17-3
「…プルガトリオ」
「「え?」」
拾った布地に施された刺繍の文字。
キョトンと似たような顔を浮かべた二人に分かりやすく説明するため、私はそれを一文字ずつ指を指しながらゆっくりと読み上げた。
「"布"、"琉"、"俄"、人"、"離"、"悪"…じゃないかな、これ」
「お…?おおお!!本当です!読めます読めます!確かにそう読めますよ!!お姉さん、さすがです!…って、あれ?その言葉、どこかで…」
プルガトリオ。一説に、地獄から天国へ向かう間にあり、罪を浄化する中間地点だと言われているけれど…この文字が示す"プルガトリオ"はそれではない。
「…まっておくれ、シオリ。それは、その言葉はまさか…」
さっと顔色を変えたメイリーが私を見る。恐らく同じように青ざめているだろう顔のまま、私は応えるように頷いた。
そう、それは言葉ではなく…名前だ。
「シオリ、一つ意見をくれるかい。一般人は群れ…チームという集団で、何かを揃えたがるものなのかな」
「そう、だね。全員が全員そうとは言わないけれど、仲間内でお揃いっていうのは珍しくないよ。特に暴走族とか不良の集団って仲間意識が強いし、縄張り争いがあったりもするみたいだから…服を揃えたり、揃いのアクセサリーをつけたり、何らかの形で自分の所属を示すことが多いんじゃないかな」
「あのぅ…二人とも深刻な顔で何の話をしてるんでしょう…?」
話が見えないと口を尖らせる二菜ちゃんに、この不確定要素満載な仮定を話すべきか迷う。
混乱させたり、必要以上の心配をかけてしまうのではないだろうか?
けれど、そんな二の足を踏む私の脳裏にある日の"記録"が映し出された。
ジリジリと神経を焼くようなそれは、残酷なほど鮮明に"あちら"でのワンシーンを私に思い出させる。
これはそう…どこかの外国にあった大きな街が、瓦礫に変わった時の"記録"。
"アイツ"ともう一人、その国の出身者らしい能力者が悲鳴と轟音で溢れかえった世界を見下ろして笑っていた。
《ヒューウ!Bravo!!Signorina、アッチノビルモタオレタヨ!ハデデイイネ!》
《きゃははは!虫さんがわらわらわらーっといっぱい蠢いてますね!昔行ったテーマパークみたいです!》
《Immagino!コーユーノ、オマツリサワギッテイウンデショ?ニホンノFestivalタノシソー!》
《…お祭り?》
瞬間、それまでケタケタと一緒になって笑っていた"アイツ"からごっそりと表情が抜け落ちる。
オセロでもひっくり返したような急変に、もう一人は不思議そうに目を瞬かせた。
《お祭りなんて…嫌いです。大っ嫌いです》
《オヤ、ソウナノ? イガイダネ》
《だって、だって…"あの子"が死んだのは、お祭りの日でしたから。思い出の神社で…楽しそうにはしゃぐ虫さんと耳障りなお囃子の裏で、"あの子"は二菜の側からいなくなった。それなのに、それなのに!!皆笑ってるんですよ!?許せない。許せるワケがない!だから…祭りって、気が狂いそうなくらいムカつくんです》
ズンと空気が重くなり、華奢な背中からは凄まじい怒気が流れている。
しかしもう一人はそんな"アイツ"の怒りなどこれっぽったも気にした様子もなく、軽くヘーソーナンダーと流して再びケタケタと笑うだけ。
《ジャ、サッサトイライラノモトヲダマラセヨッカ!Ehi、"キロクシャ"!チャント"キロク"シロヨー》
武器を構え、意気揚々と街にとどめをさすべく降りる二人を舌打ちで見送った…ところで私の意識は現実に帰る。
二菜ちゃんにもメイリーにも不審な顔はされていないから、実際には数秒の空白にしかなっていないのだろう。
"あの子"が死んだのはお祭りの日だ。
"アイツ"はそう言った。
今日はお祭りがあるのだ。
二菜ちゃんはそう言った。
