16-9
メイリーside
おかしいとは思っていたんだ。
直属の上司でもないアイツからあんな事を言われるなんて。
〈メイリーさ、休暇欲しくない?〉
〈は?〉
ある日の事。彼の執務室に呼び出され、扉を開けると同時に放たれた脈絡のない台詞が事の始まりだった。
〈…急に何事だい?〉
唐突なそれに頭を抱えながらも冷静に問い返せるのは、長年の付き合いの賜物だ。全く嬉しくないスキルだけれどね。
三徹した後に久夜の相手をする羽目になるなんて…勘弁して欲しい。
こんな事ならたまには島の自室で警戒心を解いてゆっくり仮眠を、なんて贅沢を望まなければよかったよ。
〈いやさ、メイリーこの前大手柄だったじゃん?だからここいらでご褒美がてら羽を伸ばしたらどうかなってさ〉
〈さては中身が別人だろう。誰だい、貴公は〉
〈ひっど!!正真正銘の俺だしぃ~!〉
デスクにうず高く積まれていた書類のタワーをブルドーザーよろしく押し出し、盛大に散らばらせながら文句を言う姿は…成る程確かにボクの知る久夜に違いないらしい。
かといって謝罪はしないさ。本気で中身を疑うくらいらしくない発言だったのだからね。
うん。久夜が悪い。
むしろ、不気味すぎて蕁麻疹が出かけたボクに謝罪して欲しいくらいだよ。
というか、この惨状はどうするつもりだろうね。
真夏だというのに雪景色のような有り様だよ。まぁ、こんなに汚い雪が降るのはここくらいだろうけれど。
〈とーにーかーくー!メイリーの上司を脅…お話しして、休んでも良いって許可をもぎ取ってきた訳さ。はー…俺ってばやっさしー〉
〈知っているかい久夜。それは事後報告と言うんだよ。そもそも、質問の意味がまるでないじゃないか〉
〈そりゃね。聞いただけだし〉
分かってはいたけれど、相変わらず理不尽が服を着ているように言動が滅茶苦茶な友人だ。
深いため息の一つや二つこの場で吐くことを許して欲しいものだよ。
〈…で?その急過ぎる休暇をボクに取らせる意図は何だい?〉
〈ぶはっ!あっはははははは!!俺ってさ、そんなに信用ない?〉
〈ないね。…いや、別の信用はあるかな。貴公が意味なく善意で動く事は無いだろうって信用がね〉
〈はー…うっざ〉
ぶすっと急降下した機嫌と体感温度。
その辺の十把一絡げの雑輩なら腰を抜かすだろうプレッシャーが部屋を満たすけれど、こんなものボクに…いや、ボク達からすれば戯れの範囲内
むしろ『重力』が発動されないだけ可愛いくらいさ。
〈…ま、いいや。あのさ、図書館の司書って奴、分かるでしょ〉
〈勿論。大恩人だからね〉
先日のハロルド・オルデバロンとそれが率いる反乱組織の一件。
連中の喉笛に食らいつき、息の根を止めるに至ったのは…間違いなく彼女のおかげだ。
とはいえ、ボクは件の恩人サマに会ったことはおろか、顔も知らないのだけどね。
あの時はテレビ通話でない、普通の音声だけだったから。
〈んじゃ話は早いね!休暇のついで程度でいいからさ、そいつの事見ててやってくんない?〉
〈見ててとは…外出の予定があるのかい?あんなことがあったというのに…〉
〈だからこそ、だよ。あー…海に連れていってやりたいんだとさ〉
〈海…?〉
〈そ。学生の一人がさ、アイツを一緒に連れていきたいって頼みに来たんだわ。直接、この俺に〉
〈それはまた勇敢なことだね。しかし…それをOKしたのかい?貴公が?〉
〈は?したけど?〉
何言ってるんだと問うてくる金色に、こちらが何を言っているのかと返したい。
彼女は久夜預かりの身。責任者は当然久夜である。
元々島外へ出るための手続きは軒並み面倒だというのに、そこへプラスして彼女には出自が不明瞭だと上から未だに警戒されているというオプションがついているんだ。
つまり、ただでさえ多い書類を更に倍くらい増やした量の束を奴は処理して提出しなければならない訳で…
あんな、ボクでさえ御免被りたい手間を厭わずにOKを出す?あの久夜が?
