17-2
「改めて見ると結構沢山お店があるんだね」
「はい!元々はそうでもなかったんですけど…海水浴客様々って感じです!」
今日も今日とて、街の大通りは海に向かう大勢の人々で溢れていた。
祭りがあるからか昨日よりも賑やかかもしれない。
飾り付けられた提灯の下を軍隊もかくやという風に並んで同じ方向へ進む人波。浮き輪やら何やら付属品も多いのに、よく皆ぶつからないものだと妙に感心してしまう。
たまにその隙間を縫ってすいすいと逆走する人も見かけるけれど、慣れた感じからして地元の人だろうか。祭りの準備に奔走しているのかもしれない。
歩道も満杯なら道路も道路でみっちりと車で埋まっている。
途切れることのない列の遥か後方は蜃気楼でぐにゃりと歪んでおり、周囲の気温の高さを物語っていた。車の排気で余計にだろう。
窓から体をはみ出させた運転手の一人は進まぬ列に苛立ちを見せ、また別の誰かは煙草をふかしては通行人に嫌な顔をされている。
昔の私なら人口密度にグチグチと文句を言っていただろう光景でも、今となってはこうやって人々を見ているだけで案外面白いものだ。
「あ!お姉さん、お姉さん、あそこに行きましょう!」
「わ、二菜ちゃん!?はぐれるから走らないで…!」
たたっと小さな体が人々の間をくぐり抜けていくのを慌てて追いかける。ここではぐれたりしたら洒落にならない。
二,三度通行人にぶつかってはおざなりな謝罪を繰り返し、人の海を抜けた先にあったのは大通りからそれた細い通り。
ワープでもしたのかと疑うくらいに大通りとはまるで様子の違うそこは、こぢんまりした店やシャッターの降りた店の目立つ何となく古臭い道だった。
きっと大通りが出来て寂れてしまった通りなのだろう。
それでも、一,二本道が違うだけでこんなに変わるものなのか…
人が少ないおかげもあって、二菜ちゃんの姿はすぐに見つかった。
『ふぁんしぃしょっぷカナヱ』と掠れたインクで書かれたレトロな看板をぼんやり見上げる彼女に並ぶと、懐かしそうに目を細めているその表情がよく見える。
「…ここ、昔からある雑貨屋さんなんです」
「パッと見駄菓子屋かと思ったけど…そっか、雑貨屋なんだ」
「駄菓子もありますよ!ここには…弌菜とよく来たんです」
何となく、寂しさの混じる表情から察してはいたけれど…やっぱり、弌菜ちゃんとの思い出の店なんだね。
居間の写真に映っていた女の子達が仲良く手を繋いで店に入っていく姿を思い浮かべながら、ガラガラと硝子戸をスライドさせた二菜ちゃんに続いて店内に足を踏み入れた。
蚊取り線香の香りが混ざった冷えきっていない生ぬるい空気が出迎える。
私の城である図書室に似て時間が停滞したかのような店内は、昔懐かしい駄菓子のコーナーが1/3程を占め、その奥に可愛らしい雑貨のコーナーが広がっていた。
入り口から少し入った正面には、白髪を丁寧にだんごに結った老婆がちょこんとカウンター越しに座っている。お人形さんみたいだ。
ゆらゆらと頭が上下しているけれど…まさか居眠り中だろうか。
不用心とは思うものの、同時に仕方ないかと納得してしまう。
そのくらいこの空間は落ち着くのだ。
無駄に入っていた力が木造に吸いとられていく感じがする。
すごいな…タイムスリップでもしているみたい。
だって、飾りなのか現役なのかは分からないけれど黒電話まであるんだよ?博物館とか記念館でしか見たことない代物である。
「おばあちゃん!お邪魔しますよぅ!」
少しボリュームを抑えつつ二菜ちゃんがカウンター越しに声をかけると、ぴくんと動いた老婆は歴史を刻んだ顏から細く瞳を覗かせた。
