16-8
「…ん」
ふっと目が覚めた。
お馴染みの悪夢に叩き起こされたワケでも変な気配を感じたというワケでもなく、ただ眠りの海を揺蕩っていた意識が急にぽんと岸に打ち上げられてしまったような感覚。
決して嫌な目覚めではないけれど、まだ朝も遠い暗闇の中で冴えてしまった目に息を吐く。
静まり返った客間を見渡しても、私の他空の布団が一組寒々しく寝そべっているだけだ。
どうやらメイリーは帰ってきていないらしい。
と言うのも、彼女は肉じゃが中心の夕食をいただいた後、用事が出来てしまったからと外へ出ていってそれっきり見ていないのだ。
〈まさか、今から仕事…?〉
〈まぁ、それに近いかな。ボクは人気者なのさ〉
〈はわわ…メイリーさんの所って忙しくて滅多に休みを取れないって有名ですもんね…〉
そんなに忙しい人に護衛を頼んでしまっていたのかと顔色を悪くすると、すぐにするりと頬を撫でられた。
〈そんな顔をしないでおくれ。貴女の護衛を引き受けたおかげでボクは今、羽を伸ばせているんだ。感謝しているよ〉
〈そ、れなら…いいんだけど…〉
甘い視線と声による擽ったさで早まる鼓動に声を上ずらせながら納得の色を見せれば、メイリーはクスッと今度は悪戯っぽい笑いをこぼす。
おのれ…反応を楽しんでるな、この人。
ジトリと睨んでみたものの、彼女は少しも気にした様子を見せずに私の頬から手を離した。
〈それじゃあ、行ってくるよ。忙しなくてすまないね、二菜。折角招いてもらっているのに…〉
〈いえ!気にしないでください!あ、もし帰ってきた時に鍵が掛かってたら遠慮無く二菜を呼び出してくださいね!それか右から三番目の植木鉢の下に鍵があるので、それを使ってもらっても大丈夫です!〉
〈はは、分かったよ。ありがとう〉
…と、そんな訳で、私が客間を独り占めしている状態なのである。
それにしても、こんな時間でも帰ってきていないなんて…ちゃんと睡眠時間がとれるといいけど。
ちなみに最初は、私一人くらいなら自分の部屋に入れるから是非一緒に寝よう!と二菜ちゃんに誘われた。
誘われたんだけど…おじさんとおばさんに壮絶なNGを食らって、二菜ちゃんが泣く泣く諦めたんだよね。
何故かは分からないけど、二人とも凄い剣幕だったよ…
目を瞑ってみても遠退いた眠気は戻って来ず、どこか懐かしいような木造の香りと虫の囁きが嫌に鮮明に感じ取れてしまうだけ。
うん、ダメだな。少し夜風にでも当たってこよう。
そっと布団をどかし、カーディガンを寝間着の上に羽織った私はペタペタと畳の感触を素足に感じながら客間を後にする。
キシリと歩く度に文句を言う廊下を抜けて玄関へ向かうと、私が靴を履くより先に戸がスライドして…意外な人物と鉢合わせた。
「…ひ、弌菜ちゃん?」
「びっ……くりした……あ、いや、お互い様だよね。ごめん」
「ううん、大丈夫。…今、帰り?」
「まぁ…そう。その、お姉さんは?…眠れなかった、とか?」
「何だか目が覚めちゃって。夜風に当たって気分転換でもしようかなと思ってたんだけど…」
ほんのりと、しかし確かに鼻をつくタバコの匂いと彼女に似合わない香水が香る。
私はそれに気付いて一度口をつぐみ、気まずそうに揺れている瞳を覗き込んで笑いかけた。
「ね、良かったら少し話し相手になってくれないかな?」
「…え?」
私の言葉が意外だったのかきょとんと目を丸くした彼女は…成る程さすがは双子。二菜ちゃんにそっくりだね。
