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17-8


息を潜めていた鳥達が、弾ける花火のように一斉に飛び立った。


【【A"aaた…aaaすAaa…】】

【【O"oしoOoooたoくooな……】】


神が逃げ出してもおかしくない木屑と化した社と、そこから伸びる割れた石畳。無惨に折れた木々。

そして我が物顔で空間を埋め尽くしていた魑魅魍魎…もとい怪異達。


そんな悪夢のようだった世界はしかし、未だ耳に響く絶叫一つで正しく夢の如く消えていった。


存在感が溶けていくように透けていった怪異達はあっさり潮風に散らされ、空気を震わせていた絶叫の名残もやがて木々の擦れる音の合間に飲み込まれていく。


そうして後には、ただただ荒れ果てた神社の残骸だけが静寂の中にポツリと残された。


「終わった…のかな?」

「た…たぶ、ん。お…大元を倒したから、子も消えたのでしょ、う」


そう答えをくれた祈ちゃんが能力を解くと、無邪気な風が髪で遊ぶように吹き抜ける。

…ふわふわとして、どうにも実感がない。

そんなぼぅっと戦いの跡地を眺めていた私を、こちらへ向かってくる軽い足音が現実に引き戻した。


「弌菜!お姉さん!やった!やりましたよぅ!!二菜、頑張りました!!」


そこかしこに傷をこしらえながらも太陽に負けない笑みを満開にして手を振る二菜ちゃんにつられ、思わず私の口も笑みを浮かべる。

すこぶる元気な彼女はそのまま弌菜ちゃんの方へ駆け寄って、少しの迷いもなく抱きついた。


「弌菜!弌ー菜!終わったよ!!ただいま!!」

「…お、わっ…た……?」


かくん、と膝が砕けた弌菜ちゃんを慌てて二菜ちゃんが支える。

張っていた緊張の糸が切れちゃったんだね。


「は…はは…やったんだ、ホントに…助かったんだ。あは、ヤバ…今更震え、止まんな…っ」

「弌菜…?」


今までの気丈さが嘘のように己をかき抱いて震える弌菜ちゃんは、まだまだ小さな一人の子供だった。

…そうだよね。いきなり目の前で友達が怪異なんて化け物になって、襲われて、私や二菜ちゃん(身近な人)が血を流して、最後は…


大丈夫であるわけがない。

平気でなどいられる筈がない。

受け止められなくて当たり(それが普通)前なのだから。


「弌菜?弌菜…?どうしたの?どっか痛い…?ねぇ、弌菜…?」

「二菜ちゃん、今はただ…ぎゅっと抱き締めてあげて」

「え?…ぁ、ハイ!」


様子のおかしい半身にどうしたものかとおろおろする二菜ちゃんへ小さなアドバイスをすれば、彼女はぎこちない手つき…いや、脆い硝子細工を触るように恐る恐る腕を回した。


一瞬ピクリと肩を跳ねさせた弌菜ちゃんだったけれど、すぐにすがり付くように自分も腕を回して…隙間など許さないとでも言うように強く抱き寄せる。


「二菜…二菜は、凄いね」

「…え?」

「知らなかったよ。これが、こんなのが二菜のいる世界だったなんて…甘く見てた。隣、隣って馬鹿みたいだったよね…こんなの、届きっこないのにさ」


二菜ちゃんの体に押つけられた顔は見えないけれど、胸を締め付けられるような寂寥感に満ちる声こそが答えなのだろう。

弌菜ちゃんは"差"を恐れていた。この戦いの中でよりいっそうそれを感じてしまったのかもしれない。


「…違うよ」


けれど、凪いだ水面を思わせる静かな声が沈みかけた空気を塗り替えた。

二菜ちゃんらしくない声色に驚いたのか、弌菜ちゃんが僅かに肩を揺らす。


「弌菜、届くとか届かないとか関係ないんだよ。だって、二菜の"世界"には…初めから弌菜がいる。ううん、いなくちゃいけないんだ」

「…何それ」

「あのね、弌菜はまた"自分を理由にするな"って怒るかもしれないけど…二菜は、私は弌菜とずっと一緒にいたくて、ただそのためだけに力をつけたんだよ。だから弌菜がいないとぜぇんぶ意味が無くなっちゃう。私の、生きる意味全部」

