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雨の章 その15 雨の中の本性


そうして、趙雲の命令により、主だった、手の空いている役人すべてが集められ、人攫(ひとさら)いを探すため、新野(しんや)の周辺の、怪しげな場所……妓楼(ぎろう)や闇市など、ありとあらゆる場所を探索することとなった。


趙雲にとっては、都合がよかった。

どこかに隠れている夏侯蘭(かこうらん)も、これで探しやすくなる。

そうして、人攫いを探しながら、趙雲は夏侯蘭の姿を求めて、新野じゅうを移動した。


雨を避けるためにかぶった笠の、その隙間から、しずくがぽたぽたと垂れて鬱陶しい。

朝のうちから降り始め、しばらく霧雨であったものが、正午を過ぎたあたりから、本降りになってきた。

しばらく馬を走らせていたのだが、ひずめが泥濘(でいねい)にとられてしまうといけないので、途中から馬を降り、見知った新野の街を移動する。


雨の帳がかかっているためか、新野の街はどこか暗く沈んで、よそよそしく感じられる。

その様は、否が応でも、易京(えききょう)の記憶を刺激する。

あのときも、こんなふうに雨が降っていて、息を詰めるようにして街を歩いていた。

 

「む?」

一瞬。

ほんの一瞬であったが、街角を、女の影が過ったように見えた。

女の(まと)領巾(ひれ)が、この雨にもかかわらず、揺れて、まるで趙雲を誘っているように見えたのだ。

ばかな。

おのれの空想を(わら)って、そのまま忘れようとする。

だが、本能とも言うべきなにかが、女を追いかけろと頭の中で告げていた。

相手は女。

仮に関係なければそれでいい、追ってみよう。


趙雲は、女の影を追って、ぬかるんだ道の路地をまがった。

そこは行き止まりになっていた。

突き当りの土塀の前で、だれかがうずくまっている

女ではなかった。

曇天のもと、したたる雨のなか、光るものが目に飛び込んできた。


「阿蘭!」

だれかが、ぬかるみに倒れる夏侯蘭に挑みかかり、白刃を振りおろそうとしている。

ぬかるんだ地面に倒れているのは、見まちいがえようのない、剃り上げられた頭、派手な色合いの着物、形も色もまちまちな装飾品。

夏侯蘭だった。


趙雲が声をかけても、夏侯蘭は倒れたまま、身動きひとつしなかった。

一方、夏侯蘭の身体に馬乗りになっている男は、趙雲の声に反応し、びくりと振りかえる。

その顔に驚愕し、趙雲は思わずさけぶ。

斐仁(ひじん)!」

笠をかぶっていたが、まちがいない。

陽のない路面のうえで、斐仁は、振りあげた白刃を宙にとどまらせたまま、趙雲のほうを見て、ちいさくうめいた。

「貴様、なぜここに!」

趙雲が駆け寄ると同時に、斐仁は、夏侯蘭の身体から離れた。

つかまえようとしたが、普段の斐仁とは別人のような身のこなしで、素早く背を向ける。


「おまえ、足は?」

かつて劉表の元で働いていたときに、怪我をして、片足が()かなくなった。

だからいつも足を引きずっている。

そういう話ではなかったか。

だから、官給品のしまってある東の蔵の整理をまかされていたのだ。


だがいまの斐仁の足は、どこにも問題がなかった。

それどころか……

民家の土壁に追い込んだ。

行き止まりである。

仲間もいない様子だ。

「斐仁」

声をかけると、笠をかぶったままの斐仁は、ゆっくりとこちらに顔を向けた。


特徴がないことが特徴の、どこにでもありそうな細目の顔である。

雨に濡れたせいか、それとも殺しが失敗したせいか、顔色は蒼い。

だが意外なことに、その顔には、なんの表情もなかった。

狼狽(ろうばい)も怒りも悲しみもない。

目を逸らすわけでもなく、見つめるほうが気おされるほどに、真っすぐにこちらを見ている。


背筋が、ぞくりとした。

どうやら、自分は、七年の長きにわたり、斐仁という人物を、おおきく見誤っていたらしい。

これは平凡な兵卒の顔などではない。

熟練の刺客の、それではないか。


反射的に、剣に手を伸ばした趙雲であるが、趙雲がうろたえていた、そのわずかな隙を、斐仁は見逃さなかった。

土塀に背を向けた姿勢のまま、鳥のようにぱっと飛び上がり、土塀の上に登る。

おどろくべき身のこなしであった。

そうしてそのまま、くるりと向きを変え、向こうがわへと消えてしまう。

