表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

76/475

花の章 その18 夜の帳のその奥で

気付くと、しんと闇に沈む襄陽城(じょうようじょう)の、北側にやってきていた。

どこもかしこも、きれいに磨きこまれている城の奥。

そこは物置として使用されている部屋のようであった。

無造作に積まれた卓や椅子、棚などの調度品があり、蜘蛛の巣がかかっているものもある。


どこまで行っても(ちり)ひとつない空間の連続であった襄陽城において、こんなに乱雑な部屋があるということに、趙雲は、むしろほっとした。

襄陽城はたしかに清浄なところであったが、しかし、気を落ち着かせる清浄さではなく、むしろ、躍起になって人の気配を消そうとしているような、いびつな神経質さが感じられていたのだ。


花安英は、部屋に入り込むと、そのなかの衝立(ついたて)のひとつの後ろに隠れる。

そうして、姿を隠して、手だけを出し、おいでおいでと趙雲を誘う。

「おい、ふざけるな」

趙雲は胸が悪くなり、乱暴に言うと、衝立の向こうから、花安英だけの声が聞こえた。

「ここまでついてきたのは、面白いものが、見たいからじゃなかったのですか」

「くだらぬ物であったら、タダではおかぬぞ」

「それは、見る人にもよると思いますけれど」

意味ありげなことを言って、花安英は、衝立の向こうで忍び笑いをする。


ここまで来たのだし、花安英のような脆弱(ぜいじゃく)そうな少年に、力で負けることはないだろう、いざとなればぶん殴って、いま来た道を戻ればよい。

そう思った趙雲は、衝立の向こう側へと足を向けた。




衝立の裏には、紙燭(ししょく)を手にした花安英が普通に立っており、趙雲がやってきたのを認めると、またも満足そうに、花のような笑みを浮かべた。

その笑みを見た瞬間に、ふっと燭の明かりが消え、あたりは真の闇に包まれた。

趙雲が身構えるより早く、花安英が真正面から飛び込むようにして、抱きついてきたのがわかる。


鼻腔いっぱいに、花安英の身につけている、香り袋の甘い香りが飛び込んでくる。

この香りは、どこかで嗅いだことがあるな、と趙雲はふと思ったが、思い出すことができなかった。

いくら相手が美少年とはいえ、抱きつかれて喜ぶ人間はめったにない。

とっさに払いのけようとした趙雲であるが、花安英はそれを先に察したらしく、腕を掴む両手の力を、さらにつよくしてきた。

 

投げ飛ばすか。


趙雲は闇の中、手探りで花安英の(えり)を掴んだが、当の花安英は、なにを勘違いしているのか、やはり、くすくすと忍び笑いをしているのだった。

「勘違いをなさらずに。この衝立は狭いので、二人も隠れる場所がない。

だからこうして身を寄せているだけなのですから」

「隠れる?」

「そう。ほら、聞こえませんか?」

花安英のささやきに、耳をすませると、ひたひたと、足音が近づいてくるのがわかった。

衝立の隙間からそっと伺うと、真っ暗闇の中を、ゆっくりと、薄衣をかぶって顔を隠している女が、ひとりでやってくるのが見える。

その、おぼろに浮かぶ姿は、まるで幽鬼のように見えて、ぞっとする。

柳腰の、悄然(しょうぜん)とした歩き方をする女であった。


「そら、もうひとつ」

花安英はささやきつつ、趙雲の袖を引っ張り、別な方向に耳を寄せるようにうながす。

それに(なら)って、趙雲が耳をすませると、静かながらも、規則正しい足音が近づいてくるのがわかった。


女は、趙雲たちの潜む物置部屋に入ってくると、もう一方の足音のほうを向いて、乗り出すように首を伸ばした。

足音は、迷う様子もなく、物置部屋の前にまでやってくる。

一人。

手には、ちいさな蝋燭ひとつきり。

そのちいさなちいさな灯火に、浮かび上がった顔を見て、趙雲は、眉をしかめた。


何度か顔をあわせたことがある、いかにも大将然とした外貌をそなえた中年男、蔡瑁(さいぼう)である。

孔明の妻の、叔父にあたる男。

姉である蔡夫人の子・劉琮(りゅうそう)を、次の州牧(しゅうぼく)に据えようと、画策している中心人物だ。


趙雲は、身近にある花安英の顔を盗み見た。

闇に慣れた目に、長い睫毛(まつげ)をたたえる、花安英の双眸がある。

その目は、獲物をねらう猛禽のように、暗い喜びに光っている。

華やかな面差しには、腹の底からわきあがっているであろう、嘲笑が浮かんでいる。

なまじ顔立ちがよすぎるために、その表情は、悪鬼のようにみえた。


つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