17-4
弌菜side
産まれた時から、ううん…その前からずっとウチらは一緒だった。
ウチの隣にはニ菜がいて、ニ菜の隣にはウチがいる。それが自然で当たり前。それこそ、空に太陽があるのと同じくらいに。
二人で一つとまでは言わずとも、ウチらはいつも…いつまでも隣同士で肩を並べていられる存在同士なんだ。
そう思っていた。
そう信じていた。
そうであってほしかった。
けれど、現実はいとも容易く幼いウチの幻想を打ち砕いたんだ。
最初のきっかけは、そう…齢三歳を過ぎたある日の出来事。
その日、たまたま近所の男の子がミニカーで遊んでいるのを見つけたニ菜が珍しく興味を示したんだ。
色とりどり、種類も豊富なそれは集めるだけでも楽しそうで…いいな、と思ったのはウチも同じだったけど。
後でおじいちゃんにおねだりでもしてみようか…なんて考えつつ、羨ましそうにじっと見つめていたニ菜からほんの少しだけ目を離したんだ。そしたら…
〈おばあちゃー!ひなー!みてみてー!〉
〈〈…は???〉〉
無邪気なニ菜の声に振り向いたウチとおばあちゃんは、あまりの光景に揃って腰を抜かしたのを覚えている。
だって、仕方ないよ。
そこには、本物の…"人が乗る為の車"を片手で持ち上げてきゃらきゃらと笑うニ菜がいたんだから。
〈な、なにしてるの…?〉
〈ひな!みにかーだお!みにかー!ほら、ぶぅんー!きゃははは!〉
〈わ、すごいすごい!!〉
当時のウチはまだ幼くて、手を叩きながらきゃっきゃと褒めそやした。驚きはしたもののすぐに凄いという感情が勝ったんだ。
けれど…怯えたように真っ青な顔をひきつらせていたおばあちゃんの姿が、今でも記憶にこびりついている。
あれは、あの時ばかりは、いつも私達を見ている目…孫を見る目とは明らかに違っていたから。
〈の、能力者…?ニ菜が、ですか…?〉
〈はい。お孫さんは間違いなく能力者ですよ。まだ虹彩は染まってませんが…ほら、瞳の色があり得ないくらい鮮やかでしょう?〉
〈まぁ…まぁ、まぁ…そんな…〉
あの騒動の後、すぐニ菜とウチを連れて病院に相談したおばあちゃんに、お医者さんはそう告げた。
能力者。その言葉の意味はさっぱり分からなかったし、目をひん剥いて固まったおばあちゃんを心配しながら丸イスで足をぶらつかせていたウチだけど、どうやらニ菜は何かが"違う"らしいということは幼いながらに感じ取れたんだ。
〈おばあちゃ?どーしたの?〉
きょとりといつの間にか色が変わってしまっていた瞳で…けれど今までと少しも変わらない、純粋を固めて嵌め込んだような瞳でニ菜はウチらを覗き込む。
そんな彼女をじっと見つめたおばあちゃんは、少し悩む素振りをみせながらもいつもと同じように抱き締めた。
〈…ニ菜はニ菜だよ。可愛い可愛い孫で、家族さね〉
〈きゃははは!おばあちゃー、くるしいよー!〉
変わらぬ愛情を向けると決めたおばあちゃんはニ菜を受け入れ、ニ菜も安心しきった顔で無邪気に甘えている。
そんな二人にホッと肩の力を抜きつつ、ウチは何やらカルテを打ち込んでいたお医者さんにふと尋ねた。
思えば、ここから全てが狂っていったのだろう。
〈ひなも、のーりょくしゃですか?〉
お医者さんは画面から目を離してぱちぱちと瞬きを繰り返すと…困ったような顔で笑ったんだ。
〈…いいや、君は違うよ〉
頭を殴られたような衝撃を覚えた。
音が遠退いたような錯覚を覚えた。
ウチは何も言えぬまま、こちらの会話など知らんぷりでおばあちゃんと抱き合うニ菜を見る。
この瞬間、ウチはいつも一緒だと信じていた片割れとの共通点を一つ失ったんだ。
ニ菜が能力者と発覚してからしばらくの間、おばあちゃんとおじいちゃんは揉めることが増えたように思う。
それは、二人の考え方がすれ違っていたからである。
本来なら能力者は、そうと分かってすぐに同じ仲間が暮らしている"島"とやらに行くべきなのだという。
そこで能力者として必要な知識を教わり、仲間と過ごし、いずれはその"島"にある専門の学校に通うそうだ。
おじいちゃんはそういうのは早い方が良いと主張していた。
