17-10
NOside
カツン、カツン、カツン…
夜も更けて寝静まった空気をブーツのヒールが規則正しく震わせる。
どこを見ても同じ模様をした壁の単調さにうんざりしながら、彼女…メイリー・フランベルクは手に持った缶に口をつけた。
黒地に目に刺さる蛍光色でロゴと模様が描かれた毒々しいデザイン。怪しげな雰囲気のそれはLEDの明かりに照らされて艶やかに光る。
「ふぅむ…激務につく一般人の強い味方と聞くけれど…胃がヒリヒリするね。大丈夫なのかい、これは」
胃の辺りを軽くさすったメイリーはまだ幾分か中身の残った缶をちゃぷちゃぷと揺らし、ただなんとなく細かく書き連ねられた成分表に目を通した。
しばらく眺め、案の定記された文字列に意味を見いだせないまま残りのソレ…今CMで良く見かけるエナジードリンクを飲み干す。
じりっと胃が刺激される感覚と口に広がる甘ったるさに端正な顔が僅かに歪んだ。
「こんなもので本当に疲れが飛ぶのかな。まぁ、気付け薬と比べるならよっぽどマシな味ではあるけれど」
片手で軽々と握り潰した空き缶を目についたゴミ箱に投げ入れ、メイリーは仄かに味の残る唇をペロリと舐める。
普段の彼女は能力者御用達の気付け薬(効き目はピカイチだがすこぶる不味い)で連日の徹夜仕事を乗り切っているのだが、今回たまたま手持ちが尽きたところで自販機のドリンクが目に入ったので試してみたのだ。
つまるところただの興味本意であり、効き目など期待していない。
そしてその興味も足を止めた瞬間別のものに移り変わり、彼女の中から件のエナジードリンクの存在はさっぱり消えていた。
興味の矛先は目の前にそびえる扉…いや、その向こうにいるだろう獲物へと注がれている。
「きひっ、さて…ウサギの巣穴くらいは吐いてくれたかな?」
日中の紳士的な皮など影もなく、嗜虐的な歪んだ笑みによって彩られた顔は美人であるが故になおのことおぞましい。毒を誇示する花のようだ。
しかし、鼻歌の一つでも奏でられそうな程良かった彼女の機嫌は、ロックの解除と同時に扉が開かれた瞬間急降下することになったのだが。
それはもう、某夢の国にあるタワー型のアトラクションも拍手を送るだろう程に見事なものであった。
逃げ場を得たとばかりに外へ出ていく空気はムッと淀んでいて、何よりメイリーにとっては嗅ぎ慣れた臭いを濃くはらんでいる。
それは、酷い血臭。
それこそがメイリーの機嫌を地に落とし鼻にシワを刻ませた原因であった。
「…やられたか」
カツン、と苛立ちを露に足音を響かせれば、暗闇の奥から慌てたような気配が近付いてくる。
「た、隊長っ!お疲れ様です!」
「やぁ、お疲れ様。…それで?何事だい、この臭いは」
「そ、それが…っ、こちらへ…」
思い詰めた顔をして出てきたのは、彼女の部下である男だった。
メイリーの問いに対し口より目の方が良いと思ったのだろう彼は、すぐに彼女を奥へ案内する。
入口が閉まれば真っ暗になってしまう部屋の突き当たりでパネルを操作すれば、目の前の壁が一変してガラス張りになり…飛び込んできた光景にメイリーはたまらず舌を打った。
部下の肩が跳ねるのが見えたものの、今の彼女にそんなことを気にする余裕などない。
メイリーの意識はただただ部屋中央にポツリと置かれた椅子の上…物言わぬ骸と成り果ててしまった"獲物"へ向けられていた。
「逃げられてしまったか」
「も、申し訳ありません…っ!俺が…!」
すぐさま扉を開けさせて死体の検分を始めたメイリーは、今にも倒れそうな程顔を白くした部下に首を振る。
「いや、貴公だけのせいじゃない。ボクもどうやら詰めが甘かったらしいね。まさか…遅効性の毒を事前に飲んでいたとは…悪趣味なものだ」
