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 第三話 大山猫の瞳殺人事件

 その日キャロラインがおれに切り出した。

「ねえダグ。ズーファイア伯爵家の舞踏会にいっしょに行ってくれない?」

 ズーファイア伯爵は評判のよろしくない男だ。

 王都の繁華街にカジノを持っていて金持ちではある。

 だがほしいものは手段をえらばず手に入れるといううわさだ。

 女や宝石や絵画などあらゆるものをほしがるらしい。

 そんな男の舞踏会に社交ぎらいのキャロラインが?

「どうしてズーファイア伯爵の舞踏会なんかに?」

「ボクの知り合いにローラ・モンゴメリって子爵の令嬢がいてね。その子がズーファイア伯爵に目をつけられてるんだ。ことわりたいけど父親の会社がズーファイア伯爵から融資を受けててことわれないらしい。それでボクについて来てってさ。ボクひとりじゃなにかあったときに助けてやれないからね」

「わかった。そのローラって子をズーファイア伯爵から守ればいいんだな?」

「そういうこと」

 ルイーズが手をあげた。

「わたしも行きたい!」

 おれはルイーズの全身を見た。

 キャロラインとちがってルイーズは女らしい女だ。

 豊満な胸にボリュームのある尻。

 たいていの男からすると魅力のあふれる女だ。

 そんな女を好色漢のズーファイア伯爵の舞踏会に連れて行っていいのか?

「ルイーズはやめたほうがいいんじゃ」

「いやよ。行きたい。行きたいったら行きたい!」

 おれはコンスタンツェを見た。

 コンスタンツェがうなずいた。

 コンスタンツェは護衛としても一流だ。

 ひょっとするとおれより強いかもしれない。

 いざとなったらコンスタンツェがルイーズを守るだろう。

「まあいいか。でも招待状はあるのか?」

 ルイーズが首を横にふった。

「ないわ」

「じゃだめだ」

「えー? なんとかしてよぉ」

 おれはキャロラインを見た。

 キャロラインが苦笑した。

「ボクの友だちということでいっしょに行こう。公爵家の令嬢をことわりもしないだろ」

 そんなわけで相談所をしめてモンゴメリ子爵家に向かった。

「まあ。あなたがキャロの同級生のダグラスさん? キャロからお話は聞いてるわ。褐色熊を素手でやっつけたんですってね」

「はあ。まあ」

 ローラ・モンゴメリは赤毛のかわいい顔をした女だった。

 胸はルイーズより小さいがスタイルがよかった。

 軽業師のように引きしまった体型をしていた。

 こまねずみのようにちょこちょこと動くさまが愛らしい。

 美人ではないが顔もしぐさもかわいい。

 男にとって庇護欲をそそられる女にちがいなかった。

 おれたちはローラを連れて馬車でズーファイア伯爵家に行った。

 屋敷の入り口でズーファイア伯爵みずからが客をむかえていた。

「ようこそいらっしゃいました。ローラ・モンゴメリ嬢にキャロライン・ワーグナー子爵。それにシルバーフォックス家のルイーズ嬢じゃありませんか。わが家のようないやしい伯爵家にあなたさまのような公爵家のお嬢さまがいらっしゃるなんて」