「…は?え、そんな、に…?」


生きる意味が無くなる。

そんな強い言葉を本気の音で紡ぐものだから、弌菜ちゃんは慌てたように顔を上げて…かち合った瞳に目を丸くした。


普通なら冗談だとか誇張し過ぎだと片付けられる台詞かもしれないけれど、能力者である二菜ちゃんにとってはそうじゃない。

その真剣さが伝わったからこそ、弌菜ちゃんは驚愕に染まった表情で固まっていた。


「あー、やっぱり()()なんですねぇ」

「か…隠す気ゼロだ、よね」


私は祈ちゃん達の密やかな会話を耳に入れ、人知れず息を吐く。

閉ざした瞼の裏に浮かぶ水季さんや"アイツ"の姿。大切な物を失って壊れた人達。

あぁ、改めて…弌菜ちゃんが無事でいてくれて良かった。


「…何よ、一緒にいたかったなら…いれば良かっただけじゃん!自分から離れていったクセに、今更そんな事言うの…ズルい」

「…あのね、怪異って…能力者の所に寄ってくるの。だから、たとえ望んでなくても奴らは私を狙って来る。…それを聞いた時、ゾッとしたんだ」


二菜ちゃんの顔が苦しそうに歪み、大きな丸い瞳には暗い影が落ちる。

震える唇が紡ごうとしているのは…おそらく、彼女が一番に苦しんだ真実なのだろう。


「このまま私が側にいたら…嫌でも弌菜を巻き込んじゃう。私の存在が、弌菜を殺しちゃうかもしれないって」


罪を告白するように絞り出された声は痛々しくて、けれども弌菜ちゃんはそんな二菜ちゃんをただただ無表情で見つめていた。

瞳に、憤怒を湛えて。


「…だから、自分が離れたら解決って?そんな理由だけで二菜はウチから遠ざかったの?遠ざかれたの…!?何も言わず、勝手に、ウチから逃げたの!?」

「ち、違う!違うよ!!私は遠ざかるために『楽園』に行ったんじゃない!!そうじゃないんだよ!」

「じゃあ何!?他にどんな理由があったって言うの!!」

「力だよ!!力が必要だったの!!」

「…っ!?」


返された答えに、弌菜ちゃんが異常な程動揺したのが分かった。

何か決定的な証拠を突き付けられたかのような狼狽えようだ。

そこでふと、弌菜ちゃんが叫んだある言葉が頭を過る。


〈ウチが、ウチがいけなかったの…?ウチが()()()()()()()()()()()()()()()っ、二菜の隣にしがみつこうとしなければ…こんな、こんな…っ!!〉


もしかしたら、同じだったのかな。

力が欲しかったって…その気持ちが。


「もし仮に巻き込んじゃったとしても大丈夫なくらいの、私のせいでって後悔しないくらいの、そんな力が一緒にいるために必要だって思った!!だから私は『楽園』に行ったの!!」


…二菜ちゃんは七尾さんと同じような選択を迫られ、その上で彼とはまるで違う道を見据えていたんだね。


「私が強くなれば、どんな怪異に邪魔されたって弌菜と一緒にいられる!文句なんて言わせずに!だから、行きたくもない海の向こうに行くって決めたんだもん。未来の為に、ほんの少しの間だけ我慢しようって…決めたんだよぅ…」


巻き込まない為じゃなく、巻き込んででも一緒にいる為に…なんて、凄い子だ。

二菜ちゃんは私が思うよりずっと傲慢だったみたい。


「何…それ…そんなの、ウチと…っ、何で、そう言ってくれなかったの?理由分かってたら、ウチだって…待ってるよって言えたじゃん…!」

「それは…その、すぐ帰るつもりだったから…ごめん。でも、学園で学び始めてすぐ知っちゃったの。能力者の敵って…怪異だけじゃないんだって」


境内の一角…私が薬を弾き飛ばした場所に目を泳がせて顔色を変えたところ見るに、弌菜ちゃんは二菜ちゃんの言わんとしている事を理解したのだろう。

私も二菜ちゃん達と過ごす中で知ることとなったその敵の名は…


()()、だよ」


ナイフ男やハロルドの悪意に満ちた狂相と笑い声を思い出す。

祈ちゃんの両親の恐怖と嫌悪で歪んだ表情と金切り声を思い出す。


「能力とか関係なく、怪異よりもずっとズルくて残酷な人達がいる。私はそれを知っちゃった。そういう連中はね?私を殺すためにわざと弌菜を狙ってくるの。だから、だから…」