すんと鼻を鳴らし、骸が吐いた夥しい量の血に混じる独特の香りに眉を曇らせる。彼女にはそれに覚えがあった。
"口殺し"。某罰ゲーム用の唐辛子と同じ字をあてられたそれは、小指程度の容器一本の量で内臓を尽く溶かしてしまう猛毒。
服用してから作用するまでに一日を要するそれは、当然ながら表には出回らない真っ黒な代物だ。誰が作ってばら蒔いているのかも分かっていない。
これの厄介なところは解毒のし難さにある。
毒が回る前 (二十四時間以内)に毒とセットで作られた専用の解毒剤を飲めば確かに一旦毒は息を潜めるものの、一回では完全な解毒にならないのだ。
解毒剤が切れる時…つまり二十四時間後にまた一回、更にその二十四時間後にまた一回と計三回の解毒を繰り返すことでようやく効果を枯らせることができるのでる。
この特性もあってか、もっぱら拷問を回避する目的で使用されることが多かった。…それこそ、目の前にある骸ように。
何故かと問われれば理屈は単純。
いちいち捕らえた存在皆に解毒剤を与えるなど出来る筈がないからだ。手間的にも予算的にも。
そうなればあとは毒が回ってこの通り。勝手に口塞じが完了する。
あくまでも回避するのは情報漏洩の方という訳だ。
「本当に厄介なものだよ。血液検査にもかからない体内の毒なんてさ。こうして大量に流れ出てでもくれない限りボクの鼻でもお手上げさ」
だから気落ちするなと項垂れる部下の肩を叩き、メイリーは苦悶の表情で未だ口から赤黒い血を流し続けている"獲物"を冷ややかに見下ろす。
そこには当然憐れみなどない。あえて言うなら、彼女の無表情の下にあるのは侮蔑だ。
「ひとまず、"コレ"の後ろにろくでもない連中がいるのは分かったかな」
この悪辣な毒を仲間に仕込める者がまともである筈がない。何よりこんな保険をかけるということは、イコール吐露されては困る何かがあると雄弁に語っているようなものだ。
(まぁそもそも、あの騒動の裏にいた奴らなのだから当然か)
そう心の中で吐き捨てながら、彼女は手袋越しの親指に只人より鋭い犬歯を突き立てる。
ブツリと肉が裂ける音を他人事のように聴きながら思い出すのは先日のこと…
〈やれやれ、やはりこうなっていたか〉
綴戯栞里と子供達が祭りを楽しんでいたその裏側。メイリーは賑やかな大通りとは真逆な路地裏で生臭さに群がるカラス達を威かしていた。
カァカァと避難するように騒ぎ立てながら去っていった群れの向こうに目をこらした彼女は、そこで無惨に額に風穴を開けて倒れている女を見つけて先程の台詞を吐いたのである。
僅かな落胆以外は何も抱いていない目で、メイリーは己の記憶とその女の死体を照らし合わせた。それこそ、無機質な機械のように。
〈…間違いない、か。やはり栞里の"記録"で見た能力者だね〉
ぱちり。一つ瞬いて結論を出す。
その呟き通り、死体となって転がっていたのは鳥羽添弌菜に"マリー"と呼ばれていた例の能力者に相違なかった。
綺麗に手入れされていた筈の髪はぐしゃぐしゃで、顔にのったメイクは崩れ、鮮やかなネイルアートの施されていた爪も剥がれ落ちている。
自分を磨いていただろう女性の最期としては何とも憐れな死に様だ。
無論、メイリーがそんなことを思うかと問われれば"否"であるが。
〈死後硬直は…ふむ、顎に少しでてるね。神社から逃げてすぐに殺されたのかな。最初から殺すつもりだったのだろうね…きひっ〉
何の躊躇いもなく死体をあさり、弄り、動かし…普通であれば鑑識辺りが顔を真っ青にしそうな程好き勝手弄った後、彼女は笑みを張り付けておもむろに振り返る。
〈ねぇ、そうだろう?〉
〈ひっ…!?〉
瞬間、ひきつったような悲鳴と共に路地の壁が不自然な揺らぎを見せた。
そう、メイリーが来てからずっと"何か"がこの薄暗い景色の中に溶け込んでいたのである。
