17-5
弌菜side2
「…そしたらさー、担任のヤツ課題三倍だー!とか言ってきてさー。まーじ最悪ー」
「きゃははは!!何ソレ、やっば!」
「かなっぺ、ちょー目ぇつけられてんじゃん!可哀想~」
「あー、シバ先なぁ。確かにカナ、目ぇつけられてっかもナ」
「えー!やだー!最低なんですけどー!?」
暇だし時間もたっぷりあるからと、ウチらはのんびり隣町の方まで足を伸ばしていた。
最初こそ、途中で合流したカップルの二人組と一緒にファミレスで涼みながら軽食を済ませ、ドリンクバー片手にしばらく駄弁ってたんだけどね。段々飽きてきちゃってさ。
そんなワケであてもなくぶらぶらと歩くことしばらく。見慣れた景色が見えてきて、ウチは思わず足を止める。
「…ここって…」
人気も家もない道路の脇にひっそりと立つバス停。錆びだらけのそれは、もう使われていないことを如実に語っていた。
けれど、時刻表どころか地名の文字すら読めない有り様なのに…ウチには、なんて書いてあるのかよく分かる。
海間坂神社前。
懐かしい、なんて言葉では済まない感覚が沸き上がった。
まるでタイムスリップでもしているかのように、幼い自分達の幻影がウチの側を駆け抜けていく。
そうだ、ウチと二菜はいつもここで降りて…手を繋ぎながら向こうに…それで…
「あー!!あっちぃー!!!なぁ、ちょっと休もうゼ。俺、焦げそうだワ」
「えー!さっき散々涼んだじゃーん!…でも、ま、あっついのはマジだよね」
「確かー、この近くに神社あったよねー?涼むには丁度よくないー?」
「かなっぺナイスー!賛成賛成!って、おーいヒナちー?大丈夫?」
「…え?あ、大丈夫!ちょっとボーッとしてただけ…」
「もー、またぁ?」
「ありゃー?弌菜ちゃん体調悪いのー?」
「ま、こんだけあちぃとナ。気持ち悪ぃとかあんなら背負ってやんゾ」
「平気平気!神社だよね、早くいこいこ!」
皆の心配そうな顔を振り払い、ウチの足はこなれたように神社へ続くひび割れたアスファルトを踏む。
目を瞑ってても辿り着けるくらいに知り尽くした道だ。迷うなんて事はない。
思い出の中できゃらきゃらと笑う幼子達が、ウチの目の前でつないだ手を揺らしている。
いいな。そんな羨望が滲んだ。
今のウチの手に重なる温もりなんてなくて、こんなにすぅすぅするのに。
皆を先導するように歩くこと少し。
アスファルトが途切れ、階段を登りきり、石畳に変わったその先で…景色と記憶が重なって、胸が締め付けられる音がした。
「ついた、海間坂神社…」
「ラッキー、人ぜんっぜんいねーワ」
「わーい、邪魔されなくていいねー!」
「あ、ヒナちー!かなっぺ!あっこに座って涼もー!」
「マリー、俺は?」
「てっつんは人数分の飲み物ヨロ☆」
「げぇ…まぁ良いけどサ。人使い荒ぇ」
近くの自販機を探しに行ったカナの彼氏を見送り、立派な木の根本に転がっていた大岩に三人並んで腰かける。
林に囲まれているからかは分からないけど、境内はどこかひんやりした空気が流れていた。腰かけた岩からも感じる冷たさに寒ささえ感じたくらいだ。
ま、そんな神秘的だとか神聖って言葉が似合いそうな場所も、年頃の女子が三人も揃えば形無しだけど。
控え目だった喋り声はどんどん大きくなり、いつの間にか姦しさがセミの声すらもかき消していた。
流行りのメイク、美容の話、トレンドのファッション、新しくできたスイーツ店…
ころころと移ろっていくのは子供のごっこ遊びではなく若者の話題で、子供特有のキラキラした高いキィではしゃいでいた声はもう記憶の彼方。
境内の掃除をしながらウチと二菜のやんちゃを叱っていた神主さんの怒鳴り声も、随分耳から離れてしまっていて…上手く思い出せないや。