しかしおばあちゃんは家族と離れるには早すぎると反対していた。
ウチがその、揉めている原因を知ったのはかれこれ能力の発覚から二ヶ月くらいは過ぎた頃で、あまりの衝撃でその場に立ち尽くしたことは今でも鮮明に思い出せる
なるべくウチらの耳に入らないようにしていたんだろう。
そんな気遣いも知らずに、偶然その事実を知ってしまったウチは二人のところに怒鳴りこんだ。
だって、我慢ならかったから。
遅かれ早かれニ菜と離れなきゃならないなんて…そんなの許せない。認めたくない。
ウチらはずっとずっと一緒で、いつまでも隣にいられる筈だったのに。
今思い返せば、あれほど叫び散らし泣き喚いたのはあれが最初で最後だった気がする。
結局ウチに触発されてかニ菜までもが絶対離れないと泣き叫んで反抗したため、強制である中学の入学までは一緒に暮らすという形で落ち着いた。
正直黒歴史ってやつだけど、みっともない癇癪のおかげでニ菜を引き留めることに成功した当時のウチはその結果に満足していたよ。
あぁ、二菜もウチと同じ気持ちでいてくれてるって。
能力者なんて大層なレッテルがついてもニ菜はニ菜のままなんだって。
可愛くて無邪気で素直な半身。
けれどやっぱり力ばかりは今までどおりの、"普通"とは言えなかった。
幼いせいか、ニ菜は自分の能力…『怪力』と言うらしいそれをまったく制御出来ていなかったのだ。
普通に遊ぼうとしては遊具をメッキメキに破壊し、戯れに放り投げた玩具で近所の壁に大穴を空け、果ては少しじゃれついただけで他の子の骨をバッキバキに折る。
本人には悪気なんて砂の粒程もなくて、どうして?と何も分かっていない彼女を諌め、止めるのは必然的に隣にいたウチの役目になった。
だってニ菜はウチの声にだけはどんな状況でもすぐに反応して、理由など並べなくても言えばその通りにしてくれるから。
揺るぎない信頼。自慢じゃなく、昔からずっと変わらないものだ。
〈うぅ…弌菜ぁ、ニ菜はまたやっちゃダメなことしそうだったの?〉
〈うん。特に殴ったりするのは絶対ダメ。ニ菜が悪い子だって連れてかれちゃうよ〉
〈え!?そうなの!?〉
〈そうだよ。弌菜はニ菜と離れたくなんかない。ニ菜もそんなの嫌…だよね?〉
〈うん!!絶対ヤダ!!弌菜、止めてくれてありがとう!!えへへ…やっぱり、ニ菜は弌菜がいないとダメダメだなぁ〉
ニ菜には弌菜が、ウチがいないとダメ。
〈おお、弌菜や。まぁたニ菜を止めてくれたんだってねぇ。ありがとう〉
〈別に…特別なことしてるワケじゃないし、いつもの事だから〉
〈それはそうじゃな。じゃが、本当に…弌菜がいてくれてよかったわい〉
〈えぇ。弌菜がニ菜と一緒にいてくれるなら、何も心配はいらないわねぇ 〉
ニ菜には弌菜が、ウチが居れば安心。
ニ菜本人からも周りからも隣を望まれる日々は、能力者と一般人という違いにモヤモヤしていたウチの気分を少しばかり晴らした。
そうだ、ニ菜の隣にはウチが必要なんだ。
ウチらは一緒にいるべきだ。そうでなきゃいけないんだよ。
それなのに…時間の流れは残酷だった。
波が砂浜を侵食していくように、日々の積み重ねというものはいつしかウチの望まぬ変化をもたらしたのである。
それは小学五年生になったある日のこと。
いつものように学校帰りでバスに乗り、二人の秘密の場所でくまがみねごっこをしながらおじいちゃんの帰りを待つ…その日もそんな常と変わらない一日であるはずだった。
お揃いのプリントパーカーを泥だらけにしながら遊んで、遊び疲れて、少しの休憩だと並んで石の階段に腰かけている時、ニ菜はおもむろに口を開いたんだ。
〈…ニ菜、くまがみねになりたいなぁ〉
〈急にどうしたの?さっきもくまがみね役だったじゃん。次もニ菜がくまがみねでいいよ?〉
〈えっとね、うーん…そうじゃ、なくて。何て言えばいいのかな…ニ菜はね、くまがみねみたいになりたいの〉
〈えー?分かんない…よ……?〉
唐突だなと笑いつつ隣をみたウチは目を見開いて固まることになったよ。
だって…見たことのない目をしたニ菜が、そこにいたから。
何、それ。何でそんな…大人みたいな目をするの?