カメレオンを想像すればイメージしやすいだろうか。
そんな"何か"はどうやらこの場を離れようとしているらしいが、当然ながら彼女がそれを許す筈もなかった。
〈…がふっ!?!?〉
ほんの一瞬の隙。
瞬きにすら満たない間に横っ腹を蹴り飛ばされた"何か"…痩せ型のひょろりとした男が、正しく壁と一体化したのだった。
〈ふむ、『迷彩』か。死体の処理にでも来たのだろうけれど…残念だったね。ボクの鼻の方が優秀だったみたいだ〉
自慢気に己の鼻をつつき、メイリーは咳き込む男の髪を鷲掴んで引き倒す。
見た目とはそぐわない乱暴なその手つきは栞里が見たら二度見は不可避だっただろう。
しかし、こちらがメイリー・フランベルクという能力者の素である。
お利口な犬とて、結局のところ牙を剥けば獣なのだ。
〈う"ぁっ…ぐ…っ〉
〈きひひっ、アレは貴公のお仲間だろう?少々話を聞かせてもらえないかい?〉
〈だ…れ、が…っ、ヒッ…!〉
一撃で内臓に大きなダメージを負わされながらもメイリーを睨み付けた男だったが、すぐさま己の心が折れる音を聞いた。
〈拒否権が、あると思うのかい?きひっ…きひひひひひひひ!!!〉
何せ彼の目の前には、祭り囃子すら血生臭い呪いの宴に変えてしまえそうなほど狂気的な紅を歪ませたおぞましい猟犬がよだれを垂らして嗤っていたのだから。
勿論、現実でこの麗人がよだれを垂らしているわけではないが…少なくとも男にはそういう化け物に見えた。見えてしまった。
その恐怖はどうやら男の許容範囲をあっさり越えてしまったらしい。
負傷によるところもあるだろうが、彼はろくな抵抗一つ出来ないままに気絶したのだ。
…その腑抜けこそ、今メイリーの足元に転がっている"獲物"の正体である。
最初から最期までつまらない獲物だったと小さく息を吐き、彼女は頭を切り替えた。
「…さて、何か欠片でも引き出せた情報はあるかい」
「は、はい!一応…こちらを」
ほんの二枚ばかりの書類を受け取り、メイリーは褒めるように部下の顎下をするりと撫でる。
どんな些細な事でもご褒美を与えるのが彼女のポリシーだ。
優しい…という訳ではなく、その方がより良い部下に調教出来ると知っているが故である。
現に件の部下はほんのり顔を赤らめながらもっと頑張ろうと決意を新たにしていた。
そんな彼を横目に、メイリーの瞳が文字を追っていく。
得られた情報は見ての通り多くはない。
しかし全く収穫がなかったかと問われればそうではなかった。
一番肝心のバックや所属の輪郭はさっぱりだが、どうやら"薬"についてだけは口を割らせることが出来たらしい。
さっと一通り文面を確認し、メイリーは部下を下がらせた。
「…ふぅ。一度は身体検査をしただろうけれど…何か出てきてはくれないだろうか」
一人になったことを確認した彼女は紙面から視線を外す。
そして丁寧に折り畳んだそれをジャケットにしまい込むと、祈るような独り言と共に死体の傍らに膝をついた。
当然そんなことをすればお高いスーツがじっとりと濡れていくが、彼女は血潮をシャワーのように浴びてもケロッとしているタイプなのでこれっぽっちも気にしていない。
後々クリーニングを手配する部下が頭を抱えるだけである。
「ふむ、口の中には銀歯や詰め物の類いはなし…報告通りだね。これはドッグタグかな…あ、いけない割れた。まぁいい、これも報告書の通り安い量産品だろうしね。他には指輪がある筈…ああこれかな。これも安物のイミテーション、いやむしろおもちゃレベルだね。審美眼の乏しいボクでもわかる…ん?」
まだ硬直のない指から指輪を抜き取り、上から下からと検分していたメイリーははたっと動きを止める。
見開かれた目にじわじわ滲むのは驚愕と困惑。
「こ、れは…」
ピリリリリリ!ピリリリリリ!