そんな事を考えながら弌菜ちゃんの答えを待っていれば、彼女はやや逡巡しつつもやがてゆっくりと頷いた。
…
月明かりの下。
東京のような寝らずの都市とは違って夜に沈んだ街は日中の賑わいとは程遠く、意味があるのかと問いたくなるくらいにぽつぽつと離れた間隔で並ぶ街灯だけが心許なく光っている。
そこそこに古いものなのかついたり消えたりを繰り返すものがちらほらとあり、正体が分かっていても不気味さを感じずにはいられない。
ちゃんと整備しようよ。ただでさえ暗いんだから…
車通りもすっかり絶えて静まった世界の中では、波音も昼間よりはっきり届く。
遠いような近いような所で響くそれは、荒れてもいないのにどこか恐ろしく聞こえた。
耳を傾けていると呼び声のようにも感じられるそれを払うように軽く頭を振り、隣を歩く弌菜ちゃんに意識を向ける。
「お姉さん、その格好で寒くない?」
「平気だよ。弌菜ちゃんこそ大丈夫?」
「ん。大丈夫。夜はなれてるし」
こちらを気遣いながら歩く彼女に連れられて辿り着いたのは、二菜ちゃんの家から五分程の自販機。
蛾が群がるくすんだ街灯に照らされたそこは、ほんの小さな休憩所みたいだ。
自販機の隣に置かれていたベンチに腰を下ろした弌菜ちゃんに倣えば、いかにも古そうなそれがギシリと僅かに軋む。
「それで…何を話したいの?」
「えーと…待って、あんまり考えてなかった」
「は?…てっきり説教でもされるのかと…」
「え!?いやいやいや!!確かに夜は危ないから一人で出歩くのは良くないとかタバコの煙は体に良くないから気をつけてほしいとかもっと似合う香水があると思うとか言いたいところだけど、私はただ弌菜ちゃんの事を知りたいなと思っただけで…!」
「…ぷ、あはははははは!!言いたい事いっぱいあるんじゃん!」
何がツボだったのかケラケラとひとしきり笑った弌菜ちゃんは、最初よりもぐっと解れたような雰囲気でベンチに背中を預けた。
「ちなみに、タバコの匂いは友達のが移っただけでウチは吸ってないし、吸ってるとこにも居合わせてない。香水は適当につけられただけで、ウチもこの匂いは趣味じゃないかな。何か胸焼けしそう」
「あ、そうなんだ…」
「で?他にはどんな事が知りたい?スリーサイズとか?」
私や二菜ちゃんよりずっと発育の良い胸を強調させながら、誘うように小首をかしげた彼女は艶かしく口を弧にする。
「むぅ…気にはなるけど…教えてくれるの?」
「あは!企業秘密ー!」
色香を醸し出したかと思えばぱっと子供っぽく笑って見せる弌菜ちゃんに口を尖らせた。
からかわれてしまった。まぁ勿論、分かっててノッたんだけども。
彼女は笑いを引き摺りながらも私から視線を外し、ふと遠くに視線を投げた。
その横顔が月明かりと自販機の鈍い明かりに照らされるのを見つめ、あれ?と内心で首を捻る。
どうしてだろう。笑ってるけど、笑えていない。
そう感じさせる、何かが欠けているような笑顔がそこにはあった。
私は一度目を伏せ、視線を星空に描かれた三角形の方へ向ける。
「…ねぇ、弌菜ちゃんはいつもこんな時間まで遊んでるの?」
「まぁ…そうだね。友達と店行って遊んでると気付けばこのくらいになってるかな」
「お店とか開いてるものなの?ここから見ると街の方も真っ暗だけど…」
「これが意外と開いてる店あんの。今日も行きつけのバーでダーツやってたんた」
バーでダーツって…凄いな。そんな洒落た夜は過ごしたことないわ。