改めてここに来たのが久しぶりだと実感する。二菜と離れてからずっと余裕なかったからなぁ。
「おー、お待たセ」
「テツくんお帰りー」
「わーい、てっつんあんがと!」
案外近くに自販機があったのだろう。
それほど時間をかけることなく汗を滲ませたカナの彼氏…テツくんも合流し、その腕に抱えられた飲み物から好きなものを選んでいく。
甘党のカナはいちごミルク、マリーはレモンティー、ウチは頭をすっきりさせたくて炭酸飲料を選んだ…んだけど…
プシッと軽快な音。
次の瞬間、作り物の映像かと思うくらいに勢い良く中身が吹き出した。
「ぎゃーーー!?!?」
「わー!?ヒナちー!!?」
「やっべ!?俺、振っちまってたカ!?ゴメン!!」
「もー!!テツくんのバカー!でもそこがスキー!」
「はいそこ!惚気てないでハンカチ!!」
「「ない!!」」
「このバカップルー!!」
「あー、マリー大丈夫。ウチ、自分で持ってるから…」
ぎゃいぎゃいとより一層境内が騒がしくなる。
高校生にもなって、まるで小学生にも満たない子供みたいにはしゃいだものだから…もう、なんか可笑しくなっちゃった。
誰からともなく笑って、涼むつもりが暑さが増した気がする。
幸い二菜といた頃の名残というか…当たり前のようにハンカチを持っていたおかげで、飲み物が服に染み込む前に対処できた。
まぁ、テツくんはマリーに叩かれてたけど。
「マジでごめんナ、ヒナちゃん」
「大丈夫だって。そんなに被害なかったし」
「弌菜ちゃん優しいー!…って、あれ?これ、弌菜ちゃんのかなー?」
ふとカナがしゃがんだかと思えば、その手に小袋を乗せてウチに差し出してくる。
それは朝の集会でもらったあの薬で…どうやらハンカチを出す時にでも落としたらしい。
それを裏付けるように、ポケットに入れた手には糸屑しか触れなかった。
「…ん、そうっぽい。ありがと」
「いいえー。ね、ね、弌菜ちゃんとマリーはそれ…飲むー?」
「えっ」
興味津々といった眼差しにたじろいてマリーを見ると、彼女はあっけらかんとした顔でヒラリと手を翻す。
「「「っ!?」」」
すると、なんとその手から火が吹き出したではないか。
ウチとカナとテツくん三人の目が一斉に丸くなる。
マリーはそんなウチらを見て、してやったりと笑った。
「アタシ、実はもう飲んだんだぁ!言い出しっぺってのもあるしね。どう?どう!?すごくない!?」
「す……っげぇ!!今、火ぃ出たよナ!?」
「ヤバヤバー!ってか、ボスとは違う力じゃんー!?」
「そ!どんな能力?が出るかは人それぞれらしいよ!」
弾んだ声で説明するマリーはウチを見て目を細める。どうしてかその仕草に背中がゾクリとざわついた。
彼女の可愛い顔が近付いて、そっとウチの耳にみずみずしい唇が寄せられる。
ふっと小さく吐かれた息は、そこから脳を侵そうとしているみたいに官能的な熱を孕んでいた。
「ヒナちーの半身ちゃん、能力者なんだよね?…『怪力』、だったかな?」
「う、うん…そう、だけど…」
「じゃあ…"同じ力"が手に入るかもしれないね。だって、双子だもん」
まるで、悪魔の囁きのように。
告げられた言葉は甘い蜜…否、毒の如く脳に染み込んで思考をじくりと溶かす。
同じ、力…もしかしたら、ウチも…
薬への忌避感を期待が侵食し、悩む己の背を押した。
こんなちっぽけな薬一つでウチの願いが叶うなら…それは、なんて…なんて……
「ねー、テツくんー!カナ達も飲んでみよーよー!」
「え…!?か、カナ…飲む、のカ?やっぱ危なくネ?」
「えー?だって、ボスもマリーも大丈夫だったみたいじゃんー?なら平気っしょー!」
「そ、それは…そう、だナ。平気…だよナ」
「あは!へーきへーき!ちょっと生のゴーヤくらい苦いだけだって!」