しかし、そこでタイミング悪く端末がけたたましい音を鳴らした。
思考を無理やりブチ切ったそれの発生源など、部下を下がらせた今は一つしかない。
「こんな時に一体だ……げっ」
誰からだとしかめようとした顔は、ディスプレイに表示されている名前を見て想定より五割増しでひきつった。
一ノ世久夜。
今メイリーが二番目に話したくない相手である。ちなみに一番は上司だ。
とはいえここで無視をするとそれはそれで大変面倒なことになるのは重々承知。長年の付き合いは伊達じゃない。
迷いはしたものの、メイリーはやむなく通話のボタンをタップした。
「スゥー……やぁ久夜。どうしたんだい?」
〔なんかさ、今変な間がなかった?まぁいいや、やっほーメイリー。画面ずいぶん暗いけどさ…拷問室にでもいんの?〕
「拷問室だなんて人聞きの悪い。ただの取調室だといつも言ってるだろう?」
〔あー…ハイハイ。つーかさ、いつになく静かじゃん。何?獲物が気絶中とか?〕
「あー…いや…」
返答に詰まって歯切れの悪い返しをしたメイリーに、画面の向こうの久夜はすぅっと目を細める。欠けていく月に合わせて気温が下がっていくような錯覚を覚えた。本人はここにいないのに、である。
誤魔化しは許さない。
そう言わんばかりの視線を受けて、メイリーは観念したように息を吐いた。
彼女の気のおけない友人はこういう時とりわけ鋭いのだ。それはもう身に染みている。
「…地獄に逃げられてしまったよ」
〔…は?〕
瞬間、久夜の発したただ一言…いやただの一文字が首を絞めるような圧を伴ってメイリーに絡み付いた。
だから言いたくなかったのだと天を仰ぎたい気分ではあったが、死神の鎌が如く冷たい光を帯びる黄金はとてもおふざけを許してくれそうになかったので心内だけで気持ちを押し止める。
オオカミの力を有するが故の野性的な勘が警笛を鳴らしているのだ。下手なことはしないが吉である。
〔じゃあさ、何?メイリーは栞里をさんざん泳がせて、そのせいで怪我までさせたってのに…掴んだ手がかりみすみす失くしたってこと?は?〕
「…耳が痛いよ、まったく」
気心の知れた仲だからこその遠慮の欠片もない言葉がぶっすりとメイリーに刺さる。
護衛対象である栞里の体に穴が開いたことも、手がかりを逃してしまったことも、どちらも弁明が出来ないほどの失態であることを彼女は重々理解していた。
しかしまぁ、ここで落ち込んだりへこたれたりしないのがメイリー・フランベルクである。
勿論反省はするが、彼女は基本的に立ち止まらない質なのだ。
だからこそ毎度毎度上司から雷やら拳骨を落とされるのだが…蛇足だろう。
「久夜、悪いけど謝罪は一先ず後回しにさせておくれ。例の"薬"についての報告があるんだ」
〔…ほーん?〕
画面越しの圧が僅かに和らぎ、久夜の興味を引くことが出来たらしいと顔には出さずホッと胸を撫で下ろす。
瞳は未だ冷ややかで表情も明らかに不服そうではあるが、通話を切り上げないのなら話を聞くつもりはあるということ。
そうでなければ無言で通話を切るし、その後しばらく着信を無視…どころか着拒するのがこの男である。
〔薬ねぇ…そこは吐いてくれたんだ?〕
「あぁ、なんとかね」
彼女は先程折り畳んだ書類を再度広げ、"薬"に関する記述を追いながら忌々しいと瞳に獣を宿す。
「どうやらあの"薬"とやらは…怪異の細胞から作られたものらしい」
〔…は?なに、それ……マジ?〕
「大マジさ。ボクだって当然疑ったよ。けれど、質疑を担当したのは『判別』の部下なんだ。ブツがないから裏はとれていないけど、信じるに値するよ」
