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花の章 その42 脱獄


牢のなか、芋虫のように床に転がされながら、斐仁(ひじん)は考えていた。

一睡もしていない。ずっと考えていた。

日の差さない地下牢において、時間を掴むことはむずかしい。

辛うじて、獄吏が運んでくる食事のおかげで、だいたいのところはつかめたが、あまりあてにはできなかった。

というのも、この獄吏からして、囚人を人間扱いしておらず、かれが居眠りをしてしまうと、食事がそのまま忘れられてしまう、といったこともあったからだ。


おれはあとどれくらい、命があるのだろう。


斐仁は生き抜くことを考え始めていた。

壷中(こちゅう)』への報復のために襄陽城(じょうようじょう)へ押し入った。

殺す相手はだれでもよかった。

『壷中』の中心人物であれば。


『あの男』に教わったとおり、目指す相手がいるはずの部屋へ押し入った。

ところが、そこには人はいなかった。

ただ、ついさきほどまで人であった肉塊が、血の海に浮いていた。

哀れな程子文(ていしぶん)の身体であった。


わけがわからなかった。立ち尽くしていると、甲高い悲鳴が聞こえた。

花安英(かあんえい)とかいう、程子文に付きまとっていた少年であった。

花安英の悲鳴が呼子(よびこ)のようになって、衛士たちがやってきて、斐仁は囚われた。

抗弁をしても、聞いてくれるものはなかった。


それが、『あの男』の狙いであったのか? 

おれに罪をかぶせ、趙将軍や軍師に陰謀の疑惑を向けさせることが?


『壷中』は孔明を恐れている。

孔明が諸葛玄(しょかつげん)の甥である、という事実が、つねに『壷中』を怯えさせていた。

ただ、孔明自身は、『壷中』のことなどなにも知らない。


だいたい、『壷中』は、孔明に手をだすならば、もっと早くにするべきであったのだ。

孔明は、あまりに名が高くなりすぎた。

劉備の軍師になった、というのもよくなかった。

『壷中』は、まさか争いごとを嫌う孔明が、任侠あがりの劉備の軍師になるとは思っていなかったのだろう。


劉備は『壷中』にまるで縁のない人間だ。

それとなく『壷中』が接触しようとしたこともあったらしいが、いずれも失敗に終わっている。

劉備のもつ、あきれるほどの健全さと、『壷中』のような不自然な組織は、相容れないから、当然の結果であった。


その劉備は、孔明を実に可愛がっている。

それは、一介の兵卒にすぎなかった斐仁の目から見てもあきらかであった。

孔明に何事かあれば、劉備は動くだろう。

現に、いま襄陽にて、諸葛玄のように孔明が遭難すれば、劉備は軍を率いてやってくる。


暗い想像に、斐仁は声をたてて笑った。


そうすれば、憎き『壷中』の連中も、あれほど流浪のヤクザどもと見下していた新野(しんや)の人間に、ことごとく殺されるであろう。

その様を想像し、斐仁はいくらか慰められた。

七年間親しんだ、新野の人間に対する、屈折した想いも、そこには込められていた。


石の上を叩くようにして響く足音が、近づいてくる。

食事の時間か、と首だけをもたげ、斐仁は、ホッと安堵した。

食事のときだけは、拘束を解いてもらえる。

とはいえ、逃げられないように、足かせだけはそのままであったが。


だが、あらわれたのは獄吏ではなかった。

あの瓜売(うりう)りのじいさんだった。

「心は決まったか、斐仁」

『じいさん』は言った。

食事よりも、待ちかねていた男であった。

斐仁は、予想より早く自分のところへやってきた男に、歓喜した。

とはいえ、それは表情に出さない。

この男は、おそろしく勘がよい。

ちょっとの油断で、斐仁が心から恭順して、その指示に従おうとしているのではないと、素早く見抜くことだろう。


いまの斐仁は、おとなしくなったからということで、獄吏によって、口の拘束具を外されていた。

厳しい目線を注ぐ男に、斐仁は言う。

「あんたの言っていた、『あの御方』というのがわかったぞ。諸葛孔明だな」

「そうだ。ようやく正道に立ち戻る気になったようだな。協力するか」

「無論だ。おれもようやく目が覚めた。いまこそ、昔の恩に報いるとき」

「うむ。『壷中』の動きがおかしい。

早くあの御方と合流し、お守りせねばならぬ。

休んでいる暇は無いぞ。動けるか」

いいざま、そいつは脇に控えていた獄吏に牢を開けさせた。

そうして、斐仁に寄ってきて、拘束を解いていく。


これでいい、と斐仁はこみあげてくる笑いを押し殺しつつ、思った。

とにかく、自由にさえなれればよいのだ。

軍師も趙将軍も、この老いぼれもどうなろうと知ったことではない。

自由になって、遂げるべきことはただひとつ。

新野の自邸で変わり果てた姿と化した家族の顔が、ひとつひとつ浮かぶ。

斐仁は、暗い胸のうちで大きく叫んだ。

『壷中』に復讐を!



涙の章につづきます

臥龍的陣 花の章 おわり

涙の章につづく


ここまで読んでくださったみなさま、どうもありがとうございました!(^^)!

「涙の章」もどうぞ引き続きよろしくお願いいたします♪

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