「ふは!なにそれー!」
「地味に嫌だワ」
三人のやり取りが遠く聞こえる。
ウチの意識は小袋に…その中に転がる紫に集中していた。
カナは、リーダーは、大丈夫だったんだ。
怖くない。怖く、ない。
そうだ。そうだよね。
ウチにとっては二菜と同じで在れない今の方がよっぽど苦しいし、二菜の隣から弾き出される未来の方が…よっぽど、怖いんだから。
プチッと小袋のチャックを開けて、手の上にコロリと薬を乗せる。
毒々しささえ覚えるほど鮮やかな色彩のソレからは、どうしてか熱を帯びているような熱さと心臓がそこにあるかのような鼓動が感じられた。
緊張で喉が乾く。
大丈夫、大丈夫だと自分に言い聞かせるように唱えつつ、片手に持った炭酸飲料のボトルを確かめるように持ち直す。
大丈夫、案ずるより産むが易しって言うじゃんか。大丈夫、大丈夫…
やがて気持ちを固めたウチは、肺の空気を抜くように長く息を吐き、薬を、口に…
「ダメだよ」
「…っ!?」
パチン。
小気味の良い乾いた音が、打ち鳴らした鐘のように耳の中で反響した。
じんわりとした痛みがウチを現実へと引き戻す。
そっと顔を上げたらそこには…見たことのない激情を宿した藤色が、眼鏡のレンズの隙間からギラギラとした輝きを放ってこちらを見下ろしていたんだ。
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それはもう、直感だった。
門倉くんにお願いをしてすぐ、私は瞬きの間にどこかの公園の砂場を踏んだ。
用事があると帰って行った彼の見送りもおざなりに、地図アプリで道を確認しながら神社への道を駆けること五分程。
見えてきた神社の鳥居をくぐり、少しの階段を一つ飛ばしで登っていけばそこには…探し人である弌菜ちゃんを含めた四人の人影があった。怪異の姿も気配もない。
あぁ、良かった。
…なんて安堵したのも束の間。
階段を登りきり、境内に足を踏み入れたその瞬間…体を凄まじい悪寒が貫いたのだ。
そして、その正体を意識よりも先に探した目は弌菜ちゃんが今まさに口にしようとしている"何か"を捉え…私の体は我ながらビックリするくらいに早く動いたのである。
"アレ"はダメだ。
"アレ"を飲んじゃダメだ。
思考をいっぱいまで占めていたのはそんな、理由も分からない嫌悪感。
気付いた時には、私は彼女の手からソレを思いっきり弾き飛ばしていた。
「っ…ハァ…ハッ……ハァ…」
「つ…づりぎ、さん……?」
間に、合った…?
目を丸くした弌菜ちゃんと遠くに転がるソレを見比べ、ドッと塞き止められていた血が巡るかのように私の体が再起動する。
心臓が思い出したかのように大きく暴れ、破裂でもするんじゃないかと思うくらいに痛んだ。まるで耳元に移動したと錯覚しそうな程に拍動が煩い。
何だったの、アレ。
薬っぽい見た目だけど…絶対まともなものじゃない。
見た目通りの、毒々しい"悪意"に満ちた何かだ。
そうじゃなければこんな…べっとり纏わりつくように濃厚な死の気配を感じるものか。
とにかく、止められて良かった。
「…っ、弌菜ちゃん…何を、飲もうとしていたの?」
「ぅあ…こ、これは…その…」
叱られる子供のような顔をした弌菜ちゃんはつまり、アレが良くないものだと理解していた、ということだ。
何が彼女にそんな危険な選択をさせたのか分からないけど、きちんと話さなきゃ…絶対に後悔する。
そう思った私は彼女の頬を包むように固定し、逃げるように彷徨いていた瞳を無理矢理にでも覗き込む。
しかし、いざ問い詰めようと口を開いた…その瞬間。
【あ"、あ"ぁ、あ"a…A"aあ"aぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!?!?】