「…あんれ、もしかして鳥羽添さんとこの弌菜ちゃんかね。久し振りだねぇ」
「ぶぶー!今日は二菜の方ですよぅ、カナエおばあちゃん!」
「あんれまぁ、二菜ちゃんかぇ。二菜ちゃんも久し振りだねぇ…おんや?そちらはお友だちだか?」
優しげな瞳に誘われるように足を数歩進め、おばあさんの前で小さく頭を下げる。
それは、私なりの答えのつもり。
「はじめまして。お邪魔してます」
「はい、はい、はじめまして。ずいぶん可愛らしいお嬢ちゃんだべさぁ。大したもんはないけっど、ゆっくりしていきんさいねぇ」
くしゃっと皺を更に深くして笑うおばあさんに胸の奥が暖かくなる。
初めましてだというのに凄い安心感。
あれ?私ってば実家に帰ってきたんだっけ?と錯覚しそうだ。
ふと、くふくふと漏れ出るような喜色をはらんだ笑い声が聞こえて二菜ちゃんを見ると、彼女は何故か頬を上気させながらゆるゆるに蕩けた顔をしていた。
「に、二菜ちゃん…?どうかした?」
「きゅふ、ふへへ…!あの、お姉さんが二菜の友達って事を否定しないでくれたのが嬉しくて…!」
噛み締めるような台詞に心臓が締め付けられたような心地になる。
そんなことで、と他人からは言われるだろう理由で彼女が喜んでいるのは…曖昧な私のせいなのだから。
「否定なんてしないよ。…するわけがない。まだ勇気は出ないけど、私は…二菜ちゃんとちゃんとした友達になりたいんだから」
「その言葉だけでも嬉しいです!二菜はいつまででも待てますから!」
言い切って、だだっと奥の雑貨コーナーの方へ行ってしまった彼女の背と自分の手を見比べる。
己の意思とは関係なく僅かに震える指先に奥歯をギシリと噛み締めた。
まだ、ダメ。
こんな様子じゃ二菜ちゃんに気を遣わせるだけだ。そんなの、私は望まない。
だから…絶対に"アイツ"の"記録"を乗り越えてみせるよ。
ふと視線を感じて、自分の手から顔を上げる。
横目に見えたおばあさんの暖かな眼差しが全てお見通しだと言いたげで、それでも全てを許してくれるようで…私は少しの気まずさを覚えながら店内を見るべく足を進めた。
女の子が好みそうなパステルカラーの小物やキャラクターのあしらわれた文具。
手軽なお値段でありながらお洒落で可愛らしいアクセサリー。
美味しそうなお菓子を象ったキーホルダーや、ゆるい顔をした動物のぬいぐるみ。
こういう店は久し振りだな。
まるで童心に返ったように心がムズムズして、あれもこれもと目移りしてしまう。
昔親友とお揃いで買ったキーホルダーにそっくりなものを見つけて目が潤んだのは内緒だ。
けれど、どうして二菜ちゃんはこのお店を選んだのだろう?
他にもお店は色々あったし、大通りの方にも若者ウケが良さそうな雑貨屋があった気がする。
確かに思い出深くはあるのだろう。
おばあさんの顔を見たかった、あるいは顔を見せたかったというのも分かる。
でも、迷いなく店の奥へ向かった彼女には別の目的がある気がするのだ。
さほど広くもない店内を少し探せば、ある棚の前でしゃがみこんでいるその姿はすぐに見つかった。
じっと動く様子がないところを見るに、お目当ての物がそこにあるのだろう。
商品を手にとってはうんうんと悩んでいる二菜ちゃんに近付いてみると、おばあさんが書いたのかPOPと呼ぶには些か達筆過ぎかつシンプルなソレが目に入る。
「"くまがみねこぉなぁ"?」
「…あ!お姉さん!何か良いものありましたか?」
