおれはあやぶんだ。

 だが侯爵は気にせず長いすに腰をおろした。

「じゃダグ。あとはたのんだぞ」

 レスター警部が去って行った。

 ルイーズがクスクス笑いをかみ殺しながらコンスタンツェに指示をした。

「コンスタンツェ。お客さまにお茶を」

「はい。お嬢さま」

 ルイーズはウォークバーグ侯爵の頭から目をそらして笑いをこらえている。

 若ハゲがおかしいらしい。

 他人の肉体的欠陥を笑うなんてルイーズも失礼なやつだ。

 おれは顔をしかめながらウォークバーグ侯爵に向き直った。

「で。侯爵さま。どんな相談なんでしょう?」

「ぼくはテッドでかまわないよダグさん」

「そんなわけには行きませんよ。では侯爵とお呼びすることで」

「ああ。それでもいいよ。でね。こないだの降霊祭の夜ぼくは馬車に乗ってたんだ。つき合ってるリンダ・ワイルド嬢といっしょにね」

「どこに行く馬車だったんです?」

「リンダの家に送って行く馬車だったんだ。リンダの部屋はキャノン街にあるんだよ」

 キャノン街は王都の中流住宅地だ。

 集合住宅も多い。

「それでどうされたんです?」

「とつぜん馬車がとめられて覆面の男たちが馬車に入って来た。おとなしくしないと殺すぞってぼくとリンダの口に布を押しあてたんだ。変な匂いがしたなと思ったらぼくは気が遠くなった」

「眠り薬をかがされたわけですね?」

「そうみたいだ。次に気がついたらまっ暗な部屋だった。狭い部屋で屋根裏部屋みたいだったよ」

「誘拐されたんですか?」

「だと思う。でもその部屋は建てつけが悪くてすき間だらけだった。目がなれると下の部屋がのぞけた。下の部屋ではローソクの光がともっててね。そこで儀式がはじまったんだ」

「儀式?」

「ああ。儀式としか言えないよ。先端がとがった三角頭巾の覆面をつけた集団が手に手に剣を持って入って来た。十五人はいたよ。そいつらがアームラーメームラーって呪文を唱えながら剣を突きあげたり、横に払ったりしはじめたんだ」

「三角頭巾の覆面をつけた集団ですか?」

「そう。目の部分だけ穴があいてた。邪教団だろうな。黒ミサだよ。床には魔法陣が描かれててさ。魔法陣の中心に祭壇が置かれてた」

「魔法陣と祭壇?」

「うん。次に六人の三角覆面が板をかついで部屋に入って来た。その板の上にリンダが乗せられててね。リンダは一糸まとわぬ姿だった。リンダは眠ってたよ。胸がゆっくりと上下してた。薬で眠らされてたんだと思う。六人は板ごと裸のリンダを祭壇の上に置いた」

「裸のリンダさんが? その邪教団って男ばかりだったんですか?」

「いや。女の声もまじってたよ。男ばかりってわけじゃないと思う。それでさ。邪教団の首領らしい男がね。生きたニワトリの首をリンダの上で切断したんだ」

 うわあっとキャロラインが声をもらした。

 ルイーズも青い顔をしている。

 おれも気持ち悪くなったが気を取り直した。

「それで儀式は終わりですか?」

「いいや。そこからが真の儀式だったんだ。リンダのまっ白な裸身にニワトリの血が降りそそいでね。集団の声が大きくなって行ったんだ。アームラーメームラーってくり返しながらね。歌を歌ってるみたいだった。そのあと首領がニワトリの血でまっ赤になったリンダの胸の上に剣をふりかざした。首領が言ったんだ。魔王よ来たれ。われらのねがいをかなえたまえと。それから」

 ウォークバーグ侯爵が声をつまらせた。

「それから?」

「それから。それから」

 ウォークバーグ侯爵がすすりあげはじめた。

 おれは侯爵のおえつが収まるのを待った。

 しばらく泣いたあと侯爵が顔をあげた。

 意を決したらしくひと息で吐き出した。

「首領がリンダの胸の中心に剣を突き刺したんだ。胸から血があふれてリンダの裸身がけいれんしたよ。リンダの口からも血がたれた」

「そのあとはどうなったんです?」

「どうにもならなかったよ。集団が呪文を唱えつづけたけどなにも起こらない。ローソクの火がゆらぎすらしなかった。そのうち集団の中から失敗だというささやきが大きくなりはじめてさ。リンダの遺体を見おろしてた首領もとうとう失敗だと認めた」

「魔王は来なかった?」

「来るわけないだろ? 魔王なんて迷信だよ。でもそんな迷信を信じてるやつらがいたんだ」

 また侯爵が目を押さえた。

 おれは侯爵が落ち着くのを待った。

「それでリンダさんは?」

「集団のうちの六人がリンダの遺体を乗せた板をかかえて部屋の外に運び出したんだ。集団もぞろぞろと部屋を出て行った。最後のひとりがローソクを吹き消して戸をしめた。あとはまっ暗だよ」

「なにも見えなくなった?」

「そう。ぼくは出口がないか暗闇で手さぐりをつづけた。でもわからなかった。そのうち疲れて眠ったみたいだ。気がついたら朝だった。王都の街路にころがされてたよ」

「王都の街路に?」

「ああ。ぼくが眠ったあとでまた眠り薬をかがされたみたいだ。そうしてキャノン街の一番地にほうり出されたらしい。ぼくはあわててキャノン街の二番地にあるリンダの部屋に行ってみた。でもカギがかかっててリンダはいなかった。大家にカギをあけてもらったけどやはりリンダの姿はなかった」