その異常性に、貴公はまったく気付いていないというのかい?
〈ずっと引きこもってるのも不健康そうだからさ。ほら、モヤシにだって光合成ってやつは必要じゃん?〉
〈いや、モヤシは暗所で育つものだけれど…〉
〈はー…面倒くさ。どっちでもいいじゃん。ものの例えだしさ。で、日取りを学生に任せたはいいんだけど…そしたらなんと、同行出来る奴が面白いくらい居なかったんだよね!〉
〈あぁ、この時期は学生の夏季休暇を確保するために皆任務が詰まっているからね〉
〈そ。でも、日程とかの書類はもう出しちゃった後だったし、書き直すとかダルいし…んで、思い付いたワケ!休みがないなら作ればいいじゃん!ってさ。丁度一人、休みもぎ取れそうな奴がいたし〉
〈成る程。それがボク…ということかい〉
〈そゆこと!〉
にっこりと笑った久夜からはハイかイエスしか認めないという圧が隠すことなく向けられていて、どうせ既にボクの名前を同行者の書類に勝手に書いて提出した後なのだろうなと察した。
だって久夜だしね。
〈…わかった。ありがたく"休暇"をいただくとするよ〉
〈あはっ!メイリーならそう言ってくれると思った!ま、もう上に書類出してるし、拒否権なかったけどさ〉
ほら、やっぱりね。
〈取り敢えず書類に書く名前が欲しかっただけだからさ、現地に居てくれさえいれば他は好きにしてていいよ〉
〈へぇ?それはまた…随分とぬるい護衛依頼じゃないか〉
この気に入り様からして、絶対守れ,傷一つつけるな…と、そのくらい言われるのは覚悟していたんだけれどね。
予想に反して告げられたのは任務と呼ぶには適当な指示。
まさか、本気でボクの休暇を中心に据えたいわけでもあるまいに…
納得していない顔を見せているだろうボクを、久夜はじぃっとその月が浮かんでいるような双眼で見つめ…やがてふ、と目蓋の裏に隠す。
〈…別に、そこまでしてやる意味ないでしょ。だって、アイツ…〉
"俺の事、嫌いだし"…ねぇ?
久夜、ボクの自慢の耳をナメているのかい?バッチリ聞こえてしまったよ。
呟いて、それきり口を結んでしまった友に向けてひっそりと呆れを混ぜた息を吐く。
誰だこれは、まったく…
こんなの、不器用な子供と同じじゃないか。
言って自分が傷付くなら言わなければ良いものを…どうやらこの友人は、自分の感情を持て余しているみたいだね。
この様子じゃ、言葉を鵜呑みにしておざなりな護衛なんかしたら潰されかねないな。
まったくもって面倒な事だ。
しかし…本当に件の司書とやらは興味深い。
久夜にこんな顔をさせる人物など初めてじゃないかな。
この人でなしがこんなにも人間らしく、気まずそうな…道に迷ったような顔をするとはね。
〈…と、とにかく!栞里をずっと見てろとは言わない。けどさ、出来れば…アイツの"周囲"には注意しといてくんね?〉
〈周囲?同行者の事かい?〉
〈いや。文字通りの周囲〉
文字通り、と言われてもね…
要領を得ない忠告に眉間へシワが寄るのが分かる。
すると、久夜はチェアを軋ませながら片手で自分の髪をわしゃっと乱した。
〈はー…面倒くさ。何もないと思う…いや、思いたいんだけどさ。アイツの巻き込まれ率って半端じゃないんだよね〉
〈あぁ…確かに、話を聞く限りいつも事件の渦中にいるものね〉
〈そ。超トラブル吸引体質なワケ。おかげで俺もとばっちり食らうし…〉
〈ん?久夜も何か巻き込まれた事があるのかい?〉
〈そうじゃなくてさ…あー、俺が、アイツを巻き込んでるみたいになってるっていうか…ほら、俺が派遣した先々で色々起こってるじゃん?だからこっちに風評被害がくるっつーか…あ"ー!もう!とにかく気分悪くなるんだよ!〉
ガシャンとペン立てを放り、久夜はデスクの上で幼子のように暴れだす。
まぁ確かに…見方を変えれば久夜の言っている事も分かるかな。
彼女がトラブルを引き寄せているのか、はたまた久夜がトラブルに彼女をぶつけているのか…ってね。
しかし、とボクは顎に手を添える。