メイリーについているその部下は"嘘を聞き取ることが出来ない"という制約を持つ特殊な人物であるため、調書にまとめることが出来た内容は自動的に真実であると見なされるのだ。
それこそ、嘘を話せない"記録者"の言葉を信じるのと同じように。
そのことは久夜も知っていたので、いかに信じたくない現実とはいえ飲み込まざるを得なかった。
〔はー…うっざ。怪異を薬に、とかさ…頭おかしいわ〕
「同感だね。本当に…胸糞悪い話だよ」
地を這うような声で嫌悪を露にしたメイリーは続けて調書の内容を語っていく。
それは彼女に更なる不快感を募らせ、久夜の気分を着実に害していく酷いものだった。
曰く、その薬は『増殖』の能力を持つ怪異の細胞をフリーズドライ処理してカプセルに閉じ込めたものであり、それが服用者の体内で解凍されると瞬く間に周囲の細胞を乗っ取って『増殖』していくのだそう。
そうして宿主を作り替え、半怪異化させてしまうのだ。
〔半怪異化…って、何さ〕
「ボクが勝手にそう名付けたんだよ。たとえほぼ全ての細胞を怪異に侵されたとしてもやはり、人は人でしかないみたいでね。完全な怪異にはなれないらしいんだ」
"ソレ"を怪異だと言い切れない最たる特徴は、一般人にも見えてしまうという点である。
そうメイリーに伝えられた久夜は苦虫を噛み潰したような顔をして唸り声をあげた。
それがいかに厄介な問題なのかを理解してしまったからだ。
〔はー…面倒くさ。だから目撃者だらけで処理班がパンクしてんのか〕
実は、楽しい祭りの裏側では化け物が出た、人殺しの悪魔がいたと一部パニックが起きており、仕方なく一日程記憶を吹っ飛ばす東雲印の薬を抱えた事後処理の部隊が駆けずり回っていたのである。
〔つーかさ、人殺しの悪魔って…証言者の言う特徴を聞く限りメイリーっしょ?なんで人殺しなんて言われてんのさ。殺してたのは怪異だろ?〕
「それもまたボクが"半"怪異と名付けるに至った要因というか、特徴だね。宿主の死と同時に怪異の細胞も死ぬのだけど、その時侵食から解放されるからか一時的に人本来の姿を取り戻すみたいなんだ。形状記憶…いや、人が持つ再生力の悪足掻きなのかな」
だからこそその瞬間を見てしまった一部の人間は己を人殺しだと判断したのだろう、と彼女は飄々と語る。
「とはいえ一度怪異に侵された細胞はやはり同じ末路を…消滅という道をたどるみたいだ。だから死体も血液もそのうち完全消滅してしまうのさ」
〔あー…ハイハイ。だから"行方不明"なワケね〕
死体が出ないからこその行方不明。おそらく遺族は一生真実を知ることなく、骨の一欠片血の一滴すら帰ってこない彼ら彼女らを思い続けるのだろう。
まぁ、この二人はその現実に心を痛めるような能力者ではないのだが。
その証拠に彼女達の面持ちに沈痛な色は無く、ただ不愉快そうに眉間へ皺を寄せているだけである。
〔はー…うっざ。ほんと面倒なモノばらまいてくれたもんだよ。この調子じゃさ、俺も処理班も徹夜だよ徹夜。はぁ…早まったわ〕
祭りというタイミングは好都合であり、不都合でもあった。
好都合だったのは酔っぱらいや場酔いしている者が多かったということ。
おかげで話を聞いた者の大半が酔っぱらいによる妄言か何かだと信用しなかったため、混乱は少なく話もさほど広がらなかったのだ。
逆に、目撃者の多さは祭り故の不都合だ。
出現した怪異の多さも相まって、その数は想像しただけでも頭痛がしてくる。
