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雨の章 その17 奪還


そして。

公孫瓚(こうそんさん)は滅んだ。

最後まで、主君に尽くした男・潘季鵬(はんきほう)は、滅亡した家の最後の生き残りとして(さら)し者とされている。

公孫瓚に幻滅し、去ったおのれは、五体満足で生きている。

なんという皮肉か。

己の理想のために殉じる姿は、美しくも在るが、さらに上回って無残でもある。

あんたの志の結果が、これなのか。

趙雲は無言で、易京(えききょう)のつめたい雨に打たれて(はりつけ)にされている潘季鵬に呼びかけた。

はじめて義勇軍として、常山真定(じょうざんしんてい)を代表して袁紹(えんしょう)軍に入り、戦に出ないうちから、古参兵たちのしごきに遭い、ろくに食料を与えられずに生き死にを彷徨(さまよ)っていたところを救ってくれたのが、潘季鵬であった。


おなじような目に遭わされて、なにも為さぬまま味方によって命を奪われてしまった者すらいるなかで、おまえは運がいいと潘季鵬は言い、趙雲もそのとおりだと素直に思った。

公孫瓚のいる北平(ほくへい)へ至る道は楽しく、希望に満ちていた。

趙雲と同じように、半ば落ちぶれた家から、理想に燃えて集落を出て、世間のなんたるかを知らないまま、剣を持たされていた少年たち。

潘季鵬は、かれらに、天下を説き、天下の安寧を説いた。

天下を安んじる英雄とはだれか、英雄に仕えるにはどうしたらよいか、熱意をもって、おしえてくれた。

潘季鵬の指し示す先には、かならず平和を取り戻してくれる英雄が、待っていてくれるような気がした。




「聞いているのか、子龍。頼んだぞ。

まず、おれが門衛どもを引き付ける。

連中の気がそれたら、おまえが馬上より、弓で門衛を射る。射損じることのないようにな。

そして、応援が来ないうちに、潘季鵬を救う」

さらし者になっている潘季鵬を救うための夏侯蘭(かこうらん)のたてた作戦は、大雑把なものであった。

しかし、ほかに妙案はない。

つづく小糠雨(こぬかあめ)と、勝利の余韻のために、兵士たちの気持ちはゆるんでいる。

そこが狙い目だ。


打ち沈んだ易京の町に、夜が静かにやってくる。

雨は止まず、あたりは暗い。

雨を避けるようにして焚かれた篝火だけが、闇をわずかにやわらげている。

焼け落ちた宮城の、辛うじて残った門を守る兵士たちのもとへ、酒瓶片手に、夏侯蘭が近づいていく。

人懐っこい笑顔を満面に浮かべ、旧知に会ったように振る舞う。

門衛たちは、身構えたが、夏侯蘭の手にあるのが酒瓶で、武器があるように見えないので、すぐに酔っ払いだと判断したようだ。

酔っ払いはあっちへ行けと邪険にされるが、夏侯蘭は、ひるまない。

どころか、酔った振りをして、ふらり、と門衛のひとりにもたれかかった。


作戦のはじまりだ。

門衛は、すっかり油断しており……夏侯蘭は、そのまえに酒家でしこたま酒を呑んでそのにおいをぷんぷんさせていたが、酒そのものには呑まれていない……もともとザルなのである……酒臭い夏侯蘭を跳ね除ける。