どちらにせよ、久夜達二人がトラブルを前にして掴み取っているのは…皆、勝利だ。
当人達に言うと怒られそうだけれど、いいコンビなんじゃないかな。
〈…久夜、分かったからいい加減落ち着いておくれ。埃が立つ〉
〈はー…うっざ〉
〈取り敢えず、周囲の警戒をしつつも対象人物に張り付く必要はなく、自由に動いてかまわない…ということでいいかな?〉
〈…ん。まぁ、そんな感じでよろしく〉
…
カツン、と己のブーツに仕込まれた金属の音が反響する路地裏で、ボクはこの街に来る前にした久夜とのやり取りを思い出していた。
「…トラブル、ね」
月だけの明かりで成り立つ夜の中にボクの独り言が溶けていくようだ。
ほろりと崩れてほとんど響かなかったその声の代わりに、どこかで落ちた水滴の音が嫌に鮮明に聞こえてくる。
そして、ツンと鼻を刺激する鉄錆臭い香りに目を細めながら…ボクはようやく"ソレ"に焦点を合わせたんだ。
「ここまでくるともう、お祓いをオススメするよ。どちらが、というより…"どちらも"トラブルに愛されているんじゃないかな。まったく、厄介な事だ」
視線の先では、原型を留めずに血を滴らせている肉塊がぬらりと月光に照らされていた。
コレが人間であったのだと理解出来る者は果たしてどのくらいいるのだろうね。
鼻の良いボクだからこそコレの正体が何であったのか正しく理解できてしまったけれど…己の嗅覚を一瞬疑うくらいには酷い有り様だ。
死体から香る噎せ返るような血と腐敗の織り成す死の香り。すんと鼻に通した空気の中には、やはりそれとは別の覚えある臭いが見つかった。
「ふむ。実害に至らなかったナンパに対する天罰…というには、いささか厳しすぎるのではないかな」
一般人が使うようなDNAなどの調査ほど正確とは言えないが、ボクの鼻が導いた答えは…ソレが熊ヶ峰二菜の妹君にちょっかいを出していた不届き者の一人だということ。
物言わぬ肉塊とボクの周りに広がる闇夜をぐるりと見渡す。
ふむ、この肌をチリつかせる違和感は何だろうね?
探りたいのは山々だが、現状この骸以外に有力な手がかりなどは望めなそうだ。
何せ、周囲には怪異の気配も能力者の気配もないのだから。
全国を探せばこんな変死体も珍しいものではなく、存外一般人による猟奇的な犯行の産物としてごろごろと転がっているものだ。
しかし…此度のこれは"違う"。
決定的に違うと言える。
そう断言出来る理由は…
「あぁ、やはり…またこうなる、か」
角砂糖が水に溶けていくように、端からほろほろと肉塊が消え失せたからだ。
幻のように、しかし生々しく大量の血と死の香りだけは残して。
ざわりと肌が粟立つ。これは、未知に対する本能的な忌避感だ。
だって、仕方ないじゃないか。人間の死体が怪異のように消えるなど、まともじゃない。
こんなに気味の悪い現象は初めてだ。
…いや、初めてと言うには少しばかり語弊があるかな。
「はぁ…これで今日三人目か」
そもそもの話、ボクはこの街周辺で気になる話を聞き、せっかくだからと興味本意で調べていたんだ。睡眠前の軽い運動のつもりでね。
そしたらどうだ?行く先々で血臭を感じ、それを追いかけてみれば…これだ。
ここから一つ離れた街で一人。凪祇市内の海とは反対の場所にある廃ビルで一人。そしてここ、海からの帰りに妹君が飛び出してきた路地の奥まった場所で一人。
駆け付けた時には皆生暖かくも既に息絶えていて、しばらく死体を検分している間に先程のように消えてしまったんだ。
果たして、この現象は一体何だというのか…
調べたくとも死体がないんじゃ研究所に依頼も出来やしない。
死ぬ前に駆け付ける事が出来ればいいのだけれど…やはり見回っておくしかないかな。
どうやら、明日は楽しくバカンスとはいかなそうだね。
落胆のため息をこらえつつボクはジャケットから端末を取り出すと、迷わず履歴の一番上にあった番号タップした。
さて、出てくれるかどうか…
プルルルルル、プルルルルル、プルル…ピ!