自分の胸元をぐしゃりと潰すように掴んだ二菜ちゃんの瞳が不安ていに揺らぐ。

けれど、水面に映るようなそれから本物の雫が溢れるより先に…痛切な思いが溢れたのである。


「手足が引き千切られるくらいの思いで…私、っ、大切な…っ、大切な苗字を…変えたんだ!」

「二…菜……」

「弌菜とお揃いの、大好きで大切なものだったけど…珍しいからすぐに繋がりがバレちゃうって!本当は、そりゃ…っ、すっっっっごく嫌だったよ!!!」


とうとうボロリと大粒の涙が彼女から落ちた時、私は正直ホッとした。

漸く二菜ちゃんがちゃんと泣けたのだ、と。

漸く彼女の気持ちが外に出たのだ、と。


「だからって早く力を付けたくても、側にいるためにはいくら鍛えても足りやしない!!嫌なことをいっぱい我慢しても、頑張っても、胸張って弌菜の隣にいられるだけの力は遠すぎた!!これじゃあ帰れない!帰れなかったんだよ!!どうして!?どうして…私は能力者だったの!?弌菜との繋がりを嫌でも捨てなきゃいけないのなら…こんな力…こんな力、要らなかったのに!!!」


ビー玉が溢れ落ちていくような大粒の涙と、咽び泣くような悲痛さを伴った本音の吐露。

それを呆然と見つめる弌菜ちゃんは何を思っているのだろう。彼女にはどう見えているのだろう。


私には…昨日泣いていたキミの姿が重なって見えるよ。


「側にいられない以上他の事で守るしかなかった!弌菜を二菜の弱点に見せないために、"お姉ちゃん"なんて望んでもいない役にもなった!!」

「弱点に見せないためって…何、ソレ」

「だって、"姉"が"妹"を守るのは自然でしょ?私、少しでも弌菜が特別だって思われるリスクを減らしたくて…無い知恵絞って考えたんだよ」


二菜ちゃんは、ただただ必死だったんだ。

弌菜ちゃんとまた一緒に過ごせる未来を掴みたくて、弌菜ちゃんの隣に帰りたくて…

それだけを目指してがむしゃらに走り続けてたんだね。


「弌菜…弌菜、弌菜ぁ…!私っ…私帰りたいよぅ!!弌菜の隣に帰りたい…!それだけなのに、どうしてこんなにグチャグチャになっていくの!?どうすればよかったの!?わからないよ、もう、分からないんだよ!!」


でも、一人で走っていたせいで…いつの間にか道に迷ってしまった。

そんな迷子が泣いている。

帰りたいと泣いているんだ。


そんなSOSが、今ようやく届くべき場所に届く。

吐き出されていく真実に言葉を失っていた弌菜ちゃんはやがて、"お姉ちゃん"なんて欠片もなくしゃくりあげる二菜ちゃんの頭をぎこちなく撫で…そっと額をくっつけた。


「…知らなかった。知らなかったよ、二菜。ウチ、全然…気付いてあげられなかった。自分ばっかカワイソウって顔して、勝手に二菜のこと決め付けて…ウチ、最低だ」


染められた金髪がカーテンのように彼女の表情を覆い隠す。

けれども、私の耳には湿った声が聞こえていた。

あぁ、今日はよく雨が降る日だ。

暖かくて、苦しくて、優しい雨が。


だからきっとこの後は…有名なことわざをなぞる事になるのだろう。


「二菜が離れてくのが嫌だった」

「…うん」

「直前まで渋ってたクセに、いきなり島に行くなんて言い出した二菜に…裏切られたって思っちゃった」

「…ごめん」

「何も言わずに苗字を変えた二菜に、捨てられたって思った」

「そんな、そんなワケ…っ」

「いきなり自分を"お姉ちゃん"とか言ってさ、ウチを勝手に"妹"なんかにして…口を開けば守る、守る、守るって。その度に距離が開いてく気がして、差を突き付けられてるみたいで…それが苦しくて、気持ち悪くて、嫌で嫌で嫌でたまらなかった!!!」

「…っ!?」

「だから、ウチも二菜と離れてやろうと思って、二菜に守られる必要なんてないくらい強くなってやろうと思って…色々やったし手を出した。けど…けど、さ…」


弌菜ちゃんはくっつけていた額を離すと、俯いたままの二菜ちゃんの頬を両手で挟んで顔を上げさせる。

そうすれば涙に濡れた二人の瞳は鏡合わせの如くまっすぐ見つめ合う形になって…弌菜ちゃんは不恰好な笑みを浮かべた。


「どうしたって、二菜を本気で嫌いにはなれなかったよ」

「…ぇ」


しかし感動的なシーンも束の間。

次の瞬間、彼女は目を見開いた二菜ちゃんに…渾身の頭突きをくらわせたのである。

ゴヅンと鈍い音をともなって。


「「「え」」」


ちょ、ちょっと待って弌菜ちゃん???

急展開にこっち(オーディエンス)大混乱なんだけど…???

ほら、祈ちゃんと門倉くんも今の流れで嘘だろ?って顔になってるからね?