 おれは考えた。

「犯人の目的はあなたじゃなかった。リンダさんだった?」

「うん。ぼくは眠らされただけだった。財布も盗まれてなかった。ぼくは身元不明の死体にリンダがいないか捜したよ。でもリンダはいなかった。部屋にももどってない」

「リンダさんはどういう人なんですか? 貴族じゃないんでしょう?」

「そう。リンダは平民だね。ぼくが後援する劇団の女優でさ。二十三歳なんだ。輝くばかりの美人女優だよ」

「名女優なんですか?」

 侯爵の顔がくもった。

「いや。名女優とは言えないな。売り出し中ではあったけどね。演技はそれほどでもなかった。だから主役はまだもらったことがない。準主役ってとこだね」

「王都の出身なんですか?」

「ちがう。クーリッジの出身だそうだ」

 クーリッジは王国の東の山奥だ。

 ど田舎だな。

「身寄りは?」

「ない。両親がはやり病で死んで王都に出て来たと言ってた」

「あなたは護衛をつけてなかったんですか?」

「つけてなかったよ。王都は治安がいいからね。まさか馬車を襲うやつがいるなんて思ってもみなかった」

「馬車は侯爵家の馬車なんですか?」

「そう。わが家の紋章入りの馬車だ」

「御者はどうなったんです?」

「御者も眠らされてた。襲撃された場所で翌朝まで放置されてたそうだ」

「ふうむ。それでおれになにをさせたいんです? 警察じゃないから捜査はできませんよ?」

「リンダに目をつけたやつがいるはずなんだ。あの夜は公演の最終日だった。ぼくは打ちあげの終わったリンダを家に送る途中だった。誘拐するには馬車の通り道を知ってなきゃならない」

「つまり馬車の通り道を知ってる者の犯行だと?」

「劇団の関係者はみんな馬車の通り道を知ってる。邪教団の誰かが劇団員から聞き出したんだろう。そこのところをしらべてほしい」

「しらべて判明したらどうするんです?」

「邪教団を壊滅させてやる。ぼくのリンダを殺した者をぼくはゆるさない。どんなことをしてでもぼくはリンダのかたきを討つ」

 ううむとおれはうなった。

「そんな責任重大なことは引き受けられませんよ。警察にたのんでください」

「警察にたのんでもだめだったからここにいるんじゃないか。警察は死体がなければ殺人事件として捜査できないんだそうだ」

「つまりリンダさんのご遺体はまだ発見されてないわけですね?」

「ああ。邪教団がどこかに埋めたんじゃないかな? リンダの捜索願いは出したけどさ。失踪者を捜すのは書類上だけなんだと。警察官が聞きまわっての捜査はしてくれないんだよ」

「それでおれに聞きまわれと?」

「そう」

「けど警察でもないおれが聞きまわってもなにもわからないかもしれませんよ?」

「それでもいい。なにもしないよりましだ。ぼくがリンダにしてやれることがないのがつらいんだよ。なにかしてないと頭がおかしくなりそうなんだ。たのむよ。引き受けてくれ。結果がはかばかしくなくてもいいんだ」

「わかりました。関係者に聞いてまわりましょう」

 侯爵がおれの手を両手でにぎった。

「おおっ。引き受けてくれるか。ありがとう」

 おれは苦い顔になった。

 レスター警部がさじを投げた案件だ。

 おれに糸口がつかめるわけがない。

 侯爵をがっかりさせる報告しかできないだろう。

 そう思うと肩に重さがずっしりとのしかかった。

「で。その劇団っていうのは?」

「オズボーン座だよ。アンカースクエア街のウォークバーグ劇場を拠点にしてるオズボーン座。座長はガイ・オズボーンでね。ぼくが後援してるから聞きこみに協力するように指示しとくよ。調査費用は無尽蔵ってわけには行かないけど金貨千枚までなら出す。取りあえず」

 侯爵が財布から金貨を二十枚出した。

 銀貨十枚が金貨一枚だ。

 通常の相談は一日あたり銀貨五枚で引き受けているから四十日分の日当にあたる。

 四十日聞きこめということらしい。

 侯爵が帰ってしばらくするとレスター警部がやって来た。

「で。どうなった?」

「引き受けましたよ」

「そうか。すまないな。わしもできるかぎりの協力はする」

「警部は侯爵の件をどう見てるんですか?」

 レスター警部がむずかしい表情になった。

「よくわからんのだ。侯爵の言う邪教団が暗躍してるなんてうわさは聞いたことがない。婦女が失踪する事件が多発してるわけでもない」

「警部は侯爵の言葉をうたがってるんですか?」

「うたがってはないよ。だがね。リンダさんの死体は見つかってない。侯爵が連れこまれた家はどこだかわからない。それで捜査しろと言われてもねえ。雲をつかむような話だよ」

「捜査しなかったんですか?」

「いや。いちおう劇団の関係者から話は聞いた。あやしいファンがいなかったかとかね。でもみんな心あたりがないそうだ。女優さんだと大勢の観客に見られるからなあ。どこの誰がおかしな考えを抱いても不思議はないよ。それ全部は捜査しきれんさ」

「なるほど」

「とにかくしばらく相手をしてやってくれ。毎日やって来て身元不明の若い女の死体はないかと聞くものだから署員がへきえきしてるんだ。貴族だからないがしろにするわけにも行かないしな」

 レスター警部が帰るとルイーズがクスクスと笑いはじめた。

「なにを笑ってるんだルイーズ?」

「いえね。ウォークバーグ侯爵家って代々ハゲなのよ。いまの侯爵の父も若ハゲで祖父も若ハゲだったの。呪いの若ハゲ侯爵家ってあだ名をつけられてるわ」

「他人の肉体的欠陥を笑うのははしたないぞ。で。ウォークバーグ侯爵って金持ちなのか?」

「ええ。大金持ちだわ。領地に銀山があって王家に銀を売ってるの。王国の銀貨はウォークバーグ領の銀なのよ」

「なるほど」

「そのありあまるカネで慈善事業や芸術家のパトロンをやってるわ。いまの侯爵はお父さんが落馬で亡くなったから若くして侯爵を継いだの。劇団の後援はいまの侯爵になってからはじめたみたいね。先代は音楽家の育成に力をそそいでたわよ」