「うん。こういう雑貨屋さんって久しぶりだから、どれも可愛く見えて困っちゃうよ」
いくつか品の入った小さなかごを持ち上げて見せると、気に入ってくれて良かったと彼女は笑った。
「それで、二菜ちゃんは何を見てたの?」
「はい!二菜は"くまがみね"グッズを見てました!ここにはいつも掘り出し物があって…ネットでも中々お目にかかれないようなレアグッズがもりもりなんですよ!」
少し体をずらしてくれた彼女の向こうには、成る程確かにコーナーと銘打つに相応しい程種類豊富なグッズがズラリと陳列されている。
棚を丸々一つ占領する様子は某アニメグッズ専門の店顔負けで、レトロさの漂う店の中では中々に浮いていた。
私は好奇心のままにどれどれと覗き込む。
アニメのワンシーンが使われた缶バッジ、ややデフォルメされたキャラクターのラバーストラップ、クリアファイルや下敷きに、ご当地くまがみねなるキーホルダーまである。
他にもブラインド仕様になっているコレクターなら箱買い一択だろうアイテム各種や、イラストが散りばめられた文具やアクセサリーまで選り取り見取りだ。
既に放送終了した、しかも教育テレビの番組枠で放送されていたという有名とは言い難いアニメでありながらこの品数…素直に凄いと思う。
「ほほっ、驚いたべ?この辺りじゃもう、取り扱ってるのはウチの店くらいだぁ」
ほこほこと笑う声が背を叩く。
カウンター越しと言うには近いその声に驚いて振り向けば、いつの間にそこにいたのかぱたぱたと棚の埃を叩くおばあちゃんが三歩程後ろで笑っていた。
その目はくまがみねコーナーの方を向いて懐かしそうに細められている。
「ウチの息子が初めて仕事をもらったのがこのアニメでねぇ。その縁もあって、定期的にグッズの在庫ば引き取ってるだよ。あの子の原点だから、少しでも世に出してあげたくてねぇ」
「成る程…それでこの品揃えなんですね」
「ほほっ、まだ店さ出してないグッズは沢山あっど。誰かさん達の顔が少しでも長ぁく見たくてねぇ…ちっとずつ出してるだよ」
「本当ですか!?ぐぬぬ…長生きしないと…!」
おばあちゃんってば中々に策士だったらしい。まんまと二菜ちゃんが乗せられてる。
「何事も縁さねぇ。息子の足掛けになっただけでなく、こぉんな可愛い常連さんも連れてきてくれて…"くまがみね"にゃ、感謝してるべさ」
「常連…二菜ちゃんと弌菜ちゃん、いつ頃から来てるんですか?」
「そりゃ、こぉんなちっちゃくてよちよち歩きん時から毎週のように来てくれてっど。もう孫みたいなもんさねぇ。んま、今は昔ほど来てはくれないけんど」
「うぐ…」
「ほほっ、冗談だべさ。たまにでも来てくれるだけでオラは嬉しいだよ」
細めた眼に懐古の情を乗せ、おばあちゃんはまた別の棚を掃除すべく離れていく。
引き摺るような足音がBGMもない静かな店内に響くのを聞きながら、私は再度くまがみねコーナーに目を向けた。
ちゃんとアニメを見たことはないはずなのに、キーホルダーに描かれたキャラクターの姿を見ていると何故か懐かしさが込み上げてくるのだから不思議なものだ。
たかが数回、チャンネルをいじる合間に見た程度でも人の記憶にはちゃんと残るものらしい。
「…あれ?このキャラは……?」
ほとんどがくまがみね…つまり熊がモチーフの商品だけれど、たまたま手に取ったキーホルダーの隣に全く違うキャラクターがいることに気付いた。
青みがかった丸っこいボディーに、それで飛べるの?と聞きたくなる程小さな羽、そして某暗殺者を彷彿とさせる立派な眉がぺとりと貼り付いている。
これは…鳥、なのかな?