抱えていたランドセルを押し潰すように抱き締めて、遊んでいる最中に失くさないようにとポケットに入れておいたピン止めを汗がにじむ手で握りしめる。
ピンが手に食い込む痛みで取り乱しそうな自分を必死に押さえつけた。
そんなウチの気も知らないで、ニ菜は尚も言葉を重ねていく。
〈ほら、ニ菜には力があるでしょ?だからこの力で…大事なものを守れるようになりたいんだ!トリトウさんやくま美ちゃんや皆を守ったくまがみねみたいに!〉
それって確か、先週の…オ・ジャーマに囚われたトリトウさんと片想い中のくま美ちゃんをくまがみねが助け出した話だ。
どちらかしか助けられないぞと突き付けられた究極の二択を、何の話?と首をかしげながら力業で突破した伝説回ランクイン確定の話。正しく力こそ正義であった。
何より、無茶しやがってとつついたトリトウさんに"困ってる者を助けるため、そして大事なものを守るためにふるうと決めた力だから"とあっさり返してみせた…とても、格好いい話である。
憧れるのは、必然だったのかもしれない。
だって、元々は主人公の境遇が二菜に似てるのだと勧めたアニメだったのだから。
〈で、でもニ菜は…力加減、苦手じゃん。守るより先に壊しちゃうって〉
〈うぐ…!そ、そうだけど!!でも、最近は頑張れば何とかなるようになってきたもん!〉
知ってる。
成長するにつれて、ニ菜は能力の制御が確かに上手くなってきた。
今ではもう触れただけで人の骨やペンを折ったりしないし、パンチ一つで前歯全てを砕いたり車に風穴を空けたりもしない。
ウチが止める回数が減りつつあることくらい分かってる。よく、分かってるよ。
でも、まだ…まだ…
〈け、どさ…ニ菜の制御は、ほら…完璧ってワケじゃないし…くまがみねには、遠いよ〉
〈うん。だから…だから、ね…ニ菜、『楽園』に行きたいと思うの〉
〈…え?〉
青天の霹靂と言うのだろうか。
ニ菜の言葉に、とてつもない衝撃…それこそ雷に打たれたような衝撃を受けたのをハッキリと覚えている。
確かに、いつか行くことは決まっていた。
けど、今まではニ菜もウチと同じく"離れたくない"と思っていた筈なのに。
同じ思いであることが、望まぬ離別であることが…せめてもの支えだったのに。
それだけが救いだったのに。
何かが少しずつズレていく。その感覚に吐き気さえ覚えた。
けれど、強がりなウチの表情筋が動揺を、弱さを隠してしまったものだから…ニ菜はウチの変化に気付いてはくれなかったんだ。
〈島にある学園でちゃんと勉強すれば、能力をバッチリ制御出来るようになる!そうすれば、弌菜の負担にならなくて済むんだよ!〉
〈べ、つに…負担だなんて、思ってない…〉
掠れた声でそう言っても興奮気味のニ菜には聞こえておらず、両手で小さく拳を握りながら鼻同士がくっつきそうなくらいに顔を寄せてくる。
そして、花が咲くように笑ったんだ。
それはウチが大好きな笑顔で…
〈ニ菜、力を使いこなせるようになって弌菜を守るんだ!ニ菜にはその為の強さがあるんだもん!だから弌菜は…安心してニ菜の後ろで笑っててよ!〉
だけど、感じたのは絶望だった。
並んでいた筈の立ち位置が音を立てて崩れ去り、ウチとニ菜はこの瞬間明確に"ズレた"のだ。
力のある能力者として、ニ菜は一般人であるウチより一歩先に立ってしまった。隣ではなく前に立ってしまった。
おかしい。おかしいよ、こんなの。
どうしてニ菜は…こんなにあっさりウチを置いて足を踏み出したの?どうしてそんな笑顔で"隣"を捨てたの?
そこからの日々は、正直あまり覚えていない。
立ち尽くすウチを置き去りに、目標を掲げてキラキラと輝きながら走るニ菜と、ニ菜が大人になったと喜ぶおじいちゃんと、頑張ってねと応援するおばあちゃん。
誰もウチの気持ちなど汲んでくれないままに、ウチとニ菜は小学校卒業と同時に離れ離れになってしまった。
身を侵食するひどい孤独感。
冷蔵庫のように寒い部屋。
色のない写真を眺めているような、空虚な日常。
空っぽなウチだけが蝉の脱け殻のように転がっていた。
おじいちゃんもおばあちゃんも先生も小学校上がりの友人達も皆、さみしいんだねとウチを慰め憐れんだ。
さみしい?ふざけるな。
そんな単純なものじゃない。何も知らないくせに。
半身を引き千切られた痛みに苛まれ、体の中心に特大の穴を空けられて、色の無い血液を滴らせるように毎晩毎晩涙を流すこの苦しみが…"さみしい"なんて四文字で済まされてたまるものか。
的外れな言葉にうんざりして、ウチは周囲を拒絶した。
そうしてる間に友人達にはやがて新しい友が、人脈が生まれ、愛想も付き合いも悪くなったウチから離れていく。
結果として一ヶ月足らずで孤立したウチだけど、そんなのどうだってよかった。
ニ菜がいなくなることに比べれば、このくらいアリを踏み潰す時くらい何も感じない。
ニ菜が帰ってくると約束したゴールデンウィークを指折り数えて楽しみにしながら、ウチはただただ息苦しいだけの毎日を消費していった。
きっとニ菜もウチと同じ思いをしていると信じながら。
会ったらそう、ニ菜は寂しかったと抱きついてきて、やっぱり離れたくないよって子供っぽく膨れっ面をさらして…それで、二人してこんな仕打ちをする世界へと恨み言を吐くのだ。なんて意地悪なんだろうって。
そんな未来を想像するだけで目に映る日常は少しだけ色をふきかえすのだから、ウチもニ菜に負けず劣らず単純なものだと思う。
そうして、誕生日やクリスマスみたいな特別なイベント事より楽しみにしながら迎えた五月。ゴールデンウィーク。
〈ただいま!弌菜!!〉
彼女は想像通りに勢い良く飛び付いてきた。
誰にともなくほらねとほくそ笑み、ウチはニ菜の背中に腕を回す。
〈おかえり、ニ菜!会いたかった!〉
〈ニ菜も会いたかったよぅ!んんん!弌菜ぁー!あー、弌菜だぁー!!弌菜の匂いー!〉
〈ちょっと!こらー、ニ菜ー!くすぐったいよー!はす向かいのタローみたい!〉
〈えへへー!〉
〈もう!…そっちはどう?寂しくて泣いたりしなかった?〉
〈むー!泣いてないよぅ!あ、聞いてよ弌菜!ニ菜、友達が出来たの!!〉
〈…へぇ?〉
泣いてない、は嘘。たぶんニ菜の強がりだ。
なんとなくの勘だけど、ニ菜に関しての事なら外したことはないから。
まぁ、それはいいとして…友達?ニ菜に…?
