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花の章 その25 夜明け前にて


寝苦しさに気づいて孔明は、ふと眠りから醒めた。

見慣れぬ天井が目の前にある。

襄陽城(じょうようじょう)にいるのだったと遅れて思い出し、そして寝ぼけた頭をなだめるため、ため息をひとつ、ついてみる。


眠らねばならない。

朝には、ふたたび戦いが待っていることだろう。

そうしてまぶたを閉じなおそうとしたとき、孔明は、おのれの寝所に自分以外の人間がいることに気がついた。


「何者ぞ!」

孔明は起き上がると、部屋の隅にうごめく闇に向けて、鋭く誰何(すいか)した。

闇に目が慣れてくると、その輪郭が、馴染んだ姿のものであることに気がつく。

趙雲であった。


孔明があきれて、

「なにをしている」

と、たずねると、趙雲は立ち上がり、気まずそうに言った。

「道に迷って、おれの部屋がどこだかわからなくなった」

「隣だ」

孔明がそう言うと、趙雲は顔をしかめた。

この男、たまに間抜けな間違いをするのであるが、それを指摘すると、照れ隠しに、かえって怖い顔をする癖がある。


ふと、趙雲が、おのれの左肘(ひだりひじ)を、(かば)うようにしているのに気付いた。

それどころか、よくよく見ると、衣のあちこちが擦り切れ、泥だらけである。

返り血らしきものがないところを見ると、大立ち回りをした、というわけではなさそうであるが……


「いま何時くらいだろう?」

孔明が問うと、趙雲は薄闇のなか、首をかしげる。

「さあな。実はさきほど、すこし部屋の隅っこを借りて、うたた寝をしていた。

鶏はまだ鳴いていないが、もう明け方に近いかも知れぬ」

「野戦中でもあるまいに、筋を痛めるぞ。一緒に寝るか?」

「聞かなかったことにしておく」


孔明は、べつに冗談で言ったわけではない。

趙雲は武将である。

武将の身体は、いわば武器と同等である。

武器を傷めては戦にならない。

そして、ここには寝台が一つしかないわけであるから……

その考えから出た言葉であった。


孔明のあてがわれた賓客用の寝台は、諸葛家の姉弟みんなで寝そべることができるくらい、大きくて立派なものであったし、男同士で同衾(どうきん)するといっても、男と女とはわけが違うのであるから、妙に構える必要もないわけだ。

むかし、なにか嫌なことでもあったのかな、と邪推を浮かべつつ、孔明はとりあえずおのれの言葉をひっこめた。


(ひじ)をどうした」

ああ、と趙雲は言って、自分の左肘を見せた。

無造作にではあるが、応急処置として、肘に布が巻かれている。

そこから、じわりと血がにじみ出ていた。

「どこかで切ったようだが、たいしたことはない。

ここに来るまで、気付かなかったほどだからな」


そこまで言って、趙雲は恐ろしげな顔をしたまま沈黙する。

孔明がつづきを促すべく眉をしかめると、趙雲はぼそりと、つぶやくように言った。

「知らぬうちに、そこまで緊張していた、ということなのだ」


「意味がよくわからぬ」

「おれは根っからの武人らしいな。

むかしは、ある男にそこを嫌われたので、どこかでそれを恥じていたが、いまはこの性質に感謝している。

あの小僧、やはり並の者ではなかった」

「どういうことだ。小僧とはだれだ」

花安英(かあんえい)だ」

「なんだ、あの子と一緒にいたのか。

花安英は程子文(ていしぶん)とは義兄弟の契りを結んでいるほど仲が良かったから、その思い出話でもしていたか?」


すると、趙雲は目を大きく見開き、オウム返しにしてきた。

「義兄弟だと? 死んだ男と、花安英が」

そうだ、と孔明はうなずく。


程子文は自分に似たところのある花安英をかわいがり、どこへ行くにも連れて行っていた。

花安英も程子文になついて、まるで猫のようにじゃれていたものだ。


そういえば、あの子は猫に似ているなと孔明が思っていると、趙雲は腕を組み、不機嫌そうに考え込んでいる。

「あの子になにか言われたのか」

「程子文のことについて、突き放したような言い方をしていたのだ。

まさか義兄弟だとは思っていなかった。そのわりには悲しんでいないように見えるな」

「たしかに。しかし良い方向で考えると、かれはかれなりに、程子文の遺志をついで劉公子(りゅうこうし)劉琦(りゅうき))をお守りしようと気を張っているのかもしれぬ」

「まあ、そういうふうにもとれるか」


言いつつも、趙雲は納得していない様子だ。

「花安英が並の者ではないというのは、どういう意味で言ったのだ?」

孔明がたずねると、趙雲はこれまたかれらしくないことに、まだ不機嫌そうに言った。

「あいつ、見た目とは違うぞ。だいぶ鍛えている。

なにもできなさそうなフリをしているが、とんでもない。

抱え上げてわかった。かなりの筋肉を持っている」

「抱え上げた?」


今度は孔明はおどろいて眉をつりあげる。

趙雲は、ばつがわるそうに、ゆるゆると昨晩の出来事を話し出した。


つづく

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