「あ!それはトリトウさんですよぅ!」
「トリトウ…さん?」
「はい!くまがみねの相方的な存在で、一緒に旅をしている鳥さんです!くまがみねに次ぐ第二位の人気キャラなんですよぅ!」
どこか目付きの悪い…というかやたらと顔の濃いそのキャラクターは、頓珍漢な事をしでかすくまがみねのお目付け役といった役どころらしい。
「くまがみねをコラー!って叱ったり、馬鹿だアホだと毒舌だったりするんですけど…トリトウさんはどんな時でもくまがみねの味方で、どんな時でも隣にいるんです」
「一番の理解者…ってところかな?」
「はい!作中でも、いなくてはならない自分の半身なんだってくまがみねが豪語してますから!"お前が焼き鳥になるなら俺もジビエ料理になる!"はトップ10には入る名言ですよ!」
何そのシーン滅茶苦茶気になる。
でも、半身って言い切れるくらい深い絆か…
小さな子供向けにしてはやや重めな気もするけれど、今時はメッセージ性の強いアニメが多いもんね。
味方と言っても盲目的な全肯定という事ではなく、間違いは間違いだとちゃんと叱ってくれる。
そういう、トリトウさんのような存在はとても大切なのだと伝えたいが故のキャラ付けだったのかもしれない。
「…よし、決めました!」
"くまがみね"というアニメの予想外の深さに感心していると、二菜ちゃんはアクセサリー系のグッズが並ぶ棚から二つのパッチン止めを手に取った。
かごには既にいくつか他のグッズが入っているけれど、ずっと真剣に悩みながら選んでいたから…きっと、何か特別な意味のあるものなのだろう。そう、例えば…
「お土産?」
「うーん、ちょっと違います。至くん達への布教用とかじゃなくて、これは…弌菜にプレゼント、したくて。仲直りの印…なんて、子供っぽいかもですけど」
「そんなことないよ。弌菜ちゃん、きっと喜んでくれると思う」
「だと良いんですけど…」
自信無さそうに呟いて、二菜ちゃんはチラリとこちらを上目遣いで窺う。
「あの、ちなみにですけど…一般人にとってお揃いって、恥ずかしかったりするでしょうか」
「お揃い?」
あぁ、だから二つなのか。
長方形のアクリルに描かれた柄は少し違うけれど、デザイン的には全く同じ品だ。
おそらく、片方を弌菜ちゃんにプレゼントして、もう一つは自分用なのだろう。
「確かに、目につくところに付けるのは恥ずかしいって思う人もいるだろうけど…少なくとも私は嬉しいかな」
如何せん、私と親友はしょっちゅうお互いで揃いのものを買ったり身に付けていたタイプだからね。
どちらかといえば親友の方がその傾向が強かったかな。
大学に通い始めの頃なんか、オススメの家具を送りあっていたせいか一時期部屋がコピー状態になって…共通の友人が仲良し過ぎぃ!と笑い転げていた事があったっけ。
喧嘩しちゃった時なんか、あの子どこから情報を仕入れたのかその日の私とお揃いのコーデに身を包んで、うっかりお揃いの服着ちゃうくらい好きだから仲直りしてください!って…あの行動力には驚かされた。
そんな思い出達に潰されそうになって、私は小さく頭を振る。ジクジクと痛んだ胸は知らないフリだ。
「嬉しい…えへへ、お姉さんがそう言ってくれるなら自信が湧きますね!では、スパッとお会計してきちゃいます!」
「あ、じゃあ私も」
二菜ちゃんの"くまがみね"うんちくを聞きながら、私達はいつの間にか準備万端でカウンターに座っていたおばあちゃんにかごを差し出したのだった。
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またおいでと紡がれた暖かい声に背を押されながら店を出る。
変わらず人通りのない道路の真ん中で、さて次はどこに行こうかと話していた…その最中の事だった。
「……っ!?」
「…?二菜ちゃん?」
二菜ちゃんの目付きが目に見えて鋭く変わり、どうしたのかと問うより先にビービーと警告音を吐き出す彼女の端末が答えをくれる。
〔索敵部隊ヨリ通告。千葉県凪祇市周辺ニテ未確認ノ怪異発生。又、付近ニ一般人ヲ確認シタタメ、ランク未確定デアルガ速ヤカニ対応サレタシ。繰リ返ス…〕
「え、怪異!?それに、凪祇市って…」
「まずい…ここから近いですね。……弌菜…大丈夫かな」
女声に近い合成音声が読み上げた内容に目を丸くする。
出現ではなく発生ってことは、新しく生まれたということ。
こんなにタイミングよく…?
嫌な予感が背を撫でた。
「二菜、ちょっと行ってきます!」
「あ、ちょ、二菜ちゃん!?」
端末を慣れた手つきで操作しながら駆け出した彼女を慌てて追いかける。
私が行ったところで邪魔なだけなのは分かっていた。
それでも追いかけないとと思ったのは…ひどい胸騒ぎがしたからだ。
能力者の皆曰く怪異なんて実際は珍しくもないものだと言うし、そもそも同じ市に能力者が三人もいれば寄ってくる可能性はぐんと上がるだろう。
だから、この状況をイレギュラーとは言えない。
けれど…
《二菜が殺したのは"あの子"じゃない!!だって…あそこには、"怪異しかいなかった"筈なんだ!!!》
耳の奥でふと再生された"アイツ"の声が、"記録"が…私の不安を煽っていく。
これは、本当にただの偶然?