生まれてから今まで、彼女の口から明確にその言葉を聞いたことなんてなかったのに…?
〈学園は少し窮屈だし、訓練はスパルタなんだけどね…すっごく楽しいの!あ、でもでも、任務は嫌い!!〉
〈楽しい…?〉
〈うん!皆強いし、ご飯も美味しいし、何よりニ菜を変な目で見てこない!何て言うのかな…うん、息がしやすいんだ!〉
何を言ってるんだろう?
息がしやすい…?冗談でしょ?ウチはニ菜がいなくなってからこんなにも息苦しくて、毎日が苦痛で仕方がないのに。
それなのに、ニ菜はウチのいない毎日を楽しいと言う。
あぁ、まただ。またこの感覚。
ウチとニ菜が…"ズレて"いる。
〈あ!そうだ!弌菜達に言っとかなきゃいけないことがあるの、忘れるところだった!〉
〈ウチらに…?な、何…?〉
〈あのね、ニ菜…苗字を変えることにしたんだ!〉
〈は?〉
まるで足元が崩れ去ったように、ウチは浮遊感に襲われた。
画像編集で彩度を指先一つで落としていくのと同じだ。
ニ菜は言葉の一つでウチの世界からまた色を奪っていく。それはそれは簡単に、ね。
〈えっとね、能力者の家族って色々と狙われやすくなっちゃうんだって。ほら、ニ菜達の苗字ってちょっと珍しいでしょ?そのままだと能力者の家族です!ってすぐにバレちゃうから…だから、弌菜達を遠ざけるため、ニ菜は"熊ヶ峰ニ菜"になりました!!〉
憧れの"くまがみね"からとったのだと照れ臭そうにはにかむニ菜に、ウチは何も言えなかった。
何それ。何だそれ。どうしてそんなに…笑っていられる??
ニ菜は在るべき場所を離れただけでなく、苗字まで捨てたというの?
ウチと家族なのだと示すソレを…?
お揃いが減って、減って、減って…改めてニ菜を見る。
気付けば彼女はもう鏡映しなどではなく、ウチとは全然違う顔をしてそこにいた。
それを理解して、心にどす黒いものが溜まっていく。
溜まって、沼になって、ウチをずぶずぶと飲み込んで…あぁ、もう、呼吸すらままならないや。
"愛"というものは一歩道を踏み外せば簡単に憎しみになるのだと、身をもって知った。
あぁ、ウチは…そっか、裏切られたんだ。
あはは、これが愛憎ってやつなのかな。
皮肉な事に、ひび割れて空になった心へ新しく憎しみが満たされたその時から…世界は再び色づいた。
白黒の褪せた写真を自分の中で破り捨て、体に悪そうな極彩色のネオンに足を踏み入れる。
あっちが先に捨てたのだ。ウチだって捨ててやる。あぁ、捨ててやるよ。
今までニ菜の隣にいた"自分"ごと、全部。
まず、ニ菜とお揃いの髪を捨てた。
同じ色も長さもいらない。
優等生だった自分を捨てた。
ニ菜のお目付け役なんていらない。
昔から一緒に遊んでいた友人達を捨てた。
ニ菜の話をする人達なんていらない。
ニ菜の影がちらつくものを一つ一つ潰して、箱の奥底に押し込めて、ウチは"ウチ"を殺していく。
そうすればいつかはニ菜を捨てられる筈。
…そう信じていた。
でも、現実はそんなに甘くない。
どんなに過去を捨てても、憎んでも、突き放そうとしても、心はニ菜を求めて悲鳴を上げ続けた。
どんなに自分に言い聞かせても、聞き分けのない子供のように嫌だ嫌だと泣き叫ぶ。
どうして?こんなに苦しいのに、どうしてウチは変われないの?捨てられないの?
初めてお揃いで買ったピン止めは捨てられなかった。
ニ菜との成長が記録されたアルバムは燃やせなかった。
ニ菜と日々を過ごした家から出ていけなかった。
なんて馬鹿みたいな話なんだろう。
結局ウチは憎む"フリ"だけ一丁前で、ニ菜を…半身を心から嫌いになんてなれなかったんだ。
その噛み合わない感情が苦しくて苦しくて仕方がなかった。
ウチはどうすれば良いのだろう。
離れるなんて無理で、けれど昔のように一緒にいることも出来ない。
一度変えてしまった態度を今更改める事も出来なくなって、キツくニ菜に当たって傷付けては己も傷付く負のループ。
もう、ぐちゃぐちゃだ。
感情の行き場を見失ったまま、ふとある時ニ菜が連れてきた友人と先輩とやらに会った。
ニ菜と同じ"能力者"の人達。
当たり前のようにニ菜の隣に立って、楽しそうにお喋りして、笑い合って、じゃれ合って…
そこはウチの場所の筈なのにと奥歯を噛みしめたけど、その時パチリと火花が爆ぜるように閃いた。
そうか、"力"か。
力があればいいのか。
そうすればニ菜に"守る"なんて言わせなくて済む。
守られる必要がなければニ菜はウチを背に庇ったりせず、隣にいさせてくれるんじゃないか?
たとえ能力者じゃないとしても…対等でいられるんじゃないか?