「「っ!?」」
前触れもなく、境内に絶叫が轟いたのである。
胸を抉られるような苦悶の叫びに驚いて弌菜ちゃんと同時に顔を向けた先には、地面に踞る二人の若者の姿があった。
「ちょ、カナ!?テツくんも…どうしたの?ねぇ!大丈夫!?」
どうやら弌菜ちゃんの知り合いらしく、彼女は女の子の方へ駆け寄って声をかけ,背をさすり,顔を覗き込んではその頬を軽く叩いている。
しかし頭を抱えながら途切れることなく絶叫を上げるその少女は、弌菜ちゃんの声など耳に入っていない様子で苦しみ続け、やがて…
【あ"】
ドロリ、と…顔が溶けた。
「ヒッ!?…ァ、え…?な、なに…っ、なんで…?」
「弌菜ちゃん!!」
ぐちぐちとオモチャのスライムを練って潰すような音を響かせながら形を失っていく少女。
慌てて弌菜ちゃんを引き剥がすと、自力では起きてもいられないらしいソレは支えを失ってベチャリと地面に崩れ落ちる。
筆舌に尽くしがたい程、ひどい光景だった。
少女だけじゃない。もう一人いた男の子の方もすでに形はなく、色もヘドロのようなものに変色してしまってる。
もう…ダメ、なんだろうな。
動いていても、未だ呻き声を上げていても…生きていても、"アレ"はもう人間じゃない。
何が起きているのかなんてさっぱり分からない。
けれど、混乱した頭でもあのドロドロが危険であることだけは分かる。
それなら、今私がすべき事は…
「ヒュ……ぁ…か、な…?うそ…っ…なん、で…ヒュ、カヒュ…ヒ…ッ…ヒ!」
「弌菜ちゃん、落ち着いて。ゆっくり息をしよう」
過呼吸になりかけている弌菜ちゃんを体に押し付けるようにして抱きしめ、呼吸のタイミングを教えるべくその背を一定のリズムでもってゆっくり撫でた。
お願い。手よ震えるな。私も、落ち着け。
ぐちぐちと蠢く何かを睨みつける。
今、この状態の弌菜ちゃんを連れてここから逃げるのは…正直現実的じゃない。
乱れ狂った呼吸も、暴れるように震えている全身も、きっと彼女にまともな動きを許してはくれないだろうから。
それなら私は、なんとしてでもここでこの子を守り抜くしかないんだ。
「アッハハハハハハハハ!!やっばぁ!ちょー傑作なんですけどー!!!」
そんな私の決意を嘲笑うように、未だ絶叫の大合唱が響く空間の中に場違いなほど楽しそうな声が入り込む。
それはあまりにも異質で、寒気すら覚える哄笑だった。
誰かと思ってその出所へ視線を向けると、そこにいたのは…弌菜ちゃん達と一緒にいたもう一人の女の子。
彼女は普通の女子高生と言うには狂気に染まりすぎた、ネジが外れてしまっている顔でこちらを睥睨していた。
そのただならぬ様子に、荒い呼吸を繰り返していた弌菜ちゃんが私から体を離して彼女を困惑の眼差しで見る。
「マ、リー…?なんで、わらっ、て…?」
「ハァ?こんなん笑うしかなくない!?おっもしろ過ぎでしょお前らさぁー!!アッハハハハハハハハ!こーんな怪しいオクスリ信じちゃうとか、バッカじゃないの!!」
壊れたように笑いながら彼女がつまみ上げたのは、毒々しい紫色のカプセル…私が弌菜ちゃんから弾き飛ばしたものだ。
見つめるだけでゾワゾワと肌が粟立ち、這い上がってくる気持ち悪さを生唾と共に飲み込んだ。
私は呆然としている弌菜ちゃんを守るように腕に閉じ込め、ニタニタと嫌な笑みを張り付けた少女を睨みつける。
「それは…一体何」
「えー?気になる?気になっちゃう?んー、ま、教えてもいっかー!これはね…一般人を能力者に変えるオクスリ♪」
「なっ!?」
"一般人を能力者に"…その言葉に嫌でも引きずり出される始まりの"記録"。
私を地獄に突き落とした、私を能力者にした"何か"…まさか、アレが?
