蟬時雨に人の
蟬時雨の中にいる。
今日は風通し良く
生きられるかどうか。
素直になれるかどうか。
林の空を見上げて、
この先どうなるのかと、
また考えて歩く。
いつもと同じを思う。
今日だけのことなら、
理不尽を受け流し、
話し好きにつきあい、
迷惑をかけずいられるか。
木々の合間から、
時折刺さる日差しは、
朝のそれじゃなくて、
激しく熱を帯びている。
それでも蟬時雨を
降らせてくれて、
優しいなぁと蝉に感銘、
無くならないでと願う。
これほどに熱いから、
日本の夏の風情も、
遠い記憶のものかと
風通しはノスタルジー。
蝉たちの林を抜けて、
バス停が見えてくる。
バスに乗り町にゆく。
バスに乗りこの世にゆく。
今日は話せるか。
他愛無いことでも、
思い出すことからでも、
話せばいいとは思う。
蟬時雨を恋しがり、
この世に行くときにも、
人との関わりがある。
何故かしら、あるから。
バスの窓、流れる教会、
大きな、美しい建物。
降り注いでいる
黄色い、熱い日差し。
あの人たちは何故か
答えを知りたがる。
この世に答えなんて、
ないのが許せないのか。
あの人たちはいつも、
神様を置きたがる。
素早く答えを得るには、
それしかないからか。
蝉のようにひたむきで、
優しいなぁと思い思われ、
何にしても一生懸命に
生きてゆこうと思いたい。
それを誰かに求めたり、
それを何かに導いたり、
性に合わないことを
できる人たちがいる。
ましてや乱暴なことは、
力でも、言葉でも、嫌。
誰だってそうだろう。
ときに、人は狂うようだ。
日本の夏のほうは、
いつの間にか遠ざかる。
風通しはノスタルジー、
ああ、どうしても悲しい。
蟬時雨の外にいる。
今日は話したいことを話す
それができないときも、
思い出すことからなら。
答えなんてないってこと。
ただ、感じ続けること。
それが人の役目なのだ。
詩を書いていて知った。