そう思い至ったウチはすぐに近所で一番"強い"人達の輪に入れてもらうべく、その門扉を叩いたんだ。"力"を学ぶために。
ーーー…
「ヒナちー、大丈夫?」
「…え?あぁ、うん。大丈夫!」
「やぁだ、寝不足ぅ?無理しちゃダメだよぉ。肌荒れちゃうしぃ」
「おーおー、女ってすぅぐ肌の調子がーって言うよな」
「どうでもいいけど、朝イチに叩き起こしてきたリーダーマジ有罪じゃね?」
「それな」
「俺ら夜行性だっての」
「もーね、オレ寝ないで来たワ。つか、寝そびれた…今から寝ようと思ってたのに…」
「ウケる。クマやっば」
「一本吸う?」
「止めとけ止めとけ。コイツの甘ったるくて目ぇ覚めねぇよ」
ガヤガヤと乱雑な言葉が飛び交う廃ビルのフロア。
空気はそこら辺でプカプカと吐き出されるタバコの煙に汚染され、地面には空の注射器が転がり、端っこの方では殴り合いの喧嘩が始まっている。そんな無法地帯だ。
それでも家にいるより気分が楽というのだから…ウチらは揃って救いようのない馬鹿だよね。
ここは所謂集会所とでも言うのだろうか?ウチがつるんでいるチームのたまり場だ。
まだ朝も早いのに、馴染みの顔ぶれが欠伸をしながらも集まっていた。
急な召集だったというのにこうしてちゃんと出てくるあたり、このチームの結束の固さがうかがえる。リーダーの言うことは絶対なのだ。
タバコや酒は当たり前。ヤバイ薬も、適当な女を襲うのも好き放題。
そんないかにも危険な集団だけど、"内"にいるぶんには逆に安全だし、皆気さくで話しやすい奴ばかり。後ろめたさにさえ目を瞑れば正直居心地は悪くない。
ケンカの仕方も人の下し方もみんな、ウチはここの人達から学んでる。
"力"を手に入れるために。強くなるために。
でも…
「んー…ヒナちー、マジで大丈夫?なーんかいつもと様子違くない?」
「ホントに平気だよマリー。ちょっと今…アイツが帰って来ててさ。そんで気が立ってるのかも」
「あー、例の半身ちゃん?ヒナちーも大変だね」
ポンポンと慰めるように頭を撫でてくる仲良しの友人に気恥ずかしくなりながら、その優しげな感覚にあの人を思い出す。
夜、ウチと話をしてくれたあの人を。
こんな矛盾だらけのどうしようもない奴に、赤の他人に、それでも真っ正面から向かい合おうとしてくれた…一般人みたいな能力者。
最初は馬鹿みたいに甘っちょろくて、損をしそうな人だと思ってた。
お花畑とまではいかなくても、さぞふわふわな頭なんだろうって。
〈私には、弌菜ちゃんは二菜ちゃんを嫌いになろうとしてるように見えるかな。だって本当に嫌いな相手に…あんな目は出来ないもの〉
でも、そうじゃなかった。
優しい人ではあったけど、思考回路はふわふわどころか…恐ろしくしっかり"人"を見ている人だったんだ。あれは間違いなく人を見定める目をしてたよ。
そうだな、猫に似てる。
何でもない顔をしながらこちらの出方をうかがってる…警戒心の強い野良猫。
無害を示せば気まぐれな友好を返し、害意を見せればすかさず爪を出す。そんな感じがした。
〈私は…本気で人を嫌う目も、本気で人を憎む目も、よく知っているから〉
きっとあの人は、ウチなんかよりずっと暗い世界を知っている。
そこで身に付けた弱者の振る舞い方なんだろう。
弱いからこそ相手を知ろうと目をこらすんだ。
あの人見た目も貧弱そうだし、自分で弱いって言ってたもんね。
…それにしたって子供にも負けるっていうのはどうかと思うけど。
でも、そんなあの人だから…
〈弌菜ちゃん。寂しい?〉
ウチの内をあっさり見透かして、ぐちゃぐちゃだった感情の核を言い当てられたんだろうね。
あの衝撃を、きっと本人は十分の一も理解してないんだろうな。
布団を剥ぎ取られて、いきなり朝日に目を焼かれたみたいだった。
混乱して、処理しきれなくて、馬鹿みたいに泣きながらポロポロと本音が溢れて…
それでようやく、目を背けてきたウチ自身の気持ちを知る。
あぁ、ウチは…やっぱりニ菜が大好きなんだ。
自分の心って簡単には騙せないものなんだね。
そんな自分を一晩かけてなんとか飲み込みながら、ふと頭を過ったのはあの人からの真摯な願い。
〈好きも、嫌いも、ごめんなさいも、ありがとうも…全部届けられなかった人間を、私は知っている。だから、弌菜ちゃんにはそうなって欲しくないんだ〉
あの人は一体、どんな後悔の元にその言葉を伝えてくれたのだろう。
というか、あの人は一体何なのだろう。
〈大変でも、振り回されても、たとえ振り落とされたとしたって…私は"答え"を知る為に向き合い続けようって決めた。同じ場所から景色を見てみようって思った。どんなに酷い目にあったとしても、目を背けたくなるような現実があったとしても…諦めてなんかやらないよ〉
己を弱いと言った口でそう語ったあの人の眼は、夜空でいっとう輝く星のようにギラギラしていた。
あれの、どこが弱いと?