 ズーファイア伯爵は腹が出て鼻の下にヒゲをたくわえた男だった。

 いかにも好色そうな目つきでローラとルイーズを見た。

 キャロラインは趣味ではないらしい。

 まあキャロラインは見た目が少年だ。

 そんなキャロラインを好むのはよほどの変態だろう。

 ズーファイア伯爵の屋敷は広かった。

 カネにあかしての豪邸という感じだ。

 玄関を入ると大広間があった。

 大広間で客たちは上着や帽子をメイドたちにあずける。

 三十人ほどいるメイドがいそがしく客の荷物にあずかり札をつけていた。

「お客さま。上着をおあずかりいたします」

「ああ」

 メイドがおれの上着をぬがせた。

 その際に身体にさわられた。

「お客さまはすごい筋肉ですね。ずいぶんきたえてらっしゃる」

 おれはメイドの顔を見た。

 ととのった顔をしていた。

 だがメイドらしくない目くばりだった。

 獲物を観察する冒険者のような目だ。

 筋肉のつき方もふつうの女ではなかった。

 きたえあげた狩猟者みたいな筋肉だった。

 おれはメイドの胸につけられた名札を読んだ。

 ナスターシャと書かれていた。

 メイドの服装をしているが護衛のひとりかもしれない。

 そう思った。

 おれはナスターシャに上着とカバンをあずけると大広間を見わたした。

 大広間は客でごったがえしていた。

 よろいが数体立っていた。

 壁には剣や弓矢や斧がかざられていた。

 絵画もかけられていた。

 客たちがざわめきながらその剣や絵画をながめている。

 大広間の奥に左右から二階にあがる階段がついていた。

 その階段の下をくぐる形で砂を敷きつめた中庭が見えている。

 中庭の中央に石造りの竜と海神を置いた噴水をしつらえていた。

 噴水の周囲の砂は掃き清められていてまるでさざ波の海だった。

 中庭の砂には靴跡ひとつついてない。

 屋敷の右翼と左翼は中庭をかこむように建物がつづいていた。

 円柱の立ちならぶ廊下から中庭がのぞめる構造になっていた。

 招待客たちは中庭に入るのを禁止されていた。

 砂の海に靴跡がつくと美観をそこねるからだろう。

 と言っても円柱と円柱のあいだにひもを張って立ち入り禁止と書かれた紙がぶらさがっていただけだが。

 招待客たちが二階にぞろぞろとあがって行く。

 おれたちも人波に押されて二階にあがった。

 二階にも大広間があって客であふれかえっていた。

 ズーファイア伯爵の舞踏会は盛会だった。

 屋敷に入り切れないほどの客が来ている。

「なんでこんなに人が多いんだ?」

 ズーファイア伯爵が人気者だということはないだろう。

 ローラがおれのそでを引っぱった。

「大山猫の瞳っていう巨大エメラルドを披露するって話よ。なんでも金貨十万枚もする宝石だとか」

 一般人の年収が金貨二百五十枚だ。

 四百年分の年収に相当するエメラルド?

 どんな巨大な宝石だよ?

 そのとき肩をたたかれた。 

「よぉダグ。きみも来てたのか」

 ふり向くとレスター警部だった。

「どうして警部がここに? 警部もエメラルドを見に来たんですか?」

「まさか。仕事だよ。脅迫状が来たんだ。そのエメラルドを返せってな。返さないと呪い殺すとさ。ズーファイア伯爵が用心してね。エメラルドを護衛してほしいんだと」

「そのわりには警官の姿が見えませんね?」

「雰囲気をこわすんで私服にしてくれとさ。十人の私服警官がエメラルドを見張ってるよ」

「ふうん。でもズーファイア伯爵自身の警護は?」

「伯爵は自分の部下に護衛させるってさ。警官とはいえ見ず知らずの人間が近くに貼りつくのは不安らしい」

「なるほど」

 評判の悪い貴族だからな。

 側近以外は信じられないってことか。

 そこでおれはハロルド・ハーネスに気づいた。

「ハロルド。ハロルドじゃないか」

 ハロルドが足をとめた。

「おや。ダグか。ひさしぶりだな」

「キャロやルイーズもいるぞ」

「なんだ。おまえらまだつるんでたのか」

 ハロルドは王立冒険者学園の同級生だ。

 非の打ち所のない成績で卒業して冒険者になった。

 腕のいい一匹狼の冒険者として名前が売れている。

 その冒険者がどうしてこんなところにいるのだろう?

 キャロラインも同じ疑問を抱いたらしい。

「ハロルド。なんでここにいるのさ? エメラルドを見に来たの?」

「ははは。護衛の仕事だよ。彼女の父に雇われたんだ」

 ハロルドが肩をつかんで押し出したのは十二歳くらいの女の子だった。

 女の子がひょこっと頭をさげた。

「マーガレット・マクファーレンですわ。マクファーレン伯爵家の娘ですの」

 おとなびたしゃべり方だった。

 精一杯の背のびをしているらしい。

 ほほえましかった。

 そのとき人波に押された。

 よろけるマーガレットをかばってハロルドが抱きあげた。

 お姫さまだっこだ。

 マーガレットが口をとがらせた。

「ハロルド。わたくしはもう一人前の淑女ですのよ。子どもあつかいはやめていただけませんこと」

 ハロルドが苦笑してマーガレットをおろした。

 マーガレットが頬をふくらませて横を向いた。

 そういうふるまいが子どもらしいと本人は気づいてないらしい。

 ハロルドが肩をすくめた。

「というわけだ」

 たしかハロルドには妹がひとりいた。

 溺愛していたはずだ。

 妹とマーガレットを重ねているのだろう。

 ハロルドはまっ白いシャツを着ていた。

 ていねいな縫製だった。

 ハロルドの妹のアンリエッタは裁縫が得意ではなかったか?