…あぁ、でも。


「い"っっっっっっだぁ!?!?弌菜!何すんの!?」

「…っぅ!うっさい馬鹿二菜!!この石頭!!いったぁ…!」

「自分でやったくせに!!」

「仕方ないじゃん!ムカついたんだから!!誰にも…ううん。ウチに相談もしないで一人で突っ走って…!ウチ、めっちゃ傷ついたんだからね!!そんなに頼りないわけ!?」

「そ、それは…!あの、えっと…ごめんなさい!」


この方が、二人らしいのかもね。


「でもでも!弌菜だって一人で突っ走ってたじゃん!いきなり片割れがグレた時の私の気持ち考えたことある!?」

「うぐっ…!だ、だってあの時は…いや、ごめん」


やっぱり、なんだかんだ似た者同士だ。観客三人の意見は一致した。

自己完結しちゃうところだったり、これと決めたら一直線だっり…さすがと言うべきなんだろう。


「だいたい…っ!?」


不意に二菜ちゃんが口をつぐむ。

突然焦りを滲ませて振り返った彼女の視線を何事かと追えば、皆が一様に息を飲んだ。


私だけじゃない。その場の誰もが油断していたのだ。

もう終わったものだと気を弛めていた。それがいけなかったのだろう。


【O"ooooO"o!!!!】


怪異は、まだ死んでなどいなかったのだ。

ぐちゃぐちゃになった体から体液をしとどに撒き散らしながら、それでもそれは腕を伸ばしていたのである。


そしてその腕はもう、二菜ちゃんのすぐ後ろまで迫っていてた。

まずい…!虚を突かれたせいか二菜ちゃんの動き出しは鈍く、祈ちゃんが『結界』を張るのも…間に合わない!