「…なーんてね!それはぁー、ウ・ソ♪」
「…っ!?ウ…ソ……?」
嘘と言われてホッとした私と違い、弌菜ちゃんは絶望の色を瞳に宿してガタガタと震え始める。
「バッカだよねー!そんな都合のイイもんあるわけないじゃん!なのに信じるとか…マジあり得ないっしょ!アッハハハハハハハハ!」
唇を噛み締めて黙り込んでしまった弌菜ちゃんをそっと窺う。
能力者になれる薬…確かにそんな都合の良いものがポンと簡単に出てくるワケないし、その甘言に飛び付くのはどう考えても危険だ。
けれど彼女は…二菜ちゃんと同じ場所に立ちたいと願っていた彼女は、すがってしまったのだろう。
それがいかに眉唾物な話でも。
「リーダーも…グル、だったの…?」
「あー、それは違うかな。アイツはなーんも知らない!何にも知らないまま…だぁいじなお仲間に怪しいオクスリばらまいて殺してんの!アッハハハハハハハハ!さいっこう!」
「そんな…っ!でも、じゃあ、なんでリーダーは能力を…!?」
「あぁ、あれ?」
少女がくるりと空中で指を回す。
するとその、魔法を使うかのような動作に合わせてバチバチと電気が弾けた。
更に、電気の次は何処からともなく現れた炎が辺りを這うように広がり、しかしすぐに全てが消える。
手品のように鮮やかで、しかしタネなど見当たらないソレは確かに能力に相違ないだろう。
けれど…これは決して火の能力でも、ましてや雷の能力でもない。
似たような力を使えるからこそ、私には分かってしまった。
「…『幻覚』、かな」
「お?お姉さんせいかーい!やっぱそのダサ眼鏡…能力者だったんだぁ!アハッ!」
「げ、幻覚…?って、どういう…」
「もー、ヒナちーってばお馬鹿さんなの?つまり…」
さっと少女が自分の顔の前で手を翻すと、直ぐ様変化が現れる。
愉快そうに弧を描いていた薄青の目に浮かぶ灰色の瞳が、抜けた色を取り戻すように鮮やかなオレンジ色に染まっていく。
それは正しく…能力者の色彩だ。
おそらく『幻覚』で隠していたのだろう。
「じゃーん!アタシはぁ、最初っから能力者でしたー!リーダーとアンタらに、『幻覚』を見せて騙してたんだゾ!アハッ!ちな、リーダーの薬はただのサプリでしたー!!」
きゃぴっ!と可愛らしくポーズを取ったソイツにグツグツと腹の奥で怒りが煮えていく。
この惨状を作り出しておいて、弌菜ちゃんにまで手を出そうとして…それでもコイツは今の今まで友人の皮を被って笑っていたというのか。とんだ狂人じゃないか。
「あーあ、本当ならヒナちーも"アレ"のお仲間だったのに!残念~」
"アレ"と示されたのはもう人の形も言葉も失って呻く肉塊二つ。
弌菜ちゃんも…"ああ"なっていた、か。
私が止めていなかったらと考え、ぼんやり浮かんでいた仮説が確信に変わった。
「あ、あれ…は、何なの…!ねぇ、マリー…っ」
「怪異、だよ」
ああ、やっぱり…そうなんたね。
《二菜が殺したのは"あの子"じゃない!!だって…あそこには、怪異しかいなかった筈なんだ!!!》
これが、これこそが…"アイツ"の『ソノヒ』なんだ。
「アハッ!ここまで大変だったよぉ?何度も何度もオクスリ改良して、その度に夜中ブラついてる一般人にバラまいて、実験実験実験ってさー!今までは怪異化する前にダメになって死んじゃってたけど…ようやく完成にこじつけたの♪凄いっしょ?」
「信じられない…人の命を何だと思ってるの!?」
「えー?一般人なんてゴミと同じっしょ?」
「マリー…」
「ま、折角拾った命…大切にしなよ、ヒナちー!もっとも、"元"お友達が逃がしてくれるかは…わっかんないケドね♪」
【Aaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!】
「ヒッ!?」
「っ、くそったれ!!」
体を駆け抜けた悪寒に、一も二もなく地面を蹴る。
ドロドロとしていた肉塊の一部が咆哮と共に伸ばされ、こちらへ迫ってきたのだ。
咄嗟に弌菜ちゃんを突き飛ばしながら二人で転がると、背後スレスレでソレが地面を叩きつけた衝撃を感じた。あ、危なかった…
「あ……ぁ…お、ねぇ…さ…っ」
「ごめんね、弌菜ちゃん。いきなり突き飛ばして…大丈夫?怪我はない?」
青白い顔で緩慢に首を振る彼女を落ち着けながら顔を上げる。
もう、あの少女の姿は何処にもなかった。
…逃げられた、か。
あんな危険人物を野放しにしちゃいけないとは分かっているけれど、追いかけるなんて考えてはいられない。だって、そんな余裕…ないからね。
【Aaaaaaaaaaa!!!】
【Oooooooooo!!!】
私達は、なんとかしてこの状況から生きて脱しなきゃいけない。それこそが最優先事項だ。
予想はしていたがもう一人も怪異になってしまっていて、目の前には二体の怪異がうぞうぞと蠢いている。
神社の入り口側は完全に塞がれていて、逃げられるとしたら本殿の向こうだけれど…そちらには道らしき道はなかった。
木が行儀よく立ち並び、傾斜もついているところを見るに、どうやら緩やかな山になっているみたいだ。その事に私は心の中で舌を打つ。なんともまぁ、歩き難そうじゃないか。
「弌菜ちゃん、立てそう?」
「…っ、ちょ…ちょっとだけ、まっ…て…」
一生懸命に立とうともがいてはいるが、彼女の足は接着剤でもつけられたかのように境内の石畳から剥がれそうにない。
腰が抜けてしまっているのだろう。
無理もない。怪異がグロいのも勿論だけど、何よりその過程が…あまりにも酷すぎる。
そこでふと疑問が首をもたげた。
アレが怪異だというなら、どうして弌菜ちゃんにも見えているの…?