ダーツだって市販の、マグネットの付いた安っこいので遊んだのがせいぜいだ。そしてそれすら的に当たらないのが私である。
「…って、弌菜ちゃんバーに行ってるの!?」
「あ、言っとくけどウチ、酒は飲んでないよ。舐めたことあるけどイマイチ美味しくなかったし…」
「そ、そっか。よかった…」
「きゃはは!お姉さん分かりやすいなぁ!まさかお酒飲んでないでしょうね!?って顔に出てたよ!」
「うっ…」
指摘され、もう意味がないとは分かりつつも両手で顔を隠した。
考えた事一言一句違わず当てられて恥ずかしいったらない。
「お姉さんはさ、夜遊びとかしなさそうだよね。ザ・優等生!って感じする」
「優等生って訳じゃ無かったけど…確かに夜はあまり出歩かなかったかな。私ってお化けとか本っ当に大嫌いだから、夜道とかも嫌で嫌で…!友達は皆それを知ってたから無理に誘って来なかったんだよ。だから遊ぶのはもっぱら日中だったの」
「きゃはは、何その理由!!可愛すぎじゃん!!おーよちよち!」
「完全に馬鹿にしてるね!?こら、撫でない!」
笑いながら撫でてくる手をペシンと軽く叩き、半目になって彼女に抗議の視線を送った。
「笑ってるけど、弌菜ちゃんは夜道嫌じゃないの?」
「別に?」
つ、強い…。
暗い中後ろから足音が聞こえてきたり、生臭いような風が吹いたり、外灯が突然チカチカし始めたりだとか…そんな、普段ならなんともない事が気になるのが夜道なのに…
まぁ、今となってはお化けやホラーなんかより生身の人間の方が余程恐ろしいと身に染みているけれど。それでも苦手は苦手だ。
「あ、でも…お化けとかは気にしてないけど、一応夜道は控えてるつもりだよ。いつもならこんな時間にわざわざ帰ってきたりしないでどっか近くに泊まる、し…ぁ」
「あれ?そうなの?」
「…う、うん。出歩いてるウチが言うのもなんだけど、この辺夜は結構変な人多くて危ないんだよね」
「え"」
変な人と聞いてバッと弌菜ちゃんに目を向け、頭のてっぺんから爪先まで視線でなぞる。
すると、彼女はおかしくてたまらないと言いたげにどかっと笑ったではないか。
「ぷっ、あははははははは!!!そ、そんなわっかりやすく心配そうな顔しなくても!!ぷふっ!ウチは大丈夫だって。さっき言った"なれてる"ってのは、そういう奴らへの対処も込みでだからさ」
「それでも、心配はするよ」
「きゃははははは!ガチの顔じゃん!ウケるー!」
お腹を抱えながらひぃひぃと涙まで滲ませて笑う彼女に小さく息を吐き、分かりやすいのはお互い様だと内心独り言つ。
たぶん…失言、だったのだろう。さっきのは。
誤魔化そうとしている弌菜ちゃんには悪いけど、なんとなく見逃しちゃダメな気がするから…少しだけ、踏み込むことにしよう。
「…弌菜ちゃんが今日帰ってきたのって、二菜ちゃんがいるから、かな」
「…っ」
ピタリと笑い声が止まり、二菜ちゃんと同じように大きく、しかし彼女よりつり目がちな目が丸く見開かれてこちらを向いた。
あぁ、やっぱり。
いつもは近場に泊まって来るのだと言った彼女が何故、今日に限って帰ってきたのか。
その答えなんて…思い浮かぶのは一つしかなかった。
弌菜ちゃんの"いつも"と今日の違いはきっと…二菜ちゃんだもんね。
どうして?と語りかける目からは、私が踏み込んできた事への驚きと困惑の中に混ざるほんの僅かな安堵が感じ取れた。