「ふうん。芸術家のパトロンか。貴族もいろいろあるんだな」

「質問はそれで終わり? これからどうするのダグ?」

「そうだな。取りあえずキャノン街の二番地に行ってみるか」

 大家にたのんでリンダさんの部屋を見せてもらった。

 ごくふつうの女性の部屋だった。

 近所にも聞きこみをしたが取り立てて変わった点はなかったそうだ。

 リンダさんは朝に劇場に出かけて夜は侯爵が送って来る。

 近所づきあいはあいさつていどだったと言う。

 しつこいファンが押しかけて来たということもなかったらしい。

 次におれたちはアンカースクエア街のオズボーン座に向かった。

 アンカースクエア街のウォークバーグ劇場は立派な建物だった。

 オズボーン座はウォークバーグ劇場の専属劇団で次の公演のけいこをウォークバーグ劇場でやっていた。

 次の公演は半月後だと劇場の看板に書かれていた。

 おれたちはウォークバーグ侯爵の名前を出して劇場に入った。

 舞台で役者たちに演技指導をしている男がいた。

 座長で監督のガイ・オズボーンだろう。

 ガイは四十五歳くらいの男で無精ヒゲがのびていた。

 身だしなみには気をつかわない男らしく服はよれよれだった。

 キャロラインとルイーズは練習風景を見るのがはじめてのようでキョロキョロと周囲を見回していた。

 おれたちのことをウォークバーグ侯爵から聞いたみたいでガイが手をあげて役者たちをとめた。

「あんたがダグさんかい? リンダのことを聞きたいそうだが?」

「ええ。できればひとりずつお話を聞きたいんですが?」

「かまわないよ。いまは練習しかしてないからね」

 ガイがおれたちを座長室に案内した。

 裏方らしい男がお茶を運んでくれた。

 おれは悔やみをのべた。

「このたびはご愁傷さまでした」

 えっという顔をガイがした。

 すこしあいだをおいてガイが口をあけた。

「あっ。そうか。そうだな。じつに残念だよ。リンダはいい女だった」

 ガイがリンダさんについてなにか言うかと待った。

 だが言わないのでおれが切り出した。

「降霊祭の夜ですがね。リンダさんのようすに変わりはなかったですか?」

 ガイが思い起こす表情に変わった。

「なかったよ。いつもと同じだった。ちょうど演し物の最終日でね。午後八時に公演が終わって舞台で打ちあげをした。午後十時に打ちあげを切りあげてさ。リンダは侯爵の馬車で家に帰ったよ」

「あなたはそのあとどうしたんです?」

「おれ? いつものように酒場に飲みに行ったと思うな。この近くの酩酊船って酒場だ。毎晩行ってるからオヤジとも知り合いだよ」

「リンダさんと侯爵が馬車で帰るのを知ってた人は?」

「劇場の関係者ならみんな知ってたはずさ」

「お客さんで知ってる人は?」

「それもいたと思うよ。この半年ほど侯爵は毎晩リンダを部屋まで送ってた。熱心なファンは楽屋に花束を届けたり、出待ちと言って劇場から役者が出るのを待ってたりするんだ。侯爵とリンダが侯爵家の馬車に乗りこむのを見た客も多かっただろうさ」

「その馬車のあとをつければリンダさんの部屋もわかる?」

「ああ。簡単にわかるはずだよ。リンダはトラブルをかかえてなかった。尾行を警戒する必要なんかなかったろうからね」

「リンダさんに執心な客っていませんでしたか?」

「そりゃいたよ。リンダは美人だったからね。花束やおひねりをもらってたよ」

「そんな客がリンダさんをつけ狙ってるとかは?」

「聞いたことがないねえ。リンダは美人だがつき合ってる男は侯爵だけだった。女優としてのぼりつめようとがんばってたんだ。さっきも言ったがトラブルはなかったんだよ」

「じゃリンダさんが妙な宗教に入信してたとか?」

「それはないだろうな。リンダは不信心者で教会にすら行かなかった」

「なるほど。ところでこの劇場は古いですけどいつ建てられたんです?」

「四十年前だそうだ。当時はアンカー劇場という名だったとさ」

「じゃウォークバーグ劇場に変わったのは最近なんですか?」

「そうさ。半年前に侯爵が買い取ってウォークバーグ劇場に改名したんだ。そのときにおれたちも専属の劇団になったんだよ」

「半年前? それ以前はどんな劇団がこの劇場で公演をしてたんです?」

「素人劇団や地方劇団が賃貸で公演してたよ。おれたちもその中のひとつだった。だけど採算が合わなくてつぶれる寸前だったんだ」

「それを侯爵が買い取った?」

「ああ」

「いまでも赤字なんですか?」

「そう。だけど固定客もついてこれからだよ。今年中には黒字にしてみせる」

「ふむふむ。話は変わりますが次の公演にリンダさんがいなくてこまらないんですか?」

「そりゃこまるに決まってるだろ。でもいないものはしょうがないじゃないか。いる者でなんとかこなさなきゃさ。台本も書き替えなきゃならないしね。そろそろいいかな? おれは役者たちを指導しなきゃならないんだよ」

 おれはキャロラインを見た。

 キャロラインが首を横にふった。

 聞きたいことはないようだ。

「ええ。じゃ次の方と交代してもらえます?」

「わかった。呼んで来るよ」

 ガイが出て行って入れ替わりに女が入って来た。

 三十五歳くらいの女だった。

「あたしは主演女優のアリス・キプリングよ」

 取り立てて美人とは思えない。

 だが気の強そうな顔をしていた。

「ダグラス・マーカスです。このたびは無念でしたね」

 アリスの目がおよいだ。

 なにを言われたかわからない。

 そんな顔だった。

「あら? そうか。そうよね。そうだわ。悲しいことよね。リンダはこれからだったのにさ」

 おれは待った。

 アリスがリンダさんについて話すかと思ったので。

 女はうわさ好きだ。

 向こうからしゃべってくれるだろうと。

 しかしアリスの口から出たのはリンダさんのことではなかった。

「で。聞きたいことってなあに?」

 気を取り直しておれは訊いた。

「リンダさんの家ですがね。お客さんにリンダさんがどこに住んでた話したことがありますか?」

「さあ? おぼえてないわねえ。誰かに話したかもしれないし、話さなかったかもしれない。リンダの部屋がキャノン街の二番地だって劇場関係者ならみんな知ってたからね。リンダはよく寝すごしたのよ。それで使いっ走りの子に呼びに行かせたことも多かったからさ。客だって知ってる者は多かったんじゃないかしら?」