怪異騒動といい、あまりにもタイミングが良すぎるこれらは…果たして無関係だと片付けることが出来るのだろうか。
ここまで重なるとこう思わずにはいられない。
もしかして、これが…これこそが、"アイツ"の『ソノヒ』にあたるものなんじゃ…と。
ドクンドクンと嫌な予感に騒ぐ心臓を抑えながら、私は出来る限り冷静を装って二菜ちゃんを見た。
そして、迷いを残しながらもそっと口を開く。
私とメイリーが思い当たってしまった可能性を、彼女に気付かせるために。
「…ねぇ、二菜ちゃん。弌菜ちゃんが一緒に遊んでるっていう友達の話、覚えてる?」
「え?あの、危ない不良さん…ですか?」
「そうだね。さて二菜、思い出してごらん。妹君がつるんでいるその不良チームとやらの名前を」
「むむむ…確か、じーちゃん達はぷるがとりお?って…え?…あれ?」
オリジナルっぽいデザインのマークが印された揃いのバッジを持つ被害者達。
弌菜ちゃんが一緒にいる不良チームの名前と同じ音で読める刺繍が施された服の残骸。
もしこれらが結び付くのだとしたら…それは、つまり…
「そ、んな…まさか、ただの偶然…ですよね?」
「判断材料が少ないからあくまでも仮説に過ぎないし、あまりボクは不確かな事を口にしたくはないけれど…何らかの理由で怪異が故意にそのチームとやらの人間を狙っている可能性はゼロじゃないだろうね」
「…っ!?…弌菜っ!!!」
飛び出そうとした二菜ちゃんの腕をメイリーがすかさず掴んで止める。
ギロリと見たこともない激情を湛えた瞳が彼女を睨み、腕を振り払おうともがくけれど…その手が離される気配はまるでない。
手負いの獣が如く噛み付きそうな顔をする二菜ちゃんだが、メイリーはそれに気圧されることもなくただただ静かに凪いだ声を紡いだ。
「落ち着きたまえよ」
「…!!こんなの、こんなの!!落ち着いてなんかいられませんよ!!離してください!!離して…っ!!弌菜を、弌菜を探さなくちゃ…っ!!!」
「がむしゃらな行動で妹君は見つかるのかい?心当たりでもあるのかな?」
「そ、れは…!」
「それじゃあ見つかるものも見つからないよ」
メイリーの正論に二菜ちゃんはぐっと押し黙る。
焦りと恐怖でごちゃ混ぜになっている彼女の様子はとても冷静とは言い難いけれど、理性によるブレーキは辛うじてきいたらしい。飛び出さんと力の入っていた足と、メイリーを振り払おうとしていた腕から緩やかに力が抜けていった。
「じゃあ…じゃあ、どうすれば…いいんですか?どうすれば弌菜を…」
「…私の"広域記録"じゃ、ダメかな…?」
あまりに必死な二菜ちゃんの力になりたくて思わず呟いた提案はしかし、当の本人に首を横に振られてしまう。
「すみません…二菜、周りとかほとんど気にしたことないので…景色だけじゃたぶん、どこだか分からないです」
「そ、そっか…」
「何よりシオリ、貴女はこの凪祇市全域に能力を使うつもりなのかい?さすがにそんな無茶は許可出来ないよ」
「うぐ…」
四恩さんに言い付けると付け加えられれば、私は何も言えずに肩を落とすしかなかった。
そもそもメイリーの言う通り、この凪祇市全域に能力を使うなど現実的ではない。
合宿地や孤児院とは規模が全然違う。
脳が処理落ち…どころかパンクして廃人になりかねないのだ。
「お姉さん、ありがとうごさいます!…そのお気持ちだけでも、凄く嬉しいですよ」
出来もしないのに余計な提案をしてしまった事に落ち込んでいると、二菜ちゃんに励まされてしまった。
一番余裕が無い筈の彼女に気を遣わせてどうするんだ、私の大馬鹿。
「そうだ!メイリーさんの鼻はどうです!?弌菜の匂い、辿れたりしませんか!?」
「うーん…さすがに本物の狼のようにはいかないからね。時間が経っているだろう匂いだと難しいのが正直なところだよ」