ニ菜やお姉様みたいな能力者の輪の中に入っても並べるわけない、一緒にいるなんて憐れだ…そう自分を重ねて同情したのが馬鹿みたいだ。
だって、ちゃんと並べてるじゃん。少なくともウチにはそう思えたよ。
…あの人なら、誰かを傷付けるやり方じゃなくてもニ菜の隣に並べる方法を教えてくれたのかな。
やっぱウチのやり方って間違ってるのかな。
まとまらない気持ちとまとまらない考えがぐるぐる回って、いつの間にか夜が明けていた。
今日、お祭りの時にでも…もう一回話を聞いてもらおうかな。
「あ…」
「おー、きたきたー」
不意に周りのざわめきがピタリと止む。
それに気付いて、考え事に沈んでいた意識と顔を持ち上げた。
どうやらリーダーが来たみたいだ。
ガコンガコンとドラム缶や廃棄コンテナ、その他ガラクタを積んで作られた壇上へ、自信満々な靴音を鳴らしながら登っていく姿を皆で見上げる。
ここにいる者達と揃いの、しかしよく見れば他より豪華な刺繍の施されたスタジャンをはためかせ、腰までずり下がったズボンのポケットに手を突っ込んだまま彼…この群れのボスたる男はこちらを見下ろした。
瞬間、ウチらは号令も無しに揃って頭を下げる。
『お疲れ様です!!頭!!』
「おう、顔上げろぉ。いやぁ、悪ィな朝っぱらから」
気安い声に緊張感はすぐにほどかれ、折った腰をゆっくりと戻していく。
そうすれば、厳つい顔にニタリと軽薄な笑みを浮かべたリーダーが綺麗に染まった金髪をかき上げるのが見えた。
正直な事を言えば、ウチはこの人が苦手だ。
チームに対しては世話焼きな兄貴気質で、だからこそ慕う人は多いけど…それ以外の人々に対する態度は酷すぎて目も当てられない。
死ぬ手前まで人を痛め付けるなんて日常茶飯事で、女を襲うのも…胸糞悪いことに良くあると聞く。
クスリで無理矢理狂わされた大人を見て爆笑していた時は、もう人間じゃないとさえ思えた。
でも、ウチはそんなリーダーの下から抜け出せない。
"力"をつけるって目的のためなのは勿論だけど、なんだかんだ気の合う仲間が多いのも理由の一つだ。
ここにいるのは皆暗い何かを抱えてる。
傷の舐め合いとは言いたくないけど、ささくれ立った心に寄り添えるのは同じ気持ちを抱えた同類なんだよね、結局。
だから、その居心地よさを手放さない為に…ウチは目を閉ざすんだ。
それがきっと正しくないことだと分かっていても。
…まぁ、抜けた時の報復が怖いってのもまた本音なんだけどね。
「で、今日はどうしたんだ?ボス」
「ボスってー朝はめっちゃ弱々ちゃんなんに、今日は珍しく元気じゃーん」
「元気というか、ご機嫌っすわ。何か良いことあったんす?」
長い付き合いだと噂で聞く幹部の人達が口々に声をかけると、リーダーはニイとまるで口が裂けたかのように笑った。
ゾッと背が凍るようなそれに、思わず喉を小さく鳴らして生唾を飲み込む。
何だろう…今日のリーダー、一段とおっかないかも。
「実はなァ…いいもんが手に入ったんだよ」
「"いいもん"、すか?」
「おゥよ。それを早くてめェらに見せてやりたくて堪んなくってよォ、こうして集まってもらったんだよ。いやァ、興奮で夜も眠れなかったんだわァ」
「それでおま…緊急招集の連絡回せって夜中の三時に人を叩き起こしやがったのか…ガキかよ、ったく」
「くはは!悪かったってェの!」
「そんでー?結局"いいもん"ってなんなんー?」
百点満点の答案を親に見せる前の子供みたいに、見せびらかしたくて仕方ないといった様子のリーダーが己のスタジャンのポケットをあさる。
そして、取り出した何かを見ろ、と私達に見えるように掲げた。
「…カプセル?」
「それ、クスリすか?」
ウチがいるのは後ろの方だからよくは見えないけど、ぶら下げられた透明な小袋の中に紫色の何かがポツンと入ってるらしいことは分かる。
何だろ、アレ。そう思って首を傾けると、隣から軽く肩が叩かれた。
「何?マリー」
「こっからじゃよく見えないっしょ?そんなヒナちーに…じゃじゃーん!」
ずいっと目の前に差し出された握り拳。勿体ぶるようにゆっくり開かれたそこには、毒々しい紫色のカプセルがコロンと乗っている。
この色と形…まさかリーダーのと同じもの?
どうしてマリーが…?
チラリと顔を見ると、お茶目なウインクを返された。うんうん、今日も決まってて可愛いね。
そういえば、リーダーもこの可愛さの虜なんだっけ。かなり仲良さそうだしデキてるって噂も…いや、今はそんなのどうでもいい。
あ、でも…だからこそ一足先に話を聞いてたって可能性はあるのかも。
「ボスー?それ、新しいドラッグなんー?何のクスリー?」
「くくく…見てろ」
リーダーは不敵な笑みを浮かべると、薬を持つのと反対の手をポケットから出した。
そして、次の瞬間…
『っ!?!?』
その手からバチンと雷を弾けさせたではないか。
静電気なんてレベルじゃない。
目に見えた光の筋は誰かが遊びで弄っていたスタンガンのようで、それなのに当の本人はケロッとしている。
ここから見る限り手には火傷の一つもなく、痺れている様子もない。
だから、手品かと誰もが思った。
しかしそんなウチらを嘲笑うかの如く笑みを深めたリーダーは、予想もしていなかった言葉を紡いだんだ。
「…これはな、一般人でも能力者と同じような力を使えるようになるっつーブツだ」
「なっ…!?」
「の、能力者すか!?」
「マジで…言っとるん?」
ざわめきが波のように広がっていく。あっという間に時化た海のようになった周囲に劣らず、ウチの心も白波が立つ。
能力者と同じような力…?それがあれば、ウチも二菜と"同じ"になれる…?