見えなければまだ混乱が少なくて済んだかもしれないのに。
しかしその疑問を追及する暇はなかった。
【Oooooooooo!!!】
「ヤバッ…!!弌菜ちゃん!」
「きゃっ!?」
突如転がってきた一体に、私は弌菜ちゃんを抱き込んで再び地面を転がる。
メイリーのようにスマートに出来たら良かったんだけどね…生憎力の無い私にはこれが精一杯だ。
まぁ不様だしちょっと体が痛いけど、回避できただけ上出来じゃないかな…なんて、ほんの少し気を緩めた事を私はすぐに後悔した。
【Aaaaaaa!!Aaa!!】
「ぁ…ぐっ!?」
「お姉さん!?」
立ち上がって体勢を整えようとしたところで、横っ腹に凄まじい衝撃を受けて体が吹き飛ばされる。
しまった、もう一体の存在が頭から抜けていた…!
内臓…はたぶん無事だけど、嫌な音は聞こえた気がする。
どっかの骨にヒビくらいは入ったかな…最悪だ。
なんとか受け身をとって体を起こすと、ようやっと立ち上がれたらしい弌菜ちゃんが覚束ない足取りでこちらに来ようとしているのが見えた。
そして、その奥に目をやって…
「…は?」
「…え、何、どうし……っ!?」
振り返った弌菜ちゃんも私も、信じられない…否、信じたくない光景に冷や汗を垂らしながら息を飲む。
なんで、どうして、そんな馬鹿な、と意味の無い現実逃避で思考が空回った。
「な…なんで…なんで、増えてんのよ!!?」
絶望をまとった声が、悲鳴に近い響きをもって弌菜ちゃんの口から吐き出される。
ともすれば折れてしまいそうな彼女に、私は腹部の痛みから目を背けながら足を動かして怪異達との間に滑り込んだ。
睨み付けた前方。にじりよる影は…四体。
そう、いつの間にか怪異は…その数を倍に増やしていたのである。
あぁ、もう、意味が分からないよね、まったく…!!
「やだ…っ、ヤダよぅ…し、死にたくない…!ウチが、ウチがいけなかったの…?ウチが強くなりたいなんて思わなければっ、二菜の隣にしがみつこうとしなければ…こんな、こんな…っ!!」
「…っ、弌菜ちゃん、しっかりして!今は逃げることに集中するの!」
【【Aaaaaaaaaa!!】】
【【Ooooooooo!!】】
氷のように冷たくなった弌菜ちゃんの手を引き、鞭の如くふるわれる怪異の腕をかいくぐっていく。
一本避ければまた別の一本が迫り、それをなんとかすり抜けても次、また次…これじゃあキリがない…!
動き自体はきっと、かなり遅い部類なのだろう。私の目でも追えるし対応出来ないものじゃない。
けど、こうも手数が多いと…!!
「きゃ!!?」
「弌菜ちゃ……ぅ"あ!!」
まだ足取りの覚束ない彼女が段差に躓いたのを咄嗟に庇うと、それを見越していたかのように伸ばされた腕の一本が私の肩を抉る。
むっと香る血臭と石畳を汚す赤に舌打ちを溢した。
「お、お姉さ…っ!?血、が…!」
「っ、平気!このくらい…かすり傷」
「そ、んな…ワケ、ないじゃん…っ!!」
「わ!?」
ぐしゃっと顔を歪めた弌菜ちゃんに強く腕を引かれてたたらを踏むと、すぐ背後を怪異の腕が通り過ぎていく。続く正面からの追撃は…
「っ、らぁ!!!」
なんと、彼女のふるった拳によってそらされた。え、強いね…?