次に舞うだろう赤を想像して皆が表情を凍りつかせ、無駄だと理解しながらも私の足は意識するより早く彼女の方へ向いていた。


そうして一歩踏み出した、その刹那。

ばちゅん、と…()()()()が宙を舞う。


「やれやれ、まだ詰めが甘いね」


そんな、軽い調子の声と共に。


【OoたoすOoooけoooて……】

「おや?」

「え…今…?」


耳障りな不協和音の間に何か言葉が聞こえた気がして辺りを見渡した。

けれど、今の…人の声だろうそれを発したと思われる人影はいない。


まさかと思って怪異を見ても、細くなっていく叫び声と共に倒れていく醜い塊があるだけだった。


やがて、今度こそ死んだらしい怪異の体が端から崩れていく。まるで分解されていくように。

それを冷ややかに見下ろしながら剣についた黒を振り払った彼女は、焦りや不安を持て余して呆然とする私達とは裏腹に、まるで散歩から帰ってきたかのような気軽さで笑った。


「やあ、遅くなってすまなかったね。思ったより怪異が多くて手間取ってしまったよ。…無事で何よりだ」


あれ、人数が増えているねと目を瞬かせるその姿には傷一つ無く、それがどうしようもなく頼もしい。

私は不安の影が払拭された安堵から思わず膝が砕けて座り込み、子供達は…


「「「メイリーさぁん!!!」」」

「お姉様ぁー!!!」

「うわっ!?ちょ、お、落ち着いておくれ!?」


皆で一斉に彼女…メイリーに抱きついた。

焦ったような、どうすればいいのかと狼狽える彼女の表情が新鮮でつい笑ってしまう。


二菜ちゃんと弌菜ちゃんは素だろうけど、祈ちゃんと門倉くんは…おそらく悪ノリと見た。

あの二人結構悪戯っ子思考だからね、うん。


と、助けを求めるように私を見たメイリーがぎょっと目を丸くして固まった。

突然どうしたのかと思っていると彼女は唇を戦慄かせ、皆を引っ付けたまま駆け寄ってきたではないか。いや、重くないのそれ…


「ちょ、シオリ!?それ、ど、どうし…大丈夫なのかい!?いや、大丈夫じゃないよね!?あぁ…どうしたことだ!!すまない、こんな…こんなつもりは…っ」

「えっと、そんな深刻にならなくても…傷は一応薬で塞いでるから大丈夫だよ。それに悪いのは怪異で、メイリーのせいじゃないから…ね?」

「いや、それは…そうとも言い切れないというか…」

「え?」

「ん"ん"、とにかく、だ。ボクは貴女の護衛としてここに来た。その護衛対象に怪我をさせるなど言語道断だよ。それに何より…久夜が何と言うか…」


何かを誤魔化された気がするけれど、それより何故ここで一ノ世の名前が出てきたのか…

メイリー、顔色滅茶苦茶に悪いけども。


まぁ一応私はアイツ預りの身だし、アイツの私物に傷付けちゃった…的な見方になるのかな?それならなんとなく青くなるのも頷ける。

大変不本意かつ想像しただけでムカつくけど。


「メイリー、本当に大丈夫だよ。こんなのいつもの事だし、一ノ世だってそれはよくわかってるって」

「いや…いや、シオリ。ハイそうですかとはならないよ。女性の体に傷を残してしまったらと思うと…腹を切っても詫び足りない」


重い重い…メイリーだって女性でしょうよ。切実に自分を大切にして欲しい。

そもそも私は体質(不老不死)のおかげで傷が残る心配は皆無なのだけど…今それを言うのはさすがに無粋か。


「お姉さん、ごめん…その怪我、ウチを庇ったせいで…」

「うーん…どうせなら私、"ごめん"じゃない言葉が聞きたいんだけどなー?」


また暗い表情のちらつく弌菜ちゃんへ、わざとらしい口調と共に笑いかける。

そうすれば聡い彼女はほんの少し目を丸くした後、蕾が綻ぶように笑い返してくれた。


「…ありがと、お姉さん」

「あのあの!二菜からも、お姉さんありがとうございました!!」

「ふふ、どういたしまして。二人の笑顔が見れたなら、多少なりとも無茶した甲斐があったかな…なんてね!」

「やれやれ、貴女という人は…敵わないね。罪悪感の一つも抱かせてくれないのだから」

「そりゃ、必要ないからね。私がやりたくてやったことだから」

「きひ、強引さは久夜にそっくりだ」


最後の何やら不穏な呟きは精神衛生の為に聞かなかった事にしよう。そうしよう。

と、ひっそり現実から目を背けていると門倉くんの様子がおかしいことに気付く。

彼の隣にいた祈ちゃんも同じく違和感に気付いたらしく、こてんとツーサイドアップの髪を揺らしながら首をかしげた。


「か…門倉?どうかし、た?」

「ぇ……あ…あのぉ…」


不自然な程見開かれた目の中では瞳がぐらぐらと揺れていて、顔色も折れた木のように生気がない酷いものだ。

そんな彼はごくりと喉を上下させ、ゆっくりと腕を持ち上げた。


「あ…あれ……何ですかぁ…?」


メイリーを…いや、メイリーの後方を示す震えた指を辿った私達は、飛び込んできた光景にそろって息を飲む。

だって…倒れていたのだ。

メイリーが倒した怪異が横たわっている筈のそこに、人間らしきモノが。


「…カナ?」

「…っ!!ダメ、弌菜ちゃん!」


呟きが聞こえた瞬間私は跳ねるように立ち上がり、弌菜ちゃんをきつく抱き寄せることでその視界を遮った。

きっと今は"ソレ"の顔にしか目がいっていなかっただろうけれど、それなら尚更これ以上見せるわけにはいかない。


何せ、弌菜ちゃんが"カナ"と友人の名を呼んだその骸は…とても一般人である彼女に見せられる状態ではなかったのだから。

肩から上はまだマシだ。個人が判別出来るくらいにはキレイと言える。

けれどそこから下は…人として成すべき形をしていなかった。


肉は溶かされたようにぐずぐずで、その隙間には骨らしき残骸が見え隠れしている。

そんなドロドロの体からは臓物が引きずり出されたかのように大きくはみ出し、手足は失敗した福笑いよろしく場所も角度も出鱈目にくっついていた。


"あちら"で色々見てきた私ですら胃液がせり上がってくるほど凄惨で…人間としての尊厳を踏みにじるような骸。人体実験の場ですらここまでのものは見たこと無い。


「…っ……こ…これは人間な、の…?」

「うぇ……信じられませぇん…」


祈ちゃんや門倉くんまでもが顔を青くし、メイリーはメイリーで何やら思案顔で沈黙を貫いているものの…やはり顔色は良くない。

二菜ちゃんは弌菜ちゃんが"ソレ"の名らしきものを呼んだ事に混乱しているのか、骸と彼女を忙しなく見比べていた。


誰一人として状況を飲み込めないまま、しかし時間は待ってはくれない。

元々崩れている最中だった"ソレ"はやがて、狼狽える私達が見守る中空気へ溶けるように消えていった。

それこそ、怪異のように。この世界へ痕跡ひとつ残さず。


「どうして…」


私は"記録者"なのに、"記録"されたこの現実が信じられなかった。一体何が起こっているの…?