趙雲は、すぐさま追おうとしたが、夏侯蘭の様子が気にかかった。

振りかえると、夏侯蘭は、いまだにおなじ姿勢でいる。

ちょうどあおむけになって、雨に打たれるがままになっている。


だが、様子がおかしいのが知れた。

「刺されたか?」

別れ際に、縄標で攻撃されたことを忘れ、趙雲は、かつての旧友のところへと駆け寄る。

激しく打ちかかる雨と、夕闇の迫っている暗さのために、近づかないと、怪我の有無がわからない。

夏侯蘭の身体は震えていた。

寒さのためにしては、震え方が激しすぎる。

よく見ると、雨に塗れた顔の、目も口もうつろに開かれて、正気を失っているのが知れた。

趙雲は舌打ちした。怪我や病での震えではない。

五石散(ごせきさん)だ。


妓楼のなかには、不老不死の霊薬と称して五石散を客に勧めるところがある。

夏侯蘭が、どこに隠れていたかは想像するしかないが、妓楼かどこかだろう。

そして、そこで五石散を飲用したらしい。

そこへ、人攫いを捜しにやってきた兵卒たちがやってきた。

正体を知られたくない夏侯蘭は、あわててここまで逃げてきたにちがいない。

そこを斐仁に襲われたのだ。


莫迦が、と舌打ちし趙雲が肩を貸そうとすると、夏侯蘭は弱弱しく、それを払いのけた。

「おれを屯所(とんしょ)へ連れて行く気か。

離せ、この犬めが。こんなところにいないで、劉備の横にくっついておれ」

「おれが犬なら、おまえは鼠だろうが」

夏侯蘭は、生気のない笑い声をたつつ、趙雲の肩をはねのけると、ふらふらとよろめき、そして泥濘に倒れた。

雨がはげしく、その身体を打っているのであるが、気にならないらしい。

昨夜の様子からすれば、別人のように情けない姿であった。

「子龍、あっちへ行け。行ってしまえというのだ、裏切り者め。

兄の葬儀があるから伯珪(はくけい)公孫瓚(こうそんさん))どののもとを去るだと? 

おまえ、あれはただの口実だったのだろう?」

ずいぶん昔の話を持ち出すものだ。

「いまさらだな」

「おまえは冷たい。氷雪よりも、もっと冷たい。でなければ、なぜ公孫瓚を見捨てたのだ」

「答えを聞いてどうする。同じ問いを、おまえに返すぞ」

地面に横になったまま、手足をぬかるみに放り投げた姿勢で、夏侯蘭は、うつろに笑う。

「知りたいか。おまえがいなくなったからだ。

おれはおまえを真の友と思っていた。兄の葬儀が終わったら、かならず帰ってくるだろうと思っていたのだ。

ところが、どうだ。おまえは一向に帰ってこないではないか。

みんなおまえを待っていたのに、おまえはみなを見捨てたのだ。

そこで、おれたちもばかばかしくなって、公孫瓚を見捨てたのさ。

あいつは占い師や商人とつるんでばかりで、まともなやつの意見を聞かなくなっていたからな。

おれたちが残っていても、きっと同じく炎の中で死んでいっただろうよ。

しかし子龍よ、おまえは新野ではずいぶんと評判がよいようだな。義理堅い男だと? おまえは大人しそうな顔をして、保身のためならば、友さえ裏切る男だというのにな」


趙雲は、答えなかった。

事情を知らない夏侯蘭の恨み言である。

雨と共に流してしまえばいい。


夏侯蘭が、うめくように続ける。

潘季鵬(はんきほう)も、おまえを待っていたのだ。なのに、おまえは帰ってこなかった」

「嘘だ」

趙雲の顔色が変わったのを雨の帳ごしに見たのか、夏侯蘭は暗い笑みを浮かべる。

「嘘なものか。あれは、かならずわが君の危機を救うために戻ってくる、そう言っていた。

だからおまえを捜すため、おれを易京の外に出したのだ」

「莫迦な」

おまえは殺しが巧すぎる。

そう言って、おのれを突き放した男が、ずっと待っていた? 

「今更、後悔してもおそい。公孫瓚は死に、潘季鵬も、あの傷では、もう生きてはおるまい。

つづくのはおれだ。おまえなんぞに助けられては、死んでいった者に申し訳が立たぬ。

せっかく引導を渡してもらえるところであったに、お節介め。さっさと行ってしまえ」


雨が、さらに激しく、大地に降り注ぐ。

大粒の雫のひとつひとつが、肌に痛い。

趙雲は、ろれつの回らない舌で、まだなにかを訴えてくる夏侯蘭を、無言のまま、担ぎ上げた。


つづく

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