弌菜ちゃんが家を出たのは朝の早い時間。
今はもう昼過ぎだし、確かにそこそこの時間が経ってしまっていた。
しかし申し訳なさそうに眉を下げたメイリーはすぐにただ、と続ける。
「一つ…妹君を探す方法がある」
「方法…?」
「ほ、本当ですか!?ど、どどどどどうすれば良いんです!?二菜、何でもやれます!!」
「まぁ、落ち着いておくれ。たぶんもうじき…」
ビー!ビー!ビー!ビー!ビー!…
「「わっ!?」」
「…やはり、来たね」
二菜ちゃんとメイリーの端末がけたたましいアラートを鳴らした。
ぎょっと肩を跳ねさせた私達とは違い、まるで待っていたかのような反応をみせるメイリーを不思議に思いながら、私は二菜ちゃんが開いた端末の画面を覗き込む。
そして、息を飲んだ。
簡易マップ化された凪祇市周辺の地図の上。
怪異を示すらしい赤いポインタが、一つ、二つ、三つ四つ五つ…とどんどん増えていくではないか。
「嘘…か、怪異が…」
「な、何ですかコレ!?こんな大量発生、見たこと無いですよぅ!?」
「ふむ…状況からして続くとは思っていたけれど、まさかここまで大量に、しかも一気にくるとはね。一体どんな怪異が元凶なのやら…」
「メ、メイリーさん!?こ、こんな…どうしましょう!?」
「あぁ二菜、貴女は討伐をしなくて構わない」
「え!?えええええ!?な、何言ってるんですか!?」
突然の指示に目を白黒させた二菜ちゃんは、心底納得いきません!と言葉を張り付かせたような表情でメイリーに詰め寄った。
それに苦笑を溢しつつ、彼女は話を続ける。
「まぁ聞いておくれ。これだけの怪異に対処しつつ妹君を探すなんてまったく現実的じゃないだろう?」
「それは、そうですけど…」
「だったら討伐をボクが、人探しを二菜が…と役割を分けた方が効率がいい。二菜、しらみ潰しに怪異の出現したポイントを回ってごらん。もし本当に怪異の狙いがプルガトリオというチームなら…どこかで妹君も巻き込まれている可能性が高い」
そこまで聞いて、先ほどメイリーが言っていた弌菜ちゃんを探す方法というものが見えた。
「そっか…怪異を示すポインタが、そのまま弌菜ちゃんの居場所の手掛かりになる…!」
「シオリ、ご明察。その通りだ」
後手に回らざるを得ない危険な方法かもしれないけれど、他に手掛かりが無い以上悩んでなどいられない。
こうしている間にもポツリポツリと怪異は増えているのだから。
「で、でもでも!それじゃあメイリーさんの負担が大きすぎます!」
「なぁに、気にしないでおくれ。久夜の同期と警邏隊長という肩書きは伊達じゃないさ」
自分を頼れと堂々たる様子で、しかし決して威張るわけではない自然さで言い放つメイリーに胸の奥がじんと痺れる。
真正面から格好いいと思った。
あぁ、やっぱり凄いなこの人は。うっかり惚れてしまいそう、なんて。
「二菜、今はボク達の事などどうでもいい筈だよ。ただ素直に、貴女が守るべきものを守るんだ。いや…必ず守っておくれ」
「…っ!わかり、ました…!怪異はお願いします!」
「任されたよ。さ、行っておいで」
「はい!!」
やはり焦りも不安も恐怖も見えるけど、二菜ちゃんの瞳に先ほどまでのどんよりした絶望感はなく、絶対に弌菜ちゃんを見つけるのだと強い光りに満ちていた。
メイリーの心強さに支えられて波立っていた心が少し安定したのだろう。
「さて、シオリ」
瞬く間に走り去った彼女を見送り、メイリーは次に私へと目を向ける。
「貴女は安全な場所…そうだな、二菜の家の方には反応が無いみたいだから、そちらへ避難していておくれ」
「え、あの…」
「い、い、ね?」
柔らかくはあるものの否を認めない声でそう告げて、こちらの返事も待たずに彼女もまた視界から消えた。
…うん。見事においていかれたね。