だって、穏やかな日常を引き裂くような、得も言われぬ気味悪さを感じるのだ。
暗闇の中、道化師がにたりと笑いながら手招いているような…そんなうすら寒い恐怖を。
私の、一番敏感な感覚が刺激されている。
これは、そう、たぶん…死の気配だ。
疑念が重なって、答えを知りたくて、だから私は二菜ちゃんの向かった方角目指して路地を抜けていく。
本人の姿はとうに見失っているけれど、昨日の迷子騒動の反省を生かして対策をしておいたんだよね。
借り物の端末を開けば、ピコピコと点滅しながら移動していく②とかかれたアイコン。
そう、この端末は二菜ちゃんの居場所が表示されるように改良されていたのである。
遠隔でサクッと設定してくれた捻木さんには頭が上がらない。
まぁ、どうしてか私は捻木さんとの直接のやり取りが禁止されているらしく、メイリーに頼んでもらったんだけどね。
私、あの人に何かしてしまったのだろうか?ファーストコンタクトは何事も無かった気が…いや、今それは置いておこう。
簡易的な地図の中を動くマーカーを頼りにしながらアスファルトを蹴ることしばらく。
【Biiiiiiiiiiiiiiiiiii!!】
地を揺らすような怪異の断末魔が聞こえて足を止める。
思わず耳を塞ぎ、それでも手のひら越しに容赦なく鼓膜を揺らしてくるそれに顔をしかめた。
するとその声を押し潰す打撃音が数度響き…ズドン、と一際大きな音が聞こえたかと思えば、空気を軋ませていた不協和音は嘘のように消えていく。
たぶん、二菜ちゃんが倒したのだろう。
ホッと肩の力を抜きながら地図を頼りに入り組んだ細道をあっへこっちへと曲がっていけば、ほどなくして目当ての姿を見つけることができた。
ぶらんと力無く下げられた腕から伸びた鉄球。
冷ややかに黒光りするそれが無機質に転がっている路地はそこかしこが陥没しており、ゴミ箱だったと思われる残骸とひしゃげた配管パイプが散らばっている。
その中にたたずむ彼女は…どうしてか呆然としているように見えた。
「…二菜ちゃん?」
「…え?あ、お、お姉さん!?だ、ダメですこっちに来ちゃ…!」
私を見て綻びかけた顔は一瞬にして焦りに変わり、二菜ちゃんは鎖を地面に放って両手を突き出す。
ただならぬ様子にどうしたのかと思いながら足を止め…る前に、"ソレ"が目に入ってしまった。
薄暗い路地の壁と地面を汚す趣味の悪い鮮血のペンキ。むっと香るのはシンナーではなく生臭さと鉄臭さ。
乾いていないのか未だてらてらと不気味に光るその中で倒れているものが何であるか、など…火を見るより明らかだ。
「すみません。二菜が来たときには、もう…」
「…そっか。それは…」
仕方ない、と言いそうになった自分に酷い嫌悪感を感じて口をつぐむ。
落ち込む彼女を慰めたいあまりにまろびでそうになったその言葉は、私の心底嫌いな言葉であったから。
自分を落ち着かせるために深呼吸すれば、鼻を刺激する血臭に目眩がする。
当然か。これ程派手に血が撒き散らされているのだから。
惨状から察せる通り、この血の持ち主だろう人間はどうしたらこうなるのかと問いたいくらいにぐしゃぐしゃで、全く原型を留めていない。
死体と言うより、肉塊と表した方が相応しいだろう状態だった。
…あれ?いや、まって、まさかこれ…っ!?
「うそ…まだ、生きてる…?」
「…っ、はい。そう、みたいです」
呼吸があるのか、僅かに上下するソレに絶句する。
いくらなんでもこの状態で生きてるなんて普通には考えられない。
でも、私の目の前にあるソレは…やはり、確かに細く生を繋いでいた。
「でも…これは、もう…」
「うん…分かってるよ。…っ、分かって、る」
言わなくて良いと首を横に降る。
生きている。それでも…もう、助けてあげられない。
どこが頭でどこが腹なのかも分からない状態なのに、どう治療出来るというの?