だが、その手に、おのれが腰に差していたはずの剣がないことに気づかない。

気づいたときは、おそかった。

白刃は、すでに門衛の咽喉を掻き切っていたのである。

仲間の門衛が夏侯蘭に襲い掛かる。

だが、やはりこちらも遅かったのだ。


かれらが槍や矛を構えるより早く、夏侯蘭はすぐに行動を起こしていた。

手にしていた酒瓶を、集まってきた門衛にぶちまける。

門衛たちは、一瞬ひるむが、仲間を殺された怒りは、それくらいで大人しくなりはしない。

そこへ、趙雲が、物陰より矢を射掛ける。

ただの弓ではない。

火矢だ。

小糠雨に負けないように、たっぷり油のしみこませた布に火をつけて、夏侯蘭に群がる兵士たちへ矢を飛ばす。


おまえは殺しが(うま)すぎる。


「だまれっ」

誰に言うでもなく、ちいさく叫ぶと、趙雲は、焦点のしぼりにくい、篝火に姿を浮かばせる門衛めがけて矢を絞る。

しかし一射目は、外れた。

大きくそれて、柱に当たる。

門衛が、それに気づいて、新手がいるぞ、と叫んだ。

もはや躊躇(ちゅうちょ)はしていられない。

趙雲は舌打ちすると、またがっていた馬の脇腹を蹴った。

借りてきた馬なので、白馬義従(はくばぎじゅう)であったときに馴染んでいた馬とはちがい、息が合わないが、なんとか思うとおりの方向に進ませる。


馬を走らせながらの二射目。

今度は、方向がぶれずに、ちょうど、夏侯蘭の目の前の男の額を射抜いた。

三射目を(つが)えたとき、風を切る音がして、趙雲はとっさに身を()らせた。

見ると、門の向こうから、仲間たちの声を聞きつけたほかの兵卒たちが、弓をかまえてこちらに向かっている。

中でも、趙雲の姿を認めた兵士が、こちらに向けて矢を射掛けてきたのだ。

「子龍、この莫迦(ばか)! ちゃんとやれ!」

夏侯蘭の(ののし)り声が聞こえた。

罵りながらも、夏侯蘭は、門衛たちをつぎつぎと斬り伏し、潘季鵬のところへ向かっている。

弓兵のひとりが夏侯蘭の背中へむけて、矢を(つが)えたのが見えた。

趙雲は、馬首をめぐらせ、弓を射る。

気持ちが焦っていたのもあるだろう。

そして、気心の知れない馬の背の上であったこともあるだろう。

今度も外れた。


矢におどろいた兵卒の手が(ゆる)み、かれが引き絞っていた弓矢が、あろうことか、夏侯蘭めがけて放たれた。

阿蘭(あらん)!」

趙雲は叫んだ。

夏侯蘭は目の前の敵を片づけるのに夢中である。

そこへ、まるで滑り込むようにして、門衛のひとりが、背後から夏侯蘭を斬ろうと、飛び込んできた。

放たれた矢は、その男の心の臓あたりを貫いて、止まった。

運が良かった。

だが、これでは(らち)が明かぬ。

趙雲は弓を捨てた。

作戦どおりではないが、もはやこだわっていられない。

馬を飛ばし、そのまま、城門へと飛び込む。

そして馬上から、剣を振りかざして、つぎつぎと兵士たちをなぎ倒していった。


こうなると、独壇場である。

さきほどまでの硬さは抜け、まさに舞を舞うような軽やかさで、迷いもなく兵士たちを斬り伏せる。

その動きに無駄なものはなにひとつなく、次の攻撃の、さらに次までも予測した、完璧なものである。

戦場での経験も、ものを言っているのかもしれないが、趙雲の場合は、天性のものであった。

五感は研ぎ澄まされ、相手の動きが止まっているかのような錯覚さえおぼえる。

もはや名人の境地にも近い。

技量の勘と、身体の柔らかさ、相手の行動を瞬時に読み取り、利用することができる瞬発力と想像力。

世の剣を手にした者すべてがうらやむ能力を、ほぼ完全なかたちで備えているのだ。


「子龍、こっちだ!」

夏侯蘭が、門衛たちを切り伏せて、潘季鵬が磔にされているところにまでたどり着いた。

夏侯蘭は、その口に刀をくわえると、潘季鵬を晒す木の台によじ登った。

そして、口の刀をふたたび手に持ち、四肢(しし)をつなぐ(ひも)を断ち切った。

そのまま地上に落ちそうになるのを、夏侯蘭は辛うじて支える。

そうして趙雲に向けて怒鳴った。

「潘季鵬を馬で連れて行け! こいつらは、おれに任せろ!」

「しかし!」

「よいから行け! 問答をしている暇はないぞ!」


夏侯蘭の言うとおり、門の騒ぎを聞きつけ、続々と兵士たちが集まってくる気配がある。

さすがに一騎当千を自負する趙雲も、易京中の兵士を相手にするのはむずかしい。

なにより、当初の目的は、潘季鵬を救うことであり、馬に乗っているのは趙雲なのだから、夏侯蘭の指示は、まっとうなものである。


趙雲は、夏侯蘭のもとへ馬を走らせる。

夏侯蘭は、それっ、と掛け声とともに、片手で支えていた潘季鵬の身体を落とした。

趙雲は、馬を走らせながらも、それを受け止める。

ここで、並みの乗り手ならば、馬が驚いてしまい、棹立(さおだ)ちになって、ともども振り落とされてしまうところだ。

しかし馬にもっとも馴染んでいる北方の異民族にさえ恐れられた趙雲は、うまく馬を(ぎょ)し、速度をゆるめないまま、闇の向こうへと、馬を走らせた。


つづく

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