いや、分かってたよ?こうなるって分かってはいたけどさぁ…
メイリーには、私がおとなしく引っ込んでいるタイプに見えたのだろうか。
「そんなわけ、ないのにね」
ギリッと悔しさが奥歯を鳴らす。
確かに、これがただの怪異騒動なら仕方無いかと無力を嘆きながら引き下がったのかもしれない。
けれど、これが二菜ちゃんの『ソノヒ』なのだとしたら…一度そう考えてしまったら、嫌な予感に駆り立てられた私は安全な場所で様子見なんてとても認められなかった。
守られる側の責任というメイリーからのお言葉を、転がっているダストシュートに放る。
動こう。私なりに。私に出来る方法で。
そもそも人手が足りないと言ったのはメイリーだ。なら、使えるものは司書の手でも使わないとでしょ。
なんて、言い訳を連ねたところで仕方無いんだけど。
「でもなぁ…動くと決めても手掛かりがないんだよね」
今回、私に地の利がない以上"広域記録"は使い物にならない。
…というか、使ったら反動(四恩さんの説教)が怖すぎる。
祈ちゃんや七尾さんの時のようにこれが過去、ニュースの一つにでもなっていれば有力な手掛かりになり得るんだけれど…残念ながら私の記憶にはそれらしいものはなかった。
でも、それって不思議だ。
いくら怪異が一般人には見えないとはいえ、こんなに大規模な集団発生が起きていたなら騒がれていてもおかしくない筈なのに…
『ソノヒ』と考えるのは早計なのかな?いや、違うなら違うでいいのだけれども。
ただ、弌菜ちゃんのピンチには変わりない。
早く見つけないと。
この八方塞がりに近い中、他に手掛かりがあるとしたら…
「…あ。そうだ。いるじゃん」
見つけた。思い出した。
いるじゃないか、手掛かりになり得る人物が…!
《知ってる…俺は、知ってるぞォ!!お、お前は…実の妹をその手で殺したんだってなァ!!》
《違う!!あれは違うんだ!!あれは、"あの子"じゃなかった!!二菜が殺したのは"あの子"じゃない!!だって…"あそこ"には、怪異しかいなかった筈なんだ!!!》
そう、"アイツ"が…当事者が!
思い出せ、綴戯栞里。何か、何か"アイツ"は…『ソノヒ』の事を語っていなかったか?
どこで"あの子"に手を掛けた、とか。
どこで悲劇を起こした、とか。
お喋りな"アイツ"は喋っていなかったか?
思い出せ、思い出せ…
「…っ、う"ぷ!」
頭の中の書庫でいくつもの本が開き、いくつもの映像が映し出されていく。
今までは自ら進んで手を伸ばすことなどなかったそれらは積もった埃をあっさり吹き飛ばし、まるで待っていましたと言わんばかりに容赦なく地獄を私に流し込んできた。
大量の死と、悲鳴と、怨嗟と、絶望と…
「ぅ…!っ…ぐ……ヴぇ!」
せり上がる胃液を耐えきれず路地裏の隅にぶちまけると、血臭の生臭さに吐瀉物の酸っぱい臭いが混ざりあって…その気持ち悪さがまた胃をひくつかせる。
嫌だ、見たくない。
精神はそう悲鳴を上げ、冷静な私がもうやめておけと首を横に振る。でも、思うのだ。
こんなものを。こんな絶望を…もう一度現実で見てしまうのとどちらが嫌だろうか?と。
「…絶対に止めてやるんだ。それが…私のっ、復讐だろ…!」
ぐらつく己の精神をそう叱責して奮い立たせた時、漸く私は一枚のページを掴み取った。
《だって、だって…"あの子"が死んだのは、お祭りの日でしたから。思い出の神社で…楽しそうにはしゃぐ虫さんと耳障りなお囃子の裏で、"あの子"は二菜の側からいなくなった》
「見つけた…!二人の、思い出の…神社!」
"アイツ"はそこで弌菜ちゃんを失った。
"アイツ"が殺しただとかどうだとかはこの際置いておくとして、弌菜ちゃんの死を間近で見ていたのは恐らく間違いない筈。
だとしたら…きっと、そこにいる!