おや、とつい眉が上がる。
かけ直し五回くらいは覚悟していたのだが…予想に反して目的の人物は通話をとってくれたようだ。
まったく、いつもこうであってほしいものだよ。
〔やっほー。何、メイリー?〕
「これはこれは珍しい。明日は槍でも降るのかい?」
〔ふはは!大丈夫ッスよメイリー先輩!一ノ世先輩は仕事の手を止める口実が欲しかっただけッスから!通常運転の屑っぷりなんで、雨も槍も降らないッス!〕
〔はー…うっざ。何?二人してさ、俺にケンカ売ってんの?買う買う、いくら?〕
〔う"ぐぇ!?ぢょ…!!ナンデ!?非売品!!非売品ッスから!買わないでくださいッス!!…ぐべっ!?〕
ぎゃあぎゃあとバカ騒ぎを始めた通話先に頭を抱えつつ、ボクは通話ボリュームを一気に下げた。シンプルにうるさい。
いつもの事ながら十三束の無自覚毒舌は見事なものだね。
ビデオ通話の画面から見切れていて後輩の姿は見えないが、どうせまた久夜に鉄槌を下されている事だろう。
悲鳴だけがギャンギャンと響いているよ。
というか、そこは執務室だろうに…何をしているんだ貴公達は。
年は増してもやり取りが学生時代のそれから進歩していない。
「はぁ…こんな時間でも元気だね。戯れ中にすまないが…久夜、話がある」
〔ほーん?…いいよ。何?〕
「貴公はここ、凪祇市近郊で多発している失踪事件は知っているかい?」
〔失踪…?何ソレ〕
〔えーと…あ、これッスかね。失踪者、三ヶ月で二十名に迫る…って〕
十三束が久夜に己の端末を手渡し、彼の目が一応は文章を追っているらしく右へ左へと動いていく。
どうやら興味は湧かないらしく終始アリの行列でも見るような目をしていたけれど、まぁ内容くらいは理解してくれただろう。…たぶん。
〔…で?コレがどうしたのさ。一般人の事件じゃん〕
「あのねぇ…もしコレが誘拐の類いだったとしたら貴公の大切なお姫様に危険が及ぶかもしれないと思ったから、わざわざこの事件を調べたんだよ?ボクだって興味なんてないさ」
〔姫…?は?姫ぇ???ぶはっ!あっははははは!!!姫だってさ!〕
〔ゲェッ!それってあのクソ"記録者"の事ッスか!?メイリー先輩趣味悪いッスよ!!〕
〔十三束、うるさい〕
〔ぎゃっ!?何でっすか!?!?〕
〔アイツをいじめていいのも馬鹿にしていいのも俺だけだからさ〕
久夜…それ、小学生レベルの情緒じゃないか。
シオリ、貴女は本当に可哀想な子だね。
よりによってこんなのに気に入られるなんて…っと、いけないいけない。話がそれてしまう。
「こほん、ボクもどうせ一般人の事件だからと軽く見ていたんだけどね…調べてみるとどうにも雲行きが怪しくなってきたんだ」
〔…どういうこと?それってさ、つまり"こっち"関係だって言いたいの?〕
すぅっと鋭く細められた目に射抜かれ、慣れているとはいえ背をピリッとしたものが走る。
「…ボクが件の事件を調べて気になったのは人気の無い所でやたらと感じる血の残り香と、活発化しているらしい薬の取引だ」
〔それのどこが"こっち"関連なんスか?〕
「それらの痕跡を辿ると見事に死体が出てきたのさ。それだけならボクも何とも思わなかったのだけど…」
ボクはあの現象を思い出しながら慎重に口を動かす。
「目の前で、死体が消えたのさ。まるで怪異のように、三回もね」
未だに自分でも信じられない話ではあるけれど、この目で見てしまったのだから認めざるを得ない。
あまりにも不可解なそれを目の当たりにして、これは一般人の事件だと言い切る自信などなかった。