「リンダさんがトラブルをかかえてたということは?」

「それはなかったと思うわよ。侯爵以外に男はいなかったし、客にしつこい男がいたとも聞いてない」

「じゃリンダさんが得体の知れない宗教にかかわってたとかは?」

「それはあるわ」

 おれはおどろいた。

「えっ? あるんですか?」

 アリスがしれっと答えた。

「あるわよ。この劇団っていう得体の知れない宗教にね。演劇ってのは宗教なのよ。一度足を突っこんだら抜けられないの。役者は劇場っていう神さまをあがめたてまつる巫女なのよ。客はその得体の知れない宗教に賽銭を払うの」

 うーんとおれはうなった。

 たしかに熱狂的なファンは狂信者に似ている。

 惚れこんだ俳優は神に近いだろう。

「では降霊祭の夜の打ちあげが終わったあとどうしました? すぐに家に帰りました?」

 アリスが思案した。

「たしか酩酊船に行ったんじゃないかしら? 毎晩行くのよね。だからきっと行ったわ」

「打ちあげでは飲みたりないんですか?」

「そんなことはないけどね。習慣かしら? 行かないと落ち着かないのよ。劇団のみんなもたいていいるしね」

「二次会みたいなものですかね?」

「そうね。そんな感じよ」

「じゃリンダさんはどうして酩酊船に行かなかったんですか?」

「侯爵が送ってくれるのとさ。リンダは酒に弱かったの。ひと口飲むとふらふらになっちゃうのよ」

「なるほど」

 アリスの聞き取りが終わって次の人を呼んでもらった。

 ととのった顔の男が入って来た。

 四十歳くらいの伊達男だった。

「おれはクラレンス・グリフィンだ。主演男優をつとめてる」

「ダグラス・マーカスです。このたびはまことにどうも」

 クラレンスがおれの顔を見つめた。

「まことにどうも? どういう意味だい?」

 えっとおれはクラレンスの顔を見返した。

「いえ。ですからリンダさんがああいうことになって」

 あっとクラレンスが口をあけた。

「ああ。そういうことか。そうだな。リンダはかわいそうなことをした」

 クラレンスが遠い目をした。

 リンダさんの回想に入ったのかと思っておれは聞き耳を立てた。

 だがしばらく待ってもクラレンスは口を切らなかった。

 おれはしかたなく問いかけた。

「リンダさんの家をお客さんに教えたことってありますか?」

 クラレンスが居住まいをただした。

 答える態勢になったようだ。

「ないね。そもそもおれはリンダがどこに住んでたか知らないよ」

「劇団のみんなが知ってるって話でしたが?」

「おれはリンダの私生活に関心がなかったからね。聞いててもおぼえてないんだ」

「なるほど。ではリンダさんが宗教にかかわってたとかも知りませんね?」

「ああ。知らない。おれはリンダと劇場以外で会ったことはないんだよ」

「それはなぜです?」

「うぬぼれに聞こえるかもしれないがおれは女受けがいいんだ。仕事場で女にやさしくするとややこしいことになるだろ? それがいやで仕事場では最小限しか女と接しないことにしてる。酒場の女はよく口説くんだがね」