私はすぐさま二菜ちゃんに連絡をとるべく通話をつなぐ。
しかし、五コール,十コール…といくら端末を鳴らしてみても、かけ直してみても、通話が繋がる気配はなかった。
たぶん、今の彼女には気にしている余裕もないのだろう。
とはいえ、困ったな…
私が向かうにしても、さすがに"思い出の神社"がどこであるかは分からない。
誰か他に神社の事を知っていそうな…
「あ!そうか!二人のおじさいんとおばあさんなら…神社の事、分かるかもしれない!」
思い付くと同時に…それこそ私が意識するよりも早く足が二菜ちゃんの家の方へ向きを変え、歩き慣れたわけでもない道を記憶を頼りに突き進んでいく。
途中の大通りで何度も人にぶつかってしまったけれど、言葉だけのおざなりな謝罪を重ねながら休む間もなく足を動かした。
早く、早く、早く、早く…!
早く動け、私の足!!
自分の体力の無さを心底恨みながらやっとこ彼女の家にたどり着いた時にはもう、膝がガクガクと笑い、心臓は胸から飛び出しそうな程に跳ねていた。
喘ぐような呼吸を繰り返すというなんともみっともない有り様を晒していると、たまたま外に出ていたらしいおじいさんとおばあさんがぎょっと目を見開く。
「「あンれまぁ!?どうしたんだい!?」」
あぁ、大層驚かせてしまった…申し訳ない…
「ぜぇっ…ひぃ…っ…あ、の……ぜぇ」
「これ、落ち着くんじゃ。ワシらは逃げたりせんからのぉ。ほれ、ゆっくり、ゆっくりじゃ」
汗でびしょびしょだろう背を撫でるおじいさんの声に合わせて何とか呼吸を落ち着かせる。
とにかく家に上がって休みなさいと言ってくれるおばさんの気遣いを断り、私は米神を何本も伝っていく汗もそのままに口を開いた。
「あ、の…二菜ちゃ…達、が……よく行っていた神社……っ…知って、ますか?」
「はて、神社…?」
「…あぁ!あそこですよお父さん。ほら、隣町の…」
「おぉ、おぉ!海間坂神社か!」
「海間坂…神社…?」
「懐かしいねぇ。あの子らがまぁだこんなに小さくて、毎日毎日飽きもせず"くまがみね"ごっこ…なんて遊んでた頃、その神社を秘密基地にしててねぇ」
「当時はワシの職場の通り道だったものだからのぉ、いっつも日が暮れてワシの仕事が終わるまで遊んどったわい」
昔を懐かしむような暖かな声の傍らで、私は端末の地図アプリでその神社の場所を探す。
隣町の、海間坂神社…あぁ、見つけた。
「けどねぇ、今はそこを通るバスもなくなって、あの子らもあんな調子で…もう随分とその名前を聞かなくなったものさね」
「え、バス…無いんですか?」
「何年か前にのぉ。電車が通って便利になってからは、使う人がおらんかったんじゃ」
バスがないと聞いて、せっかく引いてきた汗が焦りからまた滲んでくる。
地図を見るかぎりとても私の足で行ける距離じゃない。たぶん、日が暮れる。
最寄りの駅からならまだ行けなくもないが、時刻表を見て諦めた。田舎の電車は一時間か二時間に一本走れば良い方だもんね…
どうしよう、どうすれば良い?どうすれば、間に合う…?
二菜ちゃんには相変わらず連絡がつかず、かといって一人で大量の怪異を相手にしているメイリーを確証のない情報で振り回すわけにはいかない。
今動けるとしたら、私なのだ。
でも…私には彼女達のように自ら道を切り開けるだけの力も足も持っていない。
こうなったら危険に巻き込むことを承知でタクシーを頼るしかないか…いや、でも…わざわざ怪異がいるだろう所になんて…
利己的な考えと良心がせめぎあう中、ふと私の目に一つの連絡先が飛び込んできた。
「…門倉、くん」
そうだ、『転移』の能力。
もしそれが今、使えるとしたら…!