私は再度問うことも言葉を重ねることもしないまま、複雑な顔で口をつぐんでしまった弌菜ちゃんを待つ。
彼女自身気持ちがはっきりしていないのだろう。
「…笑えるよね」
やがて雲が月を覆い隠したタイミングで、より闇が深くなった世界に小さな呟きが落ちた。
「あんだけ邪険にしてたクセして…ウチね、本当は危ないからホテルに泊まってけって友達に引き留められたんだ。でも…なんでかな…二菜の顔思い出しちゃってさ。帰りたく、なっちゃったんだよね」
「…そっか」
影のせいでより不鮮明になった表情はもう読み取れないけれど、その声がひどく心細くて頼りない音をしていることだけは分かる。
「弌菜ちゃんってさ、二菜ちゃんのこと…嫌いなんかじゃないでしょ。絶対」
正面…遠くの夜闇を見たままそう言えば、ひゅ、と息を飲む音がした。
「…本気で言ってんの?今日、見てたでしょ。ウチらの、言い争い」
「見てたよ。だからこその、絶対」
「意味、分かんない。ウチ、二菜見てるとイライラするしムカつくし、頭ん中ぐちゃぐちゃになんの。だから顔見るのもキツいし話しててもカッとなるし…だから…だ、から…」
動揺による震えを誤魔化すためか、彼女の声は分かりやすく硬い声色だ。
もしかしたら弌菜ちゃんは私の台詞というより…その台詞で動揺してしまった自分に驚いてるのかもしれない。
だからこそそんな、迷子のような…どうしたらいいのか分からないって顔をしてるんだ。
「私には、弌菜ちゃんは二菜ちゃんを嫌いになろうとしてるように見えるかな。だって本当に嫌いな相手に…あんな目は出来ないもの」
思い出すのは二菜ちゃんとの言い争いの度にぐちゃぐちゃな感情を宿していた弌菜ちゃんの瞳。
メイリーですら読み取れないと称した彼女の感情のうち、けれど私には一つだけ確かに見えていた。
「あんな…自分が傷付いたような目は、きっと出来ない」
「…っ!…あんたに…あんたに、何がわかんの!?」
ベンチを跳ねさせるような勢いで立ち上がった弌菜ちゃんが、ナイフのように鋭い視線を私に突き付ける。
でも、ごめんね。
残念ながら私は、そのくらいの威嚇で尻込みする人間じゃないんだ。
だから、私は笑った。笑顔とは時に威嚇の意味を持つと言われている。
そしてその通り、怯んだのは弌菜ちゃんの方だった。
「弌菜ちゃんの事、私は全然知らないよ。だから、君の気持ちが分かるわけじゃない。でもね、私は…本気で人を嫌う目も、本気で人を憎む目も、よく知っているから」
"アイツら"に日常を奪われた人々の目。
"アイツら"に大切な人を奪われた者達の目。
私は何百何千何万と己の中に焼き付けてきた。
だから、彼女の目がそれとは違うことはよく分かる。
「な…に、それ…」
真っ直ぐ見つめ返す私に弌菜ちゃんが狼狽えた。
耐えきれなくなって逃げるように宙を彷徨った視線はやがて、行き場をなくして地面に落ちる。
「…ウチと二菜は、ずっと一緒だった」
バチバチ、パチン、と虫が誘蛾灯に焼かれる音の中に力ない声が混ざった。
口を挟むことなくそっと己の隣を叩けば、まだ温かいそこに彼女は大人しく座り直す。
「生まれる前から一緒にいたのに…どうしてウチは一般人で二菜は能力者だなんて分かれちゃったの?それに、お姉ちゃんって何?二菜は"姉"じゃないしウチは"妹"じゃないよ。双子じゃん。どうして対等でいてくれないの?どうして隣にいてくれないの?ウチを置き去りにして、いつの間にか二菜は前に前に行っちゃう。苗字まで変えちゃってさ…もうウチ、家族じゃないのかな…っ?」