「そのシャツは妹さんの手製なのか?」

 ハロルドの表情がかげった。

「ああ。アンリエッタの形見だ」

「形見? じゃ妹さんは?」

「死んだよ」

 しくじったとおれは奥歯をかんだ。

「すまん。悪いことを訊いたな」

「いや。いいんだ。すんだことだよ」

 ハロルドがマーガレットの手を引いて人波にまぎれこんだ。

 ルイーズがそのうしろ姿を見送った。

「いやあ。かわいい子だったわね。ハロルドは妹にぞっこんだったからさ。あの子の護衛を引き受けたのかしらね?」

 キャロラインがうなずいた。

「きっとそうだよ。ハロルドは孤高の冒険者だけど妹には弱かったからね。でもさ。ハロルドはあいかわらずすきがなかったねえ」

「護衛中だからよけいじゃない?」

「いや。ハロルドっていつもああだったよ。剣も弓も槍もすきがなかった。完全無欠の首席だったもの。ダグとちがってさ」

「そうね。ダグはひどかった。弓も槍もからっきしだったわ。剣も力まかせにふるだけだからいつも木剣が折れちゃったものね」

「そうだね。ダグの剣技はドタバタだったもの。格闘技も力まかせで華麗さがなかったよ。ハロルドはダグにくらべると華麗だったよね」

「ええ。舞ってるような格闘だったわね。ダグったら力では勝つけどぶざまもいいとこ」

 おれはルイーズとキャロラインに割って入った。

「おまえら。おれの悪口を言うために来たのか?」

 あらとルイーズが舌を出した。

 そこでローラがおれのわき腹をつついた。

「はじまるみたいよ」

 大広間のわきに楽団がひかえていた。

 その楽団がジャーンとシンバルを鳴らした。

 ズーファイア伯爵が大広間の中央に進み出た。

 四人の男たちがテーブルを伯爵の前に運んで来た。

 テーブルにはビロードの赤布がかけられていた。

 布は四角のものをおおっていた。

「お集まりのみなさま。これが巨大エメラルド大山猫の瞳でございます」

 ズーファイア伯爵がビロードの赤布を取った。

 布の下から四角いガラスがあらわれた。

 ガラスを箱状に作ってかぶせてあるらしい。

 そのガラスの中に卵ほどもある緑の宝玉が光を放っていた。

 エメラルドの下には白い布が敷かれていた。

 エメラルドがゴロゴロと移動しないようにたたんだ布の中央をくぼませて固定してあった。

 おおっと客たちが息を飲んだ。

 緑の輝きが半端ではなかった。

 おれもきれいだと思った。

 キャロラインとルイーズとローラとコンスタンツェも目を丸くして見つめている。

「ほぉ。これはすごい。たしかに金貨十万枚の価値はあるでしょうな」

 聞きおぼえのある声にふり向くとフランツ・オーリックさんが立っていた。

 オーリックさんはリージェント街にある創業二百年の宝石店の店主だ。

 以前の事件で知り合いになっていた。

「オーリックさんも来てたんですか?」

「おや。ダグさん。あなたもエメラルドを見に来たんですか?」

「まあそうです」

 ローラ・モンゴメリの護衛に来たと言うわけにも行かなかった。

「すばらしい宝石ですな。うわさにたがわぬ見事さです」

「どうすばらしいんですか?」

 おれにはきれいだなというていどにしかわからない。

「まずあの大きさなのに一点のかげりもない。エメラルドは傷やかげりが多いんです。特に大きな石になれば傷やかげりが目立つ。なのに大山猫の瞳にはそれがない。深い深い透明な緑です。その緑も濃い」

「緑が濃いのがいいんですか?」

「そうです。緑が薄いものは値段が安くなりますな。濃くて透明度が高いのが最上です。次にスターが入ってる」

「スター? スターってのは?」

「スターというのは星ですな。宝石の内部に針状の不純物が入ってましてね。それが光のかげんで中心から幾本かの白いすじに見えるんですよ。ちょうど夜空の星がきらめくようにですな」

「それって貴重なんですか?」

「貴重です。特にエメラルドでスターが見られるのはめずらしい。しかも大山猫の瞳のスターは六条です。エメラルドのスターはたいてい四条なんですよ。六条のスターエメラルドを見たのははじめてです」

 たしかに中心から六本の光のすじが走っていた。

 見方によってはネコの目のたてすじに見えないこともない。

 オーリックさんが首をかしげた。

「しかし大山猫の瞳はヌトランド王国のネーデルウッド族の宝だったはずですよ? どれだけカネをつまれても売らないって話でしたがね。ズーファイア伯爵はいくら出したんでしょうねえ?」

