美しすぎて婚約破棄された公爵令息
カルトレッド国の王城では、その夜、盛大なパーティーが開かれていた。
大広間はきらびやかに飾りつけられ、大勢の招待客が続々と集まってくる。
その中には親交の深い諸外国の面々もいた。
大陸で現在もっとも強大な力を持つ隣国リンデーンからも国王とその末娘が訪れていた。
兄が3人、姉が2人いる末姫は、カールしたブルネットの艷やかな髪にパッチリ二重の海の底のような青い目、薔薇色の頬の可愛らしい娘であった。
その末姫ルルアはカルトレッド国の現国王の実弟コンラッド公爵の嫡男ジュリスを一目みて気に入った。
「あなた、とてもキレイな顔ね。気に入ったわ。一生わたくしの傍に置いてあげる」
幼い無邪気なルルアの言葉であったが、会場にいた誰もがその言葉に頷くほど、ジュリスは美しかった。
淡い色合いの柔らかなプラチナブロンドの髪はシャンデリアの光を受けて天使の輪を輝かせ、整った眉が描く弧は美しく、ブルーサファイアの宝石のような瞳はほんの少し目尻が上がった子猫のようで、小さな唇は朝露を受けて輝く新種の薔薇を思わせるほど。まだ少年ながらに手足は長く、すらりと均衡のとれた体に、流行りのフリル付きシャツが可愛らしさを際立てている。
控えめにいって天使だ。
誰しも”好み”というものはあるだろうが、ジュリスは美醜の好き嫌いを凌駕する、誰が見ても絶世の美少年であった。
しかし、ジュリスには天才的な頭の回転の速さは備わっていなかったため
「え?」
と呟いただけで、ルルア姫の発言を取り消すことはできなかった。
この一瞬でジュリスの一生は決定してしまった。
末姫を甘やかして自由にさせているという噂の通り、リンデーンの国王は娘の願いを最大限叶えることにしたのだ。
すぐさま友好国であるカルトレッド国に交渉し、ルルアとジュリスの婚約を整えた。
末の姫であるため、いずれはどこかに嫁がせねばならない。隣国であるカルトレッド国の公爵家への嫁入りであれば、身分差も少なく都合も良かった。
しかし、現在8歳になったばかりの二人が結婚するのはすぐにとはいかない。
お気に入りを傍に置いておきたいルルアの願いを叶えるために、結婚までの期間をジュリスは隣国リンデーンに留学することになったのだった。
ジュリスの両親は、婚約はまだしもまだ8歳の息子を隣国に留学させることには難色を示したが、大陸一の軍事力を持つリンデーン国の圧力には敵わなかった。
こうして8歳のジュリスはリンデーン国の預かりとなった。
他国の公爵家の嫡男を留学という名目で連れてきたため、リンデーン国としても、ジュリスには家庭教師をつけ、相応の教育を施した。
「こんなにですか?」
公爵家ではのんびりとした教育を受けていたため、リンデーン国に来てからの課題の多さ、レベルの高さにジュリスは驚いてしまった。
「ジュリス様はいずれ自国に戻られ、公爵家をお継ぎになるのですから、このくらいは当然ですよ」
と教師たちは当たり前のようにジュリスに指導していた。
お母様は毎日忙しくしていらっしゃったけれど、公爵夫人になる勉強はしなくていいのかな?と簡単なマナーやダンスレッスンしか受けていないように見えるルルアにジュリスは思ってしまうが内向的な性格のため口には出さない。
しかも、自分は時間があり余っているため、ジュリスのわずかな自由時間にもルルアはやってくる。
「ジュリス!今日はこのお洋服に着替えてちょうだい」
ああ、また今日もやってきた。
今日は騎士服のようだ。先日も同じような騎士服を着させられたが、どこか違う新しい服をあつらえたのだろう。ルルアは今は騎士の物語にハマっており、ジュリスにその格好をさせることを楽しんでいた。
「姫の望みのままに」
ジュリスはにこりと微笑んでいつものように別室で侍女に着替えを手伝ってもらう。
今回の騎士服はビロードのマントに胸当て、腰には模造剣とはいえズシリと重いそれをつけられた。
勲章がない、ということはアレか、とジュリスはルルアの本棚に並ぶ少女向け小説の一冊に当りをつけた。
着替えを終えたジュリスはまっすぐにルルアの元に向かい、跪く。
「わたしのような者が麗しく高貴な貴方様にお目通りが叶ったこと、感謝しております。無事生きてまた貴方様にお会いできたなら、その時には貴方様の手に触れる栄光をお与えください」
「面を上げて」