さぁ、と風が吹く。

残った粒子が散って消えるも、私達を襲った衝撃は少しも消えてくれなかった。


「ちょ、お姉さん…!苦しいって、ば!」

「あ…ご、ごめんね!弌菜ちゃん」

「もー、別に良いけど…って、あれ?カナは…?いまそこに…」

「それ、は…」


言い淀んだ私を、何もなくなってしまった場所を呆然と見つめる皆を順繰りに見た彼女は…怪訝な表情をすぐに解いてゆっくりと手を合わせる。やはり察しがいい子だ。


「…バイバイ、カナ。テツくん。あっちでちゃんと結ばれてね」


風に乗せるようにそっと落とされた別れの言葉は震えていた。


「ねぇ、お姉さんが止めてくれなかったらさ…ウチもカナ達みたいに、なってたんだよね…」

「…考えたくないけど、たぶん…そうだと思う」


本当は、たぶんなんて曖昧なものじゃない。そうなってしまったのだろう一つの世界を、私は確かに知っているから。


「ちょっと待っておくれ。それは…どういうことだい…?」


怯えを見せる弌菜ちゃんを慰めようとした私だったけれど、それより先に鋭いワインレッドが私を…そして弌菜ちゃんを縫い止めた。


彼女はメイリーの視線に含まれた険に気付いたのか、表情をひきつらせて体を固くしてしまう。それを見て、思わずメイリー睨み返す。

そのまま体を二人の間に滑り込ませ、視線を無理やり遮った。

少しであってもそれは弌菜ちゃんに向けるべきものではない筈だ。


「メイリー、それは私が話す。"記録者"として」

「…っ、すまない。冷静さを欠いていたね。…()()()()()()()()()()


ハッと我に返ったのかその瞳から鋭さは消え、代わりに気まずそうな色が宿る。

けれどそれを瞬き一つで追いやり、メイリーは私へ情報の『開示』を望んだ。


真っ直ぐな眼差しに首肯で応え、私はここに来て見聞きした事を…人を怪異に変えてしまうというおぞましい薬が存在したこと、それを弌菜ちゃん達にばらまいたらしい能力者がいたことを伝えていった。