一度溢れたら、もう止まらなかった。
弌菜ちゃんが溜め込んでいたのだろう感情が、支離滅裂ながら次に次にと震える唇から零れていく。
その一つ一つが水滴のように落ちる度、苦しい,悲しいと心の水面が揺らいでいる。
「二菜が…勝手に"遠く"なっていく‥っ!!どうして?どうして!?」
そうして、ようやく弌菜ちゃんの思いが見つかった。
やっぱり彼女は…二菜ちゃんを嫌ってなんかいなかったね。
「弌菜ちゃん。寂しい?」
「…ぇ……さ…み、し…い?」
彼女が口にした不満はどれも、同じ場所に在れないことへの嘆きばかりだ。
"能力者"と"一般人"。
"姉"と"妹"。
"熊ヶ峰"と"鳥羽添"。
そうやって、生まれる前から一緒にいたはずの彼女と区別されることが、歩幅が違うことが、違う道を歩んでいることが、離れていってしまうことが…嫌で嫌でたまらなかったのだろう。
たぶん、というか絶対に…弌菜ちゃんは二菜ちゃんが大好きなんだ。
大好きだからこそ、許せなかった。
愛と憎しみは紙一重と言うけれど、弌菜ちゃんもきっとこれに近い。
苦しくて苦しくて、でもどうしようもなくて…それで、どうにか二菜ちゃんを嫌おうとしたのだろう。
本当の気持ちを隠すために。
自分の心をを守るために。
「あぁ…そっか、うん。本当だ。二菜がウチを頼ってくれなくて、置いていかれて、どんどん遠くなって…さみしい…寂しいや。あは、なんだこれ。馬鹿みたい」
弌菜ちゃんの震える手が握られて、ガンッとベンチの錆びた手すりを殴った。
鈍い音が辺りに反響するのと同時に、頼りない外灯の光を反射した涙が星のように舞う。
「寂しい…寂しい、寂しいよ…!嫌だ、嫌だ!こんな、こんなの嫌だ!!置いていかれたくない!!ウチだって、ウチだって…!何が能力者だよ!!どうしてっ、二菜だけが…っ!!」
ぼろぼろと堰を切ったようにこぼれ落ちる透明な雫は、ぐいぐいと何度拭って拭って拭ってと繰り返しても止まらない。
このままでは目を傷つけてしまいそうだし、よくある言葉の通り目が溶けてしまうんじゃないかと思った私は…横から彼女を抱き締めた。
そうすれば、弱々しい手が私の腕をきゅっといじらしく掴み、手が塞がって拭えなくなった涙が肩を濡らしていく。
二菜ちゃんと比べてどこか大人びているように見えていたけど…違っていた。
まだこの子は、感情のままに泣ける子供だったんだ。
その事に少しだけ安心してしたのは本人には内緒だけれど。
「一緒に"っ……居たいよ、ぐすっ…"おねーちゃん"とかじゃ、なくて…ずっ…対等で…半身でいてよ…!ウチを…置いていか、ないで…っ」
海からの帰り道。弌菜ちゃんがいきなり怒り出した理由はきっと、ここにあったんだ。
〈でも二菜は…弌菜のお姉ちゃんだから!だから、守ってあげたいの!〉
その言葉は、一体どれ程弌菜ちゃんを傷付けたことだろう。
〈ウチは、二菜を姉と思ったことなんて…一度もない〉
その言葉は、一体どれ程の苦痛を伴って吐き出されたものだろう。
すべてが理解出来る程私は出来た人間ではないけれど…一つだけ、知っていることがある。
「これは私の勝手な憶測だけど…二菜ちゃんはね、別に差をつけたい訳じゃなと思うよ。弌菜ちゃんが大事だから、守りたいって気持ちが前に前に出てきちゃうんじゃないかな」
二菜ちゃんは、弌菜ちゃんを失いたくないと本気で思ってる筈だ。
