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花の章 その35 目の前を過ぎるもの

ひとりのこされた孔明は、しばらく何も考えられずに、その場でぼおっとしていた。

頭がこれほど(から)になったのは、ひさびさである。


しびれるような脳髄を持て余していると、視界の端に、中庭に面した通路を花安英(かあんえい)と中年の男が部屋を横切っていくのが見えた。

粗末な身なりをした小柄な男と花安英は、和気あいあいというふうでもなく、ただ黙って通路を行く。

孔明には気づいていない様子である。


そして、とある部屋の前まで来ると、それまでうしろにいた花安英が、見るからに身分が下であろうと思われる男のため、扉を開けてやっているのが見えた。

なぜだろうと不思議に思ってしばらく観察して、合点がいった。

男は片手に荷物を持っていたが、もう片方の手が、だらりと袖の下で垂れ下がっていたのだ。

おそらく、片腕が()かないのだろう。

それを知っている花安英が、男のために扉を開けてやったのだ。


孔明は素直に、あの少年にもいいところがあるのだなと感心した。

中年男は軽く花安英に会釈すると部屋に入り、つづいて、花安英も、面白くなさそうな表情を浮かべたまま、そのあとにつづいた。

中年男はおそらく、花安英の従者であろうか。

孔明とかれらとのあいだにある立木が邪魔をして、顔はよく見えなかった。


そのあとは、また静けさが戻ってきた。


やがて趙雲が水を()んでもどってきた。

水は思いのほか冷たい。

飲み干して、やっと生きた心地がした。

息をつくと、(かたわ)らにいて水を飲んでいない趙雲も、おなじくほっとしたようである。

その様子から、自分は相当に顔色が悪かったらしいなと、孔明は気づいた。


それにしても、劉備に趙雲を主騎(しゅき)に付けてもらったときは、過保護にすぎるのではとすら思っていたものだ。

だが、いまはむしろ、その存在が隣にいないと、安心できないくらいになっている。

こうなるとは思っていなかったら、当初はずいぶん素っ気ない態度をとったものだ。


「すまなかったな」

孔明が言うと、趙雲は薄く笑った。

「べつに。たいした手間じゃない」

水のことではないのだが。

まあ、いい。

誤解であっても、感謝していることだけ伝われば。


孔明が落ち着いたのをみると、趙雲は、周囲に聞かれないように声を落として言った。

「ここは虎穴(こけつ)どころの騒ぎではないな。

この城のどこか、あるいはだれかが『壷中(こちゅう)』なのだろうか」

斐仁(ひじん)の話で、かえってわからなくなったな。

麋竺(びじく)どのが見つかれば、かれに話を聞けるのだが」

麋子仲(びしちゅう)(麋竺)どのは、どこへ消えてしまったのだろう」

「わからぬ。程子文(ていしぶん)の死を受けて、すぐに襄陽を出たのかもしれない。

その先は不明だ。若い女と逃げているともいう。

まったく、あの誠実を絵にかいたような御仁が、らしくないな」

孔明は、さぞ劉備たちが落胆するだろうと思い、ため息をついた。


「斐仁が『壺中』の仲間だということはわかった。

そして、新野(しんや)の東の蔵に『秘密』があり、その秘密をまもるため、斐仁は新野にいた。

麋竺どのを脅していたというのがよくわからぬが、どうも、ふたりで協力して秘密を守っていたようだな。

あとで陳到(ちんとう)に手紙を書いて、東の蔵のことを調べるよう指示しよう」

「だが、斐仁と麋竺どのはバラバラに動いている。

ふたりが『壺中』だとすると、ずいぶんまとまりの悪い組織だな」

「もしかしたら、麋竺どのは『壺中』を裏切ろうとしていたのかもしれないな。

そう考えると筋が通る。

『壺中』を倒すため、程子文を取り込んで、劉琮(りゅうそう)どのと蔡瑁(さいぼう)を排除しようとした」

「とすると、『壺中』というのは、やはり」


蔡瑁か、という言葉を趙雲が呑み込む。

孔明は、肯定の意味をこめて、うなずいてみせた。


「そう考えるのが自然であろう。

程子文の動きを察知した蔡瑁が程子文を殺害し、その罪を、たまたま襄陽城に忍び込んでいた斐仁に押し付けた。

ほんとうなら、罪をなすりつける者は、ほかのだれでもよかったのかもしれない」


「斐仁は運が悪かったというわけか。

しかし、これからどうする。いったん、新野に戻って、わが君に報告したほうがよいのではないか」

「それはだめだ。劉琦(りゅうき)どののことを忘れてはいけないよ。

われらが城を去ったら、残された劉琦どのはどうなる。

新野に帰るにしても、劉琦どのをなんとかしなければなるまい」

「そうか。そうだったな。どうすればよい」

「考えがある。まずは劉琦どのと会おう。すべてはそれからだ」


つづく

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