顔を上げると、ルルアの期待に輝く瞳と目が合う。
「きっと、きっと無事に戻っていらして。貴方の帰還を待っているわ」
「はっ」
再び首を垂れ、返事をしたジュリスはそのままサッと立ち上がえり部屋を出て行く。
『竜退治の騎士は紅薔薇の姫に愛を捧ぐ』
の一幕である。
平民に近い暮らしをしていた貧乏男爵家の息子が騎士となり、突然国境付近に現れた伝説の竜を退治し、それまで憧れでしかなかったお姫様と結ばれる、という物語の冒頭部分にあたる。
明日にはきっとこの服はボロボロにされ、竜を退治し姫へプロポーズする場面を望まれるであろう。
ジュリスはルルアの部屋にある本棚の中身を全て把握しており、その物語に沿った人物を演じて彼女の期待に応えていた。
彼女の侍女もそれを心得ており、ルルアが新刊に手を出す度に、同じ本がジュリスの部屋にも用意されているのであった。
一度出た部屋に戻ったジュリスにルルアは手を差し出す。
その手を取り、庭へとエスコートする。
本日はこのまま庭を散歩し、ガゼボでお茶をする流れとなるようだ。
彼女が満足した日はよいのだが、期待に応えられなかった場合は悲惨だ。
「はぁ」とため息をつかれ、あなたは何もわかっていないと悲しげな表情をされる。言われなければわからない、というのはここでは甘えのようで、ジュリスの味方をしてくれる者はいなかった。
鞭で打たれるようなことはなかったが、ルルアが満足するまでずっと自分の至らない点を指摘されたり、目の前にいるのにいないかのように存在を無視されたりしなければならなかった。
周囲には頼れる大人もおらず、まだ柔軟な素直な心を持っていたジュリスは、いつしかそれが当たり前になっていった。
時には王子様のような格好、大商人の子息のような格好、貧しい平民、異国の民族衣装を着せられることもあった。
天才型ではないが、元々地頭は良く努力家なジュリスは、すぐにこの遊びにも慣れて、彼女の理想とする相手を即座に把握し演じることが出来るようになっていた。そのお遊びが終わると、その衣装のまま散歩にお茶会にと彼女のお気に入りとして連れ出される。
対になるように仕立てられた格好で周囲に見せびらかされたり、まだ性差の少ない年頃のため、色違いの揃いのドレスを着せられることもあった。
ブルネットのカールした髪に海の底のような青い瞳のルルアと、プラチナブロンドのさらさらストレートヘアーにブルーサファイアのような瞳のジュリスが揃いの衣装で並ぶ姿は、シリーズもののお人形を揃えたかのような愛らしさであった。
12歳の年になると貴族の子息子女は約五年間、学業とともに小さな社交界での生き方を学ぶ場所である学園に通うことになる。
中には結婚のためだったり、実地で学ぶためだったりで、通わない者や退学していく者もいたが、ずっと城の中で姫として過ごしてきたルルアは、学園に通うことをとても楽しみにしていた。
もちろん、婚約者であるジュリスも一緒に通うことになった。
日々勉学に励むジュリスは、学園で規則正しい生活を送ることにより、突然呼び出され付き合わされ、機嫌を損ねてしまうと大変なルルアに振り回される日々から解放されるかもしれない、と密かに期待していた。
実際に学園に通い出すと、登校時と下校時は同じ馬車で揺られ、昼食は一緒にとり、それ以外でもジュリスの都合はお構いなしで呼びつけられ、むしろ拘束される時間は増えたのだった。
入学して間もなくの頃、地方から出てきたばかりの者たちの中にはジュリスの顔を知らぬ者もいた。
ジュリスのあまりの美しさに声も出せず見惚れる者の前でルルアはわざと校庭の噴水の中にハンカチを落とした。
「ジュリス」
と一言彼に声をかけて微笑むだけで彼にはわかった。
「姫の望みのままに」
ニコリと作り物のような美しい微笑みを浮かべ、太陽が陰り肌寒い日ではあったがそんなことは関係なく、噴水の中へためらうことなく入る。
膝下程度の水深をじゃぶじゃぶと進み、目的のハンカチを拾い彼女の元へ戻る。
「濡れてしまうじゃない、わたくしに触れないでちょうだい」
ルルアはハンカチを受け取ることもせず、顔をしかめ、濡れた野良犬でも見るような目でしっしっと手を振った。
ジュリスは胸に手を当て一礼すると、着替えをするためにルルアの傍を離れた。
これで少しの間ルルア様から離れられる、とちょっと心が上向く。