「ありがとう、弌菜ちゃん」
「お互い、様…でしょ。それより…」
虚勢だと分かる震えた声は、今にも風の一つで飛ばされてしまいそうな程頼りない音をしている。
けれど、どうやらパニック状態からは脱したらしい。
一周回って冷静になったのかな。
肩の痛みをこらえながら私達を囲う怪異を見渡してうんざりする。
六体…ってまた増えてるんだけど。
怪異に詳しくない私でも、さすがにこれが奴の能力だろうことくらいは察せた。
大方『増殖』とかその辺だろう。なんて厄介な…
「どうするの、コレ…悪いけどウチ、勝てる気しないよ。…ハハ、あんな見た目のクセに…ちょー硬かったの」
さっき怪異の腕をそらした手をぐっぱと動かし、弌菜ちゃんは諦念を混ぜた乾いた笑いをこぼす。
もう片手にはいつの間に操作してたのか、エラー画面になっている端末が握られていた。
「見てよ、通信もダメだって…詰んでるよね、ウチら」
おそらく、あの忌々しい合宿の時のようにジャミングか何かの細工が付近に施されているのだろう。
ここから逃げることも、助けを呼ぶことも、当然怪異に勝つことだって出来ない現状は…成る程確かに、弌菜ちゃんの言うとおり詰んでいるのかもしれない。けれど…はいそうですねと認めるワケにはいかない。
「大丈夫。大丈夫だから、諦めちゃダメ」
俯く弌菜ちゃんの肩を叩きながらそう言い聞かせ、再び動き出した怪異の攻撃を避ける事に注力する。
しなる怪異の腕が賽銭箱を砕き、口を一文字に結んだ私の代わりに小銭が甲高い悲鳴に似た音を立てて散らばった。
飛んできた木の破片に頬の薄皮を切られながらも、弌菜ちゃんを連れて木の影に滑り込む。
それと同時に、彼女はまた力が抜けたようにヘタリ込んだ。
「こんなの…どうせ、時間稼ぎにもなんないじゃん。もう、ヤダ…疲れるだけだよ…っ」
「それでも、立とう?きっと…大丈夫だから」
「大丈夫、大丈夫って…!無責任な事言わないでよ!!大丈夫なワケない!!」
暗く淀んだ目が怒りを燃やしながら私を見る。
あぁ、嫌だな。よく知っている目だ。
"あちら"でよく見た絶望の目。
"記録"なんて見ずとも網膜に焼き付いて離れないソレを宿す彼女は、すっかり別人のようにように窶れて見えた。
「分かった。じゃあ、言い方を変えようかな…大丈夫に、してみせる」
「…どうして、どうしてよっ!!お姉さん、弱いクセに…っ、どうしてそんな事が言えるの!?」
責めるような言葉はしかし、蓋を開ければ悲鳴でしかない。
私は彼女の絶望を受け止めながら、そんな顔をさせてしまう自分の無力さをいつもの如く憎んだ。
ジリジリと視界にノイズが走り、今いる世界が"どちら"なのかを曖昧にしていく。
けれど…私がここで折れるワケにはいかないから。
「弌菜ちゃん。確かに私は笑っちゃうほど弱くて、頼りなくて、情けなくて…どうしようもない弱者だ。それでも…負けたくはないんだよ」
弌菜ちゃんを引っ張って別の木に身を隠す。
ベキベキと折られていく先程までいた木などそっちのけで、私は真っ直ぐ弌菜ちゃんと目を合わせながら腹底に湧く怒りをそのまま吐き捨てた。
「運命なんて、クソくらえだ」
ヒュ、と息を飲む音が聞こえる。
絶望の上に驚きが張り付いたのを理解して、思わず口端がつり上がった。
そうだ、絶望も『ソノヒ』もすべて塗り替えてしまえば良い。
私の覚悟はとうに出来ている。
この身を盾にしてでも…弌菜ちゃんを守るよ。
運命をへし折ってやると決めたんだから。
もう彼女が、彼女達が、私が、絶望なんかしなくて良いように。
さぁ、下克上をしようじゃないか。
弱い私の悪あがきで…"アイツ"を笑ってやるために。
そして、"こっち"の二人が笑っていられるように。
「弌菜ちゃん、たぶん私は泥舟だけど…沈まない自信があるよ。乗ってみない?」
「…泥舟って時点で沈むじゃん。でも、それでも…乗らずに溺れるよりマシ、かな」
「なら、時間稼ぎを手伝ってほしいな。生きていれば勝ちだから」
「は?そりゃその通りだけど…ずっと逃げ続けるとか無理でしょ!?」
「ずっとじゃないよ。だって…二菜ちゃんは必ず来る」
「なっ!?」
助けは呼べない。
怪異には勝ち目がない。
更には増え続ける怪異が逃げ道を完全に塞いでいる。
けれど、彼女が来るまで持ちこたえることは…不可能じゃない筈だ。
「な、に…言ってんの…?だって、通信も出来ないのに…どうやって二菜がここに来る、なんて…」
困惑を露にする弌菜ちゃんを横目に、木を邪魔だと言わんばかりにへし折る腕をギリギリでしゃがんで避ける。
しかしそれに気をとられていた私は、別方向から転がり迫ってくる怪異への反応が遅れてしまった。
まずい…この体勢じゃ…!