 楽団がまたシンバルを鳴らした。

「さてみなさま。大山猫の瞳はここに展示しておきましょう。見たい方は気のすむまでごらんになってください。では舞踏会を開催いたしましょう」

 四人の男たちがエメラルドを乗せたテーブルを大広間のすみに寄せた。

 エメラルドを間近で見たい客たちがテーブルにむらがった。

 三十人のメイドたちが客たちに飲み物と食べ物をサービスしはじめた。

 楽団が音楽をかなで出した。

 歌い手が大広間の中央に進み出て流行歌を歌った。

 歌が終わると拍手とともにダンス音楽に切り替わった。

 男たちが女に手をさしのべてダンスがはじまった。

 おれもローラの手を取って踊った。

 ダンスは冒険者学園で踊ったきりだ。

 あのときはキャロラインとルイーズにふりまわされた。

 歳を取って多少のよゆうが出た。

 ローラの足を踏まずに踊り終えた。

 ハロルドもマーガレットと踊っていた。

 冒険者学園を首席で卒業した男だけあってダンスも華麗だった。

 子どものマーガレットに恥をかかさないようたくみに先導していた。

 オーリックさんはガラスをかぶせられたエメラルドを飽きもせずに見つめていた。

 レスター警部は壁に背をつけてそんなオーリックさんをするどい目で見張っていた。

 ダンスの相手が変わっておれはキャロラインやルイーズとも踊った。

 ふたりとも貴族だけあってダンスの練習はかかさないみたいだ。

 さまになっていた。

 ローラはと見るとズーファイア伯爵と踊っていた。

 ニッコリと笑っていたがいかにもいやそうなこわばった頬だった。

 伯爵は舌なめずりをしながらローラの全身を観察していた。

 みだらな目つきだった。

 さすがにダンスの最中に割って入るわけにも行かずにおれは見ているだけだった。

 ローラはそのダンスだけで疲れ切ったみたいでぐったりと踊りの輪から抜け出した。

 おれはローラに飲み物を運んで壁ぎわに連れて行った。

「ありがとうダグさん」

「どういたしまして」

 おれはズーファイア伯爵が来ないかと警戒していた。

 しかし伯爵は主催者らしく他の客たちと踊るのにいそがしかった。

 女たちは踊りながら伯爵にエメラルドのことを訊いているみたいだった。

 どうやって手に入れたのかとか売るつもりなのかとかを訊いているのだろう。

 男にとってエメラルドはただの石だが女にとっては興味のつきない宝物にちがいない。

 曲が終わって早いテンポの曲になった。

 踊りに自信のあるカップルが次々と大広間の中央に出た。

 腹の出たズーファイア伯爵はいつの間にかいなくなっていた。

 早いテンポのダンスは踊れないのだろう。

 おれはホッとしてローラの顔を見た。

 ローラもこわばった頬がゆるんでおれに手を出した。

 おれはローラの手を取って踊った。

 だが華麗とはいかなかった。

 ぎくしゃくしていた。

「ダグってダンスの進歩がないわねえ」

 踊り終わって壁ぎわにもどるとルイーズがワインをおれににぎらせた。

「そうだね。学園祭では足を踏まれたもの。いまもローラの足を踏みそうでひやひやしたよ」

「いやキャロ。いくらなんでも足は踏まないぞ」

「どうだかねえ?」

 キャロラインもワインを飲んでいた。

 少年にしか見えないが二十二歳だ。

 いつの間にか酒を飲むようになったらしい。

 学生時代は遠くなったようだ。

 曲がスローになって大広間が踊る者たちで埋めつくされた。

 おれはローラとキャロラインとルイーズの相手をした。

 ルイーズの侍女のコンスタンツェは壁ぎわでひかえていた。

 酒は飲んでなかったが料理は食べていた。

 なにを考えているのかわからないがルイーズから目を離さないのはたしかだった。

 ひさしぶりに踊って疲れたおれは壁に背中をつけて休んだ。

 窓から中庭が見おろせた。

 中庭の砂には足跡がついていた。

 誰かが中庭に踏みこんだらしい。

 足跡はひとり分で中央の噴水につづいていた。

 噴水の前で男があおむけに倒れていた。

 腹の出た男だった。

 鼻の下にヒゲが見えた。

 ズーファイア伯爵だった。

 シャツの胸に血がにじんでいた。

 えっとおれは思った。

 目をこすって見直した。

 だが伯爵にまちがいなかった。

 目を見開いている。

 死んでいるみたいだ。

 おれはエメラルドを監視しているレスター警部にすり寄った。

 レスター警部の耳に口をつけた。

「レスター警部。たいへんです。ズーファイア伯爵が死んでますよ」

 レスター警部がまばたきをしておれを見た。

「なんだって? 伯爵が死んだ? そんなばかな」

「ばかなと言われてもねえ。とにかく行きましょう」

 おれはレスター警部の背中を階段に押した。

 キャロラインとルイーズとローラとコンスタンツェもついて来た。

 階下の大広間は人がいなかった。

 二階に通じる階段の下から中庭を見た。

 白い砂に足跡がきざまれていた。

 ひとり分の足跡が噴水までつづいている。

 噴水の前であおむけに倒れているのはズーファイア伯爵でまちがいなかった。

 胸にはまっ赤な血のバラが咲いていた。

 胸を刺されたのだろう。

 だが胸に刃物は刺さってなかった。

 ローラが口を開いた。

 キャロラインがその口を手でふたした。

 キャーッと叫ぶローラの悲鳴がキャロラインの手でせきとめられた。

「静かにしてね。さわぎになるのはまずい」

 たしかにキャロラインの言うとおりだった。

 ここでさわぎを起こせば二階にいる客たちがパニックになる。