「久夜はこれを、どう見る」
〔はー…面倒くさ。その質問はさ、自分の上司にするべきじゃないの?〕
「あのねぇ…ボクを"休暇"扱いにしたのは誰だい?上司に連絡なんてしたら、休んでるくせに仕事増やすな!って怒鳴られるのが目に見えているんだよ」
上司のことは尊敬も信頼もしているけれど、あの拳は本当に本当に痛いのだ。
アレをくらうくらいなら久夜の機嫌を多少損ねる方がマシだからね。あくまでも多少だけれど…
〔あー…ハイハイ。正直、現場を見てない俺にとしては判断材料にかけるから何とも言えないね。まぁ、死体の消失なんて確かに普通じゃ説明つかないし、"こっち"の関係を疑うけどさ…事件との繋がりがいまいち見えてこない〕
「まぁ、それはそうだよね」
久夜の意見はもっともだ。
せめて死体の身元が行方不明者だと分かればハッキリしたんだけれど…まともに顔が判別出来る状態ではなかったし、そもそも消えてしまったのだからお手上げである。
〔というか、凪祇市って元々行方不明事件多いらしいッスよね?考え過ぎじゃないんスか?〕
十三束の言う通り、この凪祇市周辺は海水浴場として名を馳せている反面、裏ではその治安の悪さもまた有名であるらしい。
不良や半グレが多く、薬の売人もそこら中の闇に身を潜ませ、武器商人の出入りもあるという。
夜の東京には及ばないが、それでも殺人傷害強姦密売…と、真っ黒な話題に事欠かないこの近辺は、そこそこにニュースを騒がせているようだ。
行方不明者の大半は非行少年や少女、借金背負ったサラリーマンといった後ろ暗い訳アリばかり。
"また"あの子が家出した。今度はいつ帰ってくるだろう。
そう言って困り顔をするだけの親達は完全に麻痺している。
"どうせ"アイツもどっかの輩に沈められたんだろう。おお怖い怖い。
そんな冗談を酒の肴にする住民達もまた、麻痺してしまっている。
そんな人達ばかりだからこそ、行方不明者が増えているにも関わらず街は落ち着いているし、平然と海水浴客を呼び込めるんだ。
二菜には悪いけれど、まったくもってここは恐ろしい場所だとボクは思ってしまったよ。
〔んで?メイリーはどうするつもりなのさ〕
「…取り敢えず、動こうと思っているよ。影は不明瞭だが…嫌な予感がするんだ。毛が逆立つような、ね」
〔ほーん?メイリーの勘がそういってるなら…確かに警戒に越したことはないね。よく当たるんだしさ。何かこっちから手助けとかいる?〕
「いや、今のところはそこまで…ただ索敵は少し余分に回してもらえると助かるかな」
〔あー…ハイハイ。備えてって事ね〕
了解と興味を失った顔で答えた彼に苦笑を禁じ得ないけれど、頼んだことを疎かにすることはないだろう。…たぶん。
ともあれ伝えるべき事は伝えたし通話を終えようとボタンに指を伸ばした…
〔ところでさ!〕
…が、珍しいことに久夜はまだ会話の気分らしく別の話題を吹っ掛けてきた。
〔栞里とはどう?上手くやれてる?〕
ボクの話の時よりも爛々と輝く金色に肩をすくめ、ボクは迷わず是を返す。
「彼女、とても可愛らしい人だよね」
〔うげぇ…マジで言ってるんスか!?〕
〔十三束、うるさいってば。もう飲み物でも買いに行ってよ〕
〔……ッス〕
久夜の興味を容赦なく引いているらしい件の人物は、こう言っては何だが想像よりずっと平凡を形にしたような女性だった。
〈えっとご存知とは思いますが、私は綴戯栞里です〉
眼鏡で瞳の色が隠れていたせいなどではなく、能力者としてのオーラとでもいうのかな?