そんな訳で事後処理の部隊は、『修復』と事後調査といういつもの仕事に加えて大量の目撃者探しと記憶の処置までする羽目になったのだ。
結果彼ら彼女らは泣きべそをかきながら現在進行形で働いているし、そちらの部署を担当している同僚に希少な酒と予約三ヶ月待ちの人気菓子で買収された久夜は己の迂闊さに舌打ちをこぼしているというわけである。
彼は後程追加で高級な肉でも用意させようと決めた。
「それで、久夜。今回の件はどう処理されるんだい?上も大騒ぎだろう?」
〔あー…それね…〕
久夜はメイリーの問いに元々癖っ毛で遊び放題の髪を更にガリガリと乱しつつ、デスクに散らばった書類の一枚を汚物でも摘まむように持ち上げる。
〔被害者とその遺族には不幸なことに、上の連中には幸いなことに…死体はどこ探したって出てこなかった。メイリーの言葉通りならこの先永遠に出てこないんだろうね。だからこのまま"こちら"が関係していたという事実は伏せて…ただの、一般人の事件ってことで幕引き予定だってさ。今回死んだ連中は一生明確な"死"を与えられないまま、弔われないまま、ずっと行方不明。遺族も帰らない死人を探し続けて待ち続けるのさ。ずっと、ね〕
「…そう」
二人は同じ人物を思い浮かべ、彼女が聞いたなら…と想像して目を伏せる。
そうすれば自然と怒りと悲しみが湧いてきた。
上の保身はいつもの事で、普段ならどうでもいいと切って捨てる話だ。
しかし、気に入っている彼女が…栞里が酷い憎悪を湛えた瞳でもって怒り悲しんだだろう事を思うと…悲しいし腹が立つのである。
栞里の存在は本人の預かり知らぬところでメイリーと久夜に珍しく人間らしい感情をもたらしていた。
〔はぁ…なんでこう、栞里の周りでは変なことばっか起こるのさ。いっそ閉じ込めた方が良かったりするワケ??〕
「きひっ、気持ちは分からないでもないが…やめておくことをオススメするよ」
久夜の半分本気なジョークを笑い飛ばしながら、メイリーは表情に出さずに思考を回す。
栞里の周りでトラブルが多発しているのは間違いない。
彼女が島に来てからというもの、水面下に潜んでいた"何か"が活発化している気がしてならないのだ。
己の仕事量が爆発的に増えているのがその証拠である。
しかし、それが何故なのかが皆目見当がつかない。
正直なところ、当初メイリーは栞里が黒幕側ではないかと疑っていた。しかしそれでは彼女の行動に説明がつかない事が多すぎるのだ。
何せ、彼女は尽く"最悪"を砕いている。
こちらの信用を得るためのマッチポンプと考えることも出来なくはないが、少なくともメイリーが実際に見た綴戯栞里という人間はそういう小賢しいタイプには見えなかった。
むしろ、黒幕とは対極と見た方がしっくりくるくらいである。
人を見る目はある方だと自負してるので、メイリーは一先ず栞里を敵ではないと定めたのだ。
(まぁ、タイミング的に見て何かしらのトリガーなのは間違いないとは思うけどね…ダメだ、繋がりがまったく見えてこないや)
モヤモヤを腹に積もらせつつ、今考えても結論は出ないと踏んだ彼女は思考を中断する。
〔あーあ、今回もまた栞里のおかげで能力者の"世界"が守られたんだよね。アイツって…凄いよ。俺らは…栞里に助けてもらう資格なんてない筈なのにさ…〕
「…久夜?」
独り言のように呟いた久夜は何か問いたげなメイリーをわざと無視し、ぐっと伸びをして腰を上げた。
〔ま、取り敢えずしばらくは忙しくなりそうだしさ、俺はここらで仮眠とってくるわ〕
「…あぁ。休めるときに休んでおくのが一番だからね」