 あの大勢の客たちがいっせいに階段につめかければ将棋倒しになるだろう。

 死者が出るかもしれない。

 ズーファイア伯爵から三メートルほど離れた砂の上にナイフが落ちていた。

 血のついたナイフだった。

 レスター警部が首をかしげた。

「伯爵が噴水まで歩いて行ったのはたしかみたいだ。だが足跡は伯爵ひとり分しかないぞ? 伯爵は自殺したのか?」

 まさかとおれは思った。

 さっきまでダンスをしていた伯爵が自殺をするなど考えられない。

 しかし他殺にしては足跡がひとり分しかない。

 伯爵は中庭のほぼ中央で倒れている。

 一番近い廊下からでも二十メートルはあるだろう。

 胸を刺して廊下から伯爵をほうり投げても二十メートルには届かない。

「ここで見ててもらちがあかない。行ってみよう」

 レスター警部が最初についていた足跡を踏まないように迂回して伯爵に歩み寄った。

 おれたちもぞろぞろとレスター警部のあとを追う。

 レスター警部が伯爵にかがみこんで首に手をあてた。

「たしかに死んでる。心臓をひと突きだな。他に傷はない。手にも防御創がないな」

 おれは足元の砂を見た。

 伯爵は歩いてここまで来て噴水のふちに腰をおろしたようだ。

 伯爵の足跡はそれだけで争った足跡はなかった。

 足跡だけを見ると整然としていた。

 ゆっくりと歩いて来て噴水のふちに腰を落ち着けたとしか見えない。

 その噴水の前の砂に血が飛び散っていた。

 伯爵の返り血らしい。

 おれはレスター警部を見た。

「じゃ自殺?」

 レスター警部が首をひねった。

「それはなんとも」

 レスター警部が落ちているナイフに足を向けた。

 刃渡り十センチほどの小さなナイフだった。

 血がついていた。

 おれはナイフを拾おうと手をのばした。

「それにさわるなダグ!」

 レスター警部のけんまくにおれは手を引いた。

 おれはレスター警部の顔をうかがった。

 せっぱつまった表情をしていた。

「証拠だからですか?」

「いや。ちがう。それには毒が塗ってある。鉄が青白く変色してるだろ? 豹紋蛙の毒だ」

「ひょうもんがえる?」

「そう。猛毒だよ。ごく少量でも窒息死する」

「じゃズーファイア伯爵は毒で?」

「いいや。心臓をひと突きにされて即死だよ。毒では死んでない。窒息の場合はのどをかきむしったり、くちびるが紫に変色したりする。伯爵にその症状はない」

「ということはどうなるんです? やはり自殺?」

「ちがうな。他殺だろう」

「根拠は?」

「そのナイフだ。心臓をひと突きにして即死した自殺ならナイフは胸に刺さったままのはずだ。即死した人間がナイフを引き抜いて三メートルもほうり投げられるはずはない」

「なるほど。するとこのナイフは犯人が引き抜いてここに落とした?」

「としか考えられん。だがそうなるとどうして犯人の足跡がないのか? 犯人はどうやって伯爵を殺したんだろう?」

 おれは考えた。

「犯人は伯爵を殺したあとで砂を掃いて自分の足跡を消した?」

 レスター警部が中庭の砂を見回した。

「その案はだめだな。この砂は目のあらいホウキで掃かれてる。そのホウキで中庭の端から端までをひと掃きで掃いてるよ。足跡だけを消そうと掃けばどうしても継ぎ目が不自然になる。そんな不自然な掃き跡はないよ」

「端から端までを掃いて足跡を消すだけの時間はなかった?」

「そう。死体の状態から殺された直後なのはまちがいない」

「さっきまで踊ってたものな。じゃナイフを投げて心臓に突き刺した?」

「うーん。それもだめだろうな」

「なぜ?」

「ナイフが軽すぎる。伯爵からいちばん近い廊下で二十メートルほどある。軽いナイフを投げて二十メートル先の心臓に刺すのは無理だ。傷つけるくらいならできるかもしれないが深くは刺さらないはずだよ。そのナイフを投げて刺すなら五メートルが限界だろう」

 そうかもしれない。

 二十メートル先の心臓にナイフを命中させることがまず不可能だろう。

 ではどうやって犯人は伯爵を刺したのか?

 レスター警部が伯爵の遺体にもどってポケットをさぐった。

 紙が出て来てレスター警部が読みあげた。

「なになに。中庭の噴水までひとりで来てください。ローラ・モンゴメリ。はあ?」

 おれたちはいっせいにローラを見た。

 ローラが頬を両手で押さえた。

「あたしそんな手紙は書いてません! 信じて!」

 ううむとおれは考えた。

 おれはローラをずっと見ていた。

 目を離したのはキャロラインやルイーズと踊ったときだけだ。

 その間にローラが伯爵に紙をわたすのはできる。

 しかしローラは一階におりなかった。

 ローラが伯爵を殺すのはできない。

 いちばんありそうなのは誰かがローラの名をつかって伯爵を噴水におびき出したということだ。

 伯爵はローラをいやらしい目で見ていた。

 伯爵がローラに執心なのは誰の目にもあきらかだったろう。

 犯人はローラの名を書けば伯爵が中庭の噴水までひとりで来ると確信していたにちがいない。

 レスター警部が背広をぬいで伯爵の上半身にかぶせた。

 血と顔を隠すためだろう。

「取りあえず犯人を捜してみよう」

 おれは首をかしげた。

「そんなのできるんですか?」

「犯人は外部から侵入してはないだろう。この屋敷の中にいた人間が犯人だ。屋敷から逃げ出してたら執事が見てるはずだよ。エメラルドを狙うやからがいると警戒してるわけだからね。この屋敷から出た者がいなければ犯人はまだ屋敷の中にいる。犯行時にアリバイのない人間を捜せばいいんだ。砂に残った足跡の謎は保留にしてね」