本当なら、とどめをさして楽にしてあげるべきなのだろう。
けれど私にはそんな力も覚悟もなくて、かといって二菜ちゃんにお願いして背負わせるなんて…たとえ彼女が気にしないと言っても、出来なかった。
だから私は自分勝手な謝罪を心の中で唱え、そっと目を背ける。
「これ…怪異の仕業、なの?」
「分かりません…確かにここには怪異がいましたけど、せいぜい一ツ星程度のスライム型でした。こんな、手の込んだ殺し方が出来る力があるとは、とても…」
「なら、まさかまた能力者…とか?」
「それは…」
「いや。その可能性はない筈だよ」
言い淀んだ二菜ちゃんを別の声が引き継いだ。
その主は猫を思わせるしなやかさで私達の前に降り立つと、音もなく跳ねた血が靴を汚すのも気にせずに悠然と佇む。
「メイリー!」
「メイリーさん!」
そう、言わずもがな…メイリーその人である。
上から来たけど、屋根の上でも走ってきたのだろうか。
「やぁ、二人とも無事で何よりだよ。ところで、先程こちらにぶっ飛ばしてきたのは二菜かい?」
「え、あ!?すみません!!あの怪異、とどめをさすつもりがついうっかり吹っ飛ばしちゃって…なのであの、たぶん二菜です」
「…怪異?」
「え?二菜が飛ばしちゃった怪異のこと、ですよね?どうかしましたか?」
「…いや。すまない。なんでもないよ」
明らかに何かを隠すように瞳を伏せ、メイリーはぐるりと路地の様子を見渡した後に重く息を吐いた。
「ここも酷いね…」
「すみません…二菜、間に合わなかったです」
「いや、それを言うならボクの方も似たようなものさ」
ここも酷い…?ボクの方も似たような…?
ということは…
「もしかして、他の場所にも怪異が現れたの?」
「あぁ、その通り。まさか複数出てくるとはね…」
真剣な顔で肯定してみせた彼女に私と二菜ちゃんは息を飲む。
そして二菜ちゃんはすぐに自分の端末を開くと、履歴のようなものをスクロールして本当だ…と空気に溶けそうな程か細い声で呟いた。
「ボクが駆け付けた先には肉が腐ったようなぐちゃぐちゃの死体が恐らく三人分と、死にかけの一ツ星が一体彷徨いていたよ。報告を受けてすぐに向かったつもりだったんだけど…相手の方が早かったらしいね。血も死体もまだ暖かかった。肉も固くはなかったけど…そもそも筋繊維が残ってるのかも分からない有り様だったからそこはあてにならないかな。傷口は…」
淡々と述べるメイリーに少しの寒気を感じて、私は視線をそっと外して地面に落とす。
ラットを解剖する目だ、と…そう思った。
彼女はたぶん、被害者に対しては何とも思っていないのだろう。現場に転がる調査対象の一つ…知識を得るためにまさぐる内臓の一つでしかないのだ。
でも、それを恐ろしいと思ってしまうのは、やはり能力者なのだと落胆してしまうのは…私の傲慢でしかないんだろう。
モヤモヤを必死に飲み込んで、改めて彼女の話に耳を傾ける。
「メイリーさんの所も一ツ星程度…あの、一ツ星にこの殺し方は可能だと思いますか?」
「いや。少なくともボクの所にいた一ツ星には無理だね。何があったかはわからないけれど、放っといても死ぬだろう状態だった。実際調査を優先させるために縛って放置してきたんだけど…ちゃんと死んだみたいだしね」
「でも、怪異じゃないとしたら一体…。能力者、ではないんだよね?それは…どうして?」
「あぁ、ボクは感覚が鋭敏だと言っただろう?それは能力に対しても有効なんだ。誰かが能力を使ったのなら、多少離れていても空気の揺らぎというか…波動のようなものを感じ取れるのさ。けれど、今回は何も感じなかった」
「お姉さん!メイリーさんの感覚は本物ですよ!鋭いって有名ですから!」
二菜ちゃんからのお墨付きもあり、一連の事件が能力者によるものではないという見解に私も納得出来た。
また能力者による虐殺だと言われたら傷口に塩を塗り込まれるようなものだったから…正直、ホッとしている。
けれど気が緩んだのは私だけで、メイリーは尚も険しい表情のままに言葉を続けた。
「あくまでも"能力が使われていない"、ということしか断言出来ないがね。関与していないと結論付けるのは早計だ。如何せん、怪異だけの仕業というには…どうにも腑に落ちない」
「それは、やっぱり…"殺し方"?」
「あぁ。そこの異様な有り様の死体はボクの方でも確認出来た。同じ状態だったよ。まぁ…こちらは運悪く死に損なっているみたいだけれど」
最後の一文は酷く冷めた声で呟き、メイリーはぱしゃんぴしゃんと未だ固まらない血溜まりを踏みながら肉塊の方へと近づいていく。
そして…表情一つ変えず、何の躊躇いもなくソレに手を突っ込んで弄り始めたではないか。
生々しい、文字通り肉をかき混ぜる湿った音が静まり返った路地に響く。
服が汚れるのも厭わず、当たり前のように手袋に包まれていない素手を赤黒く染めていく様は…寒気を覚える程恐ろしい。
視覚と聴覚と嗅覚がまとめて"死"に侵されているようで気持ち悪くなってきた。
ちらりと二菜ちゃんを見ると、さすがの彼女も顔をひきつらせながら直視を避けているようだ。その反応に仄かな安堵を覚えた。
というか、無関心がデフォルトの能力者ですら見るに耐えないなんて余程のことでは…?