「ふうむ。じゃ降霊祭の夜の打ちあげが終わったあとどうされました?」

「降霊祭の夜の打ちあげ後? 酩酊船って酒場に行ったはずだな。そこでみんなと飲んでたよ。座長が次の演目を熱く語ってたな」

 クラレンスから聞けたのはそれだけだった。

 次に来たのはふたりだ。

 同じ顔をした女が手をつないで入って来た。

 二十歳くらいか。

 小柄で童顔のふたりだった。

「あたしたちはふたご。あたし姉のサラ・ナイト」

「セス・ナイト」

 よろしくとばかりにふたりが同時に頭をさげた。

「おれはダグラス・マーカスだ。よろしくな。それでこのたびはとんだことだったね」

「とんだこと?」

「とんだこと?」

 姉と妹が同時にきょとんとした顔になった。

「リンダさんが残念なことになったって意味だよ」

「ああ。リンダ。そう。残念。美人だったのに」

「美人だったのに」

 おれはとまどった。

 演じているのか素なのか姉と同じことを妹がくり返すらしい。

 手もつないだままだ。

 息がぴったり合っているせいでこだまが返るみたいだった。

 おれはしばらく待った。

 だが姉妹は口をとざして話そうとしない。

 口数がすくないみたいだ。

 口から先に生まれた女ではないらしい。

 おれは質問をはじめた。

「リンダさんの家を知ってるお客さんに心あたりはないかい?」

「ない。リンダがいなくなって侯爵ちゃんがかわいそう」

「侯爵ちゃんがかわいそう」

 おれは苦笑した。

 そういう芸風のようだ。

 おそらく舞台でもふたりそろって出て来るのだろう。

「リンダさんの家は知ってる?」

「知ってる。キャノン街の二番地」

「二番地」

 おれは姉妹を観察した。

 小柄で力もなさそうだ。

 リンダさんと侯爵を拉致できる人間とは思えない。

「リンダさんが宗教とかかわってるって聞いたことは?」

「ない」

「ない」

 ふたりの人間というよりひとりの人間が分裂しているみたいだった。

「じゃ降霊祭の夜の打ちあげ後はどこにいたの?」

「酩酊船にいた。みんなと飲んでた」

「飲んでた」

 おれはふと思った。

「きみたちふたりはいつもいっしょにいるのかい?」

「そう。朝起きてから夜寝るときまで。ご飯を食べるときだけ手を放す」

「放す」

 妹が姉に依存しているのか姉も妹がいないと不安になるのか。

 よくわからないがいっしょにいないとだめらしい。

 ナイト姉妹の次は大道具係がやって来た。

 大道具係の答えも先に来たアリスたちと同じだった。

 そのあと裏方や端役や事務方など全員に話を聞いた。

 だが全員が同じことしか言わなかった。

 降霊祭の夜の打ちあげ後は全員が酩酊船に集まったそうだ。

 レスター警部も聞きこみをしたが成果はなかったと言っていた。

 おれたちも邪教団の手がかりをつかめなかった。

 次に酒場の酩酊船を捜した。

 酩酊船はすぐに見つかった。

 昼間なので営業はしてなかった。

 中に入ると五十代くらいの男女が掃除をしていた。 

 店主とその妻のようだ。

 おれは男に声をかけた。

「降霊祭の夜なんですがね。オズボーン座のみなさんが飲みに来てましたか?」

 男が愛想よく答えた。

「ああ。来てたよ。毎晩きてくれるんだ。いいお得意さんだよ」

 だが女が男の背中をつついた。

「おまえさん。それまちがってるわよ。降霊祭の夜はあれじゃないさ。ボヤの出た夜だわよ」

 男が女の顔を見た。

「ボヤの出た夜? あれが降霊祭の夜だっけ?」

「そうよ。調理場の火が調理台に燃え移ってさ。バカな客があわてて消防隊に駆けこんだのよ。それで消防隊が来て大さわぎになったじゃない?」

「そういやそうだ。消防隊が客を全員追い出しやがってよ。調理台の火はすぐに消えたのにさ。おれたちはえんえんと説教をくらったっけな。あれが降霊祭の夜か?」

「ええ。だから降霊祭の夜は午後十時以降は営業できなかったのよ。あたしたちが消防隊から解放されたのは真夜中をとっくにすぎてたわ」

「それであの夜はそのまま店をしめちまったんだっけか」

 男がおれにふり向いた。

「すまねえお客さん。さっきのはまちがいだったよ。降霊祭の夜にオズボーン座は誰ひとりとして来てねえわ」

 おれは首をかしげた。

 オズボーン座の全員がここで飲んでたと言ったぞ?

 あれはどういうことだ?

 ここに来てないとするとオズボーン座の全員は打ちあげ後にどこでなにをしてたんだ?

 酩酊船を出て王都消防隊にも行ってみた。

 消防隊員が出動記録をしらべてくれた。

「ああ。たしかに降霊祭の夜に酩酊船が火事だと通報がありました。午後十時五分ですね。消防隊員十人が出て消火にあたったと書いてあります。火事のていどはボヤで初期消火に成功した。店主夫妻に厳重注意をほどこしたと」

 だとすると酩酊船が降霊祭の夜に営業できなかったのは正しいらしい。

 どういうことだろう?

 オズボーン座の全員はなぜ酩酊船にいたと証言したのか?

 そして打ちあげのあとどこにいたのか?

 消防隊を出て首をひねっているおれのそでをキャロラインが引いた。

「ウォークバーグ侯爵に会いに行こう」

 聞き返す間もなくおれたちはキャロラインに馬車に押しこまれた。

 侯爵は屋敷で書類と格闘していた。

 貴族はいろいろといそがしいようだ。

 侯爵が机からハゲた頭をあげた。

 本日もツルツルのピカピカだった。

「やあ。なにかわかったかい?」

 キャロラインが侯爵のハゲ頭を見おろした。

「侯爵。リンダさんとどこまで進んでたの? 手はにぎった? キスはした?」

 侯爵が目を丸くした。

「なんだいそりゃ?」

「いいから答えてよ。手をにぎったの? キスまで行った?」

 侯爵がもごもごと口の中でつぶやいた。

「手はにぎったけどさ。キスはまだ」

「そう。食事には?」

「最初のころには行ったけど最近は行ってない」

「それはなんで?」

「リンダがけいこに集中したいからってさ。それとリンダはお酒に弱いんだ。食事に行ってお酒につき合えないのが悪いって言ってたよ」

「じゃ侯爵はリンダさんといつからつき合いはじめたの?」

「そうだなあ。七ヶ月ほど前じゃないかな? オズボーン座の座長のガイがぼくをたずねて来たんだ。アンカー劇場が倒産しそうだから買い取らないかってね。ウォークバーグ家はさまざまな芸術活動を援助してるから演劇も援助してくれって」

「それで援助したわけ?」

「ううん。ぼくは演劇ってまるでわからなかったから最初はことわったよ。でもガイが熱心にすすめるんだ。けいこ風景を見てくれってね」

「そこで出会ったのがリンダさん?」

「そう。ボロボロの倉庫で練習しててさ。大道具も古びてガタの来たものばかりだった。でも役者たちの熱気が伝わって来てね。ぼくがあと押しをしてる音楽家たちと似たものを感じたよ」

「それでアンカー劇場を買い取ったわけ?」

「ああ。演劇を後援するのもいいかなってね」

「侯爵はリンダさんと結婚するつもりだったの?」

「よくわかるね。そのとおりだよ。最初に婚約を申しこんで婚約するだろ? その三ヶ月後には結婚式をと考えてた。婚約指輪ももう作ったよ。いつでもわたせるようにポケットに入れてある」

 侯爵が背広のポケットから小さな箱を出した。

 ふたをあけるとダイヤのついた指輪が光っていた。

 おれはオーリック宝石店で似た大きさのダイヤの指輪を見ていた。

 金貨二百枚の値札がついていた。

 一般人の給料の約十ヶ月分の指輪だ。

 キャロラインが指輪を値踏みしながら訊いた。

「それってリンダさんに伝えたの?」

「いや。まだだけどね。大事な話があるから時間を作ってくれって言っといた。だから察してたんじゃないかな?」

「なるほどね」

「あのねきみ。ぼくとリンダのことばかり訊いてるけどさ。邪教団についてはなにかわかったのかい?」

「ううん。まだ。でも十日のうちにしらべがつくと思う」

「本当かい?」

「うん。けどいい知らせじゃないよ。覚悟はしといてね」

 侯爵の肩ががっくりと落ちた。

「そうか。リンダはやっぱり」

 キャロラインがさっそうと侯爵邸を出た。

「なにがわかったんだいキャロ?」

 おれの問いにキャロラインがふり返った。

「ウォークバーグ劇場に行こう。そこで説明してあげる」

 というわけでウォークバーグ劇場に向かった。

 キャロラインが座長のガイ・オズボーンを座長室に連れこんだ。

「おれはいそがしいんだが?」

「いや。すぐにすむよ。あなたは降霊祭の打ちあげのあとどこにいたのさ?」

「言っただろ? 酩酊船にいたって」

「ううん。降霊祭の夜の酩酊船にお客さんはいなかったんだよ。あなたたちオズボーン座の全員のアリバイは不成立だね。さあ答えてよ。降霊祭の夜はどこにいたわけ?」

 ガイが言葉につまった。

「うっ」

「あなたたちは降霊祭の夜に魔王召喚の儀式をおこなったんだ。あなたたちオズボーン座の全員が邪教団だったんだよ。リンダさんを殺したのはあなただろガイ・オズボーン?」

 ガイがうろたえた。

「ちっ! ちがうっ! おれは殺しちゃいねえっ!」

「じゃ誰が殺したの? クラレンス・グリフィン?」

「いや! クラレンスも殺してねえ!」

「あなたたちは大金持ちのウォークバーグ侯爵に見そめられたリンダさんがねたましかったんだ。だから邪教団の黒ミサに見せかけてリンダさんを殺す計画を立てた。リンダさんをただ殺せば自分たちに容疑がかかる。邪教団がいけにえにしたなら警察は邪教団を追う。そのために劇団員全員が邪教団に扮してリンダさんを殺したんだ。ちがう?」