勿論、件の能力者の姿を伝えるべく弌菜ちゃん以外の皆へ"記録"も見せながら。


私から『開示』された話と光景に皆呆気にとられ、二菜ちゃんに至っては幻だと理解しつつも"マリー"と呼ばれていた能力者を射殺さんばかりに睨み付けている。

漏れ出る殺気があまりにも重苦しいものだから祈ちゃんに窘められていたけれど、大切な人を害されそうになったのだから当然の反応だと思う。


それにしても…こうして見返すと本当に間一髪というやつだったと改めて実感する。

あの薬から弌菜ちゃんを守れたのは間違いなく門倉くんのおかげだ。

彼がいてくれなかったらと思うと…ダメだ、考えただけで恐ろしさでどうにかなりそう。


「…シオリ、もういいよ。『開示』を止めておくれ」

「…ぁ、わかり、ました」


突然メイリーの手に目元を覆われ、思考が鈍っていた私は言われるがままに『開示』を解いた。

良い子だと柔らかな声が耳を擽る。

そして、すぐに退けられた手の向こうに怪異も何もいなくなった現実を確認した途端…ああ、もう恐れる必要はなかったんだったと思い出して力が抜けた。


ふらついた私を倒れないようにと支えてくれた祈ちゃん達の表情を見るに、私の顔色は酷いもののようだ。

疲労した状態で能力を使ったせいか、随分呑まれていたらしい。相変わらず情けないな。


緩く頭を振って思考をクリアにし、メイリーに礼を言おうと振り返った私はしかし…思わず開きかけた口を閉じた。


「クソ…何て事だ……!あんなモノが出回っていたなんて…これは、一大事じゃすまないぞ…」


先程の声が錯覚だったかと思わせる程冷たく鋭い声色が、空気を怯えさせるように震わせた。

前髪をぐしゃりと乱す手の隙間から見えたワインレッドは今にも飛びかかりそうな獣の光を帯びている。


今まで一緒にいた彼女は、恐らく極限まで仕事から切り離されたものだったのだろう。

けれども今はまるで別人。メイリーを取り巻く気配はさながら棘に覆われた荊のようで、少しでも触れたら血が吹き出してしまいそうだった。


その様子に恐ろしさを感じると同時に、彼女がここまで殺気立つのも無理はないと納得する。

人を怪異にする薬…それが相当よろしくない品物だと言うことは私ですら察するにあまりあるからね。


「弌菜!弌菜!弌菜!!だ、だだだだ、大丈夫なの!?体!!」

「は!?何、急に!?何もないとこ見つめて黙り込んだと思ったら…頭でもおかしくなったの?」

「く、薬!!弌菜も薬を…!!」

「え?いや、大丈夫だよ。お姉さんが止めてくれたって言ってんじゃん。だからウチ飲んでないし…ほら、ピンピンしてるっしょ」

「で…でも触ってはいたか、ら。て…手はちゃんと洗っておいた方がいい、かも」

「門倉!!水!!」

「当然のようにパシりますねぇ…」


深刻そうなメイリーとは裏腹に、二菜ちゃん達の間ではどこか気の抜けるようなやり取りが交わされていた。

ふざけてるというわけではないらしいのがまた…何ともいえない。皆真剣に空回ってるんだよね。


しかしおかげでメイリーも少しは落ち着いたのか、垂れ流しになっていた不穏な気配を引っ込めて苦笑した。


「…一先ず、この件はボクが持ち帰るということで終いにしようか。楽しくない話はここまでだよ」

「え!?あのあの、メイリーさん…それは…!私だって当事者で…むぐ」


何かを言いつのろうとした二菜ちゃんの口を指一本でそっと止め、彼女は思わず視線をそらしたくなるような色香をまといながらゆるりと瞳を緩ませる。

それに縫い止められるように、二菜ちゃんだけでなく私達皆が言葉をつぐんだ。


「Shhh…」


キスをしてもおかしくない距離感と雰囲気の中、皆のドキドキを笑うようにメイリーの唇はリップ音ではなく静寂を招く音を紡ぐ。


そうして神社に相応しい静謐さが戻れば…その向こうにドン、ドドン、ピィヨ、ピィ、と楽しそうな音が聞こえてきたではないか。


あぁ、これ…お囃子だ。祭り囃子。

ドタバタしていてすっかり頭から抜けていたけれど、今日の目的はお祭りだったんだっけ。


二菜ちゃん達にもその賑やかな音楽が聞こえたらしく、双子はそわそわと落ち着かない様子を見せた。


「ほら、難しいことは大人に任せて遊んでおいで」


頼もしい声でそう言ってメイリーはそんな二人の背を優しく押す。

目を丸くした彼女達が振り返れば、少しばかり芝居じみた様子で姿勢を正した大人が悠然と笑った。


凄いな…やっぱりメイリーは格好いいや。

頼ろうと素直に信頼を預けられるその姿に感動したのは当然私だけではなく…


「「か、かっこいいーーー!!!」」


キラキラと同じ顔で目を輝かせ、手を取り合いながら跳ねる彼女達に皆でクスクスと笑い声を溢す。


「さて、シオリ。恐らくボクはここでお別れだ。さすがに早急に報告をしなければいけないし、そのまま仕事に移ることになるだろうからね。怪我をしている貴女に頼むのは気が引けるけれど…」

「大丈夫だよ、メイリー。皆のことは任せて!忙しいのに、色々とありがとう」

「お礼を言いたいのはボクの方さ。怪異はすべて対処してあるから大丈夫だとは思うけど、一応気をつけて楽しんでおくれ」


最後まで言うが早いか、メイリーはさらりと私の前髪を指の背でかき分け…


チュ


次の瞬間、おでこに何やら暖かくて柔らかいものが当たっ…え?……え!?