〔そゆこと!メイリーもあんま無理すんなよ?ただでさえとんだ休暇になっちゃったんだしさ〕
「きひひ!本当にね。実に刺激的だった。…じゃあ久夜、また何かあったら連絡するよ」
ひらりと手を振った久夜の姿を最後に通話の画面は黒一色に変わる。
その画面を閉じるでもなくだらりと腕を下げたメイリーは、壁に背を預けて天井を仰いだ。
「…一体何が起こっているんだ」
誰にも聞かれていないのをいいことに、らしくない弱さを表に出した声が頼りなく空気を震わせる。
整理がつかないことや分からないことが多過ぎて、さすがのメイリーも頭を抱えて喚き散らしたい気分だった。
事件のことしかり。
栞里のことしかり。
しかし今一番彼女の心を乱しているのは…
メイリーは端末を持っていない方の手を緩慢に持ち上げて…そっと握っていた拳を開く。
コロリと転がるそれは、久夜にもついぞ伝えることが出来なかったある手がかりだった。
弱い照明にかざしてみれば、"ソレ"に取り付けられたイミテーションジュエリーが安っぽく光を反射させる。
その硝子玉はメイリーとの交戦かはたまた話し合いによるものか…とにかく金具が緩んでいて、少し力を入れるとあっさり外れるようになっていた。
だからこそ、気付けたのだ。
偽物の宝石を外して初めて見えるようになった…シルバーの台座の底に刻まれた紋章に。
メイリーはその紋章を知っていた。知っていたからこそ、酷く混乱しているのである。
「…まさか、ね」
不確定要素を口にすることを好まないメイリーだが、今ばかりは誰かに話してしまいたかった。意見を聞きたかった。
しかし久夜相手にそうしなかったのは…もたらされるだろう混乱が大きすぎると考えたためだ。
自分ですら平静でいられないのに、それをばらまくわけにはいかない。だからこそ今は口をつぐんだのである。
「…少し、動いてみるとしようか」
メイリーはソレを己の懐へ慎重にしまい込み、ただ一人カツンとブーツの底を鳴らしたのだった。
…
「十三束」
「はいはい、何スか?やっぱコーラの方が良かったッスか?」
メイリーとの通話を終えた久夜は宣言通り仮眠室…ではなく、飲み物を抱えて戻ってきた十三束従道を捕まえて情報管理室へと足を向けていた。
いつもなら数人が端末機器を弄っている室内は後処理の手伝いに出払っているせいもあってがらんどうで、見張り役が二人置かれているだけである。
二人とも突然やってきた久夜の姿に不思議そうな顔をしたものの、一言調べものと言われればア、ハイと答える他なかった。
何せ、少しでも機嫌を損ねてここの機械に危害を加えられたら大変面倒なことになるのは分かりきっているので。
適当なパソコンの前に陣取った久夜に呼ばれ、従道はそそくさとデスクに置かれたコーヒー缶をコーラと入れ換えた。
「何やってんのさ」
「え?違うんスか?ははーん?さては他のが飲みたいんスね!何でもこいッスよ!一ノ世先輩は我が儘ボーイなんで絶対飲んでる途中で飽きるだろうなーと思って、自販機の飲み物全種買ってきたんで!」
「はー…うっざ」
「ちょっ、いだだだだだ!!!?アイアンクローはいけないッス!!握力!握力!!!」
毎度吐かれる悪意のない毒にため息を吐きながらコーヒー缶を取り返し、久夜はん、と顎でパソコンを示す。
「操作」
「え、あぁ、飲み物じゃなくてそっちッスか。ふはは!先輩、一応ちゃんと使えるクセにパソコン嫌いッスよね」
久夜は無言でいいからやれと圧をかけ、プルタブを持ち上げた。
その小さく空気が抜ける音を合図に二人は場所を代わり、従道は慣れた手付きでパスコードを打ち込んでいく。
