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花の章 その20 爛れた秘密

「わたしを蔡家の者に仕立てあげることを最初に考え付いたのは、あなた。

はじめにわたくしに近づいたのも、わたくしの内にある毒を見抜いておられたからではないのか」

蔡瑁は黙っている。

黙って、卵を抱える(おおとり)のように、胸の中にいる蔡夫人をそっと抱いた。

蔡夫人はくすぐったそうに、ちいさく笑う。

「わたくしに家を捨てさせ、何でも言うことを聞くように、逆らえないように虜にした。

人形になったわたくしを一門の栄達のために利用するために。

じゅうぶんにわたくしは役に立てたでしょう? わたくしはあなたの父上の養女となった。

まるで品物のようにあの醜い年寄りに差し出されても、耐えた」


州牧(しゅうぼく)(劉表)に差し出したことを謝罪せよと? 

おまえが好き勝手できているのは、ほかならぬ州牧の妻の座におさまったからだぞ」

「いいえ。済んだことを責めはしませぬ。

ほら、またおかしな具合だこと。昔、家に帰りたい、残してきた子供に会いたいと泣いたわたくしに、過ぎたことをいつまでも嘆くな、家を捨てたのは納得づくであったろうと叱った男とは思えませぬ」

「ならば、おまえは儂にどうしろ、というのだ」

「わかりませぬか」


女は男から身を離すと、両手でその襟元(えりもと)を掴み、勢いよく、着物を左右にはぐった。

中年とはいえ、武人らしく鍛えこまれた、厚い胸板があらわになる。


「儂はおまえのものだとおっしゃい」

なんだと、と言いかけた蔡瑁(さいぼう)を、蔡夫人は、するどく決めつけた。

「わたくしのものだとおっしゃい!」

甲高い声が、びりびりと部屋を震わせる。

それに気圧される形となって、蔡瑁は、唸るように言った。

「儂は……」

「聞こえない! もっと大きな声でおっしゃい!」

「儂は、おまえのものだ」

「また新しい側室を迎えられたとか。追い出しなされ。明日にでも」

高飛車な要求に、蔡瑁があきらかにもうろたえている。

「待て、あの女は、儂のところを追い出されたなら、もう行くところがない」

「聞こえませんでしたか。追い出せ、と申したのです。

あなたはわたくしのものなのです。わたくしの言うとおりになさい」


蔡瑁が反論しようとするのを、蔡氏は無理やり唇を奪って封じた。

「あなたがあの女を追い出さないというのであれば、わたくしが殺してやる」

「莫迦な」

「莫迦なことなぞなにもない。わたくしの手は、もう十分に汚れているのです。

小娘を一人殺したところで、もうなにも感じやしない。

あなたが、そのような女になるように、わたくしを変えたのです。そうでしょう?」


絶句する蔡瑁の表情に蔡夫人はなにを読み取ったのか、満足そうな笑い声をたてる。

そして自らも衣を乱暴に脱ぎ、蔡瑁にしなだれかかっていった。


平素のふたりを見知っていただけに、趙雲は、蛇に(から)め取られた蛙のように、言うがままにされている蔡瑁に驚いた。

それに、おとなしい女だとばかり思っていた蔡夫人の、思いもかけない様子に、衝撃を受けた。

蔡瑁と蔡夫人は、まるで初めて妓楼(ぎろう)に足を踏み入れた少年と、熟れきった玄人女(くろうとおんな)のようでもある。

棒立ちのまま、なにもしようとしない蔡瑁に、蔡夫人は焦れて、ますます挑みかかるように愛撫をくりかえしていった。


趙雲はつよい嘔吐感をおぼえたが、衝立のうしろで、ぐっとこらえた。

見つかったらまずい。

それに、大変なことであった。

蔡瑁の姉だと思っていた女が、実はそうではなく、蔡瑁の妾であった。

しかも(ただ)れた関係は、いまもって終わっていないのだ。


もしそれが明るみに出たなら、孔明が策を講じるまでもなく、蔡家の一門は、襄陽を追われる身となるだろう。

あるいは、劉表を裏切り続けたかどで、処刑されることもありうる。

蔡夫人の子である劉琮(りゅうそう)は、当然、排斥されるだろう。

そうすれば、劉琦(りゅうき)は、肩身の狭い思いをしなくてよくなるのだ。


劉琦が荊州牧(けいしゅうぼく)を継いだなら、後盾である劉備の立場も、いまよりずっと良くなる。

いまは蔡家の人間が、がっちりと掴んでいる荊州の軍勢を、劉備が掌握できるようになるのだ。

うまくすれば、曹操が南下しても逃げるのではなく、堂々と曹操と対峙することが可能になるかもしれない。


揺れる蝋燭の火に、真っ白な背中を浮かび上がらせて、蔡夫人は横たわらせた蔡瑁にのしかかっていく。

異様な光景であった。

年増とはいえ、十分に若さと美しさをとどめている蔡夫人が、武人である蔡瑁を意のままに動かし、(もてあそ)んでいるのだ。

美女が武人を犯している。

蔡瑁が、これほどに、蔡夫人の言うなりになっているのにも、なにか理由があるにちがいない。

蔡夫人は、自分の手が十分に汚れている、と言った。

まさか、蔡夫人も『壷中(こちゅう)』にかかわりがあるのか?


ふと、くぐもった声が聞こえて、隣を伺うと、趙雲の身体にしなだれかかるようにしていた花安英が、笑っているのだった。 

その笑みは邪悪と表現するにぴったりのもので、昼間の華麗な美少年の面影は、微塵(みじん)もない。

趙雲は、その笑みに背筋を凍らせると同時に、ふと、冷静になった。


おかしいではないか。


つづく

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