私はすがるような気持ちで呼び出しボタンをタップする。
一コール、二コール、三コール…ピッ。
[はぁい、こちら門倉でぇす。綴戯さんどうかしましたぁ?]
鼓膜を震わせた気の抜けるような声に、画面に映し出されたのんびりとした顔に、自分の中で張り詰めていた何かがぱつんと切れ…思わず足の力が抜けてその場に座り込んでしまった。
おじいさんとおばあさん、そして門倉くんの焦ったような声を聞きながら鼻をすする。
安心なんてまだ早い、早すぎる。
涙腺緩ませてる場合じゃないだろ、綴戯栞里。
[あの、綴戯さぁん?大丈夫…じゃないですよねぇ?何があったんですかぁ?]
[ばうば?ばうばばば?ばう、ばうー?]
端末に顔を近付けたのか、垂れ目を更に下げた門倉くんのアップが画面をいっぱいにした。
その表情と声音、そして隙間から聞こえるみにばうくんの心配そうな鳴き声に胸がチクリと痛む。
刺さるのは罪悪感。
二人をこんなに心配させてしまっていることには勿論、まだ体調が万全ではない門倉くんを頼ろうとしている自分が不甲斐ない。
私は、なんてずるいのだろう。でも…
〈僕はあなたの望むまま、どこへだってお連れしてみせます〉
あの時の言葉が、今希望だった。
「門倉くん…ごめん、ごめんね…」
[綴戯さん…?]
「…っ、連れていって欲しい場所が、あるの…!無茶を言ってるのは分かってる!門倉くんの体を考えたら、頼るべきじゃないのも分かってる!でも…お願い…っ!!」
なんとも情けない懇願だ。
端末の向こうで門倉くんが息を飲む音が聞こえ、気まずさに閉じてしまっていた目をそろりと開ける。
呆れているだろうか。
そんな心配をした私はしかし、画面越しに見えた彼の表情に虚を突かれることとなった。
〔んふ、ふふふ!〕
「門、倉くん…?」
〔ふふ!んふふふ!〕
笑っていたのだ。
紅潮した頬と熱した飴のように甘くドロリと溶けた目とどうしようもなく緩んだ口で…門倉くんは笑っていた。
それは嘲笑でも苦笑でもなく、間違えようもない…歓喜の色。
嬉しくて嬉しくてたまらないのだとはしゃぐ子供のような感情が、彼から滲み出ているのである。
〔んふふ、僕を…僕をちゃあんと頼ってくれるんですねぇ!あはぁ!嬉しいなぁ!〕
「え、ちょ…」
普段の気だるさはなりをひそめ、マオちゃんや瀬切くんといた時ですら見たことがないくらいにテンションを上げている門倉くんに混乱を禁じ得ない。
いや、だって、私は彼を"使おう"としているんだよ?普通なら嫌がるところだよね??
それに、休んでいるところを引っ張り出そうとしているわけだし…これっていわゆる休日出勤では?私なら嫌だよ。
そんな、自分が嫌なことをお願いしてるのに…目を擦ってみても彼は笑顔のままなのだ。
〔申し訳ないって思ってそぉですよねぇ、綴戯さんはぁ〕
「え!?か、門倉くんエスパー!?」
〔んふ!顔を見れば分かりますよぉ。でもぉ、綴戯さんは申し訳なく思う必要なんてこれっぽっちもないんですよぉ。だってぇ…むしろ逆なんですからぁ〕
「逆って…迷惑じゃ、ないってこと?」
〔はぁい!迷惑どころか…僕はあなたの役に立てるのが嬉しくて堪らないんでぇす!〕
くふくふと収まりきらない感情を漏らすように笑う門倉くんは、とても嘘を言っているようには見えない。
人の役に立てて嬉しいという気持ちは分からないでもないけれど…これは、そんなちょっとした幸福感を飛び越えた別物だ。
まるで、そう…主の為に尽くすことを喜ぶ臣下みたいに。
うーん…形だけの主従の筈なのに、どうしてなのだろう?これもまた能力者の性質、とか?
