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 ーー(なぎ)の谷のフルート。


 昔、あたしが図書館で読んだ本に書かれていた悪魔の名前だ。


 フルートは復讐を司る悪魔で、古くから谷に住み等価交換で人間の復讐の手助けをして来たと本には記されていた。


 そして、あたしはフルートに会うべく3日かけて海に面した凪の谷までやって来ていた。


 人気のない谷にはその名の通り、優しい微風しか吹かないようだ。谷の向かいに広がる海には波1つ立つ気配がない。


 辺りの緑とも合間ってとても居心地が良く、とても悪魔が住んでいるとは思えない場所だった。


 あたしは半信半疑になってーせっかく来たのだから悪魔に会わないと無駄足であるー鞄から自分の髪の毛の束を取り出し、タンポポの茎でそれを結った。


 これで等価交換の品は完成だ。


 悪魔の好物は人間の髪の毛。


 これを食べて生きているらしい。なるほど、悪魔の生態は良くわからない。


 本に記録されていた魔法陣を地面に彫り、その上にタンポポで括った髪の毛の束を置く。


 ーーこれで悪魔が出てくるらしいんだけどな。


 と、あたしが呟いてすぐに反応があった。


 突然、さあっと強く風が吹いて辺りが暗くなる。


 太陽が照っているというのに夕闇のような視界ーーどうやら錯覚ではなさそうだ。


「人間か、人間なんだなあ。いやあ、久しぶりだなあ、人間さんよお」


 まるで金属棒でも擦り合わせたように高く、やや不快な声がそう言った。


 しかし、声の主の姿が見当たらない。


 あたしが必死になってきょろきょろしていると、金属声はあたしを馬鹿にするように言った。


「くくくくくくっ。どこだろうなあ、俺はどこにいるんだろうなあ。くくくくくくっ。」


「あなたが、フルートさん? 悪魔なの?」


 探るように聞く。


「そうだよ、俺がフルートさ。悪魔も悪魔。生粋の悪だぜ」


 ご丁寧に即答してくれる悪魔。


 その話し方からは軽薄な印象を受ける。


「で、あんたは? こんなところに何しに来たんだあ?」


「あたしはユリア。あなたに頼みがあって来たの」


「ああ、そうかい。俺に頼みってんなら1つしかねえかあ」


 くくくくくくっとフルートは喜んだように笑う。


「いやあ、いいぜ。受けてやる。何せ人間に会うのは600年ぶりだからなあ。くくくくくくっ、腹ペコなんだわあ」


「600年!?」


「なあに、驚くことはねえよ。悪魔にとってみればお前らの6年みたいなもんだ」


「……そ、そう」


 この悪魔は600年も人間に会ってなかったのか。


 ということは、その間は人間と契約して復讐の手助けをしていなかったことになるーー果たして、大丈夫なのか?


 ブランクとかあったらどうしよう。


「で、わざわざ俺に会いに来たってことは俺と契約して復讐したいってわけだあ。はははっ、いいねえ。(たぎる)るねえ」


「これがその契約のための品よ」


 あたしは地面の自分の髪の毛とタンポポを指差した。


 まあ、姿の見えない奴に伝わってるのかは知らないけど。


「ああ、確認した。いいぜ、契約成立だ」


 ちゃんと悪魔さんに伝わってた。


「具体的にはどうやって復讐するの?」


「なあに簡単さあ。心配すんな」


 いや、さすがにどうするか聞いておかないと悪魔とすんなり契約するわけにもいかないんですけど。


「ああ、そういうことか。何だよ、俺を疑ってんのかあ?」


 金属声が不機嫌に言う。


「俺と契約した時点でお前には悪魔の力が宿る。後は単純さ。お前が念じたことが実際起こる。まあ、実行できる範囲は限られてるから試行錯誤してやりゃあいいよ」


 え、何度も復讐出来るわけ?


「当たり前だろお。俺と契約したらお前も悪魔だ」


「へ、へえ……」


「何だよ、覚悟できねえのかあ???」


「そ、それは……」


 あたしは言い淀む。


 てっきり悪魔があたしに代わって、あくまでもあたしの代理としてルドルフへの復讐を行ってくれるものだと思っていた。


 それがまさか自分自身が悪魔になるなどとは想像出来ていなかった。


「復讐の手助けなんて、そんなうまい話はねえんだよお。噂が一人歩きしたんだなあ。かかかかかっ! 俺もなかなか悪名高いねえ」


 そのくせ、600年間誰も来てなかったみたいだけど。


 悪名高いというか、時間のせいで話が誇張されたのかもしれない。


「おい、何か言ったかあ?」


「い、いや。何も~」


「ふん、ならいいがあ。で、早速始めていいんだな」


「はい。お願いします」


 あたしはごくりと1滴の唾を飲み込んで、首を縦に振った。


 自分のやりたいように復讐出来るようになるならば、悪魔任せにするよりかは都合がいいのかもしれない。


「よおーし、儀式の始まりだあっ!!!」


 そして、あたしの了承を聞いてフルートは嬉しそうに叫んだ。


 その次の瞬間、あたしの全ての感覚が停止した。


 目も耳も鼻も口も肌も利かなくなった。


 かろうじて第6感だけは働くらしく、無意識的な反応が思考回路を巡る。


 何だ、これは……?