期待、猜疑、恐怖、歓喜…感情がぐちゃぐちゃに混ざり、興奮が呼吸を浅くさせていった。
「んなバカな…」
「嘘だろ、さすがに」
「げ、現実味がねーけど…」
「いやいや、そんなうまい話…」
「でも、今のはマジ…だったよな?」
「あァ、マジだぜェ。なんならもう一回…いや、何回だって見せてやらァ!」
バチバチ、バチッ、っと電気をまとう腕を見せびらかすリーダーに、ちらほら聞こえていた嘘だなんだという声はすぐに消えていく。
残ったのは奇妙な緊張感をはらんだ空気と、それに押し潰された沈黙。
そんな中でも幹部達はさすがというか…誰もが言葉を失ってしまった世界から、彼らはいち早く抜け出した。
「こりゃ、驚いたわー…」
「見間違い、じゃないみたいすね」
「…なぁ、それ…大丈夫なブツ、なのか」
皆の疑問を代弁してくれた参謀役に目を合わせ、リーダーは自信満々に頷いてみせる。
「てめェらは、仁科製薬ってのは知ってるか?」
「そりゃ、まぁねー」
「薬局に張ってある広告とか、CMでもよく聞くっすね」
仁科製薬って…確か、そこそこ大手の製薬会社だよね。
篠ノ目製薬ほどの規模とはさすがに言えないけど、市販薬という括りならこの会社はかなり幅広く展開していた筈だ。
中でも、サプリメントなどにおいてはシェア一位をとれるくらい有名かつ信頼のあるブランドである。
何故いきなりそんな会社の名前が出てきたのか…なんて愚問だろう。
皆がまさか、という思いで再度紫のカプセルに視線が釘付けになる。
言いたいことが伝わったからか、リーダーは満足そうに鼻を膨らませた。
「てめェらの思った通り、こいつは仁科製薬が作ったっつー新薬だ。勿論まだ世間様にャ出回ってねェ」
「それをなしてボスが持っとるんー?」
「あぁ…俺ァな、頼まれたんだよ。治験ってのをなァ」
しん、と一度場が静まり返ったけれど、すぐに葉がざわめくようにひそひそと声がそこかしこから聞こえてくる。
「チケン…?」
「チケンって何だ?」
「知らね」
「あー…何だァ…ほら、アレだよアレ…な!」
「お前も分かってないんじゃないか…」
べしりべしりとリーダーに肩を叩かれながら呆れたような顔をした参謀役は、仕方ないと言わんばかりにため息を吐いた。
「新しく作られた薬が人に対してどのような効果を発揮するのか、本当に安全なのか…そういったデータを収集するために行われるものだ。これをしなければ国に薬と認められない」
「へぇー?それって病院とかでやるもんじゃないん?」
「普通はその筈だが…まぁ、モノがモノだからな。治療薬というわけでもないし」
「つまり、モルモット代わりってことなんす?」
「そこを通り過ぎた最終調整とは聞いてるぜェ。とにかく、俺ァ大金と引き換えに協力を頼まれたんだよ」
金と聞いて何人かが目の色を変える。
ここの連中は総じて欲に忠実だ。
「事情は理解したが…何故そんなことを頼まれたんだ?」
「マリーの伝だ。おい!マリー!てめェが説明しろ!」
「はいはーい」
思いもよらず呼び声のかかった友人をぎょっと振り向けば、彼女は悪戯っぽく目を細めてちろりと舌を出してみせる。
そして少しも迷いも恐れもなく仲間達をかき分けて前に出ると、リーダーの足元でいつも通り快活な笑顔を振り撒きながらチームを見渡した。
「とりま、皆おっはよー!呼ばれて飛び出てマリーでーす!」」
彼女は人気者だからそれだけでも今日も可愛いねー!と軽口が飛び交い、サービス精神旺盛に手をふって応える姿はまるでアイドルである。
北欧系の血を引いているという彼女は天然物のハニーブロンドと青みがかった灰色の目を持っていて、本当のビスクドールみたいに可愛くて綺麗だもん仕方ないね。
「えっと、薬の話だよね。実は、アタシの叔父さんが仁科で働いててさ。なんとその新薬の開発プロジェクト…?よくわかんないけど、チームの責任者なんだよねー」
「え、マジ!?」
「やば、お偉いさんじゃん!?」
「初耳だよマリーちゃーん!」
「めんごめんごー!とりま落ち着くよろしー!」
再び辺りが騒がしくなったものの、パンパンと打ち鳴らされた手によって大きくなる前におさまった。
それにしても、マリーの叔父さんかぁ。
会社員とは話に聞いてたけど、まさか有名企業のお偉いさんだったとは驚きだ。
まぁ、身内に能力者がいるウチの方が周りからするとビックリだろうけど。
勿論言いふらしたりなんてしてないから、知ってるのはマリー含めた数人だけだ。
「それでね、薬の開発に成功したのはいいんだけど…参謀っちが言ったようにモノがモノじゃん?だから大々的に人を集めるワケにはいかなくて、臨床試験っての?そういうのは社内だけでひっそり進めてたんだって」