失ってしまった"アイツ"を知っているからこそ、二菜ちゃんにとって彼女が"何"であるか想像がつく。
まぁ、そんな理由が無くても二菜ちゃんは家族を大切にしているから、きっと弌菜ちゃんを守ろうとするのだろうけれど。
「そ…んなの、所詮…憶測じゃん…分かんないっ、じゃん」
私に更に顔を強く押し付けて嗚咽を堪えようとする彼女の不器用さに口をつぐむ。
そんなことない、と言うのは簡単だ。
けれどきっと…それを伝えるべきは私じゃない。私じゃダメだ。
二菜ちゃんと弌菜ちゃんはきちんと互いの気持ちをぶつけるべきだね。
さすがは双子、似た者同士というか…お互いに独りよがりな感じがする。
「弌菜ちゃん、今からお節介な事を言うね。聞き流してくれてもかまわない」
肩に乗るサラサラというよりはふわふわとした頭を卵をくるむように優しく抱え、あやすように撫でた。
二人はきっと互いが大好きで、けれどすれ違っている。とても損な子達だ。
「今みたいにさ、気持ちを言葉にして伝えよう?そうしないと伝わらない事って絶対にあるから」
「ひぐっ…ず……ぐすっ、そん、なの…こわいよ…嫌、われ…っ」
「…そうだね。すっごく怖いと思う。でも、もっと怖いのは…伝えられないまま終わることだよ」
「…お、わる…?」
「好きも、嫌いも、ごめんなさいも、ありがとうも…全部届けられなかった人間を、私は知っている。だから、弌菜ちゃんにはそうなって欲しくないんだ」
涙の残滓をほろりと溢しながら、驚きに見開かれた瞳が私を見る。
そこに映る自分は我ながら下手くそな笑顔を浮かべていて、あまりの情けなさに自嘲した。
けれど、少しでも彼女の背を押す呪いになってくれたらいいな。なんて。
「…よーし!」
「わ、ちょ…!?」
しっとりしかけた雰囲気を誤魔化すように弌菜ちゃんの髪をかき混ぜると、少し鬱陶しそうに抗議の声が上がった。
けど、その声からは硬さが消えていて…むしろ擽ったそうな、笑う一歩手前のようだ。
「少しはスッキリした?弌菜ちゃん」
「…ん、…した。あの、さ…聞いてくれて、ありがと」
素直な言葉を私の服に吸い込ませた彼女はぐりっと一度顔を押し付け…ちょっと、今涙拭いたね??まぁ、今更だからいいけども。
私から離れた弌菜ちゃんの顔は確かにスッキリしていて、この暗さじゃ分からないけどきっと赤い目をしているのだろう。
「…はぁ…ウチ、ガキみたいに泣いちゃったじゃん。どーしてくれんの」
「ふふっ!目が腫れないうちに冷やさないとね?」
「もー…!」
意地悪な口調でからかえば、つんと口を尖らせて私を睨んだ後ふっと焦げ茶の瞳を夜空に泳がせた。
「へんなの。こんなつもり、なかったのに。ウチ、ばーちゃんにもこんな風に泣き付いたことないし、じーちゃんにもこんな風に気持ちぶちまけたことないんだけど」
「うーん…逆に、私が何でもない立ち位置の人間だからこそ、とかじゃないかな?」
「どーいう意味?」
「ほら、私ってぽっと出の他人でしょ?だから、家族だから弱みを見せたくないって意地を張る必要も、友達だから心配させたくないって気を遣う必要もない。何と言うか…後腐れない一夜限りの関係、的な?」
「お姉さんそれフーゾク?」
「待ってなんで???」
とんでもない疑惑を向けられてしまったぞ?
今のどこに風俗の気配が…あぁ、もしかして"後腐れない一夜限りの~"ってとこか!
確かに言い回しが良くない…うん。良くないねコレ!!