 ガイがキャロラインの両肩をつかんだ。

「ちっ! ちがうっ! ごっ! 誤解だっ! おれたちは誰もリンダを殺してねえっ! リンダは生きてるっ! 生きてるんだぁ! 信じてくれよぉ!」

 キャロラインがガイにゆさぶられながらも平然と訊いた。

「ふうん。じゃそのリンダさんはどこにいるのかなあ?」

 ハアハアとガイが荒い息を吐いた。

「港町のリバーエンドだ。おれの知り合いの劇団で脇役をやってる」

「本当かな? その場しのぎのウソじゃないの?」

「ウソじゃねえ! リンダは生きてるんだ!」

「じゃ十日以内にリンダさんを王都に連れて来てよ。それができなきゃ王都警察にあなたたちを殺人容疑で突き出す」

 ガイが計算している顔になった。

 港町のリバーエンドから王都までの距離を計算しているらしい。

「わ。わかった。十日以内にリンダをここに呼びもどそう。生きてるリンダを見ればおれがウソをついてねえって納得できるだろう」

 キャロラインがうなずいた。

「よろしい。なら十日だけ待ったげる。十日がすぎたら王都警察に行くよ。逃げてもすぐに捕まえるからね」

「逃げるもんか! リンダは生きてるんだからな!」

 おれたちはウォークバーグ劇場を出た。

 おれにはなにがどうなっているのかわからなかった。

 オズボーン座の全員が邪教団に扮していたというのは理解できた。

 それで全員のアリバイがなかったわけだ。

 そしてガイがリンダを殺したというのも。

 しかしリンダは生きているとガイは言い張った。

 だがそんなのは苦しまぎれの言いわけだろう。

 キャロラインはなぜガイのウソを信じて放置するんだろう?

 おれは辻馬車を捜しているキャロラインの肩をつかんだ。

「いますぐガイを逮捕させるべきじゃないのか? 十日も待ったら確実に逃げるぞ? 殺人罪だと縛り首だ。捕まるのを待ってる殺人犯がいるはずはないぞ?」

 ふふふとキャロラインが笑った。

「相談所に落ち着いてから説明したげる」

 おれは腑に落ちないまま相談所にもどった。

 コンスタンツェがメシの用意をして全員でテーブルについた。

 食後のお茶を飲みながらキャロラインがおれに顔を向けた。

「結婚詐欺だったんだよ」

「結婚詐欺? なんだそれ?」

「つまりね。リンダさんは侯爵に気のあるそぶりをしてアンカー劇場を買い取らせたわけさ。おそらく座長のガイの入れ知恵でね。ガイは侯爵がリンダさんに惹かれたのに気づいたんだよ。ガイはリンダさんに言いふくめて侯爵に接近させた。リンダさんによく思われようと侯爵は劇団にも出資した」

「ああ。それでリンダさんが殺されたんだな? ガイの指示で侯爵からカネを引き出すのをリンダさんがしぶったわけだ。リンダさんが侯爵に惚れたからな。仲間われだったんだ」

「ちがうよ。にぶいなあダグは。リンダさんは侯爵が好きじゃなかったんだ。きっと美人にありがちな若ハゲでデブはきらいって理由だろうね」

「はい? リンダさんは侯爵が好きじゃなかったのか?」

「そう。でも侯爵をふると劇団への援助がなくなるかもしれない。だから侯爵とつき合ってる演技をした。ところが侯爵は本気だった。このままでは侯爵が結婚を申しこむ。リンダさんは侯爵と結婚したくない。だけど結婚をことわると援助も打ち切られるかもしれない。リンダさんとガイはこまった。さあどうすればいい?」

「ええ? どうすればいいんだろ?」

「侯爵と結婚しないで援助も打ち切られない方法。それを座長のガイが考えた。その結果が邪教団による黒ミサだよ。邪教団がリンダさんをいけにえにして殺せばリンダさんは侯爵と結婚しなくてすむ。邪教団のせいだから援助も打ち切られない」

 おれはやっと飲みこんだ。

「つまりリンダさんもグルで劇団全員が黒ミサの芝居をしてた?」

「そう。降霊祭の夜の打ちあげの席から裏方たちを先まわりさせたんだろうよ。侯爵家の馬車の通り道にね。そうしてリンダさんと侯爵を拉致する」

「侯爵が抵抗して失敗するおそれはなかったのか?」

「それはないね。リンダさんも荷担してるんだよ。侯爵が抵抗しそうになったらすがりついてこう言えばいい。おとなしくしないと殺されるわ。抵抗しちゃだめよってね。なおも抵抗しようとしたらリンダさんが力まかせに引きとめればいいんだ。襲撃者が失敗することはないね」

「なるほど。リンダさんが一味ならそうだな」

「次に侯爵を屋根裏部屋にほうりこんで目ざめるのを観察する。侯爵に見せるための芝居だからね。侯爵が眠ってるときに開演してもしかたがない」

「なんで侯爵が目ざめたとわかるんだ? まっ暗な屋根裏部屋だぞ?」

「すき間がいっぱいあるって言ってたじゃないか。そのすき間からのぞいてりゃ見えるよ。侯爵は下の部屋からローソクの光が射してたって言ってた。目ざめたらその光をのぞきこむに決まってる」