「っあ、ごめん、お姉さん!!」
「え…ふぎゃ!?」
謝罪と共に服ごと体が引っ張られる感覚がして…次の瞬間には、私は怪異のルートから外れた茂みの中に突っ込んでいた。
えーと、どうやら弌菜ちゃんにぶん投げられたらしい…?
助かったけど…え、キミ、一般人なんだよね…?
宇宙を背負いかけた私など露知らず、彼女は髪を鬱陶しそうにかきあげながら周囲を睨む。
「げ…また増えてんじゃん。はぁ…疲れたなぁ…」
「本当にね。でも、まだ…踏ん張らなくちゃ」
「…ねぇ、本気で信じてんの?その、二菜が来る…なんて」
「勿論!だって私は…知ってるから」
「知ってる…?」
そう、私は知ってるんだ。
《二菜が殺したのは"あの子"じゃない!!だって…あそこには、怪異しかいなかった筈なんだ!!!》
"あちら"では間に合わなかったのだろう。
けれど、それでも…"アイツ"は確かに、ここにたどり着いていた筈だ。
私はそれを知っている。だから、信じられるんだ。
だってさ、"アイツ"に出来て二菜ちゃんに出来ない…なんてあり得ないもの。
「そもそも、二菜ちゃんが弌菜ちゃんのピンチに駆けつけない…なんて、あると思う?」
"アイツ"も二菜ちゃんも、"世界"を思う気持ちの強さはきっと同じだった筈だから。
私の言葉に弌菜ちゃん目が大きく見開かれ、淀んでいた瞳奥から光が灯っていく。
「っは、はは!ははははは!!!思わない…っ、思わない!!」
二方向から伸びてきた腕を拳と足技で華麗にいなした彼女は、弾けるように笑いながら叫んだ。
ふわり、と舞った金髪に光が反射する。
その繊細なカーテンの隙間から見えた表情に、私は思わず目を細めた。
「アイツ、ムカつくくらい首突っ込んでくんの!ケンカしてるとどっから嗅ぎ付けてくんのかすぅぐ来るし、適当にブラついてるといつの間にか隣にいるし!昔っからそう!かくれんぼとかしてても絶対、真っ先にウチを見つけにくんの!ウチの体にGPSでも埋め込んでるんじゃ?って疑ったの、一回や二回じゃないんだから!だから…」
弌菜ちゃんは私の前に軽く飛び出すと、そのまま見事な回し蹴りで怪異の攻撃を退ける。
「二菜は、来る!絶対に来る!!」
あぁ、やっぱり強いな。
私なんかよりよっぽど強くて、かっこいい女の子だ。
「ってか、来なかったら呪う!!」
「っぷ、あははははは!!いいね!その調子!」
「…ありがと、お姉さん。ウチの事支えてくれてんのも、守ってくれてんのも…ちゃんと分かってるよ。だからさ、ウチにも…守らせてよね」
「…頼もしいね、ありがとう。でも、無理はしないで」
「きゃは!そっくりそのまま返すって!お姉さんの方が無理するっしょ」
図星を突かれて口ごもる私に苦笑を浮かべ、彼女はパチンと己の頬を叩いた。
「っし、とりま二菜に遅い!って文句言うまでくたばってやるもんか。来なよ…カナ、テツ」
【【【Aaaaaaaaaaa!!!】】】
【【【Oooooooooo!!!】】】
無数の怪異のうめき声の中で、私達は無理矢理笑いあったのだった。




