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花の章 その22 三十六計逃げるに如かず

孔明は、劉琦(りゅうき)を推す劉備の軍師となった。

そのために、蔡瑁(さいぼう)も蔡夫人も、姪の婿たる孔明を(こころよ)く思っていない。

それに加えて、孔明の主騎である趙雲に自分たちの最大の秘密を握られたとなれば、死にもの狂いで襲い掛かってくるだろう。


孔明が、この場にいるのであれば、ともに連れて逃げられる。

だが、孔明はいま、劉琮(りゅうそう)の宴に出ている。

しかも、自分は花安英(かあんえい)によって、闇の中、慣れぬ襄陽城(じょうようじょう)の一室へと導かれた。

首尾よく追っ手をかわしたとして、孔明のいる場所まで、蔡瑁たちより早く孔明のもとにたどり着き、襄陽城を出ることは可能か。


趙雲はすばやく計算した。

出来ないことではない。

だが、蔡瑁たちが『壷中(こちゅう)』だったとしたら、どうだ。

たとえ襄陽城を守る蔡瑁らを突破したとしても、すぐさまその追っ手は掛かるだろう。

それすら振り切ったとして、新野(しんや)に逃げ込めたとする。

蔡瑁たちの秘密をあきらかにすれば、劉備側に大義名分はたつ。

襄陽だけではなく、荊州(けいしゅう)のほかの太守たちの中にも、劉備とよしみの深い人間はいる。

かれらをまとめ、襄陽にいる劉琦を救うという名目で軍を進める。

戦力は襄陽のほうが上だが、人心は劉備にある。

じっくり攻めれば、劉備が勝つ。


しかし、その内紛を、曹操が見逃すはずがない。

いま荊州内部で戦なんぞをしたら、すなわちそれは曹操に背を向ける……隙を見せるということ。

圧倒的な力の差のある曹操にそんなことをすれば、命取りだ。

結果は、滅亡だろう。

だめだ、それだけは避けなければ。


くそっ。

趙雲は、姿を見られずに、蔡瑁たちを突破することをあきらめ、さらに部屋を見回した。

すると、調度品にまぎれるようにして、板付けにされている窓が隠れていることに気付いた。


趙雲は、花安英にたずねた。

「おい、あの窓の外は、どうなっている」

「闇ですよ」

この期に及んで、たいがいふざけるのはよせ、という思いのありったけをこめて、花安英を睨みつけたが、花安英は、冗談を言ったのではないらしい。

(おび)えた顔をして答える。

「ここは二階です。あの窓から落ちたら、死にますよ」

「窓の下は?」

「さあ、わかりません。この窓の下は、奴婢(ぬひ)たちが暮らしている小屋や畑があるはずですが」


よし、とだけ言うと、趙雲は立ち上がった。

その気配に、蔡瑁たちがますますいきり立っているのが、気配でわかった。

「間者か! 出てくるのだ!」

蔡瑁がよく響く野太い声で怒鳴った。


蔡夫人のほうは、衣をととのえ、怯えた顔をして、蔡瑁の背後にかくれて、なりゆきを見ているようだ。

蔡瑁の警護の者たちが部屋へやってくると、蔡夫人は、床に落ちていた薄衣をさっとかぶって顔を隠した。

人数が増えたことで、蔡瑁は気を強くしたのか、抜刀している部下たちとともに、衝立のほうににじり寄ってくる。


頃合を見計らい、趙雲は、目の前にある衝立を蹴り飛ばした。

衝立が、蔡瑁らに倒れかかる。

ちいさな悲鳴が上がり、蔡瑁たちが、うろたえたのがわかった。

趙雲は、部屋の入り口には、向かわなかった。

壁側にすばやく移動すると、壁側に積まれた家具を、片っ端から抱え上げ、手当たり次第に、蔡瑁たちにぶん投げた。


もしかしたら、この中には、高価なものがあるのかもしれない。

派手な音をたてて、家具は蔡瑁たちにぶつかり、あるいは床や壁にぶつかって、壊れていく。

趙雲は、さいごに、壁にたてかけてあった、自分の胸元くらいまである大きな燭台を掴む。

そして、家具が取り払われ、全体が姿をあらわした板付けになっている窓に、燭台をつきたてた。


ばき、めき、と木の割れる音がする。

幸いにも、打ち付けられた板は古く、さほど頑丈ではないらしい。

何度かおなじことを繰り返し、板がほぼ割れたのを見ると、趙雲は、傍らでうろたえている花安英を引っつかみ、窓に思い切り体当たりをした。


ふわり、と肝を震わせる、不安感と浮遊感が全身をつつむ。

眼下はなにも見えない闇の海である。

どこまでが真の闇で、どこからが地上なのかもわからない。

ただ、思いのほか冷たい風が、闇と共に押し寄せてくるような感覚がある。

ひどく長い時間、空中に留まっているように思えた。



つづく

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