花の章 その15 趙雲の困惑
「眠らずともよいのか」
趙雲がたずねると、花安英は、鈴のようにころころと、高い声で笑った。
「その言葉、そのままあなたにお返ししますよ」
「おれは軍師を待たねばならぬ。
だが、おまえは寝る時間であろう。子供にはもう遅い時間だ」
「ふん、あなたも子供扱いですか。いいですけれどね、たしかに子供ですし」
「わかっているなら眠るがいい。おれを一人にしてくれ」
「わたしと話をするのはいやですか」
「いやというか、その気になれん」
きっぱり言っても、花安英はその場から動かない。
鈍い、というわけではないだろう。
「話したいというが、なにか特別な話でもあるのか。それなら、軍師にすればよい」
「いやですよ、あのひとになんて」
「なぜ。どうもおまえは軍師を嫌っているようだが、なぜだ」
「なぜもなにも」
そう言って、花安英は、みずからのほつれた髪の束を指先でもてあそぶ。
「以前に程子文に、おまえは諸葛孔明に似たところがある、と言われたのです。
冗談ではない、わたしはわたしですよ。失礼な話だと思いませんか」
「誉め言葉だったのかもしれぬぞ」
「どうだか。程子文は、変な意味ではなく軍師どのに惚れ込んでいた。
ああいう、率直で誠実そうな人が好きなんです。
ほんとうに誠実かどうか、わかりませんけれどね」
「誠実だと思うぞ」
趙雲は、孔明がいかにして新野で人々のこころをとらえたか、話してやろうと思ったが、やめた。
深夜に、子供相手に話しこむのは不健康だ。
しかし、花安英は趙雲が話に乗ってきたと判断したらしく、篝火のした、さらに満面の笑みになって言ってきた。
「やっぱり、おひまなようですね。面白い話があるんです。聞きませんか」
「明日ではだめなのか」
「日が高くなったら、だめですね。
ちなみに、あなたは、程子文を殺したのは、ほんとうは誰だと思ってらっしゃいますか」
問われて、趙雲はことばに詰まった。
蔡瑁か、あるいはそれに雇われた者、あるいは『壺中』。
そう思っているのだが、確証がないので、子供にうっかりしゃべるわけにはいかない。
黙っていると、意外なことを花安英が言い出した。
「程子文を殺したのは、蔡一族なんかじゃありませんよ」
「では、だれだ?」
「さて、それを教えてほしければ、わたしに付き合ってくださいませんか。
こんなところで、突っ立っていたら、いくら夏とはいえ、冷えてきます」
「付き合うだと、どこに?」
「黙ってついてきてください。
そうすれば、あなたがたに有利になりますよ。おいやですか?」
趙雲は戸惑った。
このどこか得体のしれない美少年のことばを信じて、この場を離れてよいものか。
もし孔明になにかあったら、駆け付けられるのだろうか。
「ああ、そうそう。もうひとつ言っておきますが、程子文を殺したのは、あの地下牢の人ではありませんよ。これは絶対です」
趙雲はおどろき、目の前の、篝火に姿を浮かばせている少年をまじまじと見た。
趙雲の注意が自分にまっすぐ向いたので、少年は満足そうに、にっこりと笑う。
「そんなの、ほんとうはみんな知っていますよ。
しかし、あの部屋にいたというだけで捕らえられたのです」
「おまえが、最初にあの部屋に駆け付けたと言っていたな」
「ただしくは、わたしの従者が最初に部屋に入りました。わたしは二番目です」
「あの場には、斐仁と、おまえと、その従者のほかにだれもいなかったのか」
「程子文の亡骸と、それから、斐仁と。
ほかは、お話ししたくありません」
妙な言い回しをする。
「自分たちの仲間を殺した人間が、ほんとうはだれなのか、それを知りたいとは思わないのか?」
「思いませんよ。だって、子文を殺した人間が、万が一、身内だったらどうするのです。
そのほうが、恐ろしいじゃありませんか。
よそ者が下手人だということで、この城の人間はみな、落ち着いていられるのです。
程子文が死んでから数日になりますけど、とりたてて城の内部に変化はないし、このままでよいのではとすら思っているのですよ」
趙雲はめまいをおぼえた。
この少年は、本気でどうでもいいと言っているのだろうか。
この城では、人ひとりの命があまりに軽い。
仲間が死んだことよりも、自分たちの面子や、生活が変わってしまうことのほうが、ここの人間には重要なのか。
「おや、顔色がよくありませぬな」
そうだな、と趙雲は力なくつぶやいた。
だいたいが狂った時代であるが、この城のずれは気味が悪い。
どこよりもまともそうに見えていながら、内実は腐敗している。
つづく