しかし、周囲からはルルアの我儘に振り回されてなお、彼女に心酔する婚約者のように見えていた。
学園には教師と要人の護衛、用務員や清掃員、料理人など以外は基本的に大人はおらず、その誰もが王家の末姫に指図をするようなことはなかった。
小さな箱庭のごとき学園で、姫は自分が頂点となる世界を築き上げていった。
周囲には見目麗しく、自分の思い通りになる者たちだけを身分問わずに侍らせた。
彼女の機嫌一つで退学に追われた者もいる。
賢い者たちは彼女には近寄らず、逆らわず、ただ卒業を待つだけだった。
ジュリスは学園に通った五年間で友ができることもなく、ただ学業に邁進し、ルルアの要求にこたえ続けた。その見目の良さを遠くから密かに鑑賞する者へ幾ばくかの癒しを与えたかもしれないが、それだけだ。物語のような熱い友情も淡い恋も知らぬまま、ジュリスの学園生活は終了した。
学園を卒業した翌年にはルルアとジュリスは結婚をすることが決まっていた。
長年、手紙でしかやりとりのできなかった家族にもうすぐ会えることをジュリスは楽しみにしていた。
父からも母からも、近況報告だったり、ただ彼の体に不調はないか、元気でいるのか問うだけの内容であったり、ジュリスが隣国に留学してから産まれたまだ見ぬ弟からの愛らしい両親の似顔絵だったり、たくさんの手紙が届いていた。
ジュリスもまめに返事を出したが、ルルアに帰国を許されることはなく、8歳でリンデーン国に来てからもうすぐ十年、家族に会えていない。
自国に帰りたい、と言い出すのを恐れたルルアが、家族に会わせないように父親に頼んでいたことをジュリスは知らなかった。
学園を卒業すると、二人は本格的に社交界へ足を踏み入れた。
末姫であるルルアも嫁ぐまでは王家の一員であり、多くはないが公務が割り当てられるようになり、社交の場には婚約者であるジュリスがエスコートする必要があった。
ある日の夜会が始まる前、いつも通りエスコートのためにルルアを部屋まで迎えに行った。
「今夜はエドワードからエスコートをしてもらうから、あなたは必要ないわ」
目も合わせぬまま、ジュリスは追い返されてしまった。
エドワード・ワーノル侯爵子息は学園時代の彼女の取り巻きの一人で、背の高い整った顔立ちで女生徒に人気があったはずだが、次男だったためか、確かまだ婚約者はいなかった。
それが数回続き、ジュリスはすっかりルルアのエスコートをしなくていいものだと思うようになった。
そしてある夜の諸外国からも賓客の集まるパーティーにジュリスは参加した。ルルアのエスコートは必要ないが、自国カルトレッド国から伯父でもある国王が参加する予定のため、ジュリスはそのパーティーに一人でも出席する必要があったのだ。
ルルアのエスコートをせずに、一人で参加したパーティーは初めてだった。
煌びやかな会場に、色とりどりのドレスの波。
姫の相手をしないのも時間の使い方がわからないな、と困惑したものの、久々に会えたカルトレッド国王に挨拶をし、周囲の人間を紹介してもらい、人から人へと会話は続いていく。
「ジュリス、こっちに来なさい」
見知らぬ相手と会話をしていたジュリスに、いつの間にか寄ってきていたルルアが高圧的に声をかける。歓談中に突然呼びつけるなどマナー違反でしかないが、ルルアの我儘に慣れ切ったジュリスは当たり前に微笑んだ。
「姫の望みのままに」
周囲に申し訳ありません、というように会釈をし、ルルアの手を取りその場を離れた。
ひとまず、人気を避けテラスへと誘導する。
「あなた、どうして一人で参加しているのよ」
二人になった途端、ルルアはジュリスの手を払いのけ、怒りをぶつける。
「姫は今夜もワーノル侯爵子息とおいでだったでしょう?」
悪びれもなく答えるジュリスにルルアはますます腹が立った。
「婚約者であるわたくしが参加しているのに、ジュリスが一人でパーティーに参加していたら、わたくしとあなたの不仲が疑われるじゃない。そんなこともわからないの!?」
と言われても、ジュリスという婚約者がいながら何度も他の男性にエスコートされていたのはルルアの意思だ。
困ったようにジュリスは首を傾ける。
さらりと揺れるプラチナブロンドの前髪が夜空に映えて美しい。
「でも、姫は俺のエスコートがお嫌なのでは?」