確かに、能力者の力が手に入る薬ですなんて文言で募集かけたりしたら…大騒ぎどころじゃないね。
「大人のサンプルは社内でも十分とれたみたいよ?一応は大きい会社だしね。でも、子供…ってか若者?そのへんのデータが圧倒的に足りない!ってなったみたい」
「で、目をつけられたのがウチのチームってことらしいぜェ」
「ってか、アタシが提案したんだよね。ほら、ウチのチーム結構大きいじゃん?個別に摘まんでくるより早いし、何よりアタシの仲間なら安心って叔父さん言ってたから」
にこっと笑って締めくくったマリーの隣にしなやかに降りてきたリーダーが、彼女の小さな頭を褒めるような手つきで撫でた。
優しい目をしてるリーダーと、くすぐったそうにはにかむマリー。
そんな甘ったるい雰囲気を撒き散らす二人を他所に、チームの方は皆混乱に陥っている。
そりゃそうでしょ。
だって…冗談のような奇跡の薬が、後ろについた確かなバックによって急に現実味を帯びてきたんだから。
かくいうウチも気持ちの整理なんてまるでつかないし、頭の中もグッチャグチャだし…それこそ、二菜の汚部屋みたいにね。
「まァそんなわけで、俺ァマリー経由で薬をチームの人数分預かってる」
『!?』
に、人数分…!?
このチーム、かなり人がいるのに!?
「こいつを飲むも飲まねェも自由だァ。だが…飲めば力は手に入るし、仁科から金も出る。このクソみてェな日常から退屈しねェ非日常に向かうチャンスだ…よォく考えとけ」
そんな言葉と共に、まるで学校のプリントのように前から軽々しく配られ回されていく薬の入った小袋。
いつの間にかウチの手にもしっかり握られていたソレの毒々しい紫色が、葛藤する心を嘲笑っているみたいだ。
何を迷う?ずっとずっと望んでいた"力"が目の前にあるじゃないか?…と。
それでも足を踏み出せないでいるのは…どこか出来すぎてはいないか?と首をもたげる疑問と、漠然とした恐怖があるからだった。
「うっし、行き渡ったな?んじゃ、折角集まってんだし…なんか報告のある奴はいるか!」
イレギュラーを挟んで、けれどもすぐに変わらぬ風景と空気が戻ってきた。
そのことにひっそりと安堵の息を吐く。
そうしていつもの集会と同じくぼんやりしている内に話は終わっていて、後はリーダーのシメを皆黙って待つだけ。
世間様的には手のつけられない悪童達だけど、群れの中では大人しい…というか、従順なものだ。
「報告にもあったように、近頃見慣れねェヨソモンがウチのシマで彷徨いてやがる。何かあればすぐ連絡寄越せ」
『ウス!!!』
あー…ヤバ。報告聞いてなかったから後で誰かに聞いとかないと…マリーにでも頼もうっと。
「んじゃ、今日は祭りの前にまた集合かけっからよォ…ソレまでは寝るなり飯食うなり好きにしとけ。以上…解散!!」
『うす!お疲れっしたァ!!!』
そっか。今日…祭りの日だっけ。
確か去年は見回りを強化して、ついでに掃除もしてたんだよね。
普通のゴミから人という名のゴミまで色々と。
この様子だと、今年も同じ動きになりそうだ。
悪い事に何でも手を出して街の治安を悪化させてる張本人のクセに、こういう時だけは自警団の真似事をするんだよ、リーダーはさ。
なんだかんだ彼はこの凪祇市が大好きなのだ。
だからこそ、空き缶一つ分でも他所の者に荒らされるのは我慢ならないらしい。
なんとも儘ならない性格だと思う。
いや…それを言ってしまえば、ウチや他の連中も皆ひねくれた問題児だったわ。
リーダーが壇上から降りてその姿が見えなくなると、仲間達もまた思い思いに散っていく。
「この後どうする?」
「俺ぁ寝る」
「なぁなぁ、暇ならゲーセン行こうぜー」
「お、いいじゃん!ついでにカラオケもいっとく?」
「あ、あたし達もいくぅー」
「とりま弁当買ってくる。腹へって死ぬわ」
ワイワイと喋りながら一人、また一人と去っていく仲間を見送りつつ、ウチはふとポケットにしまった"ソレ"の感触を手で確かめた。
あぁ、ちゃんとある。
夢じゃ、ない。
すれ違いざま薬を飲むか飲まないかというやり取りが聞こえてきて、ウチの頭は再びぐるぐるかき混ぜられたように悩み始める。
力はほしい。それはもう、焦がれるくらいに。
けれどやっぱり…怖いんだ。
何か踏み越えてはいけない規制線が目の前に在る気がして、どうにも一歩踏み出すのを躊躇ってしまう。
「おーい、ヒナちー!暇ならアタシ達とぶらつかない?」
「マリー…うん、いいよ」
「やったー!」
ポケットのソレから手を離し、ウチは抱きついてきたマリーを受け止めた。