「なるほど」

 すぐに執事が呼ばれた。

「屋敷の外に出た者がいるかね?」

「いいえ。いません。私は玄関であらたにお客さまが来ないかと見てました。あらたに来たお客さまはいませんし、出て行ったお客さまもいません」

 そのあとレスター警部が部下を使ってさぐらせた結果アリバイの証明ができない者が四人いた。

 宝石商のオーリックさん。

 マクファーレン伯爵家のマーガレット。

 その護衛のハロルド。

 メイドのナスターシャ。

 その四人を一階の大広間に集めてレスター警部が対峙した。

「オーリックさん。あなたエメラルドをめぐってズーファイア伯爵と対立しましたね?」

 オーリックさんがうろたえた。

「えっ? なんの話でしょう? 私は伯爵と話してませんが?」

「とぼけなくてもいいんです。わしにはわかってますからね。あなたは伯爵からエメラルドを買い取ろうとした。だが伯爵は拒否した」

「いや。そんなことはしてません」

「ちがうでしょう? あなたは伯爵を殺そうと考えたんだ。まず伯爵をニセの手紙で噴水に呼び出した。次に伯爵の足跡を慎重に踏んで噴水まで行く。伯爵を刺し殺す。そのあとうしろ向きにまた伯爵の足跡を踏んで母屋にもどる。これで完成だ。砂には伯爵の足跡しかない。警察は伯爵が自殺したと見る」

「ええっ? 伯爵は自殺したんですか?」

「演技はそれくらいにしたらどうかね? あなたが伯爵を殺したんだ。ちがうかねフランツ・オーリック?」

 オーリックさんが口をパカッとあけた。

「伯爵は殺されたんですか?」

「とぼけんな! おまえが伯爵を殺したんだろ! 白状しろ!」

「とんでもない! わしは殺してません!」

 そこにキャロラインが割って入った。

「レスター警部。オーリックさんは伯爵を殺してないよ」

 レスター警部がキャロラインをにらみつけた。

「なんでだ? 動機を持つのはオーリックだけだぞ?」

「ひとつ目。靴の大きさがちがう。伯爵よりオーリックさんのほうが靴が大きい。これははかってみればすぐわかる。ふたつ目。伯爵の歩いた跡を踏んで往復するとどうしても足跡がぶれる。でも伯爵の足跡にぶれはひとつもなかった。三つ目。伯爵はローラを待ってた。ローラになら無抵抗で刺し殺されるかもしれない。けどオーリックさんに無抵抗で刺し殺されるのは不自然だ。伯爵には抵抗した痕跡がない。格闘した足跡もなかった。五つ目。自殺に見せかけたいならナイフは抜いちゃだめだ。ナイフを抜いて三メートル先に置いて去る必然がオーリックさんにはない」

「ナイフはつい抜いたのかもしれないじゃないか」

「伯爵の足跡の上を歩いて殺しに行ったわけでしょ? つまり計画殺人だよ。殺したあとも伯爵の足跡を踏んでもどった。そこまで考えた犯人がナイフをつい抜くなんておかしいよ。それにさ。オーリックさんの服に返り血がついてない。伯爵の倒れてた地点には血の飛び散った跡があった。伯爵をナイフで刺したら返り血がついたはずだよ? でもその血がオーリックさんのどこにもついてない」

 おれはオーリックさんを見た。

 灰色の背広を着ていた。

 そで口からのぞくシャツは白だ。

 カフスボタンはアメジストだった。

 オーリックさんのどこにも血はついてなかった。

 おれはマーガレットとハロルドとナスターシャも見た。

 その三人の服にも血痕はなかった。

 レスター警部がかんしゃくを起こした。

「着替えたんだ! オーリックは血のついた服を着替えたに決まってる!」

「ううん。オーリックさんは伯爵が殺される前からその服だったよ。ねえ執事さん。オーリックさんの荷物もあずかったんでしょ? オーリックさんは着替えが入るほど大きな荷物を持って来たの?」

 執事が首を横にふった。

「いいえ。オーリックさまがあずけたのは帽子だけです。ついでに言いますとマーガレットさまとハロルドさまからは上着を一枚ずつあずかっただけです」

 レスター警部がナスターシャに目を向けた。

「すると着替えができたのはこのメイドだけか? 犯人はおまえだなナスターシャ?」

 ナスターシャが目を丸くした。

「あら? あたしなの?」

 ナスターシャは犯人だと名指しされてもおどろいたようすがなかった。

 むしろ受け入れたように見えた。

 おれは意外だった。

 だがナスターシャが犯人だとすると納得もできた。

 ふつうのメイドらしからぬ女だと感じていたからだ。

 そこでキャロラインが眉を寄せた。

「あのさ。もうひとり犯人かもしれない人がいるんだけどね。指摘してもいいかな?」

 レスター警部が身を乗り出した。

「誰だ? 誰が犯人なんだ?」

「こんなことは言いたくないんだけどしようがないか。ハロルド。あなたが犯人だよね?」

 えっとおれはおどろいた。

「どうしてハロルドが犯人なんだキャロ?」

 キャロラインがハロルドに向き直った。

「犯人は弓を使ったと思うんだ。まず矢の先にナイフを縛りつける。その矢に長いひももくくっておく。ニセ手紙でおびき出した伯爵が噴水のふちにすわる。そこを狙って廊下から矢を射る。ナイフには豹紋蛙の毒を塗っておいた。かすっただけでも死ぬ。でもナイフ付きの矢は伯爵の心臓をつらぬいた。射手の腕がよすぎたせいだよ。ボクの知るかぎりでそこまで弓の腕がいいのはハロルドだけなんだ。ちがうかなハロルド?」

