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序章 黒鴉の爪痕 その13 こんどは楽しい宴

四角い小部屋は、殺風景、という文字がぴったりの雰囲気だった。

入ってすぐ正面に寝台を隠すための衝立(ついたて)、左手には衣桁(いこう)があり、右手の奥、小窓の下には文机がある。

文机の横には蝋燭がともされていて、明かりに浮かんで、机の上に広げられたままの竹簡(ちくかん)が乗っていた。

筆はしまわれているから、読書をしていたものらしい。

武人らしく、寝台のすぐそばに武器がきちんと置かれていて、そのとなりは、趙雲の真面目な性格を反映するかのように、表面がぴかぴかに磨かれた鏡が置いてあった。

鏡のとなりには水の入っているらしい(かめ)と、空のちいさな桶がある。

整理整頓の行き届いた、無駄なものの何一つない部屋だ。

窓の外にはちょうど兵舎が見えて、すでに兵士たちは眠ってしまっているらしく、明かりが消えて、しんとしていた。


「言い当てようか、何もない部屋だ、と思っているだろう」

いくらか自虐的に聞こえなくもない趙雲の問いかけに、孔明は笑って答える。

「必要最低限のものが揃っている、過ごしやすそうな部屋だなと思っていました」

「物は言いよう、かな。まあ、過ごしやすい部屋であることに、まちがいはない」

孔明は、持ってきた杯に酒を注ぎ、趙雲に渡す。

趙雲はそれを受け取ると、一気にグイっとあおった。

行神亭(こうじんてい)というのは、それほどうまい料理を出す店なのですか? 

この城の料理も、かなりうまいと思うのですが」

「どっちもうまい。おれは単に、行神亭の、そうだな、雰囲気が気にっているのさ。あの、雑多な感じが」

へえ、と行ったことのない店の雰囲気を想像してみる。

騒がしい酔客、愛嬌たっぷりの看板娘、料理上手の亭主……かれらは飲み、唄い、ときに囲碁を打ったり、喧嘩をしたりしながら過ごしているのだろうか。

しかし想像しても、目の前の厳めしい顔をした男が、雑多な客たちに交じってはしゃいでいるところは頭の中に浮かばなかった。


「子龍どのは、いくつです」

「今年で三十三になる」

その年で独り身というのなら、なるほど、張飛が料理女の蘇果(そか)とやらと、趙雲をくっつけたがっているのが判る気がした。

だが、蘇果のことを出すのは不躾なうえに、趙雲が気を悪くしそうだったので、黙っておく。


「軍師どのは二十八か。若いな。聞いてもよいか」

「なんなりと」

「なぜひとりで城に? 妻女は? 妻女がいたら、だいぶ生活が楽だったのではないか」

「そうでしょうかねえ、わが君のご配慮で、だいぶ身の回りのことは侍女たちにしてもらっていますし、不便はありません。

妻がここにいたらと思う時もありますが、しかし、あのひとは新野(しんや)には付いてこなかったでしょう。蔡家に遠慮もあったでしょうから」

答えつつ、孔明は酒が苦くなっていくのを感じていた。


趙雲には黙っていたが、孔明の妻は自身の出自に関係する一族……襄陽(じょうよう)の黄一族と、蔡一族がそれで、蔡一族の長の蔡瑁(さいぼう)と劉備は対立している……に遠慮して新野城に付いてこなかったのではない。

孔明が劉備に仕えると決めた日に、書置きも残さず、どこかへ消えてしまったのだ。

自分たちは仲の良い夫婦で、隠し事などなにもないと思い込んでいただけに、妻に去られた痛みは強烈だった。

ひたすらに、なぜ、どうして、なのである。

なぜ、何も言わず、いなくなってしまったのか。

孔明は妻の実家の黄家や、妻の実家の親戚である蔡家にも、それとなく探りをいれたが、だれも妻のゆくえを知らないらしい。

あの人は、いま何処に身を寄せているのか……


酒をちびちびやっているうち、顔がこわばっていたらしい。

趙雲が、すまなさそうに言った。

「立ち入ったことを聞いてしまったかな」

「いえ、よいのです。わたしが不便をしているように見えましたか」

「すこし。この城の者は、みなアクが強いからな。

男たちだけではなく、女たちも変わり者が揃っている。

やりづらいのではないかと心配していたのだが」

「わたしのことが、女たちのあいだでも噂になっているのですか?」

「誤解しないでくれ、女たちは確かに、軍師のことを噂しているが、みな、いい噂をしているよ。

愛想のいい、優しい軍師だと。女たちに礼を言う男は、この城では貴重だからな」

「わたしはめずらしいですかね。世話をしてくれる相手に礼を述べるのは当然でしょうに。

では、徐兄(徐庶)はこの城でどう過ごしていましたか」

「あの方は、顔が怖かったからな、女たちは近寄りがたく思っていたようだ。

よく知ってみると、優しい方だとわかったようだが」


「女たちの中に、『黒鴉』がいた可能性は?」

孔明のとつぜんの核心をついた問いに、趙雲はすこし顔を曇らせた。

「それはわからぬ。だが、ここに勤めている者たちは、みな古参の者たちばかりだ。

あのなかに、『黒鴉』が紛れているとは思いたくないが……いるかもしれぬ。

証左が何もない以上、憶測ですらないが」

「出入りしている商人とか、最近、罪を受けて城に入って来た奴婢が『黒鴉』の可能性は、どうでしょう」

「可能性があるというだけだな。

ただ、縊り殺された料理人の部屋の鍵は、城の奥に大切に保管されていた。

奴婢や商人が鍵を手に入れるのはむずかしかろう」

「とすると、やはり内部の人間ですか」

ため息をついて、孔明は酒をまたあおる。


ふと見れば、趙雲が物憂げな顔をして手を止めていた。

これはいかん、湿っぽい話をしすぎたと思い、孔明はなるべくおどけた調子で言った。

「申し訳ない、陰気な話はよしましょう。

それより子龍どの、せっかくなのですから、ちがう話をしませんか。

そうですね、あなたの故郷のことなどを教えてください」

「それはかまわぬが……」

「が?」

「軍師、どうもその言葉遣いにおれは慣れぬ。

軍師はおれの上役になるわけだし、敬語ではなく、もっとくだけた言葉遣いでよいぞ」

「そんなわけには」

「いいのだ。軍師は力があるのだから、もっと威張っていていいとおれは思う」

「そうですかねえ……じゃなくて、そうかねえ」

「そうそう、その調子だ」


趙雲が微笑んだのを見て、孔明も気を良くして、その後はいろいろと、故郷のこと、新野城に至るまでの来歴、親兄弟のこと、友のこと、これからの抱負などを、さまざまに楽しく語り合った。

趙雲はなかなかに聞き上手で、また、しゃべるのも下手ではなかった。

孔明の舌がなめらかに動いたのも、ひさびさに心地よく語り合える友を得たといううれしさゆえだった。


朝が近くなるころには、二人は互いのことを、かなりのことまで知るに至ったほどだ。

うわばみとはいえ、さすがに明け方近くまで喋って飲んでいたので、孔明もうつらうつらとしはじめた。

すると趙雲が手を添えて、自分を介抱してくれているのに気づく。

孔明は過敏な性質なので、よその人間に体を触れられるのを嫌う。

だが、趙雲に触れられても、嫌な感じはしなかった。

むしろ、その手がとても温かく感じられ、心地よい。

心地よさに身を任せているうちに、寝込んでしまっていたのに、気づかなかった。



つづく

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