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花の章 その23 花を蹴散らして

いつの間にか、襄陽城(じょうようじょう)の城壁の天辺(てっぺん)にでもいたのではないか。

不安とともにそんな思いが(よぎ)ったころ、眼下に、藁葺(わらぶ)きの屋根が見えた。

趙雲は、飛び込む形でそこに落ちた。


屋根に落ちると、趙雲と花安英(かあんえい)の重量に耐えられず、藁葺きの屋根はすぐに落ち窪み、そのまま(かし)いだ。

とたん、屋根のしたで、まどろんでいた無数の鳥たちが、不気味な鳴き声をあげていっせいに暴れだす。

闇の中、姿のはっきり見えない鳥たち……どうやら家鴨(あひる)の小屋であったらしい……の羽根に顔を打たれつつ、羽毛と(わら)の飛び散るなか、趙雲は、立ち止まることなく、駆け出した。


藁葺き屋根が物置部屋の真下であったのは、幸運だった。

落ちた衝撃で足にしびれはあるものの、藁が衝撃をおさえてくれた。

痛みはない。


それまで、趙雲に抱えられるかたちで傍らにいた花安英は、地上につくなり、藁の上に放り投げだされた。

駆け出した趙雲の背後から、あわてて追いかけてくる。

鳥たちの声に、寝静まっていた奴婢(ぬひ)たちが騒ぎ出したのがわかった。

かれらが、賊だ、と言っている声が聞こえた。

見つかるわけにはいかない。

趙雲はめちゃくちゃに駆けた。

花安英もまた、あとから必死に追いかけてきた。





どれくらい走ったかわからない。

花の香りを手掛かりにして、趙雲はひたすら駆けた。

うまい具合に、追っ手はかからなかったようだ。

気づけば、この城に来たさい、はじめに劉琦(りゅうき)が自分や孔明を案内してくれた花園にきていた。


深呼吸すると、あちこちに咲き乱れる花々の、むせかえるような香りが肺を満たす。

花は、肥料がよければよいほど、これほど美しい姿を見せる。

美しくあるために、必要不可欠な肥料そのものは、たいがいが汚物や残飯である。

この世は、美ですら、その出発点は汚濁によって支えられている。

生まれつき無垢で、美しいものなど、存在はしない。


そんなことを遠くで考えながら息を整えていると、

「逃げられましたね」

花安英が言う。

趙雲はうんざりと振り返った。

「念のため、おまえは自室に戻って、鍵をかけて布団をかぶって寝たふりをしていろ。

今宵はもう部屋を出てはならぬ」

すると、花安英は、険をあらわして言った。

「わたしに命令をするんですか」

「死にたくないだろう。あいつらに覗きをしていたことが露見したら、夜更けだろうと踏み込まれて殺されるぞ」

「だからといって命令されたくありませんね。

わたしは、あなた方を助けるために、蔡一族の秘密を明かした人間ですよ」

「だから何だ。おれはおまえの命の恩人だぞ」


花安英は、闇の中、しばらく沈黙していた。

趙雲としては、花安英はどうでもよい。

ともかく孔明の元へ戻る。

そして、孔明が無事であるかを確かめなければならない。


ふと、小さいうめき声が聞こえた。

小僧、どこぞに怪我でもしたのかな、と花安英のほうを見ると、花安英は、肩を震わせて、笑っている。

大笑いしたくなるのを、ぐっとこらえているのであった。

趙雲としては、花安英に、それほど喜ばれるような、面白いことを言った記憶がない。


眉をしかめていると、花安英は、笑いの発作をようやくおさめて、顔をあげた。

「一つお(うかが)いしたいのですが、あの部屋に、わたしを置いてこようとか、一人だけ逃げようとか、そういうことは考えなかったのですか」

「いや」

「なぜです?」

「なぜ、とは面妖な。考えるまでもなく、おまえをあそこに捨て置いたら斬られていたぞ」

「それだけですか? わたしが蔡瑁(さいぼう)に捕まったら、逃げたのがあなただと、すぐに喋ってしまうからではないのですか」

「ああ、そうか。そういう可能性もあったな」


そう合点をする趙雲であったが、花安英は、しばし沈黙したまま趙雲を見て、それから今度は笑わずに、くるりと背を向ける。

その華奢な背中に、

「言うとおりにしろよ」

と声をかけると、花安英は、無言で振り返る。


その表情に、趙雲はどきりとした。

さきほどとは、打って変わって、何者をも寄せ付けないような、冷たい顔だった。


「わたしは、やっぱりあなたが大嫌いになりました。

さようなら。もうこんなふうに、お会いすることはないでしょう」


あまり好いていない相手にでも、やはり嫌い、と面と向かって言われるのは気分のよいものではない。

なんなのだ、と思わずつぶやく趙雲であるが、花安英は、なにもいわず、闇のなか、足下に可憐に咲き乱れる花々を、蹴散らすようにして、去っていった。



つづく

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