 ハロルドが答えずに先をうながした。

「それで?」

「伯爵は心臓を刺されて即死した。犯人はひもをたぐって矢を回収する。矢の先に縛ったナイフをはずして伯爵めがけて投げる。今度はあてなくていい。倒れた伯爵の近くに落としとくだけでよかった。それで中庭の砂に伯爵の足跡しか残らない謎が解ける。格闘してないから格闘の痕跡もない。あとはひもと矢と弓を元の場所にもどしとくだけでよかった」

 キャロラインが壁にかざられた弓と矢を見た。

 ハロルドがとがめる口調になった。

「ひもは?」

「ひもは廊下の円柱と円柱のあいだに張ってあるよ。弓を使って遠距離からナイフで刺せば返り血はつかない。警察が弓に気づかなければ返り血のついた客を捜すだろう。だけど返り血のついた客などいない。完全犯罪の成立だろうね。矢にナイフを縛ったのはそのためだろ? 矢傷だと廊下から弓で狙ったのがバレるから」

 ふふふとハロルドが笑った。

「心臓を直撃する腕のよさが敗因かい?」

「そうだよ。別の場所に刺さって毒が原因で死んでたらハロルドが犯人だと思わなかった。弓を使ったのも気づかなかっただろうね。どうして伯爵を殺したんだい?」

「おれに妹がいたのは知ってるだろ?」

「うん。それが?」

「妹のアンリエッタは評判の美人でな。伯爵に目をつけられたんだ。だがアンリエッタは伯爵の誘いをことわりつづけた。業を煮やした伯爵は手下を使ってアンリエッタを拉致したよ。アンリエッタは屋敷に連れこまれて伯爵に乱暴されたんだ」

 えっとキャロラインが言葉につまった。

 ハロルドがうなされるように先をつづけた。

「さんざん陵辱されてアンリエッタは街角にほうり出された。ボロボロのかっこうで家に帰って来たよ。おれはそれを見てなにがあったかさとった。アンリエッタに酒を飲ませて眠らせた。うわごとでアンリエッタは言いつづけたよ。ズーファイア伯爵やめてください。ゆるしてくださいってな」

 ハロルドがおれたちを見回した。

 誰も言葉がなかった。

 ハロルドがかみしめるようにうなずいた。

「おれが眠りに落ちたすきにアンリエッタは首を吊った。おれは警察に行ったよ。だが警察は相手にしてくれなかった。証拠がないのと相手が貴族だからだ。おれはアンリエッタのかたきを討つと誓った。そして機会が来るのを待ったんだ」

 キャロラインが口を開いた。

「その機会が来た?」

「ああ。ようやくな。マーガレットの護衛として伯爵の屋敷に乗りこめたんだ。おれは伯爵を殺すだけでよかった。あとのことは考えてなかった。でも」

「でも?」

「マーガレットのことを考えた。おれが逮捕されたらマーガレットを家まで送る者がいなくなる。受けた仕事は最後までやり通すのがおれの流儀だ。それで逮捕されない方法がないかと思案した」

「そのために弓矢を使うと?」

「そうだ。伯爵を噴水までおびき出して弓で狙う。伯爵がローラ・モンゴメリに執心なのは見ててすぐわかった。ローラの名を使えばひとりで来るに決まってた。もうひとつ直接ナイフで切らなかったのはシャツに伯爵の血がつくのがいやだったのさ。アンリエッタが作ってくれたシャツが伯爵の返り血でよごれるなんてな」

「じゃナイフを残したのはなぜ? 警察にナイフで殺したと誤誘導させるため? 弓を使ったとバレないように?」

「いや。あのナイフはアンリエッタが布を切るのに使ってたナイフなんだ。アンリエッタも伯爵を殺したいだろうと思ってな。ナイフを残したのはアンリエッタのかたき討ちだと示すためだ。アンリエッタの無念をあのナイフにこめたんだよ。伯爵が死んでもあのナイフがおまえの罪をゆるさないぞと言いつづけてくれるだろうとね」

 そのときレスター警部がわれに返った。

「ハロルド・ハーネス! ズーファイア伯爵殺害の容疑で逮捕する!」

 なわを取り出したレスター警部とハロルドのあいだにマーガレットが割って入った。

「ハロルドは悪くないわ! 悪いのはズーファイア伯爵よ! ハロルドを逮捕しちゃだめ!」

 レスター警部がこまった顔になった。

「マーガレット嬢。そうは言っても殺人犯だから」

「だめったらだめ! ハロルドを逮捕しちゃいや!」

 ハロルドがマーガレットを抱きあげてわきにおろした。

 ハロルドがレスター警部に両手をさし出した。

 レスター警部がハロルドになわをかけようとした。

 そこにナスターシャが動きを見せた。

「おいハロルド。あたしと来い。あたしはネーデルウッド族の族長の娘でな。ズーファイア伯爵はあたしの父を殺して大山猫の瞳を盗んだんだ。あたしが狩りで留守にしてるあいだにな。あたしは伯爵を殺して大山猫の瞳を取りもどすために来た。おまえはあたしの父のかたきを取ってくれた。ネーデルウッド族の英雄としておまえをむかえる。わが部族から嫁を取って部族の一員になってくれ」

