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花の章 その37 喜びの公子

「さっそく父に話をして、江夏(こうか)太守の地位を得られるよう働きかけてみます」

「公子、わかっておられるかと思いますが、父君には晋の文公うんぬんの話は内緒で」

「もちろんですとも、わたしもそこまで巡りが悪くありません。

しかし、ひとつ気になることがあります。

江夏に孫権軍がやってくることはないでしょうか」

「孫権に仕える兄の知らせでは、かれは曹操の動きに敏感になっていて、江夏を支配するところまでは気が回っていないようです。

おそらく、無用に劉州牧(りゅうしゅうぼく)(劉表)との争いを引き起こせば、曹操に漁夫の利をつかませることになると計算しているのでしょう」

「なるほど、孫討虜将軍(とうりょしょうぐん)は聡い人物ですね。

では、しばらくは江東の動きを気にしなくてよいと」

「曹操が動いたら、公子は頃合いを見計らい、集めた兵と船団をつかって、襄陽(じょうよう)へ戻られるとよいでしょう」

「そして、兵をさらに増強させて、新野(しんや)であなた方と落ち合えばよいわけだ」


そこまで言って、劉琦はほほを上気させ、ほう、と息を吐いた。

「わかりました。なんと明解な策でしょう。

ありがとう軍師、わたしはあなたのことばで生き返れた気持ちです」

「お役に立てたなら、なによりです」


劉琦を見れば、かれは目じりに涙さえ浮かべていた。

よほどここ数日の緊張が、すさまじいものだったのだろう。

ようやく具体的な光明を得て、こころから安堵しているのが知れた。


よいことをしたと、孔明は思った。

とはいえ、口でいうほどに簡単な策ではない。

劉表が息子の江夏太守就任を認めなければ、そもそも、この策は成らないのだ。

蔡瑁らが孔明の意図を見抜き、妨害してきたら、すべては振り出しに戻ってしまう。

あとは、劉琦の胆力と、かれの取り巻きの政治力が、どれだけものをいうかだ。


「公子、襄陽でのわれらの役目は終わりました。

このあと、新野に戻ろうと思います」

「なんと、それは」

心細い、と言いかけたらしいが、劉琦はことばを飲みこんで、孔明の手を取った。

「そうですね、あなたにもあなたの役目がある。

いつまでも甘えていてはいけない。

程子文(ていしぶん)のことは残念でしたが、わたしはあなたがたを恨んでいない。

悪いのは、斐仁(ひじん)と、斐仁の裏で糸を引いている何者か。

そうでしょう」

「左様。われらの友情は揺るぎませぬ。

公子、どうかご無事で。

なにか想定外のことが起こったら、すぐにこの孔明にお知らせください。

きっとお力になって見せます」

「ありがとう。ほんとうに」


そう言って、劉琦はぎゅっと孔明の手を握った。

孔明も、励ましの意味をこめて、劉琦の手を握り返す。

互いに了解の意味をこめて、微笑みあった。





孔明の策を受けた劉琦の動きは早かった。

さっそく劉表のところへ太守になりたいと言いに行くといい、高殿(たかどの)の下で待っていた伊籍(いせき)をあわてさせた。


「お待ちくだされ、話が見えませぬ。江夏太守ですと」

あわてふためく伊籍に、劉琦自身が孔明の策を打ち明ける。

すると、胡瓜(きゅうり)のように青かった伊籍の顔も、次第に血の巡りのよいものに変わっていった。


「なるほど、その手がありましたか。

さすが軍師。よく全体を把握してらっしゃる」

「そうと決まったら善は急げだ、機伯(きはく)(伊籍)。

すぐにみなに荷造りをさせておくれ。

徳珪(とくけい)(蔡瑁)らが気づかぬうちに、江夏へ出立してしまいたい」

「それはまったくそのとおり。早速、みなに命じてまいります」


興奮気味の主従は、それぞれ劉表のところと、劉琦の住まいである後堂に向かって歩き出した。

その背中はいつになく力が入っていて、ここ数日の悄然(しょうぜん)としたかれらとは別人のようだった。


「なるほど、江夏太守か。よいところに目を付けたな」

高殿の下で待っていた趙雲のことばに、孔明はうなずいた。

「仮に孫権が江夏を狙っているというのなら、別の策になったのだがね。

兄の情報によれば、江夏をとる気持ちは孫権にはないらしいから、助かったよ」

「兄というと、たしか諸葛子瑜(しょかつしゆ)どの、であったか」

「そう。わが愛すべき兄上さ。

前々からわたしのことを気にして手紙をよこしてくれていたのだが、そこに詳しく江夏の事情が書いてあった。

あとで礼状を書かないといけないな」


つづく


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