うん、メイリー…恐るべし。
「…ふむ。やはりこれは…外から、というより…ん?」
ふと、グチャリと肉をかき分けたメイリーが動きを止め、手から滴る血もそのままに己のジャケットをあさりはじめる。
「あ、あのぅ…メイリーさん、服が…」
「ん?あぁ、気にしないでおくれ。ボクは血とか全く気にしないタイプだからね」
「そ、そうなんですね!」
「えっと…気にしないのは良いけど、そのまま人前に出ないでね。捕まるから」
仕立てのいい服が血にまみれると、その道のヤバい人感が半端ない。
血まみれってだけでも通報まったなしなのに、一瞬で何か事件の犯人だと誤解されそうなレベルである
「ふふ、大丈夫。さすがにそんなヘマはしないさ。研究所印の血落とし薬は常備しているからね。ちなみに、すでに一回使用済みだよ」
つまり、すでに一回同様のことをしてきた、と。
「え!?本当ですか!?あ…だからメイリーさん、最初は綺麗だったんですね!二菜、全然気付かなかったです!」
「そうだろうそうだろう!ボクの鼻も誤魔化せるくらい消臭もバッチリなのさ」
「感心するところでもドヤ顔するところでもないからね」
こんなスプラッタな現場で何をのんきにしているのかと正気を疑われそうだが、会話でもして気を紛らわせていないと私は立っていられない。
胸の中ではグルグルと気持ち悪さが渦巻き、少しでも気を抜けばたちまち視界にちらつくノイズが…"記録"がすべてを埋め尽くすことだろう。
そうなったら私は"あちら"と"こちら"の境界をまた見失い…最悪発狂しかねない。
そんないっぱいいっぱいな私はさておいて、メイリーはジャケット,ズボン,ベストと手を突っ込んで未だ何か探しているらしかった。
やがてベストの内ポケットでお目当てのものを見つけたらしく、彼女は拳を握りながら手を引き抜くと、私達に見せるようにゆっくりその手を開く。そこにあったのは…
「…バッジ?」
乾きつつあるひび割れた赤の中に鎮座していたのは、手のひらよりも二回りほど小さい金属製のバッジだった。缶バッジとは違う、ちゃんとしたデザインのものである。
「あぁ。ボクの方にあった死体から見つけたものさ。ほら、ここを見てごらん」
ここ、と鋭い表情のメイリーが示したのは肉塊の一部。
さすがに私は覗き込めなかったが、二菜ちゃんは躊躇いもなく覗き込んであ!と声を上げる。
「これ…同じものですよ!ほら!」
そのまま拾い上げた彼女の手には、天使の羽と悪魔の翼が上下で半々になっているようなデザインのバッジが握られていた。
汚れが酷いけれど、成る程確かにメイリーが持っているものと瓜二つの品である。
というか二菜ちゃん、さっきは肉塊から目をそらしていたのに…今普通に手を突っ込んだね…
「やはりそうだよね…ただの流行りもののアクセサリーだろうと期待しないで持ってきたのだけど…」
曰く、メイリーが回収したのはこの一つだけだが、すべての死体で同じものが見つかっていたらしい。
「むむ…仲良しさんだったんでしょうか?皆お揃いって良いですね!」
「きひひ、死までお揃いとは大した"仲良しさん"だ。しかし…気になる共通点だよ」
「別々の現場で共通のものが見つかるなんて…確かに不思議だよね」
思考に沈んだメイリーから視線を外し、特に意味もなく上を見上げてみる。
建物の隙間から見える狭苦しい空は、朝よりも少し色が濃くなった美しい夏の色…の筈なのに、どうしてか突き放すように遠く冷たい印象を受けた。まるで冬に見下ろされているみたいだ。
屋根の上や頭上を通る電線には死臭につられたのだろうカラスが数羽止まっており、こちらを見下ろしながら嘲笑うようにカァと鳴いている。
「…あれ?」
そんなカラス達からゆっくり視線を下げていく途中、私の目は壁にせり出した配管に引っかかっている何かをとらえた。
ヒラヒラと風に靡くあれは…布、かな?
