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花の章 その36 劉琦への献策


劉琦(りゅうき)に対面を申し込むと、また花園に案内された。

どうしても屋内では、人の目、人の耳があるのではと疑ってしまうらしい。

しかもあらわれた劉琦を見て、孔明は思わず顔を曇らせた。

劉琦はよく眠れていないらしく、目の下に青黒いクマができていたのだ。

顔色もすこぶる悪く、白い肌には、ところどころ紫色の細い血管が浮き出ているほどであった。

気が(とどこお)っているのである。


花園には、今日も今日とて、いろとりどりの花々が咲いていた。

夏の日差しのもと、蝶やミツバチたちに挨拶するように、青い顔のまま、劉琦はうん、うん、と満足げにうなずく。

孔明は手でひさしを作りつつ、ちょうど花園の全体が見えるところに立つ高殿(たかどの)を指した。

「ここは暑くて、脳天がやられてしまいます。あそこの日陰に参りましょう」


孔明の誘いに、劉琦は人の()いところを見せて、うれしそうに微笑んだ。

「今日はどんな面白いお話をしてくださるのでしょう。

花安英(かあんえい)が、軍師は面白い話を持っておられるようだと言っておりましたよ。

たしかに軍師のお話は、いつも面白い」

「ご期待通りの面白い話ができるとよいのですが」


謙遜しつつ、孔明は、花安英が、蔡夫人と蔡瑁(さいぼう)のことを教えろとせっついているのだなと推測した。

あの子は何を考えているのかつかめない。

敵なのか、味方なのか。

見極めが難しいうえに、話が話だけに、劉琦に不倫のことを教える気にはなれなかった。

この公子(劉琦)のことだ、不倫の話を元手に動こうとするよりも先に、不潔な話におどろいて、卒倒してしまうに違いない。



劉琦と孔明は高殿にのぼる。

高殿に上るための梯子(はしご)のすぐそばには、趙雲と、劉琦にぴったりくっついている伊籍(いせき)が、それぞれ佇立(ちょりつ)して二人の様子をうかがっている。

ふだんであれば、暑いだろうから、ふたりも一緒に上へ、と誘うところであるが、今日はそういうわけにはいかない。

劉琦の運命がかかる話をこれからすることになると思うと、自然と孔明の背筋は伸びた。


「ときに公子、黄祖(こうそ)どののことはおぼえておられますか」

「もちろん」

劉琦は深くうなずいた。

「人がかれのことをなんと言っているかはしりませんが、わたしを可愛がってくれた人でした。

おそらく、わたしが長子ということで、特別に想っていてくれていたのでしょう」


孔明にとっては、黄祖は江東の英雄である孫堅(そんけん)を討った男で、なおかつ異才の人・禰衡(でいこう)を殺害した短慮な男、という印象しかない。

その黄祖が劉琦を可愛がったというのは意外だった。

おそらく、劉琦がいう理由も大きいだろうが、それ以外に、やはり、劉琦には人をなごませる性質があるのだ。


「黄祖がどうしたのです」

「公子、率直に申し上げます。

黄祖どのが孫権に討たれたことで、江夏(こうか)太守の座が空席になっております。

公子はその江夏太守になり、いますぐ襄陽(じょうよう)から出るべきです」

「し、しかし」

反駁(はんばく)しようとする劉琦に、孔明はさらに言った。

「目先のことだけに囚われていてはいけません。

よろしいか、これは州牧(しゅうぼく)の座をあきらめるということではないのです。

公子も(しん)の文公の故事はご存じのはず。

兄弟で地位を争った文公でしたが、いったん国を捨て各地を放浪したことがさいわいし、結局かれが地位を得た」

「もちろん、その話は知っておりますとも……ああ、やっとわかりました」


劉琦は今度こそ、目をぱっちり開いて、孔明を見た。

「わたしに、晋の文公になれとおっしゃる」

「左様。このまま襄陽城にとどまっていても、蔡瑁らを排斥することはざんねんながらむずかしい。

むしろ、排斥するより前に、こちらが排除されかねない。

しかし、かれらとて完璧というわけではない。

いつか、その力にほころびが出るときがありましょう。その時を待つのです。

そのためにも、いったん城を出て、相手の油断を誘うのです。

江夏に向かわれましたら、劉公子はお味方に連絡し、兵と物資を集められますように。

孔明の見立てでは、時機はそう遅くないときに訪れましょう」


劉琦は、おお、と感嘆の声をあげた。

どうやら、孔明の言葉が体内を駆け巡って、気鬱(きうつ)の病を吹き飛ばしている最中らしかった。

爽快なほどに、だんだんと顔色が晴れてくる。


孔明からすれば、単純な策であった。

しかし、長子だからと州牧の地位に固執し、義弟の劉琮(りゅうそう)との確執に(まど)う劉琦とその取り巻きたちには、いったん外部に出て力をためるという案はひらめきもせず、劉琦に注進することもなかったのだろう。


外から来た人間で、客観的に劉琦を見られた自分だから、献策できたのだと思う。

劉琦が喜んでいる様子を見るのは楽しかった。



つづく

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