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夢の章 その8 慟哭

孔明は思い出す。

旅をしていた。

行き先も日程もまるで決めていない、あてずっぽうの旅だった。

目の前に、不思議な光景があった。

それは、一見すると、なんの変哲もない光景だ。

草原があり、道があり、木々があり、往来がある。

ところが地面には、それまでずっと一つの(わだち)を刻んでいたものが、とある場所までくると、綺麗に真っ二つにわかれていた。

いままでひとつの轍のあとをなぞってきたものが、二股に分かれて、それぞれ西と東に分かれていたのである。


「荷車を仲良く引いてきたのに、ここで喧嘩でもして、分かれたのかな。

証拠に、轍はまったくぶれていない。

おそらく、たがいの顔も見たくないほど、派手にやりあったにちがいない」

と、崔州平(さいしゅうへい)が言った。

たしかに、轍のあとは、相手をまるで見向きもしなかったように、迷うこともなく、別々の方向へと向かっていた。

だが、徐庶(じょしょ)は言った。

「そうではあるまい。きっと、荷車にはおなじ荷物が運ばれていたのだ。

ここでお互いの商品を広めるために、おなじ荷物を等分にわけて、西と東に散っていったのだ。

二股に分かれたあとの轍のあとがそれぞれにぶれていないのは、仲間がおのれと同じように、荷物を運んでくれるだろうとわかっているからだ。

もし喧嘩別れしたのなら、むしろしばらくは、互いのことが気になって、轍がぶれるものだろう」


まるで見て来たように言うのだな、と崔州平は呆れた。

だが徐庶は、穏やかに地平を見遣って笑い、孔明に言った。

「この轍を行った商人たちがうらやましい。

一見すると、道は分かれているようだが、かれらは信頼で結びついている。

じつはおなじ道を行っているのだよ。

とはいえ、かれらにそのことを教えても、そんなむずかしいことは考えてないと、かえって笑われるのだろうがな。

意識しない信頼ほど、つよい絆はないと思う。

おれもこんなふうに、人を信じて、真っすぐ前を向いて歩いていける人間になりたいものだ」

わたしは君を信じている、と孔明は思ったが、照れてしまって、口に出しては言えなかった。

それに、言葉にしたところで、崔州平がからかってきて、せっかく伝えた言葉が、冗談にまぎれてしまうのは想像がついた。


孔明は、漠然と、たとえいまは道が分かれていても、やがてはまた一つにもどるのだと思っていた。

まったく逆方向に分かれた轍も、はるか彼方では、ふたたび引き合うようにして、一つになっているはずだ、と。

徐庶は、道は、ばらばらに分かれているものだ、ということを知っていたのだ。

それがたまに呼び合うことはあっても、二度とふたたび一つに戻らない、ということも。



いま、道は分かたれた。

少年のころの幼い思い込みは、すべて払拭された。

未熟であったからこそ、美しい夢を見ていられた時代は、終りを告げたのだ。

あの草原で、徐庶は孔明に、先に行け、といった。

なぜ、と問うと、やはり笑って、

「なぜだろう、いつもおまえはおれのあとをついてくる。

だから、たまにはおれの前を行くおまえの姿をみたくなったのだ」

と答えた。

おかしな注文をつけるものだと苦笑しつつ、孔明は先に進んだ。

徐庶の言ったとおり、まるでぶれずに、力強く道に刻まれた轍を下に見ながら。


あの時とおなじ。

そして徐庶は、自分の来た道を、進むのではない。

戻っていく。

その胸に、慟哭(どうこく)と後悔を刻みつけたまま、沈黙と哀悼の中で歩くのだ。


「徐庶の夢は、おまえに託されたのだ。おまえは、けして倒れちゃならないぞ、孔明」

と、劉備は言った。

「それが生き残っていく人間の義務だ。

徐庶はおのれの人生を閉ざすことで、わしに忠誠を誓ってくれたのだ。

わしたちが徐庶にしてやれることは、徐庶の言うとおり、あいつのいる所まで、迎えにいってやることだ」

劉備のことばに、孔明は、顔を上げた。

目の前に、力強い主公の顔があった。

「なあ、絶対に行ってやろう」

慰めではない。

劉備は、ほんとうに行けるのだと信じている。

そうして、このお方もまた、多くの人々の夢を引き継いで、ここまで生きてきた人なのだと、孔明は思った。

劉備の(かたわ)らにいる関羽も、力強くうなずいた。



この人たちは、なんと強い人たちなのだろう。

孤独も重圧も、ものともせず、志を貫いて生きてきた。

道ははじめから分かれている。

けして交わることはなく、近寄ることができたとしても、互いに声をかけあうだけがせいぜい。

それでも、頑固に、三つ並んで、真っすぐ前だけを向いて歩いてく者がいる。

それが劉備たちであった。


孔明は、ようやく、なぜ徐庶が、劉備を主公として選択したのか、その真の理由がわかった気がした。

そうして、あの草原の轍を見て、徐庶が思ったように、孔明も思った。

わたしも、この人たちに負けないようになれるだろうか、と。


劉備の言葉に、孔明は涙を拭いて、笑みを浮かべて肯いた。

そうだ、必ず北へ行くのだ。

そうして徐庶に会いに行こう。

草原で先に行け、といった徐庶の姿がまぶたに浮かんだ。

彼はずっと、そこで待っていてくれるような気がした。


つづく

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