花の章 その27 妓楼の女主人
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藍玉がくれた薬の効果はてきめんであったらしく、夏侯蘭は頭痛や吐き気をおぼえることなく、目を覚ますことができた。
わるいゆめを見ていたので、寝汗がひどい。
ひと風呂浴びたい気分だと思っていると、まさにそれを読んだかのように小女がやってきて、風呂の支度ができていますという。
ありがたくその言葉を受け、夏侯蘭はひと風呂を浴びることにした。
妓楼の内部はずいぶん古めかしく、建具も家具もすべて凝っていた。
繁盛しているらしく、まだ朝方だというのに、あちらこちらから妓女や芸人たちと、客の戯れの声が聞こえてくる。
趣味のよい軽快な音楽がどこからか聞こえてくる一方で、思わず赤面してしまうような声も聞こえ、ここが間違いなく妓楼なのだと実感させられた。
廊下を行く者は目を伏せがちに歩いていて、大柄で禿頭の夏侯蘭がのしのし歩いていても、目を合わせるそぶりは見せない。
禿頭というと、罪人と間違えられてもおかしくないのだが。
夏侯蘭は、自分を先導する小女にたずねた。
「藍玉というのは、ここの妓楼の主人なのか」
「はい。立派なお方です」
抑揚のない声で女は答える。
そういうふうに答えるのだと教育されているような雰囲気だ。
藍玉は、よほど怖い女主人にちがいない。
怖かろうが、恩人である。
自分を拾って、助けてくれた上、どうやら匿ってもくれているらしい。
趙雲の副将の陳到は、いまも夏侯蘭を探して新野の市中を駆けまわっているはずだから。
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風呂はとても心地よかった。
衣服も用意してあり、夏侯蘭はよろこんでそれに袖を通した。
こうも厚遇なのは、裏があるのではとすら思えてしまう。
だが、目的が一致するなら、甘んじて相手の思いを受け止めてみようと夏侯蘭は覚悟を決めていた。
果たして、朝食を摂り終わったところで、藍玉がやってきた。
現役の妓女かと思っていたが、そうではないらしい。
渋めの蘇芳色の衣に、深緑の裙をはいて、あいかわらず、髪型は、のたくった蛇のような結い方をしている。
昨晩は、座敷に挨拶にでも出なければならなかったのか、簪を大量に髪に挿し、化粧もきつかったが、今朝は簪は少なめで、化粧も薄かった。
差し向かいになると、なるほど、迫力のある美女であった。
なにより、若いのに虎のような目力がある。
藍玉は、夏侯蘭のからだの具合をたずねてきたあと、それからずばり切り出してきた。
「改めて申し上げます。姐さんの遺体を埋葬してくださって、ありがとうございました」
「姐さんというと、あの空屋敷で死んだ街娼のことか」
「そうです。姐さんはわたしの姉貴分だったのです。
店に一緒に出ていたときは、とてもよく可愛がってくださいました。
年季が明けるころになって、かわいそうに体を壊してしまって、店を追い出されたのです。
あたしは何度か姐さんに使いを出して、お金を送ろうとしましたが、姐さんは誇りがあるからと頑として受け取ってくださいませんでした。
それで、街に出てひとりで客を取っていたのです」
藍玉の声は震えていた。
死んだ『姐さん』を悼んでのことだろう。
もしかしたら、姐さんを殺した『狗屠』への怒りも、ことばにこめられているのかもしれない。
「このところ、恐ろしい娼妓ごろしがつづいていたのは知っていました。
あたしは姐さんに死んでほしくなかった。
止めようと思って、使いを出して探させていたのです。
でも、遅かった。姐さんは、ひどい目に遭ったのですね」
ああ、と短く答えると、藍玉はしばし沈黙してうつむいた。
涙こそ流さなかったが、正座している膝の上の指をきつく組んでいるのが見えた。
気丈な女である。
弱いところを見せまいと、頑張って涙をこらえているのだ。
「姐さんを埋葬してくださったのには感謝しております。
いままで殺された娼妓もひどいありさまだったと人づてに聞いております。
姐さんもそうだったのでしょう。
殺されただけではなく、衣服まで剝ぎ取られていたなんて、ひどすぎる。
裸の姐さんのからだを野次馬に見られなかっただけでもよかった。
ほんとうに、ありがとうございました」
言って、藍玉は深々と頭を下げた。
つづく




