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花の章 その41 花は嗤う

しかも、程子文(ていしぶん)が、いまいましいことに、孔明に遺言めいたものを残していた。

ほんとうは遺言など孔明に託したくなかったが、あの男の最期の願いを無碍(むげ)にするわけにはいかなかった。

 

程子文が、まだ生きているように思える、と趙雲に語ったのは、本心である。

こうして程子文の残した手紙によって、孔明が動いているのを見ると、さらにそんな錯覚をおぼえる。

だが程子文は死んだのだ。

血の海のなかでばらばらになって、死んだ。

 

「あとで後悔するんじゃないかなあ」

花安英(かあんえい)は、ふたたび、趙雲たちが消えていった、地平の彼方へ顔を向けてつぶやいた。

その嫌味に、背後にいる男がうめいた。

「おまえは趙子龍の真の強さを知らぬから、そのようなことを言う」


男のことばに、花安英はまた笑った。

今度は、さきほどの小馬鹿にした調子とは打って変わって、優しげな笑みであった。


「あんた、そうしていると、人間らしいね」

花安英の言葉に、男はなにかつぶやいたが、風のうなり声が邪魔をして、ひとことも花安英の耳朶(じだ)に届かなかった。

「そういうふうなあんたのほうが、いままでより、ずっといいよ。

いままでのあんたって、まるで木偶人形(でくにんぎょう)みたいだったもの」

男は、はっきりと怒気を示したが、花安英はすこしも恐ろしく感じなかった。

そうして、また笑う。

その嘲笑は、ほんの数年前までの、この男の顔色をうかがって身をすくめ、縮こまっていた過去の自分に対しての笑いであった。


ここ数年、花安英は、身体的に、大きな成長を遂げていた。

背も伸びたし、腕力もついた。

数年前では、想像をすることすらできなかったが、いまは、この男を一瞬にして倒すことができる。

だからもう怖くない。

弁舌にも磨きがかかったし、見聞もひろがった。


見聞がひろがった。


そこが花安英の場合、そもそもの発端があった。

それまで、花安英は(かご)の中の鳥であった。

どこへ移動するにも、かならずだれかの監視がついて回っていた。

しかし、人生の初めからそんなふうであったので、籠の中にいるときは、それが当たり前なのだと思っていた。


当初は、従順な人形であった。

花安英も、人形として重宝されることに、むしろ誇りを抱いてさえいた。

従順であるがゆえに、籠から出された。

逃げないだろうというのが、彼らの思惑であった。

実際、花安英は逃げなかった。

逃げなかったが、世の中というものはそんなに窮屈ではないことを知ってしまった。

さらには、人形であるおのれは、なんと惨めな存在であったのかと、そのことにも気付いてしまったときから、なにかが狂い始めた。


花安英は、両腕をひろげて、その身いっぱいに風を受けた。

風を受けた袖が、まるで翼のように広がる。

その感覚を楽しみながら、花安英は笑った。

大声で笑った。

しかし、その哄笑(こうしょう)は、風にまぎれて流され、襄陽城(じょうようじょう)の、だれの耳にも届くことがなかった。


つづく

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