何か模様が刺繍されているみたいだけど…
見たい、と念じたからだろうか。いや、勿論そんなワケはないのだろうけれど、そう思ってしまうくらいタイミングよく風が吹き抜ける。
その、神様の悪戯とでも言えそうな風は布らしき何かをあっさりとさらい、ヒラリと宙を舞わせた。
そのまま目の前に落ちたそれを拾い上げれば、どうやら服の一部だったらしい。
裁縫に詳しいワケじゃ無いけれど、恐らく背面の上部とそこから繋がった右袖が少し…だと思う。
どうしてあんな所に…?怪異に襲われた時に千切れて飛んでいったのだろうか。
素材はなんとなくシャカシャカしたような布で、古着店で見かけたスタジャンに近いかな。
そして、遠目に見えていた刺繍…模様かと思っていたそれは、どうやら文字だったらしい。
しかし…
「…読めない」
別に英語で書かれているとかギリシャ語で書かれているとか、他の国の文字で書かれているというワケではなく、その文字は漢字であった。
なら何故読めないかと言えば、並べられたそれが単語として成り立たないからである。
一つ一つはたしいて難しくもないのだけれど…
フクロウのように首をひねり、そう言えばと思い出した。
いつだったか、ファッション誌の特集ページで似たようなものを見かけたような気がする。
何だったか…当て字、というのだろうか?
一昔前の不良が好んでいたという、夜露死苦と書いてヨロシクと読ませる類いのものだったと思う。
「おや…?シオリ、何を持っているんだい?」
「ひゃっ!?」
いつの間にそこにいたのか…肌のきめ細やかさがよく分かる程の至近距離から声をかけてきたメイリーに、思わず驚きの声がもれた。
忍者かな…???
「んんん?お姉さん、それは何かの布ですか?」
「たぶん、服…だと思う。上の方に引っかかってたのが風で落ちてきて…あ、そうだ。二人はコレ、読める?」
パタパタとやって来た二菜ちゃんにも見えるように布を広げ、拾った経緯を説明しつつ文字について尋ねてみる。
「ふむ…?見たところ漢字のようだね」
「え?…あ、本当ですね!てっきり未知の文字かと思いました!」
二菜ちゃんの気持ちは分かる。
達筆…というか独特な字体のせいもあるけれど、意味の繋がらない文字の羅列はまるで記号だ。
「当て字ってやつだとは思うんだけど…」
「当て字…?あぁ、つまり文字同士の繋がりは無いってことかな」
「むむむ…?とりあえず一個ずつ読めば良いんですか?なら最初は…えっと、"布"?」
「二菜、それじゃあ一文字で完結してしまうよ。ふむ…そうだね、当て字として読むのなら"ふ"じゃないかな?」
「"ふ"…成る程。じゃあ次の漢字は…"琉"、じゃなくて"琉"…とかかな」
「おお!そんな感じですか!じゃあじゃあ、次は二菜が考えます!!えっと…」
三人であれか、いやこれか、と知恵を絞り、六文字ある漢字にそれらしい読みを与えていくと、四文字目を終えた辺りで輪郭が見えてくる。
一文字目は"布"。
二文字目が"琉"。
三文字目に"俄"。
四文字目で"人"。
残る二文字は"離"と"悪"。
「…ぁ」
「…シオリ?」
「お姉さん?何か分かりましたか?」
幾つかあげた読み仮名の候補を反芻していくうちに気付いた。
それらしく音を並べてみると、一つだけ聞き覚えのある言葉が浮かぶということに。
「…プルガトリオ」
「「え?」」