久しぶりにリンデーン国以外の者と会話し、心が軽くなっていたせいか、ジュリスは思わず本音を言ってしまった。
人形のようなジュリスが口答えをしたことにルルアはカッとなった。
「だって、あなたはキレイ過ぎるのよ!!隣に並んで御覧なさい。ジュリスは神様が特別に丁寧にお作りになったような輝く美しさで誰もが目を奪われる。わたくしはどんなに着飾ってもただのキレイな人間。あなたの引き立て役もいいところよ。もうイヤなのよ、あなたの隣に立つのは!!」
ルルアはすぅっと息を吐き、さらに大きな声でジュリスに想いをぶつけた。
「女として自信をなくすのよ、あなたの隣は!!あなたと結婚なんて冗談じゃないわ!!さっさと自分の国に帰ってちょうだい!!」
運悪く、といおうか、ちょうどダンスの演奏が途切れ、会場からテラスへの入り口は大きく開放されたままで、ルルアの発言はテラス近くにいた者たちにはよく聞き取れてしまった。
その中には歓談していたカルトレッド国王とリンデーン国王も含まれていた。
連れ去るように強引に留学させたジュリスに対してこの発言はさすがに酷い。
子供の我儘ではもう済まされず、下手をすれば両国の関係悪化にも繋がりかねない。
国王たちはそのまま別室へと移動し夜通し話し合いが行われた。結果、カルトレッド国王が帰国する際は、ジュリスも一緒に帰国することとなった。
まごうことなきルルアの有責による婚約破棄だが、両国の都合上、そもそもこの婚約は無かったことにされた。
自分をエスコートせずに一人でパーティーに参加していたことが気に食わず、いつものようにジュリスに当たり散らしていただけのつもりだったルルアはその後おおいに暴れたが、さすがにもうどうにもならなかった。
父であるリンデーン国王も、ルルアがここまで我儘に育っていたことに衝撃を受け、今さらながら教育が見直されることになった。
学園を卒業して間もなく、公務の一つである孤児院への慰問にルルアはジュリスを連れて行った。ジュリスを見た孤児院の子供たちはそのあまりの美しさに口を開けてポカンとした。
「天使様みたいだ」
「絵本に出てくる王子様みたいよ」
「本当に同じ人間なの」
自分の所有物だと思っているジュリスを褒められ、ルルアは嬉しくなった。
「そうでしょう、彼は特別なのよ」
子供たちは口々に賛同する。
「お姫様でもそう思うんだね」
「お姫様や僕たちとは住む世界が違うって感じだね」
「お姫様はあんなキレイお兄さんと一緒にいられていいな」
それまで、ルルアは自分も特別に美しい、ジュリスと同等の価値があると思っていた。
しかし、子供たちから見た自分は姫という身分ではあるが普通の人間で、ジュリスはその枠に収まっていない。
思い返せば、学園を卒業してこれまで関わりのなかった大人たちや他国の集うパーティーに参加することも増えた。
その際に褒められるのは身に着けている流行りのドレスであったり宝飾品だった。自分自身のことを褒められることはない。
自分をエスコートするジュリスには口々にその容姿を褒めたたえているのに、だ。
それ以来、ルルアはジュリスをパーティーに連れて行くことはなくなった。
しかし、変わらず彼は自分の籠の中に収まる美しい鳥であったというのに。
抑制できぬ心のせいで、あっけなくジュリスを失ってしまったのだ。
幼い頃から周囲に愛され甘やかされ、それが貴族の学園という小さな社会で増長してしまったルルアの性格は一朝一夕で改善されるものではなく、監視の目を光らせられる場所に留まらせることに決まった。
数回に渡り彼女のパーティーへのエスコートを引き受けていたエドワード・ワーノル侯爵子息が王都近くに小さな領地をもらい受け、一代限りの伯爵位を授かり、ルルアと結婚することになった。
婚約者がいるのにも関わらずルルアをエスコートし続けた彼にもまともな縁談が持ち上がらなかったこともあり、彼には責任を持って一生ルルアの面倒をみてもらおう、ということになったのだ。
初めて自分の意志とは関係なく物事が進み、いつの間にか城を出され、ルルアは小さな屋敷に閉じ込められた。
外出もままならない鳥籠の中のような日々の中、思い出すのは、最後に見たジュリスのいつもの完璧な笑顔だった。婚約破棄を告げたルルアに、ジュリスは誰にも聞き取れないような小さな声で「姫の望みのままに」といつも通り微笑んだのだった。
