表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

53/475

雨の章 その19 斐家の惨劇


そしていま、建安十三年。

糸雨(いとさめ)のなか、鎮まりかえった新野城市(しんやじょうし)のなかをぬけて、趙雲がたどりついた斐仁(ひじん)の屋敷は、ひっそりと静まり返っていた。

世間では、夕餉(ゆうげ)の支度であわただしいころだ。

だが、斐仁の屋敷だけはちがった。

雨で暗いこともあり、早々に明かりが灯されているというのに、この静まりようは、尋常ではない。


門を叩くと、だれの返事もない。

軽く押してみると、ゆっくりとそれは開いた。

不用心にすぎる。

趙雲は、すぐさま剣を抜いた。

なんらかの気配を感じて警戒したのではない。

なんの気配も感じられなかったので、かえって警戒したのである。


あれからすぐに、一家で遁走(とんそう)したとは思えない。

陳到(ちんとう)の部下に、見張りをつけさせていたのだ。

異変があれば、かれらが知らせてくれるはずだ。

その見張りたちはどうしているのだろう。

陳到が屋敷に呼び戻されたとき、一緒にそれぞれ自宅へ帰ってしまったのか?


陳到の部下、ひいては自分の部下たる者たちが、そんな手落ちをするか?


答えは否。

とすれば、この屋敷の静寂は、それだけで怪しい。

斐仁はあれから、ここへ帰ってきたのだろうか。


内部に入り、趙雲は呆れた。

陳到の話どおり、あちこちに金のかかっていることがすぐにわかる屋敷であった。

庭の風情からしてそうだし、調度品から建具のしつらえに至るまで、豪族並みの贅沢ぶりであった。

いくら金持ちの親戚の遺産があろうと、ただの兵卒が、これほどの不動産を維持できるものだろうか。


屋敷の奥に入ると、戦場で嗅ぎなれた、血の臭いが鼻腔をついた。

どくん、と耳元で心臓が跳ねた音がする。


静まりかえった屋敷のあちこちに、人が倒れていた。

どれもみな、死んでいる。

中には、陳到の部下の、あわれな姿もあった。

かれらは抜刀(ばっとう)してはいたが、ろくに戦わず斬られてしまったのが、その(しかばね)の足元の足跡の少なさから見て取れた。

おそらくかれらは、斐仁の一家の異変に気付き、屋敷へ飛び込んだものの、逆に何者かに討たれてしまったのだろう。

むごいな、と趙雲は眉をひそめた。

女も男も、年よりも子どもも、関係なかった。

(かが)んで、その身体に触れると、まだ温かい。

息をしている者がいないかと淡い期待を寄せ、ひとりひとり、様子をのぞいたが、ざんねんなことに、みな息絶えていた。


それにしても、どれも見事な手際である。

ほぼ一撃で、急所を狙って絶命させているのだ。

下手人は複数だったのか、あるいは単独だったのか、まだわからない。

だが、斬り口がどれも似ているので、複数だったとしたら、おなじ場所で鍛錬を積んだ仲間同士なのだろう。

そこいらにある豪奢な調度品には、なにひとつ手をつけておらず、家人に服の乱れはない。

盗賊のしわざではない。


がたり、と物音がした。

振り返ると、斐仁であった。

全身、雨に濡れた姿で、みなが死に絶えた、おのが屋敷をぼう然と見回している。

そうして、ただ一人、生きている趙雲に、ぴたりと眼差しを当ててきた。

そして、押し殺した低い声で、うなるように言う。

「貴様も、『壷中(こちゅう)』の人間であったか!」

「なんだと?」

「これが代償というわけだな!」

吠えるように言うと、斐仁は討ちかかってきた。

趙雲はそれを受ける。


ぎぃん、と刃と刃が激しく重ねられ、火花が散る。

人を斬ることに慣れている。

最初に抱いたのは、その印象であった。

迷わず、相手の急所を狙い、わずかな隙も見逃さず、すばやく白刃を繰り出してくる。

やはり、斐仁は、ただの倉庫番ではなかった。


「斐仁、誤解だっ! おまえの家族を殺したのは、おれではない!」

「だまれ! 言い訳は無用!」

はげしい怒りに取り付かれた斐仁の刃は、そのひとつひとつが、疾風(しっぷう)のようであった。

さすがの趙雲も、その気迫には、受身にならざるを得ない。

なにより趙雲は、斐仁を殺したくなかったのだ。



つづく

この雨の章は、建安4年と建安13年を趙雲の回想のまま行き来している構成でした。

ちょっとわかりづらかったかもしれませんが、この回から、建安13年の話がずっとつづいていきます。

今後の展開をおたのしみにー。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