疑問は尽きないし、居心地は悪いし、罪悪感もぬぐえない。
けれど…とりあえず今は快い返事をありがたく受け取っておくことにしよう。私の感情云々より時間が惜しい。
「…ありがとう、門倉くん。なら、改めてお願い…連れていって欲しいところがあるの」
〔んふふ、かしこまりましたぁ。それで、どこに行きたいんですかぁ?〕
「隣町にある神社なんだけど…近くに門を持ってたりするかな?」
〔隣…あぁ、海間坂神社ですかぁ?それなら近くの公園に門を作ってありますよぉ〕
「本当!?」
あっさり返ってきた肯定に、思わず前のめりになる。
まさかこんなに都合よく門があるなんて…と、思ったけれど、案の定裏があった。
〔勿論!だって僕、事前に一ノ世さんに連れ回されて…あなたの滞在先周辺に門作りまくりましたからぁ〕
「は?一ノ世…!?」
〔はぁい。何でも、綴戯さんはトラブルメーカーだから、何か起きてもすぐ動けるよう備えとけって言われましてぇ。あの人、病み上がりでも容赦なかったでぇす〕
「ぐっ…なんか、ごめん…!!」
でも弁解させて欲しい。
私がトラブルを作ってるんじゃなくて、トラブルの方がやぁ!と片手を上げてやって来るんだよ!!呼んでもないのに!!
だから私はトラブルメーカーじゃない!!
だいたいさ、大元を辿れば私を何処其処に行けって送り出したり、私の予定を勝手に決めたりしてトラブルにドンピシャぶつけてくるのって一ノ世じゃん!
…なんて、門倉くんにあたっても仕方ないので、文句は心の中だけで留めてきゅっと口を結ぶ。
〔専属になってすぐ今までの門を消しといて正解でしたぁ。空き容量足りなくなってパンクするところでしたよぉ〕
「門って、そんな作ったり消したり出来るものなんだね…」
〔そうですねぇ。他の『転移』の事はわかりませんけどぉ、僕なら地図の上に画鋲を刺したり抜いたりする程度の感覚ですよぉ〕
「そっか…負担にならないなら良かったよ」
のんびりと気負いない様子にホッと息を吐く。
私の専属になったからと無理させていたらどうしようかと思った。
〔んふふ、心配症ですねぇ。…さて、すぐにでもお連れできますが、綴戯さんは今、どちらにいらっしゃいますかぁ?〕
「えっと、二菜ちゃんの家の玄関先だけど…」
〔熊ちゃん先輩の家ですねぇ。了解でぇす。よっ……と」
いきなり肉声になった声に驚いて振り向けば、そこにはもう門倉くんがいて…画面越しと変わらないふわふわとした様子で手を振っているではないか。
あ、二菜ちゃんのおじいさんとおばあさんが驚いて固まってる…
そりゃ、何もない所からいきなり人が出てきたら普通驚くよね。すみません。
…あれ?門倉くんが直接ここに門を持っていたなら、最初から彼に頼めば初日のような迷子にならずに済んだのでは?
ま、まぁ過ぎたことだし?おかげであの時弌菜ちゃんとのファーストコンタクトが出来たワケだから良いのだけれど…少しばかり複雑である。
…弌菜ちゃん。そうだ、変なところを気にしている場合じゃない。早く見つけてあげないと…!
「綴戯さぁん、準備は大丈夫ですかぁ?」
「うん、いつでも行けるよ!門倉くん、お願い」
「はぁい!仰せのままにぃ」
わざとらしい仕草で差し出された手に己の手を重ねて一歩足を踏み出すと、背中に行ってらっしゃいと声がかかる。
振り返れば、話が見えずに困惑した様子を残しながらも私を案じる四つの瞳があった。
生を刻んだ皺に埋もれながらこちらを見つめるそれに、改めて決意する。
「はい、行ってきます!"皆で"帰ってきますね!」
ここから先で何が起こるのかはさっぱり分からないけれど、絶対に弌菜ちゃんを守ってみせよう。
そんな思いを胸に、私は門倉くんと『転移』の門をくぐったのである。