そういった気配がとにかく薄いその護衛対象は、いっそ一般人と言われた方が納得できるような人物で…正直、二菜が一緒にいなければ同姓同名の別人を疑ったことだろう。
元々身に付いている己の所作を少しばかりオーバーにして振る舞えば、それだけでさっと頬を赤くする。
その様子もまたその辺の一般人と同じような反応で、失礼ながら期待外れというか、落胆を覚えたものだ。
まぁ、そんな彼女の印象は接すれば接するほどに変わっていくことになるんだけどね。
それはもう、いっそ鮮やかなくらいに。
例えば、ボクが不本意ながら女性の敵だと言われる片鱗をちらつかせた時。
〈ありえないね〉
軽蔑したかと問うたボクの耳に返ってきた色気の無い、しかし恐ろしくストレートに撃ち抜いてくるような声でもってあっさりと否定して見せた。
例えば、二菜とその妹君の喧嘩を止めるべく『開示』を使った時。
〈これを見せるために、私やメイリーを招いてくれたのかな?〉
〈〈……違います〉〉
〈そうだよね。ケンカするなとは言わないから、もう少し周りを見ること。ね?〉
いかにも"記録者"らしく平淡な目をしていたかと思えば、遠い記憶にある母を思わせるような慈愛をのせて微笑む彼女のギャップに驚かされた。
例えば、二菜が海に沈めてしまった彼女を引き上げるべく潜った時。
〈あはは…ごめん。うっかり海に見とれちゃって…〉
そう可愛らしく苦笑した彼女からは腹の底がぞわぞわするような得体の知れない気配がして、それこそ深海よりも深いところに沈んでしまいそうな危うさを感じた。
例えば、典型的なナンパに捕まっていた時。
〈訂正しろ、屑共が〉
一瞬久夜を重ねるくらいに壮絶な圧を放つその姿に、怒りを顕にするその姿に驚愕すると同時に…どうしてかそれがとても彼女らしく見えてしまって、鳥肌が立った。
そんな風に少しずつ、少しずつパズルを完成させていくかの如く嵌められていくピースと、どんどん見えてくる表面上のそれとはまるで違う彼女の本質。
今日見ただけでも分かる。彼女は決して凪ではない。
いやはやボクとしたことが…気付けばすっかりシオリに惹かれている。次はどんなカオを見せてくれるだろう、ってね。
「…きひっ、彼女はとてもイイ子だよね。まったく」
〔あはっ!メイリーさ、今自分がどんな顔してるか分かってる?めっずらしー!あっはははははは!!〕
顔、と言われて触ってみれば、成る程これはいけないな。
鏡など見ずとも分かる。ボクは今…獲物を定めた獣の顔をしているのだろう。
だってボクは、彼女の皮を喰い破り、内を暴きたくて仕方ないのだから。
成る程確かに彼女は一緒にいて心地のいい人間だ。
久夜や八丸のように扱い難いなんてことはなく、きちんと人に寄り添いその人を見つめる姿勢は美しく、眩しさすら感じる。
しかし、その腹の中に飼っているのはおそらく…善良な一般人でも、ましてや聖人などでもないのだろう。
あれは、そんなに可愛いものじゃない。
あぁ、本当の貴女は…どんな顔でこの世界を見ているんだい?ボクは、それを知りたいんだ。
だってそうすれば…あの時見た"ボク"のように、貴女に焦がれることが出来るのかもしれないのだろう?