「きひっ、おまじないさ」


祈ちゃんと二菜ちゃんがよく分からない言語で騒ぐのを右から左へ聞き流しながら、私は悪戯が成功したと満足気な顔で颯爽と去っていくメイリーを呆然と見送った。


…とんでもねぇ人だわ、まったく。


「うへぇ…やっぱ一ノ世さんの同期って感じですねぇ」

「お姉様格好いい…!ウチ、目標にしよっかなぁ」

「うげぇ…マジですかぁ。物好きですねぇ」


変な方向に決意を固めようとしている弌菜ちゃんはその月並みな焦げ茶色の瞳を活発に煌めかせつつ、未だにわぁわぁと何か騒いでいる二菜ちゃんをノールックでひっぱたく。

芸人さんもビックリなくらい容赦ない音がしたけど…


「いたた…弌菜、ちょっとは手加減してくれても…」

「うっさい。………ねぇ、二菜」

「ん?なぁに?弌菜」

「…ん」


きょとんとしながら叩かれた頭をさする二菜ちゃんに、弌菜ちゃんは手を差し伸べる。

よく見ればそれは僅かに震えていて…私は嬉しくなったんだ。


いくら平静を装って何でもないように振る舞っていても、一般人である彼女が先程までの非日常を昇華させるのは簡単じゃないに決まってる。

きっとまだ頭の中は混乱してて、恐怖だってへばりついてることだろう。

だから弌菜ちゃんは…二菜ちゃんに手を伸ばした。


助けて、という言葉の代わりに。

側にいて、と願いを込めて。


二菜ちゃんと同じく迷子になっていた彼女もまた、漸く頼る先を思い出せたんだ。


「…えへへ、弌菜!」


それが伝わったのか、二菜ちゃんは喜色満面でその手を握る。

そのまま弌菜ちゃんの手を引いて、二人は鏡合わせのように額を合わせた。


「弌菜の"辛い"も"楽しい"もみんな、私に半分頂戴」

「なら、二菜の"辛い"とか"楽しい"も半分ウチに寄越しなよ」

「うん、わかってる。二人なら無敵だよね!私の力と弌菜の羽が合わさればきっと…渡り鳥よりずぅっと遠くまで、いつまでだって飛べるんだ!」

「…馬鹿。本当に馬鹿。気付くの遅いんだよ、本当。羽ならいくらでもあげるからさ、ちゃんとウチも連れてってよね!」

「勿論だよ、弌菜!」

「「これからは、ずっと一緒だ!!」」


どちらともなく涙を溢れさせ、二人は泣き笑いの顔で見つめ合う。

皆泥だらけで、周りも酷い有り様だけど…ここだけはドラマのワンシーンみたいに美しくて胸がいっぱいになった。


ある物語では、一頭の熊は一羽の鳥と共に果てのない旅に出たという。

それと同じように、今日この瞬間が二人の旅の始まりになるのだろう。

二人三脚、いや…比翼連理のスタートライン。


「よし!じゃあそろそろ…」

「そうだね、そろそろ…」

「「皆!お祭りに行こう!」」


言うが早いか、ラムネが弾けるようにさっぱりと元気よく歩きだした二人の背を私達は慌てて追いかける。

足元で揺れる彼女達の影は体温を分け合うようにピタリとくっついていて、まるで一つの生命体のようだった。


まだ明るさの残る空の下。熊の足音みたいな太鼓の音と鳥が歌うような笛の音。

近付いてくるそれは、祝福するように明るく熱を帯びて反響する。


そこに紛れた二人分の鼻歌はきっと、彼女達の大切な原点であり…これからは旅立ちの歌として心に刻まれるのだろう。


不意に頭の中に広がる書庫の奥で一冊の本が真っ二つに裂けた。


あぁ、もう…大丈夫だ。


もう彼女は、"アイツ"のように一人で道に迷って後悔の海に沈むことは無いのだろう。

だって彼女は在るべき居場所に帰り着き、隣には沈まぬよう羽を分けてくれる半身がいるのだから。


ほら、見ているか、大嫌いな"熊ヶ峰二菜"。


この"記録"はお前に送る私からの嫌がらせであり、二菜ちゃんに送る心からの祝福でもある。


うーんと、題名はやっぱり…『旅立ちの日』?

うん。私のセンスは迷子のままだ。

まぁシンプルイズベストって言うよね。


《そっか…私は、こうしなきゃいけなかったんですね》

どこかから悔悟する幻聴が聞こえた気がする。


私はたまらずひび割れた階段を蹴り、並んで歩く二人をまとめて抱き締めた。


「うわ!?ちょ、危ないって!!」

「お、おおおおおおおお姉さん!?!?」


弌菜ちゃんには注意され、二菜ちゃんには驚かれながら…私はどうしても伝えたかった一言をやっとの思いで絞り出す。


「…っ、あり、がとう…!」


生きていてくれて?

間に合ってくれて?

全部あってるけど、きっと一番相応しいのは…


「「こっちの台詞!!」」

「わ!?」


私を挟むように手を繋ぎ直し、囲んでもみくちゃにしてくる二人に声をあげて笑う。

ありがとう。私の"記録(絶望)"を塗り替えてくれて。


「あのぉ…いい雰囲気のところ申し訳ないんですけどぉ…」


不意に門倉くんが遠慮がちな声をあげた。

三人揃って振り返った先には呆れが透けて見える表情があり、少し周りが見えていなかったと反省する。

いや待てよ…?あれは怒りも混じってるな…

怒らせる要素なんて…ぁ。


ズキンと思い出した己の現状。

罰が悪くなって目をそらすと、彼は口だけでにっこりと笑顔を描く。

そして、提案があると言葉より先に伝えるように人差し指を立てた。


「一回、先輩の家に帰りましょうかぁ」

「ふ…服ボロボロだ、し。つ…綴戯さんはいい加減ちゃんとした手当てをしないとまずい、です」

「「あ」」


二人は互いの服装を見て、次いで私を見る。


ドドン!と一際大きな太鼓に続く笛の音がまるで笑っているみたいで…つられて私達もぷはっと笑ってしまった。

だってこんなの、とても祭りを楽しんでいる場合じゃない有り様なんだもの。通報一択じゃん!ましてや私は薬の効果が切れてきたのか血が滲み始めてるし、尚更。


「よぅし、皆さん!」

「じゃあ、皆さん」

「「帰りましょう、我が家に!!」」


二つの声が重なって二人の足音が揃って地面を叩く。

その息ぴったりな二重奏を噛みしめつつ、私は遠くの海に視線を投げた。

それは母のように柔らかく斜陽を反射させ…やれやれとはにかんでいたのである。



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