「それもそうか」

「侯爵が目ざめて階下を見たら芝居の開幕だよ。邪教団のかっこうをした劇団員たちが部屋に入る。服をぬいだリンダさんを運び入れる。座長のガイがリンダさんの胸を剣で刺す」

「ちょっと待てよ。剣で刺したらリンダさんは本当に死ぬじゃないか」

「やだなあ。芝居の小道具に決まってるじゃないか。きっと刺したら刃が引っこむように作られてるんだよ」

「だがリンダさんの胸から血が出たんだろ? それはどうやったんだ?」

「剣の柄の部分に血のりをしこんであるんだろうね。刃が引っこむと同時に血が噴き出すように」

「それだと上から血が落ちるぞ? 胸から出たようには見えないはずだ」

「リンダさんの胸はニワトリの血でまっ赤だよ。胸から血が出たか上から降ったかわからないと思うな。細いすき間からローソクのゆれる光で見てるわけだしね」

「じゃリンダさんの口から出た血は?」

「ソーセージを作るときに使う腸にさ。血のりをつめてかみつぶしたんだろうね。芝居でよく使う手だよ」

「ふむふむ。するとリンダさんを殺す演技を侯爵に見せつければ完了か?」

「そう。あとは撤収するだけさ。屋根裏部屋にいる侯爵には眠り薬を焚いて煙を送りこんだんだろうね。侯爵が眠ったら運び出してキャノン街に置いとけばいい」

 そのときおれは気づいた。

「キャロは最初からリンダさんが生きてるとわかってたのか?」

「最初からじゃないよ。劇団のみんなに聞き取りをしただろ? あのときにおかしいなと感じたんだ」

「なにがおかしかった?」

 おれにはおかしなところなどないように思えた。

「だってさ。仲間が邪教団のいけにえになって殺されたんだよ? なのにみんな話題にもしない。悲しんでさえいない。自分たちが次のいけにえにされるかもって怖れもない。なんらかの反応があってしかるべきじゃないか? そう思ったんだよ」

 おれは思い起こした。

「そういやおれがお悔やみを言ったときみんなきょとんとしてたな。なんの話って感じだった。まるでリンダさんが最初からいなかったみたいだったな」

「でしょう? 身近で殺人事件が起きた人の反応にしては妙だった。みんなリンダさんが生きてるのを知ってるからあんな反応だったんだよ」

「生きてる人間のお悔やみをのべたからきょとんとされたのか?」

「だと思う。みんな喪に服してなかったんだよ。リンダさんが死んだってのを忘れてたんだ」

「忘れてた? あんなたいそうな芝居をしてか?」

「うん。だってさ。彼らにとって芝居は日常なんだよ。どんなに深刻な演目でもそれは日々のいとなみでしかないのさ。芝居の上でリンダさんを殺そうがそれは一年のうちの平凡なひとこまなわけだよ。次の公演のけいこに入れば忘れちゃうささいな出来事にすぎないんだ」

 そう言えばおれに指摘されたから思い出したみたいだった。

 そのときおれは気がついた。

「リンダさんが殺されてないって知っててガイを人殺し呼ばわりしたのか?」

「あら。バレちゃった。だってさ。黒ミサが芝居でしょって問いつめてもシラを切られるかもしれないじゃない? 殺人が芝居だとガイたちを罪に問うことはできないんだ。でも本物の殺人だと縛り首にできる」

「危機感がちがうってことか?」

「うん。ガイは芝居がバレても悪ふざけだったって言えば終わりなんだよ。侯爵をからかうための演技でしたってね。人さわがせなと警察から説教をされるだろうけどそれだけなのさ。でも殺人だと縛り首にされちゃう。殺人容疑を晴らすには生きたリンダさんを連れもどす以外にないんだ。このとおりリンダは生きてますってね」

「たいしたもんだ。劇団員たちの話を聞くだけでそこまでわかるとはな」

「いいや。そうじゃない。全貌がひらめいたのは酩酊船の店主の話を聞いたときだよ。酩酊船の店主はオズボーン座の誰ひとりとして来なかったと言った。あのときにわかったのさ。リンダさんが死んでないってね」

「どういうことだ? たしかに全員のアリバイがなくなったけどさ」

「この一件の核心はそこだったんだ。どうしてそんなずさんなアリバイを全員が言ったんだろう? そう疑問に思ったのさ」

「はあ? よくわからないが?」

「つまりさ。本当に殺人を犯したとするとね。もっとたしかなアリバイを用意すると思うんだ。発覚すれば縛り首だからね。たとえばさ。打ちあげのあとも劇場で全員で飲んでた。そう口裏を合わせれば確実なアリバイになるよ。十五人以上の証言だからね。でも殺人じゃなかった。だから綿密な口裏合わせをしなかった」

「バレても縛り首にならないから?」

「そう。みんなはいつもそうしてるからつい酩酊船にいたって言ったんだ。アリバイ作りを重く考えなかったせいでね。しらべればすぐに否定されるいいかげんなアリバイだよ。どうしてそんなもろいアリバイを全員が口にしたか? それはリンダさんが生きてるからだよ」

「アリバイが否定されても縛り首にならない? そんな気楽さがあったから酩酊船にいたって言ったのか?」

「たぶんね。芝居が終わったらそこでお仕事が終了だったんだよ。あとでアリバイが必要になるとは誰も思わなかった。お芝居は見終わったらおしまいだからね。後日談はなくてもいい」

「つまり芝居だったからアリバイまでは脚本になかった? 客に見せなくていい部分だから?」

「そのとおり。脚本に書かれてなかったせいで全員がアドリブで答えたんだ。つまりアリバイを用意するとこまで脚本を書いたガイの頭がまわらなかったのさ。あくまで芝居の脚本だったからだよ。本物の計画殺人だと致命的な失策になるけどね」

「なるほど。そのずさんきわまりないアリバイが原因でリンダさんが殺されてないって推理したのか?」

「そういうこと。リンダさんが殺されていればそんなバカなアリバイを口にするはずがないからね。リンダさんが生きてるのを知ってるからそんなずさんなアリバイを口にしたのさ。先の全員の聞き取りで感じた違和感もそれを裏づけたしね。ではリンダさんが殺されてなければ侯爵が見た儀式はなんだったのか? 関係者は劇団員だから芝居だろう。じゃどうしてそんな芝居をしたのか? リンダさんは侯爵とキスもしてない。食事も拒否してる。半年以上つき合ってそれはないよね?」