「で、何が見たいんスか?」
「あー…ここってさ、記録見れるよね」
横目でコーヒーを一気飲みする上司の喉仏を眺めつつ尋ねれば、もう飲み干したらしい缶の中にくぐもった返事が注がれた。
「記録って、具体的に何のッス?」
「任務記録」
「あぁ、そりゃ見れるッスけど…」
任務記録というのはそのままズバリ。
どんな任務に、誰が、いつ派遣され、どのように遂行し、いつ完了したのか。
もしくは失敗したのか。
任務担当者によって提出された書類を元にそれらを事細かく記録したファイルのことである。
研究目的の他、報酬や賠償など金銭に関わる記録でもあるので管理はそこそに厳重だ。この情報管理室のパソコン以外からはアクセス出来ない上、権限パスがないとファイルを開けない。
まぁ、任務全般の指揮管理責任を担っている久夜は当然パスを持っているので何も問題はないのだが。
平然と手渡されたパスカードをリーダーに通し、従道がカタカタとリズミカルにキーボードを叩くことしばらく。
画面にはズラリと目が痛くなる程の任務リストが並んだ。
「ほいっと、アクセス完了ッスよ」
「あー…ハイハイ。んじゃさ、"コイツ"がここ二日間の間に受けた任務を調べてくんない?」
「はぁ…了解ッス」
"コイツ"と示された名前に不思議そうな表情を浮かべた従道だったが、先輩の考えが読めないのはいつものことかと切り替えて手を動かした。
検索用の白い長方形に任務担当者を入力。
従道は首をかしげた。
次いでカレンダーのマークを押し、日時で検索し直す。
従道は眉をぐぐっと寄せた。
「どう?」
「いやどうって、見ての通りッスけど…先輩、何が知りたいんスかコレ」
いつの間にかコーラも開けていた一ノ世に困ったように言葉を濁し、彼はキーボードから手を離す。
そして、少し爪の伸びた指でディスプレイを軽くつつきながら結果を口にした。
「"コイツ"、任務なんて入ってないッスよ」
「ほーん?…あはっ!あっはははははは!!やっぱりね!」
「なんスかやっぱりって…」
「だってさ、俺"コイツ"に任務を入れた覚え無いんだわ」
「へ?じゃあ何で調べたんスか??」
カラカラ笑っていた久夜はしかし、従道の問いにストンと表情を消してその名前を睨み付ける。
あまりのジェットコースター具合に、慣れている従道でさえ引いた。運悪く居合わせてしまった見張りの二人なんかは小さな悲鳴を上げて机の下に隠れる始末だ。扱いが地震のソレである。
「"コイツ"は任務があるって言ってさ、護衛を断ったんだわ」
「は?何でまたそんな嘘を…?というか、その時に変だと思わなかったんスか?」
「はー…うっざ。そんなのいちいち気にしてらんないでしょ。興味ないんだからさ。ただ、後々になっておかしいと思っただけ」
もう用はないとばかりに出口へ向かおうとしている久夜に気付き、従道は慌ててパソコンを閉じていく。
興味がないと言ったわりに苛立ちが見てとれる背中。荒い足運び。聞こえる舌打ち。
面倒なことになりそうだと件の人物の名を要観察人物として頭に刻んだ。
しばらくは動向を探った方が良さそうだと勘が働いたのだ。
何より、どうせこの様子じゃまた久夜が何か聞いてきそうである。
「まったく…嘘つく相手は選べって話ッスよ。にしても護衛ねぇ…誰の、なんて考えるまでもないッスね。本当にいけ好かない女ッス」
ぶつぶつと文句を言いながら部屋を出ていった従道は、まるで彼氏をとられた彼女の顔だったと後に見張り役だった二人は語ったそうだ。