長い婚約期間を解消され、ジュリスは突然カルトレッド国に帰国することとなった。
約十年振りの祖国に困惑する部分もあったが、やっと再会できた両親、初めて会った弟と抱き合って喜んだ。
懐かしい公爵家へ帰ると、十年分歳を取った古参の使用人たちもジュリスとの再会と成長に涙を流して喜んでくれた。
国王からは直々に幼い彼を守れなかったことの謝罪を受けた。
両親からも謝られたが、その頃母親が妊娠初期であり、ジュリスを出産した後に流産を経験していたため、まだ妊娠を明らかにすることが出来ず、無理に他国へ渡ることもできなかったこと、その後も何度もリンデーン国へジュリスに会いに行こうとしたが、なんやかんやと理由をつけられ入国できなかったことを聞いた。
強国リンデーン相手では仕方がなかった、とジュリスはあっさりと笑ってそれを許した。
素直に物事を受け入れる性質のジュリスは、8歳でルルアの婚約者になり、リンデーン国へ留学したこともあるがまま、そういうものだと受け入れていた。
我儘放題なルルアに対してもそれは同じで、婚約者とはそういうものだ、と思っていたのだ。
それに対して怒ったのは今年10歳になった弟のユリウスであった。
8歳のジュリスを本人の意思も確認せず婚約させ、隣国へ留学させるなんて信じられないっ!!
それから十年も家族に会えないなんてありえないっ!!
ジュリスを大事にしなかったリンデーン国が許せないっ!!
そうか、俺は怒ってよかったのか、とその時初めてジュリスは思った。
急に帰国したため、ジュリスは決まった仕事もなく、少しのんびりするように、と言われたこともあり、領地で日々緩やかに過ごしていた。
公爵家の蔵書を読みふけり、合間に体を鍛えた。
女性に「キレイ過ぎる」と言われたのは、さすがに堪えて、ジュリスは密かに筋トレに明け暮れていた。
それ以外は無邪気な弟とよく一緒に過ごした。
二人で遠乗りに出かけたり、領地の湖で釣りをしたり、厨房からこっそり果物を盗む、という小さないたずらをしたり。
ジュリスは子供時代を取り戻すかのように、ユリウスとまるで同年代の少年のように遊んだ。
このまま公爵領でのんびり過ごせると思っていた矢先、国王からジュリスの縁談が決まったと突然告げられた。
十年振りに再会したジュリスの成長してなお輝く美貌に、国王は再び他国から断れない縁談を持ちかけられることを恐れたのだった。
ちょうど、聖女の恋の話が流れており、国を代表する聖女を囲いこみたい思惑とも一致した。
自国での婚姻であれば、なにか問題があってもすぐに離縁することができる。
そう説明され、また他国へ渡るよりは、と公爵夫妻もその話を受け入れた。
こうして会ったこともない聖女サラと結婚する運びとなった。
聖女が恋人と婚約してしまう前に、と婚約期間もおかずに結婚式を挙げることになった。
急なことであったため、両親と三人で急遽王都へ向かい、式を挙げた。
多忙な両親はすぐに領地に戻ることになり、聖女とまともに顔合わせすることも出来なかった。
ちなみに兄想いのユリウスは怒りすぎて暴れて領地に軟禁されている。
聖女の活動の都合もあり、しばらくは王都のタウンハウスで新妻と二人で過ごすことになった。
愛のない結婚だとしても、家族の元を離れるよりは何倍もいい、と今回の結婚話を受け入れていたジュリスだったが、結婚式の日、花嫁姿のサラを見て衝撃を受けた。
真っ白な花嫁衣装に身を包んだサラの立ち姿は美しかった。
愛らしい顔立ちに、凛とした雰囲気を持っていた。
束の間、家族と別れの言葉を交わしている時はしんみりせず、明るく穏やかな声が聞こえてくる。
彼女も俺の隣に立つのは嫌だと思うのだろうか?
カルトレッド国では何の感情も持たない相手にしか出会っていなかったことにジュリスは気づかなかった。
ジュリスは家族以外の人間に初めて、心を動かされた。
彼女がいずれ自分から離れていってしまうのであれば、最初から、俺は彼女を愛さない。
彼女が後腐れなく離れていけるように、彼女に告げよう。
「きみを愛することはできない」と。
数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございます。
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