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花の章 その16 絡めとられる趙子龍

以前から、趙雲は襄陽城(じょうようじょう)にくるのが苦手だった。

それは、劉備をとおして、この城を見ていたからかもしれない。


襄陽城の人間は、以前から劉備とその家臣を軽侮し、たかが傭兵隊長、という目で見てきていた。

この城に来ると落ち着かない、というのが趙雲の正直な気持であったが、どうしてそう思うのか、それが今夜、はっきりしたかたちである。

要するに、不健康なのだ。


儀礼だの体面だのも、命があればこそ、気にすることのできるものではないか。

そもそも、命を守るための規則が儀礼であったり、生きるための誇りが体面であったりするもの。

しかし、襄陽城の人間にとっては、すべてが逆なのだ。

そして、その逆転している事実に気づいている者は少ない。

どうあってもおかしい。


不意に、趙雲の脳裏に、なぜだか潘季鵬(はんきほう)の姿が浮かんだ。

おまえは、人殺しが(うま)すぎる。

そう言って、趙雲を突き放し、嫌った男の守ろうとしたのも、もしかしたら、この襄陽城の人間と、同じものではなかったか。

生き死にの場面において、甘ったるい美学など通用しない。

生きるか、死ぬか。

善悪も関係ない。その極論だけだ。


味方を守ろうとするならば、まずおのれが生きなければならない。

生きているからこそ戦えるのだ。

生きて、戦って、守るためには、どんな批判も、軽蔑も恐れない。

どれだけでも人殺しに巧くなれる。

いまならば、そう堂々と潘季鵬に言い返せる気がした。





「すこし休まれたほうがよろしいのでは? そうだ、わたしの部屋にいらっしゃい」

花安英(かあんえい)は、不意に趙雲に近づいてきて、その袖をぐいぐいとひっぱる。

少年の身体からは、きつい花の香りがした。

あとは腐るばかりの、売れきった果実にも似た、甘い香りだ。


「いや、やめておく。すまないが、軍師をひとりにするわけにはいかん」

趙雲はそう言い、花安英を振りほどこうとした。

花安英のほうは、傷ついたような顔をして、ゆるゆると手を放した。


「わからないな。どうしてあのひとばかりが特別なのだろう」

自室に戻りかけた趙雲は、花安英のことばに足を止めた。

見ると、花安英は、甘さのつよい秀麗な顔に、愁いをうかべている。


「たしかに軍師は特別かもしれんが、それを、なぜおまえが嘆く?」

「だって、不公平じゃありませんか。

いつだって、あのひとは守ってもらえるようにできているんだから。

それくらべると、わたしなんかは救いようがない」

「おまえ、いくつだ。軍師より一回り以上は若いはずだぞ。

それなのに、人生のほとんどが、終わったようなことを言うな。

おまえでそれならば、おまえの倍の俺は、どうすればよいのだ」

趙雲が言うと、花安英は、ちいさく笑った。

「ほんとうに面白いひとだなあ。

それに(とく)な人ですね、ほんとうにそう思っているのが、わたしでもわかります。

でも、あなただって、この城で寝起きしていれば、変わっていきますよ」


花安英は、不意に、伏せていた目をぱっと開いて、蟲惑的なまなざしを趙雲におくってきた。

「あなたに見せたいものがあるんです。

わたしとおなじものを見て、そうしておなじことを言えるのか、教えてくださいませんか」

そうして、花安英は、誘うように手を伸ばし、趙雲の腕を(から)め取った。



つづく

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