夢の章 その10 混迷の中へ
これは、なんの陰謀だ?
孔明は、素早く頭を働かせた。
とうぜん、身に覚えはない。
それに趙雲の性格上、ほかのだれの策であれ、陰謀の片棒を担ぐことはできまい。
脅迫されて已む無く、という可能性もない。
趙雲が、どんな嘘をついたとしても、それを見破れる自信が、孔明にはあった。
となると、これは、罠だ。
狙いは誰だ?
子龍か?
わが君か?
わたしか?
「おまえたち、何を言っているのだ。
子龍を差し出すなど、そのような真似を出来るわけなかろうが!」
劉備が、趙雲を引き渡せと迫るふたりを、鋭く一喝した。
「甘いことを! 子龍は、我ら全員を苦境に陥れたのでございますぞ!」
「まだ、はっきりそうと決まったわけではないっ。
いいや、わしは、そんなことは絶対にありえないと思っているのだ。
おまえら二人とも、下がれ!」
「いいえ、下がりませぬ!」
麋芳は、不遜にも、劉備が抱えるようにしている趙雲を、引き離し、連行しようと足を向けてきた。
孔明は、そのあいだに素早く割り込むと、おどろき、身を止めた麋芳と劉封の両者を、敢然とねめつけた。
「問おう。貴殿らは、いかなる権限を用いて、子龍を襄陽城へ連れて行こうというのか」
「軍師、邪魔はやめていただきましょう!
貴殿の本心、お隠しになられても、すぐにあきらかになりますぞ。
見苦しい真似はおやめなされっ」
「黙れ、無礼者めがっ」
孔明の一喝が、夜闇に響いた。
普段はもの静かな孔明だけに、その落差が、いっそうの迫力を醸し出す。
「わたしがなにを隠しているというのだ。じつに聞き捨てならぬことを口にする。
貴殿らは、わたしが子龍に命令し、劉公子の腹心を斬らせたと、そう言いたいのであろう。
そこまで言うのであれば、わたしが陰謀を画策したという証拠を見せよ!」
「そのような悠長なことをしていられるか!
いまは、新野城、ひいてはわが君の危機なのだぞ!」
麋芳は、赤い顔をさらに赤くして叫ぶ。
この男とて、それなりに、劉備の心配をしているのである。
だが、趙雲への、もともとの悪い感情もあいまって、余計に感情的になっているのだ。
「わが君に危機をもたらしているのは、ほかならぬ、貴殿らではないか!
いまここで闇雲に騒ぎ、子龍を襄陽城に渡せば、そのまま我らに陰謀の意志があったと認めることにもなるのだぞ!
もしも、劉表どのが、われらを信じずに、害意ありと見て戦を仕掛けてくるならば、われらは潔白を示すためにも、これを迎え撃つまでのこと。
いまは仲間割れをしている場合ではない。
貴殿らのわが君は、劉表ではなく、われらが劉豫洲(劉備)ではないのか。
もし貴殿らが、どうしても子龍を連れて行くというのであれば、わたしは貴殿らを捕縛させる!」
「なんだと!」
「新野城の全権を預かっているのは、このわたしだ! 貴殿らではない!」
麋芳らは、痛いところをつかれて、うろたえた。
視線を泳がせ、劉備や関羽たちを見るが、だれも助け舟は出さない。
隙を逃さず、孔明はたたみ掛ける。
「追って沙汰をする。貴殿らは、下がられよ」
しかし、麋芳も劉封も、そのままでは収まらないらしく、まだ反論をしようと口を開こうとする。
ふたりが言葉を口にする前に、孔明は、吼えるように一喝した。
「下がれ!」
空気をも震わせる、まさに龍の咆哮であった。
麋芳と劉封は、声に追われるようにして、あわてて引き返していった。
これでよし。
しばらく時間を稼げるだろう。
「おい、子龍、どうした」
劉備の声に振り返ると、趙雲が、うずくまったまま、動かないでいるのが見えた。
孔明は、劉備に抱えられるようにして、意識を失っている趙雲に駆け寄った。
触れると、肌が熱い。
熱があるのだ。
「寝台に運びましょう。それから、薬師を」
側仕えの者を呼ぼうとする孔明に、関羽が寄ってきて、言った。
「貴殿は、子龍に付いておられよ。諸将をまとめるのは、わしと兄者でやる」
「かたじけない。ですが、将軍、よろしいのですか」
孔明の問いに、関羽は重々しく、うむ、と答えた。
いかなるときでも山のように堂々として、動じない。
それが関羽だ。
「兄者のため、ひいては新野城の民のためだ。
貴殿は子龍から、なにがあったのか、事情をくわしく聞いてくれ。
襄陽城への対処もちがってくるからな」
孔明は関羽の言葉にうなずいた。
そうして、腕の中で意識をうしなっている趙雲を見下ろした。
信じられない。
なんという弱弱しい姿か。
弱い部分なぞ、どこにもない男だとばかり思っていた。
守らねばならぬ。
胸のなかにあるのは、また親しい者を奪われるのではないかという恐怖と、奪おうとしている何者かへの、烈しい怒りであった。
夢の章おわり
雨の章につづく
夢の章、ご読了ありがとうございました。
次回、雨の章につづきます。