「そこからリンダさんは侯爵を好きじゃないと?」

「うん。ではなぜリンダさんは好きでもない侯爵とつき合ってるか? 劇団を援助させるためだ。次に侯爵はリンダさんに婚約指輪を贈ろうとしてた」

「婚約指輪を受け取らないために姿を消す必要があった?」

「そう。あとは説明したとおりさ。座長のガイが脚本を書いて全員で演じたんだよ」

「でもなキャロ。殺されたことにして姿を消したリンダさんだがね。王都にもどりたいと考えたらどうするんだ? 殺されたことになってるんだぞ?」

「もどって来ればいいのさ」

「はあ? なんで?」

「重傷だったけど死ななかったの。しばらく生死のさかいをさまよってたわ。そう言えばいいだけだよ」

「だけどそれだと侯爵と結婚することになるぞ? 結婚したくないから芝居をしたんだろ?」

「それもこう言えばいいんだよ。邪教団の男たちにけがされたからあなたとは結婚できないのってね」

「侯爵がそれでもかまわないって言ったら?」

「男たちに乱暴されて男性恐怖症になったからだめよ。そう拒否されたら侯爵もそれ以上は無理じいできないさ。男が怖い女が結婚できるはずがないものね」

「なるほど。でもな。リンダさんがもどって来るとリンダさんは罪に問われないか? 結婚詐欺なんだろ?」

「そこは微妙だね。あからさまに結婚すると約束して援助を引き出したら詐欺で逮捕できる。でも気のあるそぶりだけなら侯爵が自発的に劇場を買い取って後援したと言いのがれが可能だよ。そこのところは裁判官の解釈しだいじゃないかな? リンダさんが私用でつかうカネをみつがせたんじゃないからね」

「ううむ。じゃ座長のガイとリンダさんはできてたのか?」

「あはは。そこまではわからないよ。けどそんな雰囲気じゃないね。リンダさんを港町のリバーエンドに飛ばしてる。恋人ならもっと近くに隠してもいいんじゃないの?」

「かもしれないな」

 それから十日がすぎた。

 ガイ・オズボーンから知らせが届いた。

 リンダを連れもどしたと。

 おれたちはウォークバーグ劇場に足を運んだ。

 ガイが美人をおれたちに紹介した。

「この女がリンダ・ワイルドだ。どうだ? リンダが生きてるってわかっただろ?」

 キャロラインがうなずいた。

「さて。これでボクらの仕事は終わった。侯爵に一部始終を報告するけどいいかい?」

 うっとガイがつまった。

「適当にごまかしちゃくれねえかい?」

「だーめ。全員で誠心誠意あやまるしかないだろうね。だましてごめんなさいって」

 リンダさんが口をはさんだ。

「そんなことをしたら後援を打ち切られちゃうわ。なんとかならない?」

 キャロラインが人差し指を立ててふった。

「しかたがないよ。好きでもないのに気のあるそぶりをして後援してもらったんだからさ。ところでねリンダさん。やっぱりハゲでデブだからいやなの?」

 リンダさんが顔をしかめた。

 あたりらしい。

 次におれたちは劇団員全員を連れて侯爵家に向かった。

 先におれたちだけで侯爵に事件の全貌を説明した。

 侯爵は顔をゆがめて聞いていた。

「そうか。リンダはぼくがきらいだったのか。若ハゲでデブだものな」

 侯爵が涙をハンカチでぬぐった。

 そのあと劇団員全員がせいぞろいして侯爵に頭をさげた。

 その中にはリンダさんもいた。

 おれは侯爵が激怒してリンダさんを絞め殺すのではないかと警戒した。

「リンダ。本当に生きてるんだ。殺されなくてよかった」

 侯爵がぼうぜんとした顔でリンダを見つめた。

 絞め殺す気配はなかった。

 侯爵がポケットから婚約指輪の箱を取り出した。

「これどうしよう? 宝石商に引き取ってもらうしかないかな?」

 ふたごの姉のサラ・ナイトが侯爵の前に出た。

「あたしにちょうだい侯爵ちゃん」

 妹のセスも姉の横に来た。

「ちょうだい侯爵ちゃん」

 侯爵が姉妹と箱を交互に見た。

「こんなものがほしいの?」

 ふたごがそろってうなずいた。

「侯爵ちゃんかわいそう」

「かわいそう」

 侯爵が苦笑した。

「同情してくれるのかい? やさしいね」

 サラがリンダをにらみつけた。

「こんな性格の悪い女はやめてあたしたちといいことしましょう」

「いいことしましょう」

「えっ? なにそれ?」

 サラが侯爵の右手に腕をからめた。

 セスが左手だ。

「侯爵ちゃん。ツルツルの頭がかわいい。ぷくぷくしたおなかもさわってみたい。あたしたちと結婚しましょう」

「結婚しましょう」

「えええええ?」

 姉妹が侯爵の左右から頬にキスをした。

 その後しばらくして侯爵はナイト姉妹と結婚した。

 最初の一年は姉のサラと。

 次の一年はサラと離婚して妹のセスと。

 侯爵とふたごは一年おきに結婚と離婚をくり返した。

 そしてふたごは同時に女の子を産んだ。

 侯爵は二児の父になった。

 いま侯爵は娘たちも若ハゲにならないかと心配している。

 いっぽう座長のガイは転んでもただでは起きなかった。

 劇団オズボーン座は邪教団と少年探偵の一大冒険活劇で王都を興奮のるつぼにたたきこんだ。

 美少女が男装した少年探偵と三角覆面の邪教団首領の丁々発止のやり取りがおおいに受けた。

 邪教団の黒ミサの場面では全裸のリンダがいけにえ役だった。

 王都中が全裸を芸術かワイセツかで騒然となった。

 最後は王が裁定を出して芸術と認定された。

 だがニワトリの生き血はやりすぎだとしてとめられた。

 卒倒する婦人が続出したからだ。

 リンダの口から出す血のりだけがゆるされた。

 ウォークバーグ劇場は黒字に転じて大入り満員をつづけている。


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