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花の章 その40 花安英、見送る


襄陽城(じょうようじょう)の門から、二騎の駿馬が飛び出していった。

門前にひらかれた市場をつっきって、あっという間に見えなくなる。

馬の起こした砂埃(すなぼこり)を、迷惑そうに払う露天商たちの姿がおもしろい。


早馬にしても、そこに騎乗しているのが、立派な風貌の、洒落た衣を身にまとった二人組だというのは、不自然である。

目立つ二人組の立ち去ったあとを、いぶかしげにじっと見やっている民もいる。

城壁の上から見下ろすと、そんな全てがよく見えた。


曹操が近々南下してくるという情報をおさえるのは、商人のほうが早い。

かといって、かれらは逃げ出すか、というとそうではなく、ここぞとばかりに、鍛冶屋と組んで、掠奪をふせぐ丈夫な海老錠だの、身を守るための鎖かたびらや、ちょっとした武器だのを売りさばいている。

その(たくまし)しさは、民を『黒頭(こくとう)』(冠をつけていないため、黒髪だけが目立つ。つまり無位の一般民衆を(さげす)む言葉)などと呼んで蔑んでいる襄陽城の儒者たちには、ないものだ。


「行ってしまうけれど、いいの?」

と、花安英(かあんえい)は、日陰で隠れるようにしている男に尋ねた。

城壁の上は風が強く、花安英の衣をぱたぱたとなびかせる。

ごうごうと風の音が鳴るなか、男が答えた。

「奴らにはなにもできぬ」

「そうかなあ、諸葛孔明は、あんたが思っているほど莫迦なお坊ちゃんじゃないよ。

追いかけて、どこかで待ち伏せして、始末するべきじゃなかったのかな」

「趙子龍がいる」

「仲間を呼べばいいじゃないか」

「何人集めても同じことだ。やつは強い」

「あんたが言うより、まぬけだったけれど」

花安英は、昨夜の趙雲の様子を思い出し、思わず笑った。


孔明を待ちながら、中庭で所在なさげにつくねんとしている様が面白かった。

そこで声をかけてみた。

たいがいの人間は、花安英が声をかけてやると喜ぶ。

とくに、戦場での暮らしが長い人間は。

花安英がその気になって誘った者で、落ちなかった人間はいない。

程子文(ていしぶん)は例外だったけれど。


程子文のことを思い出し、花安英の胸は、大きくざわめいた。

死してもなお、面影を消すことができず、それどころかむしろ存在感を強める男がいまいましかった。

思い出される姿を打ち消そうとするのであるが、どんなに頭の外へ追いやっても、油断すると、またもとの位置に戻っている。


忘れようとしても、忘れられない……いや、死んでしまった男のことなんかどうだっていい。

そう、趙子龍のことだ。

趙雲は、花安英が声をかけても、喜ばなかった。

態度では喜んでいなくても、内心はまんざらでもない、というふうでもない。

芯から嫌がっていた。


気に食わなかったので、さまざまに喜びそうなことを言ったり、わざと怒らせようとしたりした。

ところが、一向にうまくいかない。


そこで、さらに気を引くために、花安英は、襄陽城のだれにも漏らしていない秘密を教えてやった。

そう、蔡夫人と蔡瑁(さいぼう)の関係だ。

これを教えてやれば、当然、趙雲は孔明に注進するだろう。

そして孔明はそれを元手に、蔡一族を追いやり、劉琮(りゅうそう)を跡継ぎに据えようとする動きを封じて、劉琦(りゅうき)に家督を継がせることに成功するはず。

そうすれば、孔明の主騎たる趙雲も面目躍如となり、そのきっかけを作った自分は、感謝されるようになるだろう。

そう花安英は踏んでいた。


ほかの男たちがみんな最後はそうなったように、趙雲もまた、花安英に頭が上がらなくなり、だんだん媚びるようになっていく。

そうして転落させて、あの唐変木を自分の意のままにしてみたかった。


ところが、せっかく秘密を教えてやったにもかかわらず、趙雲は喜ばなかった。

これで孔明の役に立てると興奮するでもなし、あまりに淡々としているので、嫌いだといってやったが、それでも、動じた様子は無い。

花安英は、趙雲が孔明にかならず、蔡夫人と蔡瑁の関係を注進するだろうと思った。

事実、別れたフリをして趙雲のあとをつけると、孔明の部屋へと入っていった。


花安英は、待っていた。


趙雲の話を聞き、孔明が劉琦に密告をしに行くのを。

そうして劉琦が兵を動かして、蔡一族を捕縛するのを。


ところが、待てど暮らせど、かれらは部屋から出てこない。

なにをしているのだろうとこっそり覗いてみたら、趙雲は床のうえで、孔明は机に突っ伏して、ぐうぐうと眠っていた。


腹が立ったので、劉琦のもとへ行き、孔明ならば、かならず蔡一族を樊城から取り除ける策を持っていると教えてやった。

劉琦から(うなが)されれば、孔明とて、おのれの得た情報を使わざるを得なくなるだろう。


だが、またまた読みは外れた。

孔明は、劉琦に策を授けた。

しかし、それは期待していたものとは大きくかけ離れたものであった。

家督を相続することをあきらめて、江夏(こうか)へ移動し、力を蓄えよ。

つまりは、正面からぶつかることを避けるよう指示する策だった。

蔡一族の命は風前の灯だと期待していただけに、花安英は、がっかりした。


つづく

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