 これが悪魔との契約の儀式なのか?




 あるいはーー、




「よお、ユリア。気分はどうだ?」


 と、突然あたしの全ての意識が戻った。


 視覚も聴覚も嗅覚も働く。うん。ちゃんと凪の谷にあたしはいた。きっと味覚も触覚もちゃんと働くことだろうーー、と。


 あたしは異変に気がついた。


「なあ、どうなんだあ?」


 あたしにそう問いかける声が女のそれだった。


 口調は悪魔フルートのものだけれど、不快な金属音みたいな声ではなく若い女の声。


 なんなら、聞き覚えのある声ーーというよりも長年使い慣れたあたしの声だった。


 どういうことだ!?


「ああ、まだ慣れてねえのかあ。そうだよなあ、俺もそうだったからな」


 ……何ということだろう。


 あたしの視界には地面に向かって話しかけるあたしの姿があった。


「なあなあ、さすがに返事くらいしてくんねえと心配になるぜえ」


 あたしの形をした人間は、しかし、フルートの口調で話している。


 あたしは黙っているのに、あたしの形をした人間が話している。


「っつ!」


 その事実を認識して、あたしは呻くように小さい声を上げた。


 それは今出せる最大限の悲鳴かもしれなかった。


 ただ、その声音は先程まであたしが聞いていた悪魔の金属声だった。


「こ、これは……?」


「あっはーっ! うまく引っ掛かってくれて安心したぜえ、ありがとなあ、お嬢さんっ!」


 そう言ってあたしの形をした人間は下品に笑う。


「済まねえな、騙すようなことしてえ」


 騙す? 一体どういうこと?


「俺は確かに凪の谷の悪魔フルートだった。が、元は俺も人間だあ」


 人間……だって?


「そうそう。600年ってのは嘘だ、嘘。ホントは人間に会うのは10年ぶりくらいかねえ。あ、いや、ちゃんと時間測ってねえからわかんねえんだけどよ」


 かかかかかっ!とあたしの形をした人間が笑う。


「つまりな、俺とお前は入れ替わったんだ」


 その言葉にあたしは思考が凍りつくのを感じた。


「復讐を手助けする悪魔なんていねえんだよ。俺もそれに騙された口だがな。いるのは、人間と魂を入れ換える悪魔だ。いや悪魔の形をした人間と言うべきか。まあ、元々は悪魔から始まったんだろうがなあ」


「そ、そんな……」


「本当に申し訳ねえ。いや、むしろ感謝している。俺を解放してくれてありがとな」


「ま、待って。こんなの聞いてないわっ! 条件と違うっ!」


 あたしは不快な金属声で叫んだ。


 あたしの悲痛に、しかし、"フルートだった者"は取り合ってくれない。


「知るか。俺は人間に戻れたから満足だぜ」


「ふざけないでっ! 今すぐ髪を括ってもう一度儀式をしてっ!」


「嫌だね。人のことは言えないが、復讐なんかに頼るからだ。恨むなら自分を恨みな」


 そして、あたしの身体で"フルートだった者"は背を向けて歩き出した。


「じゃあな、俺はもう行くぜ」


「待ってっ! 行かないでっ!」


 あたしの絶叫に"フルートだった者"は振り返らない。


 そのままのんびりと歩を進め、ついに姿が見えなくなってしまった。


 そして、取り残されたあたしは人間ではなく悪魔だった。


 ーーいや、悪魔なのか? これは?


 体が凪の谷と同化しているような感覚だ。


 谷の微風も光も湿度も気温も、全てを自分の体のように感じる。


 まるで自然そのものになった気分だった。


「……………」


 あたしはこのまま"凪の谷"として、"凪の谷の悪魔フルート"として生きていくのか?


 これが結末なのか……?

 

「まあ、確かに自業自得ってんならそうかもしれないわね」


 凪の谷の美しい自然に似合わない金属声で自嘲した。


 天罰というのは、こういうことなのかもしれない。


 まあ、あたしはまだ何も悪いことしてなかったんだけどさ。

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