私が衝撃的な言葉による動揺を昇華させているのを横目に、弌菜ちゃんはぐぐっと伸びをする。
夜空に付き出した両手の先を追うように再び上を向いた彼女は、囁くようにポツリと呟いた。
「…違う、と思うな」
「え?」
小さく、しかしきっぱりとした響きでもって紡がれた否定の言葉。
その言葉は先程冗談で言っただろう風俗云々の所ではなく、別の部分へ向けられたものだと真剣な声色が物語っている。
「ウチ、何でもない他人だから話せたんじゃなくて…お姉さんだから話せたんだと思う」
「私だから…?」
「そ」
弌菜ちゃんはおもむろに足を組み、その上に肘をおいて頬杖をついた。
ただ座っていた時の目線よりやや低くなった所から、少しばかり悪戯な光を宿した瞳が上目遣いで私を見る。
小悪魔的というか、魅せ方を分かってるというか…
君の醸す雰囲気の方が余程風俗の空気を感じるぞ、と言いたくなるくらい弌菜ちゃんは魅力的に笑ってみせた。
「お姉さんとウチ、なんか似たものを感じたんだ」
「えーと…似てる、かな?」
「何となくね」
いまいちピンとこなくて眉を寄せた私に、彼女はゆるりと目尻を下げる。
そこに見えた作り物ではない親しみの感情が冗談のつもりじゃないと教えてくれた。
それが少しでも心の距離を詰められた証明な気がして…むず痒くなる。
「ね、お姉さん。お姉さんも能力者でしょ?…やっぱ強いの?」
「まさか!見た目通り全然だよ。その辺の子供にも負けるくらいには弱いからね。でも、急にどうしたの?」
「いや、能力者って皆すごい人なんだろうって思ってたんだけどさ…お姉さんはそう見えなくて、正直会った時ビックリしたんだよね。こんな人もいるんだ、って」
おっと言葉の矢がぐさっと刺さったぞ。
年下の子にまでこの人弱そうって見られてる現実が悲しい。否定できないのが尚更情けない。
「あ、はは…私以外は皆すごい人ばかりなんだけどね。私はちょっと、特殊というか…」
「ふーん…それさ、一緒にいるの大変じゃないの?差とか、あるじゃん」
「そりゃもうすっごく!」
特に一ノ世な!!他のどこを探してもあんな傍若無人の唯我独尊野郎はそうそう見つからないだろうよ。
他の人も何だかんだ自由人だし。常識はズレてる事の方が多いし。
「…でも、だからこそ一緒にいようと思ったかな」
「え…?」
「皆と私には確かな差があって、考えとか分からない事だらけだけどね…どうしても知りたい事があるの。"分からない"じゃ済ませたくない問いがあるんだ」
「"分からない"で、済ませたくない…」
「そう。だから大変でも、振り回されても、たとえ振り落とされたとしたって…私は"答え"を知る為に向き合い続けようって決めた。同じ場所から景色を見てみようって思った。どんなに酷い目にあったとしても、目を背けたくなるような現実があったとしても…諦めてなんかやらないよ」
なんて、少し大きく言いすぎたかな。
何となく恥ずかしくなって誤魔化すように頬をかきながら弌菜ちゃんの反応を窺うと、彼女は眩しいものでも見たかのように目を細めて微笑んでいた。
「…そっか」
私の言葉がどう響いたのかなんて分からない。
けれどどうか…手を伸ばすことを諦める必要なんてない、という思いは伝わっていて欲しいと願う。
「…さ!もうそろそろ帰ろっか、お姉さん」
「わ!?もうこんな時間だったんだ…うん、そうだね。お開きにしようか」
ぱん!と手を叩いて今までの空気を霧散させた弌菜ちゃんに、端末の時刻を確認しながら是を返す。思いの外話し込んでいたらしい。
明日…というか、もう今日になってしまったけれど、朝ちゃんと起きれるか不安である。
「お姉さん、帰り道わかる?」
「あはは、さすがに迷う距離じゃないよ」
「それもそっか。あー…じゃあ、ウチはもう少し頭冷やしてから帰るからさ、先に帰っててよ」
それはダメだと抗議しようとして、しかし私は中途半端に口を開くに止めた。
だって彼女が…難しい問題を解こうと頭をひねる子供のような顔をしていたから。
たぶん、私と話す中で改めて気付いた自分の気持ちを整理する時間が欲しくて言った言葉だったのだろう。
そう察するのは容易で、それならば耳障りの良い言葉を吐いて邪魔をするのは憚られた。
「…一人で、大丈夫?」
悩んだ末に絞り出した声は自分でも分かるくらいに甘やかすような響きを伴っていて、弌菜ちゃんはきょとんと目を丸くする。
そして、擽ったそうな顔をした。
「…心配性」
おや?我ながら恥ずかしい事をしてしまったかと思ったけれど…当人は思いの外嬉しそうだ。なら、まぁいいか。
私は、少しでも弌菜ちゃんの為になれただろうか。なれていたらいいな。
そんな不安と期待の混ざる感情を持て余しながら、私はは彼女と別れて帰路についたのだった。