 そのとき二階でさわぎが起きた。

「火事だぁ! 火が出たぞぉ! 早く逃げろぉ!」

 客たちが階段に殺到する足音が聞こえた。

 ころげるように客たちが階段を駆けおりて来る。

 ドドドッと客たちがおれたちの前を通りすぎた。

 ワーッとかキャーッとか叫びながら次の客の流れが階段をおりて来た。

 その先頭を走るメイドが手をかかげてナスターシャに見せた。

 手に光っているのは緑の宝石だった。

 大山猫の瞳だ。

「でかしたソーニャ!」

 ナスターシャがこぶしをレスター警部の腹にたたきこんだ。

「ぐっ!」

 レスター警部が腹を押さえてうずくまった。

 ナスターシャがハロルドの手をつかんで玄関に走り出した。

 おれは追おうとしたが人波にさえぎられて追えなかった。

 ハロルドがふり向いて声を投げた。

「ダグ! マーガレットをたのむ! 家まで送り届けてくれ!」

「わかった! まかせとけ!」

 客たちがみんな外に出た。

 おれたちも外に出た。

 ハロルドとナスターシャの姿はどこにもなかった。

 ソーニャと呼ばれたメイドと大山猫の瞳もだ。

 レスター警部が腹を押さえた。

 痛そうだ。

「ちくしょう! あの女め!」

 レスター警部の部下たちが報告をはじめた。

「二階の火事はたいしたことはありません。メイドのひとりが布に火をつけて火事だと叫んだだけでした。ただそのせいで客たちが動揺して階段に押しかけたんです」

 レスター警部が部下をにらみつけた。

「それでおまえたちもエメラルドから目を離したんだな?」

「もうしわけありません。あっと言う間の出来事でした。気がついたときにはメイドがエメラルドを盗んで走ってたんです。追おうにも客たちが邪魔で」

 さわぎが落ち着いて執事が報告した。

「いなくなったメイドは四人でした」

 レスター警部がふんふんとうなずいた。

「つまり連中はメイドに化けてもぐりこんでたわけか。大山猫の瞳を取りもどして伯爵を殺すために」

 執事とメイドが手分けして客たちを馬車に押しこんだ。

 おれたちも馬車につめこまれた。

 おれの左右にはローラとマーガレットがいた。

 ふたりとも興奮に頬をほてらせていた。

 殺人事件と巨大エメラルド盗難事件だ。

 瓦版がしばらく書き立てる大事件に遭遇したわけだった。

 しかも殺人犯の告白さえ聞いている。

 物語の登場人物のひとりになってのぼせないわけがなかった。

 マーガレットがおれにキラキラした目を向けた。

「ねえダグさん。ハロルドは逃げ切れたかな?」

「ああ。きっとな。ハロルドはおれたちの中でいちばん優秀なやつだった。捕まるようなへまはしないよ」

「ダンスもうまかったものね」

 たしかにおれはダンスがへただ。

 マーガレットにとってハロルドは殺人犯ではなくてヒーローなのだろう。

 妹のかたきを取った英雄と。

 ローラもおれの顔を見た。

「ズーファイア伯爵家はこれからどうなるのかしら?」

 おれに貴族のことはわからない。

 キャロラインが助け船を出してくれた。

「ズーファイア伯爵には子どもがなかった。だからズーファイア伯爵家は取りつぶしになるんじゃないかな? ズーファイア伯爵の手下は余罪を追及されると思うよ。いろいろ悪事をしてただろうからね」

「じゃ王都警察はハロルドをヌトランド王国まで追うの?」

「追わないと思う。ナスターシャの言うことが本当ならズーファイア伯爵が殺人犯でエメラルド泥棒だ。ヌトランド王国とことをかまえてまでハロルドを逮捕しないだろう。おおやけにすればまずいのはゴールドフォックス王国だからね」

「そっか。よかった」

 興奮のさめやらぬマーガレットを屋敷まで送り届けた。

 屋敷の玄関でマーガレットがおれにおじぎをした。

「ありがとう。ダグさん。おやすみなさい」

 マーガレットがおれの手をつかんで引き寄せた。

 マーガレットがおれの頬にキスをした。

 照れた顔でマーガレットが両親の元に走り去った。

 馬車にもどるとルイーズがおれのわき腹をつついた。

「見てたわよ。めずらしくもてたじゃない。よかったわね」

 おれは苦い顔になったはずだ。

 十二歳の女の子にもててうれしい男はあぶない男だ。

 おれに幼女趣味はない。

 次にローラを屋敷に送った。

「ありがとうダグさん。今夜は楽しかったわ。これは感謝の気持ち」

 ローラがおれのくちびるに口をつけて来た。

 ローラが屋敷に入った。

 おれはぼうぜんと馬車にもどった。

 キャロラインがおれのえりをつかんだ。

「ずるーい。ボクにもしてよダグ」

 ルイーズも口をとがらせた。

「わたしにもね」

 ええっとおれは仰天した。

「おまえらとはそういう関係じゃないだろ?」

「じゃこれからそういう関係ってことで」

 キャロラインがおれの口に口をつけた。

 キャロラインが離れるとルイーズだった。

 おれはどうすればいいんだとその夜ねむれなかった。


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