命すらかけられるくらい熱烈で、重苦しい感情。
ボクは"ボク"が抱いていたその狂気を…知ってみたくてたまらない。
「…そうだ。つかぬことを聞くけれど…久夜は、ボクと殺し合う予定はあるかい?」
〔は?何言ってんのさ〕
「…いや、すまない。そうだよね。そんなことある筈ない…」
しかし、それならあれは…一体何の"記録"だったんだ?
と、独り言のつもりで呟いた言葉を拾ったらしい久夜の表情が、画面越しにもハッキリ分かるくらいにガラリと変わった。
〔メイリー、くわしく〕
「え?あぁ…かまわないけれど、荒唐無稽な上に胸糞悪い妄言になるよ?」
〔いいから〕
促されれままにボクはあの…目を背けたくなるような"記録"を語っていく。
珍しく真剣に話を聞く久夜に調子が狂うけれど、それだけの何かがあの"記録"にあるということだ。
吐き気を堪えながらも粗方語り終えると、前のめりで話を聞いていた久夜は上質だろうチェアにだらしなくもたれ掛かった。
珍しいことに最後まで口を挟まなかったね…驚いたよ。
〔…成る程、ね。んで?メイリーはソレ見せられて興味出ちゃった感じなワケ?〕
「そりゃね。だって気になるだろう?あんな…」
あれがただの白昼夢であれば笑い話にでも出来ただろう。
彼女が"記録者"でなかったなら馬鹿馬鹿しいと聞く耳すらもたなかっただろう。
けれどもあれは"記録"であり、現実である…筈なのだ。
当然ボクにはまったく身に覚えなんて無いけれどね。いや、あったら既に死んでいるか。
〔しっかし、メイリーは…"そっち側"だったんだね〕
「…久夜、貴公は何か知っているんだね?」
〔ノーコメント〕
どうやら教えてくれるつもりはないらしい。
この様子じゃ口を割らせるのも無理だろうね。
まぁ何も言わないというのならそれもまた一つの指標だ。
少なくとも、"アレ"が現実になるかもとボクが気を揉む必要は無いのだろう。
仕方ないと肩をすくめて、にいっと自慢の牙を見せる。
久夜、今回は別件の事もあるし手を引いてあげるよ。
けれど…ボクは猟犬だ。狙った獲物はきっと仕留めてみせるよ。
〔うっわ、メイリー顔やば…。はー…面倒くさ。そんな顔しなくてもそのうちちゃんと話すってば。気が向いたらさ〕
「きひっ、楽しみにしているよ」
〔…そんなに良い話じゃないんだけどね〕
ふっと金色を陰らせた久夜に内心首を傾げるも、ほんの瞬き一つの間に戻ってしまった。
へぇ?あんな思い詰めたような陰は久しぶりに見たね。
〔メイリー。俺はさ、君が休暇をどう過ごそうが構わないけど…栞里の事だけはちゃんと守れよ〕
「…仰せのままに」
ブツンと別れの挨拶もなく切れた真っ黒な通話画面にため息をぶつける。
まいったな、釘を刺された。
通話越しだというのに、『重力』が使用されていると錯覚する程の圧だったね。
いやはや勘が鋭いというか…久夜にはお見通しらしいや。
ボクがシオリに持った興味が本人に対してだけではなく、そのトラブル吸引体質とでも言うべき悪運にも、ということに。
察しの通り、ボクはシオリに期待しているんだ。
例えば、そう…この凪祇市を覆う気味の悪い霧を晴らす糸口になりはしないか、とね。
きひひ、その為に少しだけ泳いでもらうけれど…許しておくれ。
勿論傷つけるつもりは毛頭無いさ。久夜に釘を刺されずともちゃんと守るよ。
だって、シオリとてボクの関心を引いているという意味では…獲物に違いないのだから。
みすみす外野に狩らせるような真似はしないとも。
「…さて、まだ月は高いね」
ボクは金色を映した己の瞳を細め、もう何も残っていない路地にブーツの音を響かせた。
翻した身に、燻る血臭の残滓を引き連れて。




